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第六話
道摩法師(2)
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藤原元方の怨霊を祓う儀式は、陰陽頭である賀茂保憲をはじめとし、陰陽博士と陰陽師、陰陽得業生と陰陽寮の陰陽師たちが総出で行うこととなった。
祓いの儀のために巨大な祭壇を築き、帝のための祝詞をあげる。これは帝のための祓いの儀であるため、力を入れないわけにはいかなかった。
しかし、そんな中であるにもかかわらず、晴明だけは気が乗らないといった表情をしている。
「なにが気に食わないのだ、晴明。お前が持ってきた仕事ではないか」
出来上がった祭壇の見回りを終えた保憲が、木陰にあった岩に座り込んでいる晴明を見つけて声をかけてきた。
「元方の怨霊ということだが、誰が仕掛けたのだろうなと思ってな」
「怨霊を仕掛けた?」
「まさか、本気で怨霊の仕業だと思っているわけではないよな、保憲」
「馬鹿なことを言うな、晴明。私はこれでも陰陽頭だぞ。そういったことについては、誰よりもわかっているつもりだ」
「それを聞いて安心した。お前が本気で元方の怨霊の仕業で帝の様子がおかしいなどというのかと思って、気が気でなかったぞ」
晴明は笑いながら言う。
はなから晴明は怨霊の存在などは信じていないのだ。それは保憲も同じことであり、人知を超えた存在などというものは、気のせいであったり、見間違い、思い込みであるとふたりとも思っており、陰陽寮に所属する者たちも、それは同じであった。しかし、それを陰陽寮内で口にする者は誰ひとりいない。そういった存在を利用しているのが陰陽師であり、陰陽寮の仕事なのだ。
「しかし、人知の及ばぬ何かが起きているということも無いとは言い切れぬぞ」
「確かに帝の奇行については、人知の及ばぬところかもしれないな。だが、あの帝の行動は、皇太子の頃から変わらぬ。あのお方は、人とはちょっと違った感性をお持ちなのだ。問題なのは、そのことを怨霊の仕業だと言い出した人間の方だ、保憲」
そう晴明が言うと、保憲は眉間に皺を寄せて難しい顔をしてみせた。
「朝廷内の権力争いというわけか」
「まあ、そうなるな。私に祓いの儀を行うように言ってきたのは、藤原兼家だ。おそらく、噂を流したのは、兼家に敵対している勢力に雇われている者なのだろう」
朝廷内では常に権力闘争が発生している。特に藤原氏同士の争いは酷く、誰が帝に自分の娘を入内させられるか、そして帝の子を授かることができるかといった争いを繰り広げているのだ。
元は藤原(中臣)鎌足からはじまった藤原氏は、その後に藤原北家、南家、京家、式家の四家に分かれ朝廷の中核を担ってきた。藤原良房以降は藤原北家が中心となり栄え、藤氏長者と呼ばれるようになった。しかし、同じ藤原北家の中でも誰が長者となるかという暗闘を一族内で繰り広げており、一族、兄弟であってもお互いを出し抜いてやろうという、見えない闘争を続けているのである。
「怨霊の噂などを流せるような者となると、何者だろうか。何か心当たりはあるのか、晴明」
「ある訳がない。だからこそ、こう悩んでいるのだ」
晴明はそう言うと岩から立ち上がり、辺りを見回した。
すでに祭壇は出来上がっており、あとは祓いの儀を行うばかりとなっている。
もし、噂を流した人間が邪魔をしに来るとすれば、今夜あたりだろう。自分であれば、そうすると晴明は考えていた。祭壇を破壊し、あとは元方の怨霊のせいにすればいいのだ。元方の怨霊が、祓いの儀を邪魔し、陰陽寮でさえも手に負えない事態となった。そんな噂が流れれば、噂を流した者にとっては願ったり叶ったりとなるだろう。
ここはひとつ罠でも仕掛けておいて、相手の出方を待つか。そう考えた晴明は、巾着の中からふたつの賽子を取り出して振ってみた。
もしも同じ目が出たら、私の勝ちだ。そう心の中で念じながら、賽子の出目を伺う。するとふたつの賽子は、六と六の同じ目を出していた。
その夜は雲が出ており、朧月夜となっていた。
祭壇にのぼった晴明は篝火を焚かせ、盃を傾けながら相手が来るのを待った。
もちろん、油断しているわけではない。周りは式人たちが固めており、誰かがやって来ればすぐにわかるようになっていた。
どこからか龍笛の音が聞こえてきていた。この龍笛の音色は、源博雅のものだろうか。そんな想像をしながら、晴明は盃を傾ける。
しばらく晴明は目を閉じて、その笛の音色に耳を傾けていたが、何かに気がついたかのようにゆっくりと目を開けた。
祭壇から東の方角に人の気配があった。しかし、晴明は気づかぬふりをして、盃を傾ける。祭壇の周辺には式人たちが潜んでいた。もし、誰かが祭壇に近づいてくれば、式人たちがどうにかしてくれるはずだ。
