聖典の守護者

らむか

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三章 異次元秘密聖文書館

駆り出される愉快な仲間たち

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「僕は今、もしかするとすごく頼られている?」

 紺碧の瞳に鮮やかな赤毛が目立つ呪符魔術師カード・コンジュラーアッシュ・ウルフ=レイは人に頼られることに意気揚々とした。

 軍に入隊したはいいが、配属先が決まらず暇を持て余していた。
 国家制式装備も配給されていないことから、アッシュの服装は借り物のイタリアンカラーのユニセックスなシャツとラフなアンクルパンツのままだった。

 うなじに刻まれた互いの尾を呑む二匹の絡み合うウロボロスのタトゥーは桜色のスカーフで丁寧に隠されていた。
 左のこめかみの髪を編み込み、桜色のリボンで留めたアシンメトリーヘアのどこか異国の血が混ざったようなエキゾチックな少年は、手渡された純白のショールと黒のボウタイを見て首を捻った。

「探してほしいものがあると聞いて来たんだけど……」

「ああ、その通りだアッシュ。確実に見つけてくれるならおまえの足元にひれ伏してもいい」
 通常を装ってはいるが、ロイドの変異は解けておらず、ロイドの声音には焦りと緊張が感じられ、冗談には聞こえなかった。

 異次元秘密聖文書館へ案内されたアッシュは、書架で埋め尽くされた内壁に、現役で従事する異様な様相の古のからくり人形“自動人形オートマータ”の姿に、またそこに居並ぶキャストを見て意表を突かれた。

 ロイドはもとより、ユーゴ、グラファイト、そして黒い執事グレムリンの姿があった。
 ロイドは書架の壁に沿って設えられた螺旋階段を数段あがったところで足を止め、異次元秘密聖文書館の正八角形の大広間の中央に集まった顔ぶれを見下ろした。

「聞いてくれ」

 突然、1体の自動人形オートマータが背中に装備した巨大なロケットランチャーを肩に構えた。

 全員の視線が砲身の向けられた先へ集中する。
 グレムリンは慌ててグラファイトの背に隠れた。

 静けさの中で、自動人形オートマータたちが移動するくぐもったローラーの音だけが聞こえるなか、遥か上空でカタカタと乾いた音が響き、埃と細かな木屑の破片がパラパラと舞い落ちてきた。

 書架の間から青黒い煙とともに黒いぬめぬめとした光沢のある胴体を持つ四足歩行の何かがぬっと覗き込むように顔を出した。

 双頭の犬のような物体は、閉じた両の口から青白い炎のようなものが漏れ出ている。
 その巨大さゆえ、数十メートルは離れているにもかかわらず、距離感が狂い、すぐそこに現れたかのような錯覚を起こした。

 広間に集まった者たちは、その異類異形に一人を除いて全員が臨戦態勢をとった。
 グラファイトは紫電をまとい身を屈め片手を床につけて飛翔する姿勢になった。

「ティンダロスの猟犬か!?」ユーゴが叫んだ。
 光る胸元から細身の長剣クレイモアが飛び出し、柄をつかむと、切先を異類異形へ向けた。

「違う! あれは地獄の番犬ヘル・ハウンドだ!」アッシュがタクティカルベルトに下げたレッグバッグから呪符を取り出したその瞬間、地を揺るがす轟音とともにロケット弾が発射された。

 ロケット弾は直線的に高速で飛び、目標に命中すると信管が炸裂し、異類異形の物体の半分以上を蒸発させ、残りは木端微塵になり、もはや原型を留めぬ砕片は、水を含んだ粘度の高い火山灰のようにボトボトと床へ落ちてきた。

 無反動砲ではないにもかかわらず、自動人形オートマータはぴくりとも振動せず、空のロケットランチャーを無機質な動作で背中に装着すると鈍いローラー音をたてながらどこかへ去って行った。
 床にへばりついたどす黒い砕片は、別の自動人形オートマータが片付けた。

