これで、私も自由になれます

たくわん

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再会

アレクサンダーは、王宮の廊下に立ち尽くしていた。

エリザベートの背中が、遠ざかっていく。

かつて、自分が「つまらない」と言って捨てた女性。

今、彼女は国王から認められ、王国財政顧問という地位を得た。

一方、自分は何を得たのか。

「若様」

秘書官が心配そうに声をかけた。

「会議の時間です。公爵様がお待ちです」

「……ああ」

アレクサンダーは、重い足取りで会議室へ向かった。

会議室では、父である公爵と、数名の重臣が待っていた。

「遅い」

公爵の声は冷たかった。

「すみません、父上」

アレクサンダーは席についた。

会議が始まった。議題は、領地の財政再建について。

「今期の税収は、前年比でさらに十パーセント減少」

財務担当の家臣が報告した。

「このままでは、来年の運営が困難です」

「原因は?」

公爵が厳しく問いただした。

「農地の生産性低下、商業活動の停滞、それから……」

家臣は、アレクサンダーをちらりと見た。

「若様の領地経営への関心不足が、家臣や領民の士気を下げていると」

アレクサンダーは、何も言えなかった。

全て、事実だった。

「それから」

別の家臣が続けた。

「奥方様の支出が、依然として高額です。先月だけで、宝飾品と衣装に金貨二百枚を……」

「黙れ」

アレクサンダーは、思わず声を荒げた。

「ソフィアのことは、私が管理する」

「管理できていないではないか」

公爵が冷たく言った。

「アレクサンダー、お前は現実が見えていない」

公爵は立ち上がった。

「先ほど、国王陛下の謁見に、リヒテンシュタイン辺境伯の令嬢が呼ばれていたな」

アレクサンダーの身体が、強張った。

「彼女は、国王陛下から直々に財政顧問に任命された。若く、女性であるにも関わらずだ」

公爵は、アレクサンダーを見下ろした。

「一方、お前は何をした? 華やかな女に惑わされ、家を傾けかけている」

「父上……」

「もう一度だけ、チャンスをやる」

公爵は冷酷に言った。

「三ヶ月以内に、財政を改善しろ。できなければ、後継者の座から降りてもらう」

会議は、重苦しい空気の中で終わった。

アレクサンダーは、一人で自室に戻った。

窓から、王都の街並みが見える。

彼は、机の引き出しを開けた。

そこには、エリザベートとの婚約時代の手紙が残っていた。

彼女の几帳面な筆跡で、領地経営についての提案が書かれている。

『アレクサンダー様

領地の北部地域の収穫量について、気になることがあります。土壌改良を検討されてはいかがでしょうか。

以前読んだ農学書に、興味深い手法が紹介されていました……』

当時、アレクサンダーはこの手紙を読んで、「つまらない」と感じた。

もっと、恋愛的な内容を期待していたのに、領地経営の話ばかり。

でも、今なら分かる。

これが、彼女なりの愛情表現だった。

彼を支えようとする、彼女の真心だった。

「馬鹿だった……」

アレクサンダーは、頭を抱えた。

「本当に、馬鹿だった」

その時、扉が開いた。

ソフィアだった。

「アレクサンダー様、聞きましたわ」

彼女は不機嫌そうな顔をしていた。

「エリザベート様が、国王陛下から顧問に任命されたって」

「……ああ」

「それで、社交界では私たちのことが笑いものになっているそうですわ」

ソフィアは涙目になった。

「『あんな素晴らしい令嬢を捨てて、浪費家を選んだ』って」

「ソフィア……」

「私は浪費家じゃありませんわ!」

ソフィアは声を上げた。

「公爵夫人として相応しい装いをしているだけですわ」

アレクサンダーは、疲れ切った目で彼女を見た。

「ソフィア、頼むから、少し支出を控えてくれないか」

「嫌です」

ソフィアはきっぱりと言った。

「私は、貧しくなるために、あなたと結婚したのではありませんわ」

「貧しくなるわけでは……」

「もう、うんざりですわ!」

ソフィアは扉に向かった。

「あなたは、エリザベート様のことばかり考えているのでしょう? 私には、もう愛情がないのでしょう?」

「そんなことは……」

「嘘おっしゃい!」

ソフィアは泣きながら部屋を出て行った。

一人残されたアレクサンダーは、深いため息をついた。

全てが、崩れていく。

財政、家族関係、社交界での評判。

そして、何より、自分自身への信頼。

一方、ノイシュタット領では。

エリザベートは、新しく完成した製鉄所の視察をしていた。

大きな石造りの建物。中では、高温の炉が燃え、鉄が精錬されている。

「お嬢様、順調です」

技師長のヨーゼフが報告した。

「すでに王都からの注文が入っています。品質も好評です」

「素晴らしいわ」

エリザベートは満足そうに頷いた。

「では、次は鋳造技術の向上ね。農具や工具の生産も始めましょう」

「はい」

製鉄所を出ると、多くの労働者が働いていた。

鉱山の開発により、雇用は大幅に増えた。近隣の領地からも、人々が仕事を求めて移住してきている。

「お嬢様」

農務官クラウスが近づいてきた。

「今年の税収の集計が終わりました」

彼は書類を差し出した。

エリザベートは目を通し、小さく笑った。

「前年比で二倍以上。素晴らしい成果ね」

「これも、お嬢様の指導のおかげです」

「違うわ」

エリザベートは首を振った。

「これは、領民たちの努力の成果よ。私はただ、道筋を示しただけ」

彼女は遠くの麦畑を見た。

黄金色の穂が、風に揺れている。

「さあ、次の計画に取りかかりましょう」

その夜、エリザベートは執務室で、次の改革案を練っていた。

教育制度の整備。

領地内に学校を作り、子供たちに読み書きと算術を教える。

