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一章 聖典の守護者
気の合わない二人
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「事後処理は俺の仕事だ。やろうと思っていたところだったのに」
ロイドは文句を言いながら、ぶらぶらと瓦礫が山となす身廊を進んだ。
ユーゴはそんなロイドをつぶさに見つめた。
闇夜に包まれたその姿は、長身の黒い影となってゆっくりと近づいてくる。
今のところロイドは、一見、平常通りに見えた。
「なにをしに来たんだ。ロイド」
ユーゴの声は、荒廃した広い空間の墓場のような静寂を裂いて、残響が長く尾を引いた。
無意識に、聖典をつかむ手に力が入った。
この廃墟と化した教会に、ロイドが姿を現したということは、目的は一つしかない。
ユノアの聖典を取り戻すため。
わかりきった質問だったが、ユーゴは問わずにはいられなかった。
ロイドは身廊の半ばで歩を止めた。
「なにをって……」
雲間から差し込む月光が、瓦礫の床を舐めるように移動し、ロイドの顔の半分を照らした。
「今、おまえが持っている聖典を取りに来たんだよ」
顔の半分で充分だった。
ロイドはすでに内なる悪鬼にその肉体を明け渡していた。
漆黒だった髪は銀髪に輝き、肌は浅黒く変化し、瞳は真紅に燃えている。
おもむろに袖をたくし上げた。
たくし上げた袖からあわらになった両腕には、クモの巣のような複雑で禍々しいタトゥーが浮き彫りになっている。
ローブコートの襟を立てたので、鼻から下が隠れ、真紅に燃える瞳と月光に輝く銀髪のみが目立った。
「ユーゴ、おまえは最初から知っていたんだな。テウルギアの特徴は、透き通るような白い肌に、オッドアイだけではない、と」
ロイドの低くよく通る声が、まっすぐにユーゴを射抜いた。
ユーゴは、手に持つ聖典の表表紙を飾る金色の曼陀羅に目をやった。
「初めてユノアに出会ったとき、彼女はしきりに胸を隠していた。最初から第三の特徴がないことには気づいていたよ。テウルギアの民が聖典なしでは生きられないことも。戦禍にまみれ、死を目前にして、彼女は決死の判断をしたんだ。たとえ自分が死んでも、聖典だけはこの世に残しておこうと。聡明な彼女が、よもや転生などの眉唾話を信じていたわけではあるまい。そもそもが死ぬつもりなんだよ」
ロイドも、金色に輝く曼陀羅に視線を向けた。
「いや、それは違うな。さっきも言ったが、俺がここへ来たのは聖典を取り戻すためだ。頼まれたんだよ」
ユーゴは小さく舌打ちし、首を左右に振った。
思いのほか、ここに長居をしてしまったことに、今さらながら後悔していた。
息苦しいのか、ユーゴはシャツのボタンを二つほど外すと、ぐっと下げた。
ロイドは、その様子を無言で見つめた。
「ロイド、おまえに言ってなかったことが、もうひとつある。テウルギアの特殊能力だ」
「それは聞いた。治癒回復能力だろう。おまえが異常に興味を持っている……」
ユーゴは、ロイドの言葉の終わらぬうちにたたみかけた。
「そうだ。その治癒回復能力こそ、この聖典グリモアの力なんだよ。それが、聖典を人智を超えた叡知の結晶と言わしめる所以だ。テウルギアの民は聖典がなければただの人間にすぎない。これがどういうことか、わかるか?」
「ああ……、いや、さぁ?」
「人類は愚かな戦争を繰り返してきた。人や街を破壊する兵器や魔法は簡単に開発されてきたが、不思議な事に、それを治癒、回復する力は未だ開発の目処が立たない。だが、今ここに聖典グリモアがある」
ユーゴはあえて、言葉を切った。
その言葉の意味するところを、本質を、ロイドが完全に理解するのを待つように。
「断言できるが、人類の長い歴史のなかで、聖典グリモアを手にしたのは、このわたしが初めてだ。この聖典を解明できれば、全世界的にあらゆる方面で人類は飛躍的に向上する。戦争、疫病、不治の病で苦しむ人々を助けられる」
ユーゴはユノアの聖典を掲げて見せた。
ロイドの真紅に燃える瞳が聖典に集中する。
「解明できれば? できるか、できないかもわからないものに人の命を賭けるのか?」
「発展に犠牲はつきものだ。犠牲なくして大成なし。そうやって人類はあらゆる分野で進歩してきた。一の犠牲で百が助かるとしたら……ロイド、おまえでも一を犠牲にするだろう」
ロイドは侮蔑的な笑い声を立てた。
「一緒にすんじゃねぇよ。絶滅民族だの、聖典だの、興味ないね。俺は、自分の所有物を完全な状態で手にしたいだけだ」
ユーゴは聖典を持つ手をだらんと下げると、断念したかのように呟いた。
「レアで貴重なヴィンテージ品というわけか……」
ロイドは一歩踏み込むと、最後通牒を突きつけるが如く、言い放った。
「聖典を返せ」
「断ると言ったら……」
ユーゴの唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
その瞬間、真紅に燃える瞳が眼前に迫った。
崩れかけた闇の世界に閃光が走る。
ロイドの掌から蒼い炎とともに出現したダガーが、ユーゴの右腕手首を抜き払い、首筋をかすめた。
ダガーの一撃を、のけ反る形でかわしたユーゴの視界に、崩れかけた磔の救世主像が逆さまに映った。
(手首を飛ばしてグリモアを解放するついでに息の根も止めてやる、ということか……!!)