 一瞬の出来事に皆動けずにいた。
 異次元秘密聖文書館は何事も起こらなかったかのように、再び自動人形オートマータたちのくぐもったローラー音に満たされた。

 動けぬままに、4人の視線はロイドへと向かった。

「そういうことだ」

 ひとり螺旋階段に立ち、事の成り行きを見守っていたロイドは、4人の視線を訳知り顔だと受け止め、独り合点に話を進めようとした。

「いや、わからん」ユーゴは愛剣クレイモアを持つ腕を下げ、詰めていた息を一気に吐いた。

「そういうことって……どういうこと?」
 アッシュは腕に掛けたロイドから手渡されたショールとボウタイを一瞥し、周りを忙しく動き回る武装した自動人形オートマータを見て、最後に螺旋階段に立つ狂戦士バーサーカーに変異したロイドを見た。

「何がなんだか……」アッシュは事情が読めず、まったく類似点の見当たらないバラバラの事柄に、独りパラレルワールドに迷い込んだ気分になった。
 ロイドは説明を始めた。

「捜して欲しいものは二人の人間だ。アッシュに手渡したのは先程までその二人がそれぞれ身に付けていたものだ。そして二人は今、異世界にいる。おそらく別々の世界に」そこで一息つくと、ゆっくりと螺旋階段を上り始めた。
 ロイドの深みのある低い声は固い書架の壁に大きく反響した。

「知っての通り、異世界は怪異妖魔の跋扈する想像を絶する世界だ。あまり時間がない」ロイドは足を止めるとふらついた。

「ロイド、薬を飲んだほうがいいんじゃないか」
 ユーゴは内心危惧していた。
 変異を遂げたにもかかわらず、内なる悪鬼に呑まれることなく平常心を保つ強靭な精神力には感服するが、時間が立つにつれ均衡を保てなくなってきているのは明らかだった。
「大丈夫だ」間を置いて続けた。

「異世界へ繋がる扉はそこかしこにある。例えばここだ」
 ロイドは書架へ腕を伸ばして革装丁の大きな古い本を一冊手に取ると、空いた空間を指し示した。
 抜き取られた一冊分の空間の向こうは書架の背板ではなく、開けた別の世界が広がっていた。
 突風が吹き抜け、髪や服が煽られる。

 異世界への扉が開かれたことで自動人形オートマータたちが臨戦態勢に入る前に、ロイドは本を書架へ戻した。

「信じ難いけど、それが異世界へ通じる扉だってことはわかったよ。でもこの大量の本棚から1つづつ抜き取って探すっていうの?」
 アッシュは遥か天井までの壁という壁を埋め尽くす書架を仰ぎ見て、無茶な相談だと言わんばかりに首を振った。

「本だけじゃない。さっきの双頭の犬オルトロスは書架と書架とのわずかな隙間から出てきた。異世界からこちらの世界へ迷い込んだ怪異妖魔は自動人形オートマータが始末する。武装しているのはそのためだ。ここは異次元秘密聖文書館。異世界へと通じる扉を守る砦、そして自動人形オートマータはその門番だ。異世界への扉は自動人形オートマータたちが知っている。各自1体ずつ連れて行ってくれ」

 ロイドはグレムリンがびくっと身を震わせたのを見逃さなかった。
「悪いな、グレムリン。今回は人海戦術だ。だが、安心していい。自動人形オートマータがおまえを守る。ただの動く人形ではない。たぶん俺よりも強いぜ」安心させるために軽い調子で安全を請け負ったつもりだったが、人間味のない仮面のような表情と銀髪に真紅に燃える瞳は普段見慣れた主の姿とはかけ離れており、反って不安を煽る形となったが、グレムリンはおずおずと頷いた。

 翼を持つものは自分だけとみて、上階から片付ける算段を立てたグラファイトは、要領は得たとばかりドラゴンに変身すると翼を広げ近くにいた自動人形オートマータの腕をつかんで飛翔した。

