Black Sheep

亜蘭炭恣意

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1. Black Sheep

9-2.

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「彼がくれた名刺がある。持って来よう」
 そう言って、男が家の中へと戻る。なにやら棚を引っくり返すような音が続いた後、男が戻って来た。
 男が差し出してきた名刺を、ジョンは受け取って見る。「人形技師 ジャス・モアティ」と名前が入っただけの簡素な物。裏返すと、そこには住所が書いてあった。

「彼女――ハリエットさんですが、今はヴィクター・フランケンシュタイン・ジュニアという男の下にいます。必要であれば、住所をお教えしますが」
「……ホームズの次は、フランケンシュタインか……。今日はなんだかすごい日だな……」
 一般人にとって、両者の姓は有名と言って余りあるほどだ。男が目を丸くするのも、無理からぬ話だった。
 ジョンはメモ帳にヴィクターの住所を書き、切り取って男に渡した。
「用が済めば、彼女は必ず貴方の下へお返しします。しかし、それまでは申し訳ありませんが、彼女が安全である事を保証する為にも、お預かりしたいと思います」

 悪魔が憑いた「人形」。その事実が警察や『教会』に露見した場合、その持ち主である男にも、なにかしろの制裁がかかるかも知れない。言葉の裏にそんな脅迫めいた文言を含みつつ、ジョンは男の様子を伺った。彼はたじろぎ、視線を宙に彷徨わせた。

 このおっさんは関係ないな……。ジョンは「なにか思い出した事があったら」と言い、男に懐から取り出した自分の名刺を渡した。業者に作らせはしたが、使ったのは今日が初めてだった。それに少し感動を覚えつつ男に礼を言い、ジョンはその場を立ち去った。

 その足で技師の名刺に書かれた住所に向かう。テイムズ川に浮かぶいつまでも消えない泡を流し見ながら橋を渡り、周囲に漂う異臭に顔をしかめつつ、メモを何度も見ながら足を進める。
 ジョンは周囲の風景に見覚えがある事に気付いた。これは……、メアリーにホワイトチャペルまでの案内を頼んだ時と同じだ。やがて、レストレード達が捜査の拠点としていた教会まで見えて来た。目的地はこの少し先にある。
「…………」
 ホワイトチャペルに踏み込んで少しした後、背後から視線を感じた。ジョンは住所を確認する風を演じて立ち止まり、様子を伺う。
 視線に相変わらず「敵意」はない。しかし、こちらの動向を絶え間なく覗いていた。

 ジョンは歩みを再開させて思考する。「敵意」を持たずに誰かを監視する事など出来るのだろうか。「監視」の対象は、どうだろうと必ず当人にとっての「敵」に値する筈だ。そこに「敵意」を持ち込まないなんて出来るのだろうか? 仮に、そう出来る状況とはなんだろう。「敵意」を持たぬままに誰かの行動を見張る――……。
 ジョンはハッと息を呑んだ。そうか、「命令」されているのか。行為の意図や理由を知らされないまま、ただ「監視」だけを命じられている。その状況下ならば、「敵意」を持ち得ないのではないだろうか。

 思考の最中、ジョンは目的地に到着した。それは教会のすぐ裏にあった。崩れかけの廃墟で、長らく使用されていないようだった。
 ――ここで「人形」の施術を行う? 何をバカな。ジョンは首を振りつつ、傾いた扉を乱暴に蹴り開けた。
 途端に舞い上がる埃や煤に、ジョンは咳き込んだ。埃が落ちるまで待ち、一先ず内部の様子を確認する事にした。……と言っても、ろくなものは残っていない。放置され、崩壊寸前の家具類が置かれた床は、地層のように体積した埃でその色すら窺えない。

 背後から刺さる視線は、ジョンが建物に入った途端に消え失せた。それが何故かは分からない。ジョンはしかめ面のまま警戒を続け、奥へと進んだ。

 ヴィクターの部屋で見掛ける『人形技術』に必要であろう機械が、この部屋の中には何一つとして見当たらない。この部屋は技師の部屋ではなく、明らかにダミー。ハリエットの主であるあの男は騙されて――……いや、ハリエットが「人形」なのは事実だ。ならば、男の元に現れた技師が偽物、若しくは技師を仲介する者か。
 住所を偽るのは、技師が違法な事をしているからだ。しかし、その証拠を掴めないのなら、ここにいる意味はない。ジョンが建て付けの悪い扉を強引に開けながら、そう思った時だった。

 最後の部屋には相変わらず埃が堆積していた。ガラスの割れた窓、天井の隅に張った大きな蜘蛛の巣、壁に描かれた「18」という文字。そして、その下に蹲うずくまる――キャソックを着けた屍蝋化しろうかした死体。
 ホワイトチャペルの教会の神父だ――ジョンは直感的にそう思った。死体に近付いて観察すると、その一部は白骨化が進んでいた。死後数ヶ月は経過している。遺体を引っくり返すと、キャソックの背部に複数の穴があった。恐らく刃物で何度も何度も刺された痕だろう。

 ジョンは顔を上げ、壁に殴り書きされた「18」を睨む。悪魔を示す「666」。その「6」を3つ足し合わせた忌数いみかずだ。描くのに使った塗料は血……だろうか。死体を見下ろす黒いそれは、乾いた血を連想させた。

 まるで、自分達の仕業だと、悪魔が笑っているようだった。

 技師が渡した名刺に記された住所、そこに捨てられた神父の死体。「ハリエット」が問題を起こせば、やがてここに誰かが辿り着くのは明白だった。つまりは、挑発。お前達に自分を捕らえられるものかと、影がほくそ笑む。

「……ナメやがって」
 ジョンは怒りに任せて文字の書かれた壁に拳を叩き付けた、その直後だった。

 ――背筋を刺す「敵意」。ジョンが立てた物音に驚いたかのように、ほんの一瞬だけだが、明らかな敵意を外気に晒した何者かが、ジョンの背後にいた。
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