13 / 36
第四話
もののけ(1)
しおりを挟む
とある公卿の若い息子が亡くなった。
その話を晴明のもとに持ってきたのは、賀茂保憲であった。
いつものように晴明は陰陽寮の書庫に籠もっており、なにやら小難しい顔をしながら書を読み漁っている。
陰陽寮の中には、晴明が仕事をしていないとわざわざ陰陽頭である保憲に告げ口をしに来るものもいる。もちろん、晴明が普段から書庫に籠もっていることは保憲も知っているし、晴明が仕事をしているかどうかもわかっていた。実際はその逆なのだ。晴明ほど仕事をしている者を保憲は知らない。確かに事務仕事はしていないが、陰陽師として公卿たちに顔を売り、政に関する儀式などが円滑に行えるよう段取りなどを進めているのが晴明だった。それを他の陰陽寮の者たちは知らないのだ。
「まだ九歳だったそうだ」
「そうか……」
保憲の息子である光栄は二十歳を超えており、晴明と同じく陰陽師という立場にあるが、晴明の子である吉平は、その亡くなった子とあまり変わらぬ歳であった。
「幼き子が亡くなるというのは、辛いな」
「そうだな」
「して、なぜそのような話を私にするのだ、保憲」
そう晴明が尋ねると、保憲は伏せていた目をちらりとあげて晴明のことを上目遣いで見た。
嫌な予感がした。占いと同じで、晴明の嫌な予感というものはよく当たるのだ。
「その公卿が、子が亡くなったのは物怪の仕業だと言い出してな」
「おい、まさかとは思うが……」
「そのまさかだよ、晴明」
「なぜ断らぬのだ。物怪の相手など陰陽師の仕事ではないわ」
「それが陰陽師の仕事だ。そう思っておられる方々がいらっしゃるのだよ、晴明」
真面目な顔をしていう保憲に、晴明は頭を抱えた。
物怪。それは目に見えぬ存在であり、古くから民間信仰されてきた病《やまい》や不幸の原因とされているものである。悪霊、妖怪、あやかし、怨霊。様々な名前で呼ばれることがあるが、晴明はそういったものは一切信じておらず、なぜ朝廷の一役人である陰陽師が物怪をどうにかしなければならないのかと不満に思っていた。
「そもそも、その公卿の若い息子が亡くなったという理由は、物怪ではないだろう。流行病だ。京中でも大勢の人が亡くなっている。そのことを公卿は知らないのであろう」
「そう言うな、晴明。私にも私の立場というものがあるのだ。わかってくれ」
「しかし、そのようなことを言い出した公卿というのは、どこの誰なのだ」
「野大弐様よ」
保憲が口にした名前を聞いて、晴明はさらに頭を抱えた。よりによって野大弐様か、と。
野大弐とは異名であり、本名ではない。本名は、小野好古。従三位であり、大宰大弐を務める参議である。先の藤原純友の乱では、博多津で純友軍を撃退している武勇に優れた人でもあった。
「おい、野大弐様はもう七十歳を超えられているはずだぞ。先ほど、若い息子と言わなかったか。孫の間違いではないのか、保憲」
「間違いではない。何人目の子であるかは知らないが間違いなく、野大弐様のお子だ」
「そうか。遅く出来た子だからこそ、野大弐様を狂わせてしまったのだろうか……」
「あのお方のお祖父様は野狂様だ、晴明」
「なるほど、物怪の類を信じるのは、血筋かもしれんな」
晴明はそう呟くと、持っていた扇子で自分の膝をぽんぽんと叩いた。
野狂。それは小野篁という人物の異名だった。好古の祖父であり、篁も参議を務めていた。篁は漢詩や和歌においてはその名を知らぬものはいないといわれるほどの人物であり、現在でも篁の漢詩は書の手本として使われているほどであった。そして、何よりも小野篁には奇妙な話が多い。昼間は朝廷の役人として働き、夜は冥府閻魔庁で閻魔大王の補佐をしていたというのだ。生と死を司る役人として小野篁の名前は未だに語り継がれており、何彼につけては人の死とこの人物を結びつける者が今でもいるほどであった。
その野狂の孫である好古がわざわざ陰陽師に声をかけてきたとなると、これは厄介な話が待っているのかもしれない。晴明はそう思いながら、小さくため息をついた。
「それで、保憲はどうするつもりなのだ」
「お前に行ってもらうよ、晴明」
「なぜ、私なのだ。光栄でも良いではないか」
「あちらのご指名なのだよ。優秀な陰陽師の安倍晴明を寄越してほしいと」
その言葉に晴明は苦笑いをせざる得なかった。
普段より公卿や上級貴族たちに自分の売り込みを欠かしていない晴明であるが、まさかこのような形で呼ばれるとは思ってもみないことだった。晴明の頭の中では、占いや祈祷をすることで貴族たちの信頼を得て行こうと考えていたのだ。それがどう間違ったのか、物怪騒動に巻き込まれることになるとは。自分の計算違いであったことは確かだが、参議と繋がりを持てる機会が巡ってきたということも確かである。これを千載一遇の好機と捉えるべきなのだろう。晴明は、良い方に考えることにした。
「わかった。この話、安倍晴明が引き受けよう」
「そうか、やってくれるか」
「ああ。物怪などは存在しないということを野大弐様に証明してみせよう」
「おいおい、話をおかしくしないでくれよ」
「大丈夫だ。私に考えがある」
晴明はそう言って笑ってみせると、出かける支度をはじめた。
その話を晴明のもとに持ってきたのは、賀茂保憲であった。
