もう、あなたには何も感じません

たくわん

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夏の盛り、村の中心部に新しい建物が建った。

学校だ。

木造の質素な建物だが、窓は大きく、明るい。中には机と椅子が並び、黒板が設置されている。

開校式の日、村中の人々が集まった。

クラリッサが、前に立って話した。

「今日から、この村に学校が開かれます」

子供たちが、期待に満ちた目で彼女を見ている。

「ここで、皆さんは読み書きと算術を学びます。そして、農業のことも学びます」

「先生は、トマスです」

トマスが、前に出た。緊張した様子だが、決意に満ちている。

「俺も、一年前までは字が読めませんでした」

トマスは、子供たちに語りかけた。

「でも、お嬢様が教えてくださった。今は、こうして先生になれた」

「皆も、勉強すれば必ず成長できます。一緒に頑張りましょう」

子供たちから、拍手が起こった。

クラリッサは、感動していた。

一年前、絶望の中にいた自分が、今こうして学校の開校式に立っている。

人生は、本当に分からないものだ。

午後、最初の授業が始まった。

トマスが、黒板にアルファベットを書いていく。子供たちは、真剣な顔で見つめている。

クラリッサは、窓の外からその様子を見守った。

「良い光景ですね」

オスカーが、隣に立った。

「ええ。これが、本当の豊かさよ」

クラリッサは、微笑んだ。

「財産や地位じゃない。教育と希望を与えること」

「あなたは、本当に素晴らしい領主です」

オスカーの声には、敬意以上のものがあった。

二人は、しばらく無言で授業を見守った。

その時、村の入り口から馬車の音が聞こえてきた。

見ると、豪華な馬車が数台、村に入ってくる。

「また、客人ですか」

オスカーが、眉をひそめた。

馬車が止まり、中から人々が降りてきた。

その中に、見覚えのある顔があった。

ロベルトだ。

クラリッサは、息を呑んだ。

ロベルトは、一年前より少し疲れたように見えた。表情も、以前の傲慢さが消えている。

その隣には、イザベラがいた。

彼女は相変わらず、派手な装いをしている。だが、表情は不機嫌そうだった。

「クラリッサ」

ロベルトが、近づいてきた。

「久しぶりだ」

「ロベルト様。何の御用でしょうか」

クラリッサの声は、冷静だった。

「手紙を送ったのだが、返事がなかったので」

「申し訳ございません。忙しくて」

クラリッサは、形式的に謝罪した。

イザベラが、不快そうに口を開いた。

「まあ、随分と質素な村ですこと」

彼女は、周りを見回した。

「これが、噂の改革された領地? 期待外れですわ」

「イザベラ様の領地に比べれば、確かに質素でしょう」

クラリッサは、平然と答えた。

「でも、ここの人々は幸せです」

「幸せ? こんな貧しい場所で?」

「幸せは、金では買えませんから」

クラリッサの言葉に、イザベラは顔を赤らめた。

「何ですって」

「イザベラ、落ち着け」

ロベルトが、妻を制した。

彼は、クラリッサを見た。

「話がしたい。二人だけで」

クラリッサは、少し考えた。

「分かりました。こちらへどうぞ」

クラリッサは、ロベルトを屋敷の客間に案内した。

オスカーが、不安そうに見送る。

客間で、二人は向かい合って座った。

しばらく、沈黙が続いた。

「クラリッサ、君は本当に変わったな」

ロベルトが、口を開いた。

「強くなった。美しくもなった」

「ありがとうございます」

クラリッサの声は、感情を含んでいなかった。

「正直に言う。君との婚約を破棄したこと、後悔している」

ロベルトの告白に、クラリッサは驚いた。

「後悔?」

「ああ。イザベラとの結婚は、失敗だった」

ロベルトは、苦い表情を浮かべた。

「彼女は、金遣いが荒い。浪費ばかりで、領地経営には全く興味がない」

「それは、お気の毒ですね」

クラリッサの声には、同情の色はなかった。

「侯爵領も、困窮している。父は私を叱責するばかりだ」

ロベルトは、顔を覆った。

「君がいれば、違っただろう。君は賢く、実務的で、領地経営もできる」

「ロベルト様」

クラリッサは、静かに言った。

「あなたは、私を選ばなかった。それが、あなたの決断です」

「分かっている。でも」

「今更、後悔されても困ります」

クラリッサは、きっぱりと言った。

「私は、もう前を向いています」

ロベルトは、彼女を見つめた。

「君は、本当に変わった」

「ええ、変わりました」

クラリッサは、微笑んだ。

「あなたに捨てられて、絶望しました。でも、そのおかげで本当の自分を見つけられた」

「本当の自分?」

「私は、領主として生きることが幸せなのだと気づいたのです」

クラリッサの目は、輝いていた。

「人々を助け、領地を豊かにする。それが、私の使命です」

ロベルトは、何も言えなかった。

「お帰りください、ロベルト様」

クラリッサは、立ち上がった。

「あなたには、奥様がいます。その方と、人生を歩んでください」

「クラリッサ」

「さようなら」

クラリッサは、部屋を出た。

廊下で、オスカーが待っていた。

「大丈夫ですか」

「ええ、大丈夫よ」

クラリッサは、深く息を吐いた。

「ただ、過去と決別しただけ」

二人は、客間の前に戻った。

ロベルトが、出てきた。彼の表情は、複雑だった。

「クラリッサ、君の幸せを願っている」

「ありがとうございます」

ロベルトは、馬車に乗り込んだ。

イザベラが、不満そうに言った。

「何を話していたの」

「何でもない」

ロベルトは、疲れた声で答えた。

馬車が、村を出ていく。

クラリッサは、その後ろ姿を見送った。

「これで、本当に終わりね」

彼女は、呟いた。

「お嬢様」

オスカーが、心配そうに声をかけた。

「平気よ」

クラリッサは、振り返って微笑んだ。

「むしろ、すっきりしたわ」

「そうですか」

「ええ。もう、過去に縛られることはない」

クラリッサは、空を見上げた。

青い空が、どこまでも広がっている。

「これから、自分の道を歩むだけよ」

その夜、クラリッサは書斎で仕事をしていた。

十の新しい領地への指導計画を立てている。

ノックの音がした。

「入って」

オスカーが、入ってきた。

「お茶をお持ちしました」

「ありがとう」

オスカーは、茶を置いた後、立ち去ろうとしなかった。

「何か?」

「お嬢様、一つお聞きしても良いですか」

オスカーは、真剣な表情だった。

「今日、ロベルト様は何を?」

「過去のことを後悔していると言われたわ」

クラリッサは、正直に答えた。

「でも、私にはもう関係ないこと」

「そうですか」

オスカーは、安堵した様子だった。

「なぜ、そんなことを聞くの?」

「私は」

オスカーは、言葉を選んだ。

「あなたが、まだ彼に未練があるのではと心配で」

「ないわ」

クラリッサは、きっぱりと答えた。

「あの人は、もう過去の人。今の私には、もっと大切なことがある」

「例えば?」

「この領地のこと。村の人々のこと」

クラリッサは、オスカーを見た。

「そして、信頼できる仲間のこと」

オスカーの心臓が、高鳴った。

「お嬢様」

「オスカー、あなたがいてくれて、本当に嬉しいわ」

クラリッサの言葉に、オスカーは思わず一歩近づいた。

「私も、あなたの傍にいられることが幸せです」

二人の距離が、近づく。

だが、その時、再びノックの音がした。

「失礼します」

ヘンリーが、入ってきた。

「お嬢様、王都から急使が。王太子様が、明日お会いになりたいとのことです」

「明日?」

「はい。重要な相談があるとのことです」

クラリッサは、オスカーを見た。

彼も、少し残念そうな顔をしていた。

「分かったわ。準備をしましょう」

その夜、クラリッサはベッドに入ってから考えた。

ロベルトとの再会。過去との決別。

そして、オスカーとの微妙な空気。

全てが、変化の予感を含んでいた。

「明日は、何が起こるのかしら」

クラリッサは、呟いた。

でも、不安はなかった。

どんなことが起きても、自分は乗り越えられる。

そう、確信していた。

窓の外では、星が輝いていた。

美しい夜だった。

そして、新しい明日への期待が、胸に膨らんでいた。

クラリッサの物語は、新しい章へと進んでいく。

もっと大きな、もっと輝かしい未来へと。
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