風が吹いた。そのせいで、月に掛かっていた雲が晴れ、月明かりが祭壇を照らす。
「良き月であるな、道真」
晴明は、東の方角に潜んでいる人物に声を掛けた。
祓いの儀のために巨大な祭壇を築き、帝のための祝詞をあげる。これは帝のための祓いの儀であるため、力を入れないわけにはいかなかった。
しかし、そんな中であるにもかかわらず、晴明だけは気が乗らないといった表情をしている。
「なにが気に食わないのだ、晴明。お前が持ってきた仕事ではないか」
出来上がった祭壇の見回りを終えた保憲が、木陰にあった岩に座り込んでいる晴明を見つけて声をかけてきた。
「元方の怨霊ということだが、誰が仕掛けたのだろうなと思ってな」
「怨霊を仕掛けた?」
「まさか、本気で怨霊の仕業だと思っているわけではないよな、保憲」
「馬鹿なことを言うな、晴明。私はこれでも陰陽頭だぞ。そういったことについては、誰よりもわかっているつもりだ」
「それを聞いて安心した。お前が本気で元方の怨霊の仕業で帝の様子がおかしいなどというのかと思って、気が気でなかったぞ」
晴明は笑いながら言う。
はなから晴明は怨霊の存在などは信じていないのだ。それは保憲も同じことであり、人知を超えた存在などというものは、気のせいであったり、見間違い、思い込みであるとふたりとも思っており、陰陽寮に所属する者たちも、それは同じであった。しかし、それを陰陽寮内で口にする者は誰ひとりいない。そういった存在を利用しているのが陰陽師であり、陰陽寮の仕事なのだ。
「しかし、人知の及ばぬ何かが起きているということも無いとは言い切れぬぞ」
「確かに帝の奇行については、人知の及ばぬところかもしれないな。だが、あの帝の行動は、皇太子の頃から変わらぬ。あのお方は、人とはちょっと違った感性をお持ちなのだ。問題なのは、そのことを怨霊の仕業だと言い出した人間の方だ、保憲」
そう晴明が言うと、保憲は眉間に皺を寄せて難しい顔をしてみせた。
「朝廷内の権力争いというわけか」
「まあ、そうなるな。私に祓いの儀を行うように言ってきたのは、藤原兼家だ。おそらく、噂を流したのは、兼家に敵対している勢力に雇われている者なのだろう」
朝廷内では常に権力闘争が発生している。特に藤原氏同士の争いは酷く、誰が帝に自分の娘を入内させられるか、そして帝の子を授かることができるかといった争いを繰り広げているのだ。
元は藤原(中臣)鎌足からはじまった藤原氏は、その後に藤原北家、南家、京家、式家の四家に分かれ朝廷の中核を担ってきた。藤原良房以降は藤原北家が中心となり栄え、藤氏長者と呼ばれるようになった。しかし、同じ藤原北家の中でも誰が長者となるかという暗闘を一族内で繰り広げており、一族、兄弟であってもお互いを出し抜いてやろうという、見えない闘争を続けているのである。
「怨霊の噂などを流せるような者となると、何者だろうか。何か心当たりはあるのか、晴明」
「ある訳がない。だからこそ、こう悩んでいるのだ」
晴明はそう言うと岩から立ち上がり、辺りを見回した。
すでに祭壇は出来上がっており、あとは祓いの儀を行うばかりとなっている。
もし、噂を流した人間が邪魔をしに来るとすれば、今夜あたりだろう。自分であれば、そうすると晴明は考えていた。祭壇を破壊し、あとは元方の怨霊のせいにすればいいのだ。元方の怨霊が、祓いの儀を邪魔し、陰陽寮でさえも手に負えない事態となった。そんな噂が流れれば、噂を流した者にとっては願ったり叶ったりとなるだろう。
ここはひとつ罠でも仕掛けておいて、相手の出方を待つか。そう考えた晴明は、巾着の中からふたつの賽子を取り出して振ってみた。
もしも同じ目が出たら、私の勝ちだ。そう心の中で念じながら、賽子の出目を伺う。するとふたつの賽子は、六と六の同じ目を出していた。
その夜は雲が出ており、朧月夜となっていた。
祭壇にのぼった晴明は篝火を焚かせ、盃を傾けながら相手が来るのを待った。
もちろん、油断しているわけではない。周りは式人たちが固めており、誰かがやって来ればすぐにわかるようになっていた。
どこからか龍笛の音が聞こえてきていた。この龍笛の音色は、源博雅のものだろうか。そんな想像をしながら、晴明は盃を傾ける。
しばらく晴明は目を閉じて、その笛の音色に耳を傾けていたが、何かに気がついたかのようにゆっくりと目を開けた。
祭壇から東の方角に人の気配があった。しかし、晴明は気づかぬふりをして、盃を傾ける。祭壇の周辺には式人たちが潜んでいた。もし、誰かが祭壇に近づいてくれば、式人たちがどうにかしてくれるはずだ。
風が吹いた。そのせいで、月に掛かっていた雲が晴れ、月明かりが祭壇を照らす。
「良き月であるな、道真」
晴明は、東の方角に潜んでいる人物に声を掛けた。
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