「ただの文書館ではないとは思っていたが……。まったくナンセンスな城だ……」ユーゴは呟きながら愛剣クレイモアを胸に納めると、ナンパ師のような粋なセリフで誘った自動人形オートマータをエスコートし、ロイドの立つ場所とは対角線上に向かい合う、螺旋階段の昇降口へと足早に歩いていった。

「僕以外は事情がわかっているんだね。このショールは女性ものだ」

 アッシュは手にしたショールをまじまじと見た。
 一通りの説明を聞いたところで腑に落ちないことだらけだった。
「この黒のボウタイも女性の匂いがする」
「このことは、他言無用だ」

 ロイドは螺旋階段を下り、正八角形の広間の中央にいるアッシのもとへ歩いていった。
「捜して欲しいのは女性なんだね」
 アッシュはロイドの目を真っ直ぐに見ながら念を押すように確認した。
「ロイの“手に入れたい女”」ロイドは制するようにアッシュの胸に指を突きつけた。

「それ以上聞くな。捜して欲しいのはそう、二人の女だ。ひとりは、一目でわかる。テウルギアの血を受け継ぐ15、6の少女。もうひとりはおまえの入隊の面接をしたストレイファス将軍の20歳の娘だ。色で例えると……そうだな、前者はそのショールのように透き通る白。後者はギラギラした派手な赤だ。無事に発見できたら借金をチャラにしてやってもいい」

 アッシュはロイドの真紅に燃える瞳を見つめ、しばし思案したのち「それで、どっちが大切なの?」と問うた。

「それ以上聞くなと言っただろ。国境警備の閑職に就かせてやろうか? シェリスに逢えるのは年1回が良いとこだな。俺は人事に顔が利くんだぜ」
「さっそくのパワハラだよ。僕は絶対に労働組合に加盟する」

 足元にひれ伏してもいいと言ってみたり、上官である立場でねじ伏せてみたり、ロイドには相反する感情が互いに複雑に干渉し、時に二面性が浮き彫りになるきらいがあった。

 それ以上聞くなと言われたアッシュは、絶滅民族テウルギアに生存者がいること、ストレイファス将軍の娘がロイドの城に居ること、そして異世界との絡みに猛烈に興味が沸いたが、質問攻めにしたい衝動をグッと堪えた。
 表面をさっと撫でるような説明しか聞かされていないことは不本意だったが、なにより今最優先すべきは時間だった。

「見つけたら僕の質問に答えてもらうよ。それと借金はチャラだ」
「見つけたらな。喰屍グールなんて下等な悪魔を召喚するなよ。これは正真正銘、本気のミッションだ」

 ロイドは踵を返し、もといた螺旋階段へ大股で戻りながら釘を刺した。
 アッシュはタクティカルベルトに下げたレッグバッグから複雑な紋様が描かれた呪符を10枚取り出した。

「本気のミッションなのはロイのその姿を見ればわかるよ。だけど今回は喰屍グールだ」

「おい、ふざけているのか?」ロイドは立ち止まると怒気を含んだ視線を向けた。

「大真面目だよ。喰屍グールは確かに下等な悪魔だが猟犬よりも鼻が利く。二人の女性の匂いを追ってもらおう。僕なら同時に10体は使役できる。人海戦術にはもってこいだ」
 そう言うと、アッシュは10枚の呪符をさっと宙へ投げた。

 見事な弧を描いて舞った呪符に描かれた魔法陣から光が放たれ、その中心からコールタールがまとわりついた手のようなものが出てきた。
 10体の喰屍グールは、呪符が完全に床に舞い落ちる前にその全貌を明らかにした。
 召喚が完遂したことを確認すると、アッシュは先ほどから疑念に思っていることを口にした。

「ここってまさか、幽世かくりよとも繋がってたりしないよね?」
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