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第30話 Mona dama Mexicana!④
しおりを挟む『死者の日』――スペイン語でディア・デ・ムエルトス。そして英語ではデイ・オブ・ザ・デッド。
家族や友人、恋人が故人への思いを馳せて語り合う祝祭日である。
見習いシスター、フランチェスカがメキシコに奉仕活動に来たのはまさにその最中であった。
11月1日。グアナフアト州の州都、グアナファト――。
ただでさえ建物に彩られた極彩色で目眩を覚えるのに、その日は街中が献花のマリーゴールドで飾られ、至るところにカラフルなドクロが。
道路では顔にマスクやドクロのペイントが施された地元民が練り歩き、マリアッチの奏でる陽気な音楽に合わせて踊る。
「すみません! 通してください!」
陽気な音楽と熱気に包まれるなかでたったひとり、シスターフランチェスカは焦燥感を露わにして人混みをかき分けていく。
事の発端は30分前――
「あの子が、ミゲルが見当たらないの!」
マリアおばさんが悲痛な声で胸に手を当てながら神の名を口にする。
「きっとあの子、地上げ屋に連れていかれたのよ! あの子正義感強いから……!」
聞けばフランチェスカが奉仕にやってきたこの孤児院はたびたび地元のマフィアから立ち退きを要求されており、ミゲルは彼らに反抗したのだ。
「警察に知らせないと!」
「メキシコの、それも地元の警察なんて当てにならないわよ! あいつら、事件が目の前で起こらない限り動きゃしないんだから! フランチェスカ、どこへ!?」
「ミゲルを連れ戻してくる!」
マリアおばさんの「フランチェスカ!」と叫ぶ声を無視して、見習いシスターは街中へと駆けていく。
†††
人が多いわね……!
砂漠のなかから針を探すとまではいかないにしても、この人混みでは困難を極める。
「ミゲル! 返事して!」
それはほんの偶然であった。マリアッチの奏でる曲の合間に子どもの、悲鳴に似た叫びが微かに聞こえたのは。
見れば数メートル先にミゲルが男に口を押さえられ、路地裏へと連れ込まれるのが見えた。
「ミゲル!」
颯爽と駆け、角を曲がると黒のビートルにミゲルが押し込まれている。
「おとなしくしろ!」
マフィアの男がそう声を荒げ、運転席に腰を落としてギアを入れようとした途端、ドアがいきなり開かれた。
「なんだお前」
返答の代わりに顎に決まった見習いシスターの右ストレートで沈黙し、次いで頭をハンドルに叩きつけてとどめの一撃。
「ミゲル! 大丈夫!? ここから出るわよ!」
助手席のドアから脱出し、フランチェスカと合流する。
「ありがとう! おねえちゃん!」
「礼は後回しよ。いまはここから離れないと……!」
「おい!」
後ろからの怒声で振り向く。もうひとりのマフィアの男がこちらを指さしながらわめき散らす。
上着の内側から拳銃を取り出すのが見えた。
「逃げるのよ!」
ふたりが角を曲がるのと同時に、銃弾が壁を掠め、銃声はマリアッチの音楽や騒音にかき消された。
「おい起きろ! あのガキどもを捕らえるんだ!」
運転席で気絶していた相棒を荒っぽく起こして助手席へと回る。
「なんとしてもあのガキを人質にするんだ!」
†††
路地を駆け抜けるふたりはやがて息切れし、止まって呼吸を整える。
「追ってこないみたいね……」
このまま警察署に……
「ねーちゃんあれ!」
ミゲルが指さす先にはさっきのマフィアが乗っていた車だ。窓からもうひとりの男がこちらに銃口を向けている。
まずい……!
前を向くと旧型のバンに老人が乗り込もうとするところだった。
フランチェスカが駆けよる。
「あたしたち追われてるの。警察署までお願い!」
だが老人は追跡者が拳銃をこちらに向けているのに気付くと逃げ出してしまった。
「ちょっと!」
クソ!
悪態をつく間にも距離はだんだん縮む。考えているヒマなどない。
「ミゲル、乗って! 乗るのよ!」
フランチェスカに急かされ、助手席に座ったときには見習いシスターは運転席に腰を下ろしていた。
「こうなったらあたしが運転するしかないわね! シートベルト締めて!」
幸いキーは差し込まれたままだ。回すとエンジン音がぶるるっと年老いた牛のような唸り声を。
「ええと、まずはギアを……」
ギアを入れるが動かない。
「ねーちゃん、マニュアルだから! クラッチ踏まないと!」
「クラッチ? あ、このペダルね!」
ミゲルが指さすペダルを踏みながらギアを。動いたが、ガタンガタンと揺れるだけだ。銃弾がバンの後部に命中する。
「そっか! サイドブレーキ!」
レバーを上げるとバンは動き出した。
「ねーちゃん免許もってないの!?」
「ないわ! やりながら覚えるメキシコ式でいくわよ!」
路地裏を出た。依然として路上は仮装した地元民で溢れている。何度もクラクションを鳴らす。
「どいて! どいてちょうだい!」
ただならぬ事態に気付いてようやく道を空けはじめる。
アクセルを目いっぱい踏んで追跡者との距離を少しでも離そうとするが、それで銃弾が当たらなくなるわけではない。
バックミラーに命中して破片が飛び散る。
「ミゲル伏せて!」
ひぃいっと悲痛な声をあげながら頭を低くする。後部の窓はすでに割られてそこから銃弾が絶え間なく降りかかる。
このままなんとか警察署に……!
