聖典の守護者

らむか

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七章 不可逆属性異種ロマンス

IN CASE OF FIRE

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 グレムリンは悩んでいた。
 悩みそのものは、気のせいか、自意識過剰かと思われるかもしれなかった。
 しかし、ここ数日まとわり付くような粘着質な視線に不気味さすら感じ始めていた。

「グラファイトが変?」
 部屋の中央に置かれたローチェアに座るユノアは読みかけの本を膝に置き、顔を上げた。

「はい。妙な眼で見てくるんです、ぼくを」
 水の入ったカラフェをローテーブルへ置いたグレムリンはしゃがみ込み、両手を膝頭に置いて、ユノアのオッドアイを真っ直ぐに見つめた。

「妙って、どんな風に?」
「なんとも形容しにくい感じです。うまく表現できませんが、気がついたらこっちをじろじろ見ている感じです。あいつのことだからきっと、ぼくが妖精の姿に戻るのを待っているんじゃないかと思って。そうでなくとも普段から陰険で無愛想なヤツなのに。めちゃくちゃ不愉快です」

 グレムリンはプンプンしながら、ちっちゃくてモフモフした小動物が好きな変態だ、とグラファイトのことを詰った。

 ユノアは合点がいったように頬に喜色を浮かべた。
「愛されているんじゃないの?」
「愛!?」
 グレムリンは豆を食らったように目を見開き、ユノアの顔をまじまじと見つめた。

「ええ、愛よ。愛には色々な形があるけど、グラファイトはあなたに特別な感情を持っているんじゃないかしら? だから目であなたの姿を追ってしまうのよ」
「まさか……! そんなことはあり得ません!」
「どうして? そうおかしな事でもないわ。長く一緒に暮らす共同体から愛が生まれることは不思議でもなんでもない」
「でも、ぼくはアジェンダーですから、性の区別がありません」

 開かれたバルコニーから入る夕風がカーテンを翻し、ベッドサイドに飾られた緋色のバラの花弁を揺らす。
 風はそのまま開け放たれた扉から廊下へと抜け、抜けぎわに、扉の陰に立つグラファイトの暗灰色の髪を揺らした。

 ユノアは目端でグラファイトの姿を捉えたが、そちらに顔を向けはしなかった。

「この臭い……。なんだか変な臭いがしませんか?」
 グレムリンとユノアは同時にバルコニーを振り返った。
 部屋に入ってくる夕風にはわずかだが、煤のようなきな臭い香りが混じっていた。

「火事だ!」
 バルコニーへ出たグレムリンは小さく叫んだ。
 ユノアは咄嗟にグラファイトを振り返ったが、彼の姿はすでに消えていた。
 バルコニーへ出たユノアはグレムリンと並んで立つと、森と領地から遠く離れた郊外の上空を黒い煙が街に覆いかぶさるように広がっていく光景を目にした。


 ††


 軍が管理し、高位聖職者の運営する軍病院“長老教会プレスビテリアン・チャーチ”は、火災による熱傷患者でまるで野戦病院のようにごった返していた。

 アッシュは忙しなく動き回る人々で混雑した大理石の廊下を、目的の階まで猛ダッシュで走った。
 頭の中は真っ白で、気が気ではなかった。

「シェリス!」
 間仕切りされた病室の奥の小部屋にシェリスの姿があった。
 椅子に座っている彼女は、看護人に腕に包帯を巻いてもらっていた。
「アッシュ!」
 振り返った彼女はアッシュの姿を見ると処置中であるにもかかわらず立ち上がろうとし、看護人に「まだよ!」と、叱られた。

「怪我をしたの?」
 五体満足でひとまず元気そうなシェリスの姿に胸を撫で下ろしたアッシュは、息を整えながら病室へ入ってきた。

「大丈夫よ。腕を少しヤケドしただけ」
 大丈夫なことを証明するように、シェリスはアッシュのこめかみに編まれた髪に付けている解けたリボンを結び直した。

「でも、咽せているよ。煙を吸ったんだね」
「多少は……ね。ぐすん……。でも平気。それより、お店が……、お店も自宅も、家具も薬の材料もすべてもらい火で燃えてしまったわ」
「大変なことになった」