いつものように晴明は陰陽寮の書庫に籠もっており、なにやら小難しい顔をしながら書を読み漁っている。
陰陽寮の中には、晴明が仕事をしていないとわざわざ陰陽頭である保憲に告げ口をしに来るものもいる。もちろん、晴明が普段から書庫に籠もっていることは保憲も知っているし、晴明が仕事をしているかどうかもわかっていた。実際はその逆なのだ。晴明ほど仕事をしている者を保憲は知らない。確かに事務仕事はしていないが、陰陽師として公卿たちに顔を売り、政に関する儀式などが円滑に行えるよう段取りなどを進めているのが晴明だった。それを他の陰陽寮の者たちは知らないのだ。
「まだ九歳だったそうだ」
「そうか……」
保憲の息子である光栄は二十歳を超えており、晴明と同じく陰陽師という立場にあるが、晴明の子である吉平は、その亡くなった子とあまり変わらぬ歳であった。
「幼き子が亡くなるというのは、辛いな」
「そうだな」
「して、なぜそのような話を私にするのだ、保憲」
そう晴明が尋ねると、保憲は伏せていた目をちらりとあげて晴明のことを上目遣いで見た。
嫌な予感がした。占いと同じで、晴明の嫌な予感というものはよく当たるのだ。
「その公卿が、子が亡くなったのは物怪の仕業だと言い出してな」
「おい、まさかとは思うが……」
「そのまさかだよ、晴明」
「なぜ断らぬのだ。物怪の相手など陰陽師の仕事ではないわ」
「それが陰陽師の仕事だ。そう思っておられる方々がいらっしゃるのだよ、晴明」
真面目な顔をしていう保憲に、晴明は頭を抱えた。
物怪。それは目に見えぬ存在であり、古くから民間信仰されてきた病《やまい》や不幸の原因とされているものである。悪霊、妖怪、あやかし、怨霊。様々な名前で呼ばれることがあるが、晴明はそういったものは一切信じておらず、なぜ朝廷の一役人である陰陽師が物怪をどうにかしなければならないのかと不満に思っていた。
「そもそも、その公卿の若い息子が亡くなったという理由は、物怪ではないだろう。流行病だ。京中でも大勢の人が亡くなっている。そのことを公卿は知らないのであろう」
「そう言うな、晴明。私にも私の立場というものがあるのだ。わかってくれ」
「しかし、そのようなことを言い出した公卿というのは、どこの誰なのだ」
「野大弐様よ」
保憲が口にした名前を聞いて、晴明はさらに頭を抱えた。よりによって野大弐様か、と。
野大弐とは異名であり、本名ではない。本名は、小野好古。従三位であり、大宰大弐を務める参議である。先の藤原純友の乱では、博多津で純友軍を撃退している武勇に優れた人でもあった。
「おい、野大弐様はもう七十歳を超えられているはずだぞ。先ほど、若い息子と言わなかったか。孫の間違いではないのか、保憲」
「間違いではない。何人目の子であるかは知らないが間違いなく、野大弐様のお子だ」
「そうか。遅く出来た子だからこそ、野大弐様を狂わせてしまったのだろうか……」
「あのお方のお祖父様は野狂様だ、晴明」
「なるほど、物怪の類を信じるのは、血筋かもしれんな」
晴明はそう呟くと、持っていた扇子で自分の膝をぽんぽんと叩いた。
野狂。それは小野篁という人物の異名だった。好古の祖父であり、篁も参議を務めていた。篁は漢詩や和歌においてはその名を知らぬものはいないといわれるほどの人物であり、現在でも篁の漢詩は書の手本として使われているほどであった。そして、何よりも小野篁には奇妙な話が多い。昼間は朝廷の役人として働き、夜は冥府閻魔庁で閻魔大王の補佐をしていたというのだ。生と死を司る役人として小野篁の名前は未だに語り継がれており、何彼につけては人の死とこの人物を結びつける者が今でもいるほどであった。
その野狂の孫である好古がわざわざ陰陽師に声をかけてきたとなると、これは厄介な話が待っているのかもしれない。晴明はそう思いながら、小さくため息をついた。
「それで、保憲はどうするつもりなのだ」
「お前に行ってもらうよ、晴明」
「なぜ、私なのだ。光栄でも良いではないか」
「あちらのご指名なのだよ。優秀な陰陽師の安倍晴明を寄越してほしいと」
その言葉に晴明は苦笑いをせざる得なかった。
普段より公卿や上級貴族たちに自分の売り込みを欠かしていない晴明であるが、まさかこのような形で呼ばれるとは思ってもみないことだった。晴明の頭の中では、占いや祈祷をすることで貴族たちの信頼を得て行こうと考えていたのだ。それがどう間違ったのか、物怪騒動に巻き込まれることになるとは。自分の計算違いであったことは確かだが、参議と繋がりを持てる機会が巡ってきたということも確かである。これを千載一遇の好機と捉えるべきなのだろう。晴明は、良い方に考えることにした。
「わかった。この話、安倍晴明が引き受けよう」
「そうか、やってくれるか」
「ああ。物怪などは存在しないということを野大弐様に証明してみせよう」
「おいおい、話をおかしくしないでくれよ」
「大丈夫だ。私に考えがある」
晴明はそう言って笑ってみせると、出かける支度をはじめた。
21
あなたにおすすめの小説
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
現代文学
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる