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下町幽霊珈琲店『マスカレード』

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 「...い、...きろ!おい!」
 ?誰か呼んでる...?どうせまたあの声だろう。
「おい、お前!しっかりしろ!」
うるさいなぁ、静かにしてよ...
今度はペチペチと軽く頬を叩かれる。
「んぅ?」
目を開けるとそこには、黒髪で短髪の大きな男の人がいた。
「あれ...?」
見渡すとカフェのような内装が目に入った。椅子やテーブルをこげ茶色で統一した、シックな雰囲気だ。店全体がコーヒーのいい香りで満たされている。
私は客席であろう長椅子に寝かされていて、頭上では年季の入ったファンが回っている。
「お、起きたな。大丈夫か?」
私が長椅子の上で上体を起こすと、少しかすれた低い声が聞こえた。
声の主は私の頬を叩いた(と思われる)、端整な顔立ちの黒いカフェエプロンをした男性だ。
彼は厨房らしきところから湯気のたつマグカップを持ってきて、私に無言で寄こした。
「あ、ありがとうございます」
私は会釈をしながらマグカップを受け取る。ほかほかと丁度いい温かさのカップからは、ココアのような匂いが立ち上っていた。
「ここは下町珈琲店『マスカレード』。俺はここの店主で天野聖。けして怪しい者じゃない。たまたま店の外を見たら君が倒れるのが目に入ったんでな。ここに運んだんだ」
 そう言いながら彼は近くの椅子を引きずってきて私のそばに腰かけた。
「ありがとうございました。私、及月慧乃っていいます。高校2年生です」
 (ああ、倒れた理由とか聞かれるかな)
「君ね...あ、慧乃だっけ。慧乃ちゃん、君ね、気をつけないといけないぞ」
「え...?あの、」
 それはどういうこと、そう言いかけた私を、彼ー天野さんーは手で制した。心を見透かされているような気がするほど、彼は私と視線を合わせてきた。
「ストレス。それも巨大な。そうだな...誰かが亡くなったから、とか」
 私は絶句した。
(な、なんでそんなこと...)
「いや、今のは聞かなかったことにしてくれ。見ず知らずの人にこんなこと言われても困るよな、すまない」
 そう言って天野さんは気まずそうに私から視線を外しながらコーヒーをすすった。
「いえ...あの、なんで分かったんですか」
 私は自分の膝を見るように下を向いてぽつりと言った。
すると彼は一瞬驚いた顔つきになり、視線を空中に漂わせた後、私に視線を戻した。
 私は彼の視線が自分に向いていることは分かっていたが、それでも彼と目を合わせる勇気はなかった。
 「俺ね、匂いで分かるんだ。霊とか、そういうの。霊感強い人って、たまに聞くでしょ。俺は見えないけど、その類いなんだ」
 信じられないと思うけど、と彼は付け足した。
 私はハッとして顔を上げた。
「い、今、なんて言いました?」
「え?信じられないと思うけど、って...」
「そこじゃない、その前!」
 私の剣幕に若干おののきつつ、彼はゆっくりとした言葉で繰り返した。
「俺は、匂いで霊とかが分かるんだよ」
  (ああ、私だけじゃなかったんだ)
 そう思った途端、視界がぼやけた。
 (な、なんで涙が...)
 知らない人に、泣いているところなんか見せまいとゴシゴシと目を擦ってみるが涙は後から後から出てきた。
 天野さんは店の奥からティッシュ箱を持ってきてくれ、私の横においてくれた。
「あの、私も、その...聞こえるんです。霊かどうかは分からないけど、死んだ人の声とかが。笑乃、姉が亡くなってから」
 私は自然と話し始めていた。この人になら、話しても良いと思った。
ふぅん、と彼はうなずき、1口コーヒーを口に含んだ。
「なるほどね。それって、いつも聞こえる感じなのか?」
「あ、はい。そうです」
 すると彼はニヤリと笑い、
「今はどうかな?」
と言った。
 そこでふと、私はこの店内がえらく静かなことに気がついた。
 優しく流れるクラシックのBGM、頭上で回るファンの小さな音、コーヒーを淹れるためのお湯が沸くコポポ...という音。
「あれ...?何もいない?」
 私を悩ませていた、あの声が聞こえないのだ。
 家にいても学校にいても絶えず聞こえていた声がまったくない。
「気づいたか。この珈琲店はな、別名・下町幽霊珈琲店『マスカレード』っていうんだ。その名の通り、霊的なモノと人を繋ぐカフェなんだよ」
 (霊的なモノと人を繋ぐ...)
