神界のティエラ

大志目マサオ

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本編

35 重鎮邂逅計画

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 ――コツコツコツコツ

 IMRO中央棟1Fのガラス張りの廊下には日が差し込み、非常に硬質な音が鳴り響いている。現在時刻は10時42分、勤務時間中という事もあり、施設内の人はまばらで、無機質な内装も手伝ってか、休日と見紛う様な静けさの中である。
 静けさ漂う空間には足音と、売店や飲食店スタッフの会話が僅かに聞こえてくるのみだ。
 そんな中央棟の一角に、桃髪を腰まで延ばした見目麗しく、IMROに勤める職員の中でも一際目を惹く女性主任研究者チーフリサーチャー――但し黙って且つ目を合わさなければ――ティエラは、中央棟喫茶スペースのいつもの席に座り、いつものコーヒーを啜りながら、エレメンタラード社のゴレニウムシューズというのは、大魔理石の上だと本当によく響くものだ。わざわざそんな靴を履く奴の気が知れないと、少々うんざりしているかの様な態度を首を傾げながら誰に対してという訳でもなく顕し、ボソッと独り言ちた。

「……来たわね」

 ティエラはその存在感溢れる足音が自分のすぐ横で止まったのを確認すると、予測される次の行動に移られる前に制止の意を込め、掌を横に立つ人物に向けて言った。

「待ってエド、ちゃんと戻るから。担ごうとするのはやめて」
「いや、別にしようとしていないが」
「あら――そう。ただどうしてもここであなたに会うと、ね……」

 ティエラはそう言って、一瞬焦った事を誤魔化すようにカップへと再び口をつけた。

 エドワードは近付いただけでこの反応は流石に心外だと思ったが、それも彼女との普段のやり取りを考えれば仕方ないことと諦め、こちらの様子をジロジロと窺いつつ器用にコーヒーを啜る一応上司に、端的に用件を告げた。

「もう隠すのは無理だ」
「そんなことはわかってるわ」

 一連の事件に関する主な内容とその顛末の説明をケイ、クロム、カイン、エイリス、レオナルド、ハヴィブの6人は、現在第3試験棟会議室にて絶滅して久しいキリンの如く長くして待っていることだろう。

 ティエラは持っていたカップをテーブルに置き、今まで散々考えていた事の意見をエドワードに要求した。

「でも、なんて説明すればいいのよ」
「包み隠さず全て話すしかないだろう」
「いや、まあ……そう……よねぇ」

 実際に正鵠を射た答えを求めた訳でもなく、かなり雑に聞いた意見ではあるが、なるほど。それは確かにそうだと思える。知らない人間の方が珍しい天下のIMROで、あれだけの大事件へと発展してしまったのだ。きちんと順を追って説明する以外に何があるという。変に取り繕ってどうにかなる問題ではもはや無いのだ。いや、いくらでも取り繕うことなど出来るが、今後一蓮托生の間柄を結ぼうという相手に、少しの油断で綻ぶ様な嘘は望ましくはない。信頼こそ得てもこれ以上不信に繋がる様な説明は避けるべきだろう。
 ティエラはエドワードの実直さの一部に関して・・・・・・改めて感心した。もちろん態度には微塵も表さないが。

「さ、行くぞ」
「ちょっと待って、もう来るはずだから」
「……誰を呼んだんだ」

 今回ティエラは中央棟喫茶スペースでただサボっていた訳では――普段からサボっているつもりも――ない。実はある人物達に助力を求め、此処で待ち合わせていたのだ。

「来たらわかるわよ。あと、やっぱり全員集めてくれない?」

 全員と聞いてエドワードは同僚達の顔を思い浮かべた。そして、念を押す様にティエラに再度確認した。

「そうか、いいんだな」
「ええ、もうその方が手っ取り早いと思うし」
「……そうだな、わかった。集めておくから必ず来い」
「わかってるわよ。ちゃんと行くから安心して、さ、早く」

 ティエラは立ち上り、第3試験棟へ急ぎ向かわせようとエドワードの背中を両手で押して促した。

「あら、お邪魔だったかしら?」

 と、そこで思わぬタイミングで後ろから声をかけられ、2人は同時に振り向いた。

「リーブル、茶化すな」
「ライヒモンド、茶化すな」
「……別に2人して言わなくてもいいじゃない。それとセンギョウ君、今はシライシなんですけど」

 振り向くとリーブル、ヒラツカ、センギョウの3人の刑事がそこにいた。

「すまんが未だに言い慣れん」
「今はそんなことどうでもいいだろうリーブル」
「いや、全然どうでも良くないわよ。そもそもあなただってなんで仕事中なのに名前で呼ぶのよ」
「それは、だな……」

