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神父は微笑む
「こんにちはルーシュカ。僕は神父のイヴァンと言います。」
「……」
戸の前にいたのは細身の神父だった。
薄茶色の髪の下に柔和な表情をして、彼はルーシュカの到着を待っていたらしかった。
その端整な顔立ちと滲み出る性格の良さに、ルーシュカは想定との違いを感じて少したじろぐ。てっきり屈強な門番のような男が待ち構えていて、到着するなり鼻で笑われたり厳しい視線を向けられると思っていたのだ。
イヴァンはそれとは真反対の・花の揺ら立ちのような姿勢をしていた。
「君はここで、聖職者としての奉仕活動を課されたと聞いています。この教会は更生施設みたいなものだけど、中身は普通の教会と変わらないから安心してね。敬虔な信徒として、神に身を捧げてください。」
「……」
「ルーシュカはシスターになります。服は後で渡すけれど…今までのところで何か質問はある?」
しかし卑屈となった美青年は、それに色めき立つほどの気持ちがもはや残っておらず。
ルーシュカは億劫にイヴァンを見て、返事もせずに視線を逸した。そのまま神父を腕で押し退けると、「俺は神に従事するつもりなんてない」と一言だけ伝え室内に入っていく。
イヴァンに苛立ちをぶつけた所で、無意味だとはルーシュカも分かっていた。むしろ彼は、貴族社会から弾かれた罪人を押し付けられた被害者だ。
そこまで分かっていても……しかし今更正しくなる気も起きなかったし、愛想をまこうとも思っていなかった。
そのまま愛想を尽かされて欲しいし、役立たずだと判断されて欲しい。そのうち教会からもさえ追い出されたら、それで終わりで良いとすら思う。
悲劇の断罪はルーシュカをひどく自暴自棄に・破滅的にやさぐれさせていた。
「ま、待って、ルーシュカ。お話を聞いてよ」
「聞かない」
「けど、君は今日付けでこの教会のシスターです。教会のことを何も知らないと困っちゃうよ」
「困らない」
「第一まず、自分の部屋がどこかも分からないでしょ」
「分かるよ。どうせ物置か屋根裏か過去に人が首吊った部屋が俺の部屋でしょ」
ルーシュカはそう言って部屋に入ると、そのまま出てこなくなってしまった。イヴァンの「そんな訳ないのに……」という独り言虚しく、沈黙だけが返答である。
そこは普通の部屋だったが、貴族からしたら物置も同然なのでルーシュカは気付かないらしい。
イヴァンは立ち尽くす。
彼はどうもこうなるのを想定していなくて、イヤ想定はしていたのだが……、まさかこうも皮肉で虚無のようになっているとまで思っていなかったので、困ってしまった。
「ルーシュカ、安心してね。君に意地悪を言う人はどこにもいません。実は今この教会は、僕と君しかいないんだ」
「……そうだろうね。罪を犯す貴族なんて早々いない。修道院送りになる奴なんてもっといない……」
「それは、でも。その…神に従事するのは、素敵なことだと思います。見守っていただけるし、今日明日の幸福を授けてくださるし、罪を赦してくださるよ」
「だから懺悔しろって?神に告解し、害したものに赦しを乞えと?ふざけないで」
「別に懺悔しろなんて言ってないよ。ただ君を幸せに……、うん、説明をしたいな。入るね。」
仕方がないので、無理やり部屋に押し入る。
ベッドの上で丸まっていたルーシュカを引っ張り出し、イヴァンはシスター服を渡す。
その場で突き返されたが、強引に着せようとすれば彼は存外大人しかった。従う気は無いが、反発を貫くほどの意思がある訳でも無いらしい。抵抗するのも、おそらく動くことすらも煩わしいのだ。
つまり戦意が喪失しており、ともすれば気力もほとんど無い。
ロザリオのチェーンが首にかかるのを見つめる美青年に、イヴァンは「何をされたらこんな顔色になるのだろう…」と思う。
ルーシュカの頬には、血管に消毒液が流れているような、無機質な生気の悪ささえあった。それは整えられていない訳ではなくて、むしろ整えるために削られすぎてしまったみたいに見える。
よほどの辛い思いをしなければ、このような顔付きにはならないのではないだろうか。
悲壮的で、不健康で。
まるで人生で一度も、幸せだった瞬間の無いような。……
「神父様」
ルーシュカの声は咎めるものだった。
「シスター服を着ました。ご丁寧にベールまで被らされたけど……もう気は済んだ?」
「え。あ、済んでないよ。お仕事の説明をします」
「……神に従事する気は無いって言ったけど。これに呆れるなら、見捨てた方が話が早くて良いんじゃない。」
「見捨てません。」
イヴァンが言い切った。
彼はルーシュカを見て、その骨張った指を手に取る。
途端に引っ込められそうになった手を、強く握って訴えかける。
「見捨てないよルーシュカ。君はシスターで、神の子だ。神の子は等しく隣人で、聖職者は隣人を愛するものです。」
その言葉にルーシュカはひどく鳥肌の立つような顔をして……しかし最後に、傷付いた表情を浮かべた。
イヴァンは「あ、」と思う。
生理的に受け付けられない綺麗事に対して、嫌悪感を顕にするようなしかめ面。そこから読み取れるのは、おそらく自分が、彼の機嫌をすさまじく害したという事だ。
けれどきっと、たったそれだけではないのだろう。
機嫌を逆撫でされた「程度」では、人間はこんな苦しい顔をしない。ルーシュカに浮かんでいたのは、コンプレックスを刺激された際の恐怖の面立ちだ。
イヴァンはそれに、胸が痛くなるような心地がした。
多分ルーシュカにはとてつもなく悲しい物語があったのだと思う。
愛というものの薄ら寒さを、突きつけられてしまうような出来事が。
それは婚約破棄の話かもしれないし、親からの愛や、友人との愛や……もしかしたら他にも何か。イヴァンはルーシュカでは無いから、実際のところを知れる訳ではないけれど。
無償の愛なんて存在しないと、思い込んでしまうに等しい出来事が、ルーシュカには起こったのだ。
そうでなければこの傷付いた表情に理由がつかない。
(僕だったら、どうやって彼を救えるのだろう?)