 笑乃の姿は、この人に感じてもらえているのだろうか。笑乃は私の傍にいるらしいのだ。しかし私には聞こえない。1番聞きたい、笑乃の声だけが聞こえないのだ。
「あの、ここに女性がいるはずなんですが、分かりますか」
 私は思いきって天野さんにそう訊ねた。
 すると彼はこくんとうなずき、
「この女性は慧乃ちゃんのお姉さんかな」
と言った。
 (ああ、ちゃんと笑乃を分かってくれる人がいるんだ。私ではない、誰かだけど)
「その通りです。姉は及月笑乃といいます」
 私は全部話した。両親のこと、祖母のこと、笑乃のこと、そして叔父さんの家でのこと。同情してもらおうとか、そんな気はさらさらなかった。
 ただ単に、誰かに話を聞いてもらいたかったのだ。
 途中から、1度引っ込んでいた涙が堰を切ったように溢れ出した。辛い事実も、自分の気持ちも全部涙に乗って流れ出ていくような気がした。
 私が話している間、彼は一切口を挟まず、時折うなずきながら聞いてくれた。
 話し終えると、店内は静まり返り、私の嗚咽だけが響いているように感じられた。
 彼も何も言わない。
 私も、何も言わない。
 その沈黙を先に破ったのは天野さんだった。
「よくがんばったな」
という言葉とともに大きくて暖かい手が私の頭の上に乗せられた。
 そのままヨシヨシとなでられる。
 恥ずかしいやらほっとするやらで私は黙って頭をなでられ続けていた。
 その時、入口のドアが大きく開いた。
「やっほぉ...って何してるにゃー!?」
 叫び声と同時に私の目の前に座っていた天野さんを椅子からはじき出したのは、私と同じくらいの年齢に見える女の子だった。
「聖~ダメだよ犯罪は」
 女の子の後ろから店に入って来た男の人は椅子から追い出されて床に倒れた天野さんに声をかけた。
「いってぇな、犯罪なんてしてねーよ」
床にしたたかに打ちつけた腰を擦りながら天野さんが立ち上がった。
「あー騒がしくして悪かった。俺を突き飛ばしたのが宮田夜虹。で、こっちの男が俺の従兄で天野匡」
 仏頂面のまま、天野さんは私に2人を紹介してくれた。
 夜虹、と呼ばれた女の子は猫耳付きの黒いパーカーのフードを被り、きれいなアーモンド形の目をしたかわいい子だ。どことなく猫を彷彿とさせる雰囲気がある。
 匡、と呼ばれた男性は、明るい茶色に染められた少し長めの髪を後ろで一括りにしている。天野さんの従兄だというが、天野さんとは似ても似つかないかんじだ。しかし2人とも端整な顔立ちをしている。
 「で、聖が手を出そうとしていたこの女の子は誰だにゃー」
 夜虹さんが私の方を観察しながら天野さんに聞いた。
「『マスカレード』の前で倒れてた女の子。及月慧乃っていうらしい。高校2年生だそうだ。あと、手出そうとしてない」
「高二かぁ。若いねぇ」
 しみじみとした様子で匡さんが言った。
「匡、変態だにゃ。さっさと失せろ!」
「え、ひどくない?」
 夜虹さんの鋭いツッコミ。それに匡さんがオーバーな反応をしてみせる。
 夜虹さんは語尾に「にゃー」を付けるのが癖なのだろうか。普通の子がやってもイタイだけだが、不思議と夜虹さんには合っていた。
「夜虹さんはこのカフェの常連さんなんですか?」
「夜虹、でいいにゃ。あとタメ語で!私は常連というよりは、君みたいに来るべくして来たクチにゃ」
 (来るべくして来た...ということは、私がこのカフェの前で倒れたのも、夜虹がカフェに来たのも偶然ではないってこと?)
 珈琲店『マスカレード』は霊的なモノと人を繋ぐ店らしいが、どんなことをしているのかは不明なままだ。
 後から来た2人も近くの椅子に腰かけ、天野さんに飲み物を注文している。匡さんはブラックコーヒー、夜虹はカフェオレらしい。
「ところで、このカフェに来れたってことは君も何かあるんだね?」
 匡さんが柔和な笑みを浮かべて私に聞いた。
 しかし、私が答えるよりも先に夜虹が口を開いた。
「私の見立てでは~ズバリ!慧乃は《聞こえる》人!それも、ここ1年ぐらいで始まった。原因は、そこにいるお姉ちゃん?かな」
 ...びっくりした。先ほど天野さんに当てられた時よりも細かく指摘された。
「私は《見える》人なんだにゃ。匡は《感じる》人。《感じる》っていうのは、なんていうの?風向き?的なやつからそこにいるなー、みたいな!」
 ん、んん?
 夜虹は満面の笑みで説明してくれたが、さっぱり理解できない。
「おい夜虹。お前もっと分かりやすく説明できないのかよ」
 2人分の飲み物を作ってきた天野さん(いいや、聖さんって呼ぼう)が夜虹に言った。聖さんは夜虹の頭の上にカップを乗せながら匡さんの方に向き直った。
「匡、自分で説明しろ。くれぐれも分かりやすくな」
 匡さんは聖さんからカップを受け取りつつ「へーい」と返事をした。
「んーと、僕が《感じる》人だっていうのはさっき夜虹が言ってたでしょ。《感じる》ってのは...そうだな、慧乃ちゃんさ、自分の横を何かが通り抜けていった時に風が動いたのを感じた覚え、あるよね」
 私はこくこくと頷いた。
「僕はその感覚で、霊の動きも感知できるみたいなんだよね。本来、霊っていうのは空気みたいな存在で、全速力で移動しようが全力で踊ろうが風は動かないはずなんだけどね」
 全力で踊る霊...私はとっさに骸骨がルンルンとフォークダンスを踊っているイメージをしてしまい、吹き出した。
 その時だ。バチィンッと大きな音が店中に響き渡り、店の明かりという明かりが全て落ちた。外はもう暗くなっている時間帯で、店の中はあっという間に暗闇に包まれてしまった。

 
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