ユーゴの全身に戦慄が走った。
「狂ったかロイド……!」
殺らなければ、殺られる。
と、悟った瞬間、ユーゴの胸部が光輝き、細身の長剣が切っ先から高速で飛び出した。
ユーゴは、片手剣クレイモアが自身の胸から突出した瞬間、後ろに飛びすさりロイドとの間合いを取った。
片手剣クレイモアは、低く構えたままのロイドの右目をかすめ、まるで意志を持った生き物のように回転すると、ユーゴの左手に収まった。
今、練達の武器を持った二人は、絶妙な間合いを維持して再び対峙した。
「クレイモアは健在らしい」
蒼い光に包まれた双剣の片刃の曲刀を両手に持つロイドは、低い姿勢のまま獲物を品定めするかのように舌なめずりした。
細身の長剣クレイモアは、ロイドの惜しみ無く放出される殺気を敏感に感知し、小刻みに震えた。
「おまえは間違っている。今、この聖典を取り戻し、彼女を助けたところで、今度は軍を相手にすることになる。わかっているのか、ロイド」
ユーゴは緊迫した状況のなかでも、体勢を整え、悪鬼に支配されつつあるロイドに対して、至極冷静に語りかけたが、半ば無駄であることは察していた。
「軍? いいよ。その方が生きた気がする」
意を決したユーゴは、細身の長剣クレイモアの切先をロイドに向けた。
「決着をつけよう、ロイド。どんな結果になっても恨むなよ」
「こっちのセリフだ。聖典が邪魔で構えることもできないくせに、偉そうにほざくな。次で終わりだ。言い残すことはないのか? 不快な粉を撒き散らす虫に、伝えてやってもいいんだぜ」
ユーゴは磔の救世主像を見上げるように一瞥すると、さっとロイドに向き直った。
「結構だ」
ユーゴは、磔の救世主像が、どこか自分に似ていると感じ、どうにもならない重苦しい不快感を覚えた。
ロイドは文句を言いながら、ぶらぶらと瓦礫が山となす身廊を進んだ。
ユーゴはそんなロイドをつぶさに見つめた。
闇夜に包まれたその姿は、長身の黒い影となってゆっくりと近づいてくる。
今のところロイドは、一見、平常通りに見えた。
「なにをしに来たんだ。ロイド」
ユーゴの声は、荒廃した広い空間の墓場のような静寂を裂いて、残響が長く尾を引いた。
無意識に、聖典をつかむ手に力が入った。
この廃墟と化した教会に、ロイドが姿を現したということは、目的は一つしかない。
ユノアの聖典を取り戻すため。
わかりきった質問だったが、ユーゴは問わずにはいられなかった。
ロイドは身廊の半ばで歩を止めた。
「なにをって……」
雲間から差し込む月光が、瓦礫の床を舐めるように移動し、ロイドの顔の半分を照らした。
「今、おまえが持っている聖典を取りに来たんだよ」
顔の半分で充分だった。
ロイドはすでに内なる悪鬼にその肉体を明け渡していた。
漆黒だった髪は銀髪に輝き、肌は浅黒く変化し、瞳は真紅に燃えている。
おもむろに袖をたくし上げた。
たくし上げた袖からあわらになった両腕には、クモの巣のような複雑で禍々しいタトゥーが浮き彫りになっている。
ローブコートの襟を立てたので、鼻から下が隠れ、真紅に燃える瞳と月光に輝く銀髪のみが目立った。
「ユーゴ、おまえは最初から知っていたんだな。テウルギアの特徴は、透き通るような白い肌に、オッドアイだけではない、と」
ロイドの低くよく通る声が、まっすぐにユーゴを射抜いた。
ユーゴは、手に持つ聖典の表表紙を飾る金色の曼陀羅に目をやった。
「初めてユノアに出会ったとき、彼女はしきりに胸を隠していた。最初から第三の特徴がないことには気づいていたよ。テウルギアの民が聖典なしでは生きられないことも。戦禍にまみれ、死を目前にして、彼女は決死の判断をしたんだ。たとえ自分が死んでも、聖典だけはこの世に残しておこうと。聡明な彼女が、よもや転生などの眉唾話を信じていたわけではあるまい。そもそもが死ぬつもりなんだよ」
ロイドも、金色に輝く曼陀羅に視線を向けた。
「いや、それは違うな。さっきも言ったが、俺がここへ来たのは聖典を取り戻すためだ。頼まれたんだよ」
ユーゴは小さく舌打ちし、首を左右に振った。
思いのほか、ここに長居をしてしまったことに、今さらながら後悔していた。
息苦しいのか、ユーゴはシャツのボタンを二つほど外すと、ぐっと下げた。
ロイドは、その様子を無言で見つめた。