 ダメなのか……?と、聞き取れるか瀬戸際の音量でヒラツカは続けたが、リーブルは聞き逃さない。

「おいライヒモンド、それは酷というものだろう。ヒラツカさんが今までいったいどんな気持ちでお前のことを――」

 リーブルが何か挟む前にセンギョウはそれをインターセプトしたつもりだが、どうやらやり方を間違ったらしく、今度はヒラツカから文句が出る。

「おいおい、それこそやめてくれセンギョウ」
「ちょっと、なんでセンギョウ君はコタロウの肩ばっかもつのよ」
「お前がことある毎につっかかるのが悪いんだ」

 味方したつもりの先輩刑事に即座に梯子を外されたセンギョウは、口論の原因をリーブル1人に被せるべく、幼稚とも取れる戦法に打って出た。

「あ、そういうこと言うならあの時ペットショップで――」
 
 こうして再会して早々に3人はティエラとエドワードの存在を完全に忘れ、言い争いを始めてしまい、入る隙も見つからない状態になってしまった。

「まったく、どういうつもりなのよ」
「……いつもこんな感じなのか?」
「別に私だって知らないわよ」
「そうか」

 3人の言い争いはセンギョウの過去の失態に遡り、反論したセンギョウがヒラツカに助けを求め、リーブルがさらにそれに対して様々な過去の事例を持ち出して文句をつけるという段まで来ていた。

「エド、とりあえず連絡は入れといて」
「……ああ、とりあえず最優先コード付きのメールで連絡は入れた」
「そ、ありがと」

 2人がそんなやり取りを終えても、未だ聞いてる側からすればたまらなくどうでもいい内容で口論を続けている刑事達に、いい加減業を煮やしたティエラが仲裁のタイミングを窺っていると、待ち合わせていたもう1人の人物がそこに声をかけてきた。

「オホン。諸君、白熱しているところ大変に悪いのだが――お邪魔だったかね?」 






 第3試験棟には魔法科学医師エーテリックドクターという職の班長を務める、エイリス・ブラックという人物がいる。
 彼女の主な仕事は、ネーヴェが日々収集している職員のバイタルデータと照合し、健康状態をチェックする事だ。
 もちろん業務はそれだけに留まらず、食事や運動での改善を促したり、薬の処方もする。試験テストで怪我をした者が出た際には直接それの治療にもあたる。
 治療するとは言っても、実際に行うのは適切な治療データをエテコン経由で全自動手術台オートオペレーティングテーブルに入力する――医療の基礎知識はもちろん、手術とてやろうと思えば自ら出来はする――だけなのだが、過去に判断をAI任せにして事故が多発した経緯があり、現在は医師免許持ちの人間とAIによる2重認証システムになっている。

 そんな彼女は今、第3試験棟会議室にて、お気に入りの音楽に浸りながら他の同僚達とのんびり待機していた。

「エイリスさ~ん、またハヴィさんとレオナルドさんがケンカしてま~す」
「ん……どうしたのケイ? って、もう、またなの? 本当に懲りないわね」

 第3試験棟の名物、とまで言うには語弊があるのだが、試験記録士テストレコーダー班長ハヴィブ・アサハッドと理論魔法科学士セオリティカルエーテリスト班長レオナルド・ヴァイニッヒの口論は、2人が顔を突き合わせれば毎度の事だ。

「ハヴィさん、MTSとは人類が進化の過程において許された叡智なのです。それに反対するとはいかがなものか」
「おおっと、フハハハ。レオナルド君、笑わせないでもらいたいですね。主から賜った身体に過剰に手を加えるなど、決して許されないことなのです」
「おやおや、これは異なことを……許されたとはあくまで言葉のあや・・に過ぎません。それに実際あなただってしっかりとその身体にコアが埋まっているではないですか」
「またそれを言いますか、何度も言うように魔導素粒子封印核エーテルリアクターコア埋設手術は先々代の教主猊下が各国首脳との協議の末、直々に許可を出されたものであり、主から賜った神秘を具現化するものとして正式にお認めになったのです。それに私は“過剰に“と前置きしているはずですが」
「なるほど。神秘の具現化とは……また都合の良い言葉もあったものですね。しかも過剰などという個々人で差異のある言葉まで用いて反論とは、あなたも必死ですね」

