いつか、ふたりで

ゆん

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逢いたい

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新宿駅の構内は、昼間だというのに人で溢れていた。
雑踏、アナウンス、靴音、電車の出入り──何もかもがノイズのようで、それが都会の日常だった。

少し前まで、風鈴の音に耳を澄ませていたのが嘘みたいだ。
蝉の声も、稲の匂いも、もうこの空気には存在しない。

だけど故郷で灯った火が、今、私の背中を押している。

海堂の個展は、ここからさらに乗り換えた先の、小さなギャラリーで開かれているという。

私は駅の案内表示を追いながら、小さな花束の入った紙袋を潰されないように反対の手に持ち替えた。



光流も一緒に行く予定だったが、帰省中に風邪をひいて帰って来られなかった。もともと約束が個展の最終日だったから、延期はできない。

ひとりで行くのは勇気がいったけど、行かないという選択肢はない。

自分の気持ちを見つけた以上、”逢いたい” を留めることは出来なかった。

有楽町駅を出ると、東京とは思えないほど静かな空気に包まれた。ほんの少し前まで、新宿駅の雑踏に揉まれていたのが嘘のようだ。

スマホの画面をのぞき込み、辺りの景色をきょろきょろしながら目的のビルを探した。

GALLERY IONは、通り沿いの洗練されたビルの一角にあった。
ガラス張りのエントランス越しに、白い壁に絵が飾られているのが見える。
そもそもギャラリーという所に入ったことがなく、誰に咎められるわけでもないのに、なかなか戸に手をかけることができなかった。

意を決して中に入ると、冷房のひんやりした空気に包まれた。
人はまばら。壁に沿ってゆっくりと歩く人。低く話す声。足音。
そのすべてが静かで、でもどこか緊張感がある。

そろり、そろりと遠慮がちに中へ進んだら、視線が吸い寄せられて胸がどきんと強く打った。

……いた。海堂。

広い部屋の奥。中央展示の陰からチラチラ見える彼は、きちんとしたシャツにスラックスを履いていて、ぐっと大人びて見える。

目が離せなかった。

でもその隣に──女の子がいた。
華奢な、可愛い子だった。明るい色のワンピース。少し高そうなアクセサリー。綺麗に整えられたネイルが海堂の腕に絡み、耳元に何か囁いて笑っている。

海堂も壁にもたれかかって笑い、それに応えていた。

──あの子……彼女、だよね。

途端に胸がずきずき痛みだし、後ずさりたくなる気持ちが膨れ上がった。けれど俯いた目に紙袋の中にある花束が映って、もう一度気を取り直す。

そうだ、お祝いに来たんだ。
ちゃんと「おめでとう」と言って、花を渡して、帰ればいい──

でも、心がついてこない。胸が痛い。足も動かない。



その時、ふと──海堂がこちらを見た。

目が合った。

彼の表情が変わった。驚きと、戸惑いと──名状しがたい感情を映した瞳。
いつも陽気な海堂の、そんな顔を見たのは初めてかもしれない。

私は覚悟を決めて、中へ進んだ。

海堂が彼女に、ちょっと、と離れるように促したが、彼女はむしろぎゅっと腕に抱きついて私の方を睨むようにしている。

「……お久しぶりです」

いつもより、一歩遠い距離で私は足を止めた。

それは彼女に配慮して、というよりは、それ以上近づくと海堂に向けた感情が胸に膨らみ過ぎて苦しくなりそうだったからだ。

海堂はもういつもの彼に戻って「来てくれたんだ。ありがと!」と笑った。

その笑みが……懐かしくて。

もっとずっと近くにあったのに。

この子みたいに傍にいたのは、私だったのに。

どんどん膨れ上がっていく感情を、自分でも止めることが出来ない。

「あの、これ。お、おめでとう、ございます……」

視界が揺れ始めて、慌てて俯き、紙袋を差し出した。
海堂からの返事がなく、紙袋も受け取られない。

私は場違いなことをしてしまったのだ、と恥ずかしくなり、まだ絵も見てないのに、踵を返して出口に向かった。



本当は私には来てもらいたくなかったのかも……
彼女がいる前で困ったのかも……

ぐるぐるぐるぐる考えて出入り口の自動ドアの前で一瞬止まると、手首をぎゅっと掴まれた。

振り向いて、海堂だ、と認識した途端手を引かれ、部屋の端のSTAFF ONLY と書かれたドアの中へ連れていかれた。

中は小さな事務室のようだった。

「堀口さん。ちょっとだけ外してもらえません?」

中にいた、眼鏡に口ひげの初老の男性に海堂が言うと、その人は片方の眉を上げて頷き、部屋を出て行った。

「あー……ちょっと待ってな」

海堂は私の手首を捕まえたまま、もう片方の手で顔を覆い、深く呼吸をした。

「突然現れて、目に涙いっぱいためて、」

海堂がひとつひとつ言うから、私はやっぱり迷惑だったのだ、と羞恥に身が縮んだ。
しかし次に海堂はしゃがみこみ、俯いた私の顔を見上げるようにした。

「あのさ。勘違いじゃなかったら、だけど」

ほと、と私の目からひとつぶ、コンクリート打ちっぱなしの床に涙が落ちる。海堂の手が伸びてきて、私の目元の新しい涙に指先で触れた。

「……俺のこと、まだ好き?」

もう今でははっきり分かる気持ちを、口に出す前に唇が震える。でも、言わなければ。私は、あなたを──……

「……好きです」

それは涙声だったけど、ちゃんと、言えた。

すると海堂は立ち上がり、私をぎゅ、と胸に抱きこんだ。

「まじか~~……」

海堂の手が私の後ろ頭を優しく撫でる。

「真澄ちゃん割と分かりやすいから、俺の隣にいた子を彼女と思ったな~ってとこまでは想定内だったんだけどさ」

あ、彼女じゃないよ、と海堂は付け足した。

私を抱きこむ力がまた少し強くなり、頭に鼻先をつけるようにしてきたから、私は不意に我に返って、汗かいてますから、と海堂の身体を押した。

「いいじゃん。いい匂いだって」
「だめです。くさいから……だめ!」

尚も鼻を押し付けようとしてくる海堂から身を捩って逃げると、海堂は笑いながら私を解放した。

「と、いうことは、だ。返品取り消しでオーケー?」

私は、まだそれが有効なのかと、今付き合っている人はいないのかと、しどろもどろに尋ねた。

海堂は、当たり前じゃん!と即答した。

「花……受け取ってもらえなかったから、私、もう迷惑なんだと……」
「あーそれな。ごめん、真澄ちゃんの涙見たら、頭真っ白になっただけ。でも俺、諦める気、全然なかったからね?個展の準備で忙しかったけど、これ済んだらまたあの手この手を使うつもりだったよ?」

愉快そうに笑って、余裕しゃくしゃくで。

私は昔からこの男には絶対敵わないんだ。



でも、私は見たから。ギャラリーに入った私に海堂が気づいた時の顔を。

あの言葉にならない複雑な色合いの表情が、お前の偽らざる本心なんだろう。

それは遠い故郷を想うような、遥かな初恋を思い返すような、多層の切なさを帯びている。

それなら……お前も、見た感じほど余裕はないのだな。

私は、部屋のドアを開けた海堂の背中を見ながら、胸の中で小さく笑った。





END
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