「ロイド、おまえに言ってなかったことが、もうひとつある。テウルギアの特殊能力だ」
「それは聞いた。治癒回復能力だろう。おまえが異常に興味を持っている……」
ユーゴは、ロイドの言葉の終わらぬうちにたたみかけた。
「そうだ。その治癒回復能力こそ、この聖典グリモアの力なんだよ。それが、聖典を人智を超えた叡知の結晶と言わしめる所以だ。テウルギアの民は聖典がなければただの人間にすぎない。これがどういうことか、わかるか?」
「ああ……、いや、さぁ?」
「人類は愚かな戦争を繰り返してきた。人や街を破壊する兵器や魔法は簡単に開発されてきたが、不思議な事に、それを治癒、回復する力は未だ開発の目処が立たない。だが、今ここに聖典グリモアがある」
ユーゴはあえて、言葉を切った。
その言葉の意味するところを、本質を、ロイドが完全に理解するのを待つように。
「断言できるが、人類の長い歴史のなかで、聖典グリモアを手にしたのは、このわたしが初めてだ。この聖典を解明できれば、全世界的にあらゆる方面で人類は飛躍的に向上する。戦争、疫病、不治の病で苦しむ人々を助けられる」
ユーゴはユノアの聖典を掲げて見せた。
ロイドの真紅に燃える瞳が聖典に集中する。
「解明できれば? できるか、できないかもわからないものに人の命を賭けるのか?」
「発展に犠牲はつきものだ。犠牲なくして大成なし。そうやって人類はあらゆる分野で進歩してきた。一の犠牲で百が助かるとしたら……ロイド、おまえでも一を犠牲にするだろう」
ロイドは侮蔑的な笑い声を立てた。
「一緒にすんじゃねぇよ。絶滅民族だの、聖典だの、興味ないね。俺は、自分の所有物を完全な状態で手にしたいだけだ」
ユーゴは聖典を持つ手をだらんと下げると、断念したかのように呟いた。
「レアで貴重なヴィンテージ品というわけか……」
ロイドは一歩踏み込むと、最後通牒を突きつけるが如く、言い放った。
「聖典を返せ」
「断ると言ったら……」
ユーゴの唾を飲み込む音が聞こえた気がした。
その瞬間、真紅に燃える瞳が眼前に迫った。
崩れかけた闇の世界に閃光が走る。
ロイドの掌から蒼い炎とともに出現したダガーが、ユーゴの右腕手首を抜き払い、首筋をかすめた。
ダガーの一撃を、のけ反る形でかわしたユーゴの視界に、崩れかけた磔の救世主像が逆さまに映った。
(手首を飛ばしてグリモアを解放するついでに息の根も止めてやる、ということか……!!)
ユーゴの全身に戦慄が走った。
「狂ったかロイド……!」
殺らなければ、殺られる。
と、悟った瞬間、ユーゴの胸部が光輝き、細身の長剣が切っ先から高速で飛び出した。
ユーゴは、片手剣クレイモアが自身の胸から突出した瞬間、後ろに飛びすさりロイドとの間合いを取った。
片手剣クレイモアは、低く構えたままのロイドの右目をかすめ、まるで意志を持った生き物のように回転すると、ユーゴの左手に収まった。
今、練達の武器を持った二人は、絶妙な間合いを維持して再び対峙した。
「クレイモアは健在らしい」
蒼い光に包まれた双剣の片刃の曲刀を両手に持つロイドは、低い姿勢のまま獲物を品定めするかのように舌なめずりした。
細身の長剣クレイモアは、ロイドの惜しみ無く放出される殺気を敏感に感知し、小刻みに震えた。
「おまえは間違っている。今、この聖典を取り戻し、彼女を助けたところで、今度は軍を相手にすることになる。わかっているのか、ロイド」
ユーゴは緊迫した状況のなかでも、体勢を整え、悪鬼に支配されつつあるロイドに対して、至極冷静に語りかけたが、半ば無駄であることは察していた。
「軍? いいよ。その方が生きた気がする」
意を決したユーゴは、細身の長剣クレイモアの切先をロイドに向けた。
「決着をつけよう、ロイド。どんな結果になっても恨むなよ」
「こっちのセリフだ。聖典が邪魔で構えることもできないくせに、偉そうにほざくな。次で終わりだ。言い残すことはないのか? 不快な粉を撒き散らす虫に、伝えてやってもいいんだぜ」
ユーゴは磔の救世主像を見上げるように一瞥すると、さっとロイドに向き直った。
「結構だ」
ユーゴは、磔の救世主像が、どこか自分に似ていると感じ、どうにもならない重苦しい不快感を覚えた。
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