そう思った途端、音が鳴った。スマホの着信音だ。
「もう誰よ!? こんな時に!」
スマホを取り出して画面を確認した途端、フランチェスカの顔が青ざめる。
げっ! マザーじゃん!
定時報告をすっかり忘れていたフランチェスカは通話をタッチして耳に当て、片方の手でハンドルを握る。忘れたらタダでは済まない。
「もしもし? フランチェスカ?」
「マザー、すみません! 報告忘れてました!」
「なにか騒がしいようですが、なにかあったのですか?」
「死者の日の祭りです!」
「ああ、それで。そういえばメキシコではその時期でしたね」
この緊迫した状況とは相対的にマザーがのほほんと納得する。
フロントガラスが蜂の巣になり、割れて視界が一気に開ける。
「きゃあっ!」
「ひいっ!」
車内にふたつの悲鳴。だが止まるわけにはいかない。
「もしもし? いまのはいったい……?」
「大丈夫です! 子どもがイタズラで爆竹を鳴らしただけです!」
「そうですか。そろそろ切りますが、お務めはしっかり果たすのですよ? シスターフランチェスカ」
「ええ! 今もしっかり務めてますわ! 現在進行中で!」
「よろしい」を最後に通話が切れる。
「もう! あのババアは空気ぜんぜん読まないんだから!」
追跡者はだんだんと距離を詰めていく。このままだと追いつかれるのは時間の問題だ。
なんとかしなきゃ……!
ちゃぷんと水の跳ねる音。見ると運転席と助手席の間のコースターに入ったペットボトルが振動で揺れている。
前方に目を戻すと飲食店の店先にメキシコの旗が風になびくのが見えた。
「ミゲル、あの旗とって!」
「なんで!?」
「いいから!」
ハンドルを右に切って旗に手が届くようにする。ミゲルが掴むのと同時に軒先のテーブルを跳ね飛ばす。
「おい! この泥棒!」
店主の怒声は後続の車の銃声でかき消される。
「いったいなにがどうなってるんだ!?」
旗を取ったミゲルがフランチェスカに手渡そうとする。
「そのペットボトルで濡らして!」
「わ、わかった!」
キャップを外して全体的に回しかける。
フランチェスカがサイドミラーに目をやるとビートルはもうすぐそこまで来ていた。
次の瞬間には銃弾でサイドミラーが無用の長物に。
「ねーちゃん出来たよ!」
「グラシアス! 伏せてて!」
受け取ろうとした途端、左側から衝撃が。
体当たりされたのだ。
「……っう!」
助手席から銃口がこちらを向く。
「やったわね!」
ハンドルを左に切ってやり返すと男が拳銃を手にしたまま運転席につんのめる。
「今だわ!」
濡れてびしょびしょになった旗をフロントガラスに叩きつけるようにする。
「前が見えねぇ!」
フロントガラス一面にはメキシコの国章――サボテンの上でヘビを咥えた鷲が。
そのままビートルを壁に挟むようにしてハンドルを切ると、ガリガリと削られる音が。
「このアマがぁ!」
拳銃を構え直したのを機にフランチェスカがブレーキを踏み、旗を闘牛士のムレタよろしく翻す。
視界が開けた前方には鉄格子の門ーー警察署が。
「――――ッ!!」
声にならない叫びをあげるふたりを乗せたビートルは門に直撃!
すぐに数人の警官が駆けつけ、拳銃を手に取り囲む。
「オーレ! これならさすがに警察も動くでしょ。さぁ厄介事に巻き込まれる前に逃げるわよ」
「う、うん……」
ハンドルを切ってふたりはその場を後にした。
「――とまぁ、こんなことがあったってワケ」
事のあらましを聞いた小さな聴衆はあんぐりと口を開けたままだ。驚きというよりは呆れていると言ったほうがいいかもしれない。
「だからこの話はみんなには内緒よ♡」
「言ってもだれも信じないよ……そんなの」
リカルドがそうこぼすと他の子達もうんうんと頷く。
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