「……仕事を、教えるね。とは言っても僕一人でも運営出来てしまっていたような教会だから……実はそんなに仕事が多くもなければ難しくも無いんだ。ルーシュカは優秀だから、きっとすぐに慣れてしまうよ」
「……?」
イヴァンは話を取り替えた。
ルーシュカの腕を簡単に掴み直して、仕事を教えるために連れ出す。
ルーシュカは無理やり動かせば抵抗はしないと分かっているから、やはり引っ張れば自動的に付いてきた。
籠城をされるよりも行動が起こしやすいので、その点は手がかからないのかもしれない。
まぁ、手放しに喜べるような事態では無いが。
イヴァンに掴まれるルーシュカの腕は、強張ってすらいなかった。完全に脱力して、されるがままに、手首は無気力にぶら下がっている。
イヴァンはそれが、たまらなく悲しい事だと思った。
抵抗する子は、自分の意思がまだある。自分の心を押し通したいという気力があるから、この先のビジョンもある。要するに生きる希望みたいなものが存在する。手や身体に力が籠もる。ルーシュカにはそれが無いのだ。
だから彼は、自分がもうどうなったっていいと思っている。
自棄を起こして、投げやりで。
きっとこの後イヴァンが彼を刺したり、水に沈めたり、突き落としたりしても、あぁそうという表情のまま死んでいくのだろう。
怒りもせず、無感嘆に。
自分の死が、風景のひとつでしかないような。
…そんな寂しいことが、有っていいはずないのに。
「……」
戸の前にいたのは細身の神父だった。
薄茶色の髪の下に柔和な表情をして、彼はルーシュカの到着を待っていたらしかった。
その端整な顔立ちと滲み出る性格の良さに、ルーシュカは想定との違いを感じて少したじろぐ。てっきり屈強な門番のような男が待ち構えていて、到着するなり鼻で笑われたり厳しい視線を向けられると思っていたのだ。
イヴァンはそれとは真反対の・花の揺ら立ちのような姿勢をしていた。
「君はここで、聖職者としての奉仕活動を課されたと聞いています。この教会は更生施設みたいなものだけど、中身は普通の教会と変わらないから安心してね。敬虔な信徒として、神に身を捧げてください。」
「……」
「ルーシュカはシスターになります。服は後で渡すけれど…今までのところで何か質問はある?」
しかし卑屈となった美青年は、それに色めき立つほどの気持ちがもはや残っておらず。
ルーシュカは億劫にイヴァンを見て、返事もせずに視線を逸した。そのまま神父を腕で押し退けると、「俺は神に従事するつもりなんてない」と一言だけ伝え室内に入っていく。
イヴァンに苛立ちをぶつけた所で、無意味だとはルーシュカも分かっていた。むしろ彼は、貴族社会から弾かれた罪人を押し付けられた被害者だ。
そこまで分かっていても……しかし今更正しくなる気も起きなかったし、愛想をまこうとも思っていなかった。
そのまま愛想を尽かされて欲しいし、役立たずだと判断されて欲しい。そのうち教会からもさえ追い出されたら、それで終わりで良いとすら思う。
悲劇の断罪はルーシュカをひどく自暴自棄に・破滅的にやさぐれさせていた。
「ま、待って、ルーシュカ。お話を聞いてよ」
「聞かない」
「けど、君は今日付けでこの教会のシスターです。教会のことを何も知らないと困っちゃうよ」
「困らない」
「第一まず、自分の部屋がどこかも分からないでしょ」
「分かるよ。どうせ物置か屋根裏か過去に人が首吊った部屋が俺の部屋でしょ」
ルーシュカはそう言って部屋に入ると、そのまま出てこなくなってしまった。イヴァンの「そんな訳ないのに……」という独り言虚しく、沈黙だけが返答である。
そこは普通の部屋だったが、貴族からしたら物置も同然なのでルーシュカは気付かないらしい。
イヴァンは立ち尽くす。
彼はどうもこうなるのを想定していなくて、イヤ想定はしていたのだが……、まさかこうも皮肉で虚無のようになっているとまで思っていなかったので、困ってしまった。
「ルーシュカ、安心してね。君に意地悪を言う人はどこにもいません。実は今この教会は、僕と君しかいないんだ」
「……そうだろうね。罪を犯す貴族なんて早々いない。修道院送りになる奴なんてもっといない……」
「それは、でも。その…神に従事するのは、素敵なことだと思います。見守っていただけるし、今日明日の幸福を授けてくださるし、罪を赦してくださるよ」
「だから懺悔しろって?神に告解し、害したものに赦しを乞えと?ふざけないで」