 ――ガタンッ

「なんですと!」
「なんですか!」

 ハヴィブとレオナルドの2人は大きな音を立ててイスから立ち上がり、顔を突き合わせて睨み合う。

 その様子を見て、ハラハラとしながらこの2人の言い争いをどうにかしようとしているのは、今のところケイだけだ。

「クロム、出番よ」
「えぇ! 僕ですか!?」

 先日の一件から未だ体調が万全に戻らず、テーブルに突っ伏していたクロムだったが、急に水を向けられ大いに取乱した。

「何を大声出してるのよ、こっちがビックリするじゃない。大体周りを見てみなさい」
「え、いや、そんなつもりは……はい」

 クロムはこの部屋にいる他の面々を言われた通りに見てみた。相変わらず仲裁し切れずハヴィブとレオナルドの近くでワタワタとしているケイに、またぞやゲームでもしているのか目を閉じて我関せずの姿勢を貫くカイン。

 なるほど。どうにかできる特定の人物達が不在の今では消去法として自分ということか、とはならない。

「いやいや、僕じゃ無理ですよ!?」
「もう、役立たずね」
「そんなぁ、ヒドいです」

 と、そんな混沌としている場面に救世主の如く入室して来た者達がいた。

「あ~もう、タイミング悪いわね。誰よ2人を隣に座らせたのは」

 クロムは自分の上司であるティエラが、こういう場面では殊更頼りになる事を知っていた。

「ティエラさん!」

 ティエラは入室と共に全てを察知し、前に出した手をヒラヒラと面倒臭そうに振りながらさっさと席に着いて静まる様促した。

「はいはい、どうせ誰も止められないし止めようともしないわよね」

 そうなんです。とはクロムは言えないが、第3試験棟に勤める者で彼等を止められるのは、今のところ3人しかいないことは事実だ。

「大体あなたはいつもいつも主の御技を否定してばかりではないですか!」
「これだけ科学が発展したというのに未だ存在が確認されていないものを、どうやって信じろと言うのですか!」
「言うに事欠いてものとはなんですか!」
「欠いてないですよ! ものはものだ!」
「はいはい! ハヴィ、レオナルド。黙って座りなさい」
「「ん!? あ……はい」」

 ハヴィブとレオナルドは勢いよくティエラの顔を見るなり、その静かに怒りに打ち震える表情に即座に沈黙し、潔く席に着いた。

「主任さすがです! 本当にすごいです! って、お姉ちゃん? なんでここに!?」
「ケイ、今日はまあ……仕事で、ね。ちょっとお邪魔するわ」
「さすがはティエラさん! あ、ネーヴェちゃんだ。やっほ~」
「やっほー」

 ぞろぞろと入室してくる者達の中にネーヴェを見付けたクロムは、天使でも見る様な眼差しで無表情の少女に近寄る。

「クロム、今は早いとこ席に着きなさい」
「はい、ティエラさん」

 肩を落としたクロムが席に戻る中テーブルに肘を付けた姿勢のままエイリスが文句を言う。

「もう、遅いわよティエラ~。しかも……あら、随分大所帯なのね」
「エイリス、悪いけど察して」

 ティエラに続いて入室して来た面々を見てエイリスは、わかったわ。とだけ言ってテーブルに向き直った。

「うわ、もう来たのかよ。いいとこなのに……げ、所長までいるし、逃げよ……」
「コラ、どこ行くのよカイン。はい、もういいからみんな席について」

 ティエラがカインの肩を抑えながらそう促すと各々席に座り、一瞬渋滞した入口から続々と残りの面々も入室し、ようやく全員が席に着いた。

 今回この場に集められたメンバーは、IMRO関係者として所長とティエラを始めとする第3試験棟の各班長とネーヴェの14名、そこへさらに刑事であるリーブル達3名を合わせた計17名となる。

 施設の長である所長と一部の班長からすれば見慣れない人物も混ざっている為か、少しばかり物々しい雰囲気の中、ティエラは所長にこの集まりの本来の目的である議題を開始するよう促した。