 処置が終わり席を立つと、シェリスが空けた席にはすかさず別の患者が座った。
 二人は病室を出て、混み合った廊下を寄り添って歩いた。

「出火元は五軒お隣のミルワンさん宅だそうよ。旦那さんの浮気がバレて奥様がカーテンに火をつけたんですって」
「壮絶な夫婦喧嘩だね。ミルワンさんが大金持ちで良かったよ。君の家、補償してくれるんだろ?」
「ええ、もちろん。新築になるわ! でも、それまで住むところを探さないと」
「君の怪我が治って、お店と自宅が再建するまで、ぼくのところに来ればいい」

「アッシュのところって、軍の寮? 部外者が入っても大丈夫なの?」
「なんとかなると思う。いや、なんとかする。緊急事態ということで監査官に頼んでみるから」
「ありがとう、アッシュ。でも、ユーゴのお邸にしばらくお邪魔してもいいか、頼んでみてからにしようかな。彼のお邸はすごく大きくて、使っていない部屋がたくさんあるの」

 “知ってる”と、アッシュは心の中で呟いた。
 ユーゴは素性の知れないアッシュを軍属にしてくれた上に、召喚士サマナーから呪符魔術師カード・コンジュラーへジョブチェンジさせてくれた恩人だ。
 この転身によって、アッシュは自分の身体を切り刻み、流れる血を使って悪魔を召喚する危険な手法を止めて、培養された自身の血で描かれた呪符を使って悪魔を召喚するという安全な手法へと変えることができた。
 その血を培養してくれているのもユーゴ・グラシア、その人だった。

「ユーゴに頼むなんて、そんな必要はないよ。ぼくがいるんだから。ぼくが君の面倒をみる。君がぼくの面倒をみてくれたことへのお返しだよ」

 ユーゴとシェリスが旧知の仲であり、ユーゴが自身の恩人だとわかってはいても、彼女の口から他の男の名を聞くことは良い気分ではなかった。

 そんなの悪いわ、と言うシェリスの手を引きながらアッシュは愛する人と生活を共にする喜びに意気揚々と軍の宿舎へと向かった。


 ††


「許可をもらってきたよ」
 部屋に戻ってきたアッシュは、物珍しそうにキョロキョロしながら部屋の中央に立つシェリスを見て思わず笑みが漏れた。

 二間続きの彼の部屋は、これといって特徴のない、広大な敷地に建てられた倉庫のような外観の軍宿舎からは想像できないほど居心地の良いものだった。

 シェリスはきっと殺風景で生活感のない部屋を想像していたに違いない。

「こっちがリビングで、あっちが寝室。シェリスはぼくのベッドを使うといい。ぼくはこっちのソファで眠るから。毎朝、メイドが掃除と洗濯物なんかを取りに来る。必要なものがあればメイドに言えば大抵のものは用意してくれる。食事もね。お風呂は最上階の職員用を使っていいらしい。間違っても一般兵専用の浴場には行かないでね。女日照りの連中に何をされるかわからないから」

 アッシュは指を差しながらどこになにがあるかを説明して回った。

 寝室へ入った瞬間、シェリスは唐突に「アッシュは?」と言った。
「え?」
 質問の意味がわからず、アッシュは彼女の大きなブラウンの瞳を見返した。
「アッシュは女日照りじゃないの?」

 思いがけない問いかけにアッシュは二の句が告げず、固まった。
「もしかして、何でもしてくれるメイドに頼んでるの?」

 からかっているのか、それともただ疑問を口にしただけなのか、シェリスの表情からは読み取れなかった。
 アッシュは慌てて言った。

「まさか……! 頼んだりしないさ。でも、他の連中はしてるかもしれない。メイドに尋ねてもいいけど。どんな答えが返ってきたとしても、それはぼくのことじゃないよ」
 マズイ言い回しになってしまった、とアッシュは後悔した。
 これなら、黙っておいた方がましだった。

 シェリスはクスッと笑うと、「そういうことにしておくわ」と、冗談めかして言った。
 アッシュは、“ベッドシーツは綺麗だ。毎日取り替えているから”と、言おうとしたが、光速で引っ込めた。

「それじゃ、シェリス。ぼくは軍庁舎へ戻るから」
 踵を返し扉へと向かった。

「ありがとう。お仕事頑張って」
 シェリスは部屋を後にするアッシュの背中に向かって言った。
 まるで、同棲している恋人を送り出すように。
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