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第40話 SKYFALL④
しおりを挟むスペイン、ビルバオ――。
七月の眩しい陽光が降りそそぐなか、神学校の院長室にて、ミルドレッド院長は受話器を耳に当てながら応対を。
「そうですか……それは早急に対応しなければなりませんわね……はい、はい。わかりました……」
受話器を卓上の親機に戻してふぅと溜息をつき、椅子にすとんと腰を下ろす。
困りましたわね……誰か、適材な人物は……。
机の横の引き出しからファイルを取りだして、ぱらぱらとめくる。
神学校に在籍している学生のプロフィールが記入されたファイルだ。備考欄をひとりずつ確認していく。
この子は……ああ、ダメだわ。
次のページをめくり、備考欄を見る。細い指でつつ、となぞって確認し、そこで指がぴたりと止まる。
「この子だわ!」
すぐさま受話器を手にし、内線番号を押すとすぐに相手が出た。二言三言交わす。
「火急の用件よ。すぐに彼女をこちらに呼んでちょうだい」
†††
「――最後の晩餐を終えたイエスは弟子たちとオリーブ山へ向かい、そこで磔刑にかけられる前に祈りを捧げました。これが『ゲッセマネの祈り』です。ではマルコによる福音書の14章を開いてください」
講堂にて神学生たちがシスターの指示のもと、聖書のページをめくる。
彼女たちの着ている修道服は見習いシスターのそれだ。
「“彼らはゲッセマネという名の場所にやってきた。彼(イエス)は弟子たちに言った、「わたしが祈っている間、ここに座っていなさい」”」
教師のシスターが朗読しながら講堂を歩く。その時、この場にそぐわない音が聞こえたので足を止める。朗読もぴたりと止まった。
鼾の音だ。犯人はわかっている。
シスターがつかつかと音の元へと向かう。
「起きなさい! シスターフランチェスカ!」
机に突っ伏して寝息を立てる見習いシスターの頭にごつんと、分厚い聖書の角で叩く。
「いっ……! たぁ……」
涙目でたまらずに叩かれた頭を抑える。その周りで同期の見習いシスターたちがくすくすと笑う。
「あなたはいつもいつも! イエスが祈っているそばで居眠りをしたペトロのつもりですか?」
「お言葉ですが、私は彼のように三度も寝てません。こっちはまだ一度しか寝てないんですから」
「誰が上手いことを言えと言いましたか! まったく……あなたは仮にも聖フランシスコ・ザビエルの末裔で、特待生なのですよ? もっと自覚を持ちなさい」
「はーい」とザビエルの末裔が気の抜けた返事をしたので、シスターはますます顔を強ばらせる。
「いいかげんに……!」
そこへコンコンとノックの音で中断された。入ってきたのは別のシスターだ。
「失礼します。シスターフランチェスカはいますか?」
「はい! 私ならここです!」
「院長先生がお呼びです。すぐに院長室へ来るようにとのことです」
院長からの呼び出しと聞いて見習いシスターが、げっと顔を曇らせる。どうせろくでもないことだ。
「ついに院長先生から呼び出しを食らいましたね。こってりと絞られてきなさい」
さぁ、授業を始めますよと言うシスターの背中でフランチェスカがあっかんべーをしたので、見習いシスターたちがまたくすくすと笑う。
シスターが何事かと振り向いたときにはすでに彼女の姿はなかった。
†††
院長室のドアをコンコンとノックして「お入りなさい」と院長の声。
「失礼します」と言って入ると、シスターミルドレッドは執務机にいた。
「よくいらっしゃいました。シスターフランチェスカ。勉学は進んでいますか?」
「いえ、私など神の御心にはまだ理解が及びません」
もちろん一生わかりたくもないけどね、と心の中で思いながら胸の前で手を組む。
「実はあなたを呼んだのは、あなたの力を借りたいのです」
「私が、ですか……?」
「ええ、当校は国内外問わず、奉仕活動をしていることはご存じですね?」
もちろんですとフランチェスカが頷く。奉仕活動は神の教えに基づいて、善意で社会奉仕やボランティア活動などを行っているのだ。
「そのひとりが病気で入院したのです。彼女は国外の学校でフランス語を教えていました」
「なるほど……つまり、彼女の代わりにフランス語を教えて欲しいと、そういうことですね?」
シスターミルドレッドがにっこりと微笑む。
「理解が早くて助かりますわ。なにしろ、あなたはフランス語だけでなく英語も話せますしね」
「国外と言いましたけど、どこなのですか?」
「マラケシュです」
「マラケシュ? マラケシュというと、たしか……」
「ええ、モロッコです。あなたはそこで十日間滞在して、入院した彼女の代わりに授業を進めさせていただきます」
十日間!? おまけにモロッコって田舎じゃん!
「お、お待ちください! 私は勉学に励む身、それに私はアラビア語は話せません……!」
「マラケシュはスペイン語が十分通じます。お願い、あなたしかいないの」
「でも……!」
「フランチェスカ、あなたの希望の赴任先は日本でしたね?」
机の引き出しからファイルを取りだす。
「それと、授業中での居眠り数回、門限を破ること十数回、最近では近隣の学校で聖書の教えをラップにしたとか」
「そ、それは現代のニーズに応えてわかりやすく、かつ流行に乗せてと言いますか……」
「シスターフランチェスカ」とぴしゃりと黙らせる。
「“善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります”(ガラテヤ人への手紙第6章9節)と聖書にもありますよ。引き受けてくだされば、この素行には目をつむりましょう。日本行きも考えてやらないこともありません」
「それは脅しですか?」
シスターミルドレッドがこれ見よがしに目をみはる。
「脅しだなんて、とんでもない。これは懇願ですよ。シスターフランチェスカ」
これ以上は何を言っても無駄だ。しかたなくフランチェスカは首を縦に振る。
「わかりました……引き受けます」
「頼りにしてますよ。シスターフランチェスカ。あなたに神のご加護があらんことを」
十字を切った院長がふたたびにこりと微笑む。
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