「別に懺悔しろなんて言ってないよ。ただ君を幸せに……、うん、説明をしたいな。入るね。」
仕方がないので、無理やり部屋に押し入る。
ベッドの上で丸まっていたルーシュカを引っ張り出し、イヴァンはシスター服を渡す。
その場で突き返されたが、強引に着せようとすれば彼は存外大人しかった。従う気は無いが、反発を貫くほどの意思がある訳でも無いらしい。抵抗するのも、おそらく動くことすらも煩わしいのだ。
つまり戦意が喪失しており、ともすれば気力もほとんど無い。
ロザリオのチェーンが首にかかるのを見つめる美青年に、イヴァンは「何をされたらこんな顔色になるのだろう…」と思う。
ルーシュカの頬には、血管に消毒液が流れているような、無機質な生気の悪ささえあった。それは整えられていない訳ではなくて、むしろ整えるために削られすぎてしまったみたいに見える。
よほどの辛い思いをしなければ、このような顔付きにはならないのではないだろうか。
悲壮的で、不健康で。
まるで人生で一度も、幸せだった瞬間の無いような。……
「神父様」
ルーシュカの声は咎めるものだった。
「シスター服を着ました。ご丁寧にベールまで被らされたけど……もう気は済んだ?」
「え。あ、済んでないよ。お仕事の説明をします」
「……神に従事する気は無いって言ったけど。これに呆れるなら、見捨てた方が話が早くて良いんじゃない。」
「見捨てません。」
イヴァンが言い切った。
彼はルーシュカを見て、その骨張った指を手に取る。
途端に引っ込められそうになった手を、強く握って訴えかける。
「見捨てないよルーシュカ。君はシスターで、神の子だ。神の子は等しく隣人で、聖職者は隣人を愛するものです。」
その言葉にルーシュカはひどく鳥肌の立つような顔をして……しかし最後に、傷付いた表情を浮かべた。
イヴァンは「あ、」と思う。
生理的に受け付けられない綺麗事に対して、嫌悪感を顕にするようなしかめ面。そこから読み取れるのは、おそらく自分が、彼の機嫌をすさまじく害したという事だ。
けれどきっと、たったそれだけではないのだろう。
機嫌を逆撫でされた「程度」では、人間はこんな苦しい顔をしない。ルーシュカに浮かんでいたのは、コンプレックスを刺激された際の恐怖の面立ちだ。
イヴァンはそれに、胸が痛くなるような心地がした。
多分ルーシュカにはとてつもなく悲しい物語があったのだと思う。
愛というものの薄ら寒さを、突きつけられてしまうような出来事が。
それは婚約破棄の話かもしれないし、親からの愛や、友人との愛や……もしかしたら他にも何か。イヴァンはルーシュカでは無いから、実際のところを知れる訳ではないけれど。
無償の愛なんて存在しないと、思い込んでしまうに等しい出来事が、ルーシュカには起こったのだ。
そうでなければこの傷付いた表情に理由がつかない。
(僕だったら、どうやって彼を救えるのだろう?)
「……仕事を、教えるね。とは言っても僕一人でも運営出来てしまっていたような教会だから……実はそんなに仕事が多くもなければ難しくも無いんだ。ルーシュカは優秀だから、きっとすぐに慣れてしまうよ」
「……?」
イヴァンは話を取り替えた。
ルーシュカの腕を簡単に掴み直して、仕事を教えるために連れ出す。
ルーシュカは無理やり動かせば抵抗はしないと分かっているから、やはり引っ張れば自動的に付いてきた。
籠城をされるよりも行動が起こしやすいので、その点は手がかからないのかもしれない。
まぁ、手放しに喜べるような事態では無いが。
イヴァンに掴まれるルーシュカの腕は、強張ってすらいなかった。完全に脱力して、されるがままに、手首は無気力にぶら下がっている。
イヴァンはそれが、たまらなく悲しい事だと思った。
抵抗する子は、自分の意思がまだある。自分の心を押し通したいという気力があるから、この先のビジョンもある。要するに生きる希望みたいなものが存在する。手や身体に力が籠もる。ルーシュカにはそれが無いのだ。
だから彼は、自分がもうどうなったっていいと思っている。
自棄を起こして、投げやりで。
きっとこの後イヴァンが彼を刺したり、水に沈めたり、突き落としたりしても、あぁそうという表情のまま死んでいくのだろう。
怒りもせず、無感嘆に。
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