将来、この領地を支える人材を育てる。

「お嬢様」

侍女のマルタがお茶を持ってきた。

「また夜遅くまで……お身体に障りますよ」

「大丈夫よ、マルタ」

エリザベートは微笑んだ。

「やりたいことがあるから、疲れないの」

マルタは、心配そうに主人を見た。

「お嬢様、一つ聞いてもよろしいでしょうか」

「何?」

「今日、王宮でアレクサンダー様にお会いになったそうですね」

エリザベートの手が、わずかに止まった。

「ええ」

「何か……感じることはありませんでしたか?」

エリザベートは、しばらく考えた後、答えた。

「少し、痩せていたわね。疲れているようだった」

「それだけですか?」

「それだけよ」

エリザベートは、まっすぐにマルタを見た。

「もう、何も感じないわ。怒りも、悲しみも、未練も」

彼女は窓の外を見た。

「ただ、彼が幸せになれることを願っているだけ。それが、かつて婚約者だった者への、最後の思いやりよ」

マルタは、深く頷いた。

「お嬢様は、本当に大人になられましたね」

「そうかしら」

エリザベートは小さく笑った。

「ただ、前を向いているだけよ」

翌週、王都で大きな会議が開かれた。

国王主催の、領主会議。

王国中の領主たちが集まり、経済政策について話し合う、年に一度の重要な会議だ。

エリザベートも、新たに任命された王国財政顧問として出席していた。

会議室には、数十名の領主たちが集まっている。

その中には、アレクサンダーと彼の父、ローゼンベルク公爵の姿もあった。

「諸卿」

国王が立ち上がった。

「本日は、我が王国の経済発展について話し合いたい」

国王は、エリザベートを見た。

「まず、リヒテンシュタイン辺境伯の令嬢、エリザベートに、彼女の領地改革について説明してもらおう」

会場がざわついた。

女性が、このような公的な場で発表するのは、異例のことだった。

エリザベートは立ち上がり、前に出た。

堂々とした態度で、領主たちを見渡す。

「諸侯の皆様、本日は貴重な機会をいただき、感謝いたします」

彼女は、準備した資料を広げた。

「私の領地、ノイシュタット領は、半年前まで貧しい辺境でした。しかし、現在は税収が倍増し、領民の生活も向上しております」

エリザベートは、一つ一つ、具体的な施策を説明していった。

農業改革、鉱山開発、商業の振興、インフラ整備。

全てに、明確なデータと成果が示されている。

領主たちは、真剣に聞き入っていた。

「重要なのは」

エリザベートは強調した。

「短期的な利益ではなく、持続可能な成長です。領民の生活が向上すれば、税収も自然と増えます」

説明が終わると、会場から質問が飛んだ。

「しかし、そのような改革には、多大な初期投資が必要では?」

「その通りです」

エリザベートは頷いた。

「しかし、計画的に行えば、投資は数年で回収できます。私の資料に、詳細な収支計画があります」

「農民たちは、新しい方法を受け入れたのか?」

「段階的に導入しました」

エリザベートは答えた。

「まず直轄地で成果を示し、希望者から順次導入。強制はしません。結果が良ければ、人は自然と従います」

質問は続いた。

エリザベートは、一つ一つ、明確に答えていった。

その姿を、アレクサンダーは複雑な思いで見ていた。

かつて、「つまらない」と言った彼女が、今、王国中の領主たちの前で堂々と語っている。

彼女の目は、輝いている。

生き生きとして、自信に満ちている。

これが、本当の彼女だったのだ。

社交界の虚飾の中に押し込められていた、彼女の本当の姿。

「素晴らしい」

国王が言った。

「エリザベート、そなたの実績は、全ての領主の模範となる」

国王は領主たちを見渡した。

「諸卿も、彼女に学ぶべきだ。性別や年齢ではない。実績と能力こそが重要なのだ」

会議が終わった後、エリザベートは廊下を歩いていた。

「エリザベート様」

背後から声がかかった。

振り返ると、アレクサンダーが立っていた。

「アレクサンダー様」

エリザベートは穏やかに会釈した。

「素晴らしい発表だった」

アレクサンダーは、ためらいがちに言った。

「君は……本当に、変わったな」

「変わったのではなく」

エリザベートは微笑んだ。

「元に戻っただけです」

アレクサンダーは、何か言おうとした。

しかし、言葉が出てこない。

謝罪? 後悔? それとも……。

「アレクサンダー様」

エリザベートが先に口を開いた。

「あの時の婚約破棄は、正しい選択でした」

「え……」

「あなたは、社交界の華やかさを愛し、人々の中で輝くことを喜びとする。一方、私は実務と数字の世界を愛する」

エリザベートは、優しく言った。

「私たちは、根本的に合わなかったのです。だから、あれで良かったのです」

アレクサンダーは、彼女の言葉に、救われたような、しかし同時に寂しさも感じた。

「君は……僕を、恨んでいないのか?」

「恨む理由がありません」

エリザベートはまっすぐに彼を見た。

「むしろ、感謝しています。あなたが婚約を破棄してくれたから、私は自由になれました」

彼女は一礼した。

「では、これで。どうか、お幸せに」

エリザベートは、去っていった。

アレクサンダーは、その背中を見送った。

完全に、終わったのだ。

彼女の中で、自分との関係は、もう過去のものになっている。

「そうか……」

アレクサンダーは、小さく呟いた。

「これで、良かったんだな」

彼は、深いため息をついた。

後悔しても、もう遅い。

彼女は、もう遠くへ行ってしまった。

自分には届かない、遥か高い場所へ。

「さようなら、エリザベート」

アレクサンダーは、静かに呟いた。

それは、本当の別れの言葉だった。
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