「所長、お願いします」
「うむ。では諸君、まずは忙しい中集まってくれたこと、感謝する」

 所長の言葉に皆が一様にその場で軽く頭を下げ、それを見たネーヴェが遅れて続いた。

「畏まる必要は無いと言いたいところだが、そうもいかん事情があってな。ティエラ君」
「はい、なんでしょうか」
「うむ。これは私の独断で悪いのだが、数名ゲストを呼んでいてな。参加させてもらうよ」
「……はい、わかりました」

 自分から人を集めた上での会議の場だが、早速飛び入りでゲストが入るという所長の言を聞き、これは空間魔法開発計画そのものが頓挫するかも知れない。と、ティエラは直感的に今後の流れを想像した。

 所長が断りようもない断りを入れてからすぐに目が薄く光り、これから来るゲストとやらに通信している事が見て取れた。
 目の発光が消えると、所長は改めて全員に向けて念を押す言葉を口にした。

「諸君、言うまでもないことだが、くれぐれも失礼のないように頼む。刑事さん達も、もちろん問題無いとは思いますが、その……老婆心というやつです。重々気を付けてください」

 十分物々しい雰囲気だった会議室は、所長のその言葉で更に緊張感が増した。






 ――シュイーン

 どこか近くで待機でもさせていたのか、所長の連絡後数分と間を置かず再び会議室の扉が開き、3名の人物が入室して来た。

「え!? し、あ……ごめんなさい」

 シエンナがそう反射的に声を上げるのも無理は無い。何故ならば入って来た人物の内1名は、ティエラ達も良く知る人物だからだ。

 所長は新たな3名の入室と共に立ち上がり、挨拶と共に快く迎え入れた。

「よく来てくださいました。では、そちらの空いている席に座っていただきまして……その、大変にお手数ですが、簡単でよいので自己紹介をお願いします」

 3名のゲストは着席するなりお互いに視線を交わし、誰から自己紹介するのか探り、すぐに1人が自己紹介を始めた。

「では、ワシから失礼させていただこう。まずはこの場にお招きいただき感謝する。この都市の外れで小さな道場を営むミリオーフ・ヴァインスと申します。よろしくお願いします」

 本当に簡潔な紹介を終えて着席したミリオーフとしっかりとティエラは目が合ったが、すかさず逸らしてやり過ごした。

「では、次は私が」

 そう言って立ち上がった清潔感と厳格さに満ち溢れた壮年男性は、どうやらリーブル達と面識があるらしい人物の様だ。ミリオーフとティエラ同様に、刑事3名はその人物と目が合うなり気不味そうに逸らしていた。

「私は魔法公安部部長のダグラス・カーンと申します。先日の事件ではそこにいるライ……シライシ達がお世話になったばかりか、テロリストの捕縛という大義にまで助力していただき、警察組織としてもIMROの皆様には感謝の言葉もありません。以後、どうぞお見知り置きを」

 恐らく、というか確実にリーブル達はこのダグラスという上司が来る事を知らなかったのであろう。直接関係の無いケイがどうしようと何故かあたふたしているが、流石に彼女にはどうする事も出来ないだろう。

「では、最後は自分ですね」

 最後の人物が立ち上がると同時に所長とダグラスに続いてリーブル達も立ち上がった。他の面々もその只事では無い様子に違和感を覚えつつも、所長の事前の言葉を思い出し、とりあえずそれに続いた。

「ああ、そんな。皆さん座ってください。公の場では無いのですから、立たなくて結構ですよ」

 ティエラは、どうやらリーブル達から感じていた気不味さに関しては上司の急な登場だけに起因するものではないらしい事と、この気さくで若そうに見える人物がその実とんでもない地位にいる事を推察した。

「さ、皆さん座って座って。それで所長さん」
「はい」

 呼びかけられた所長の声は、僅かだが震えている様に思えた。

「自己紹介がてら今回来訪した真なる目的を話しても? こう見えても多忙な身でしてね。あ、ですから立たなくて結構ですよ」

 所長はそう言われても全く落ち着かないといった様子で座り、その人物の問いに居住まいを正して受け答えた。

「座りながらで大変に申し訳ありません。もちろんです。国軍魔法特殊部隊元帥ハルマティス・ニーズルブロフト閣下」





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『本当に知恵ある人物とは、私の知る限りこの世の全てに興味を持ち、探求する者だ』

 某国軍事機関誌【払暁】、海軍大将シュウジロウ・カワタニへのインタビュー記事より抜粋
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