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5.始まりの夏休みとけん玉。

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 夏休み前で小学校が早く終わった日のことだった。学校が終わるやいなや帰宅し、けん玉を掴むと、自転車に乗って急いで神社へ向かった。

 拝殿前の段に座って涼みながらけん玉を見つめていると、祖父との思い出が次々とよみがえってきた。
優しかった祖父のことを思い出すと、涙がぼとぼとと落ちてきた。キコは無意識に「家族の前では泣いちゃいけない」としていた。その時は「泣いちゃいけない」とは、一切考えなかった。涙が落ちるのに任せ、大声で泣き始めた。
 体力がゼロになるまで泣き、もう涙も出なくなったキコは「鼻水が気持ち悪いなあ」とは思ったものの、心はすっきりしていた。もう夕方近くなり、森の中もうっすらと暗くなってきた。タオルとTシャツで吸えない鼻水をぬぐいながら、「また神社にこよう」と思っていた。
 姉は真っ赤な目をした妹を見ても、何も言わなかった。母親は子供たちの顔を見る余裕すらなくなっていた。
 明日から夏休み、つまり終業式の日。キコは急いで帰宅し、母親の作った弁当とけん玉をトートバックに入れ、自転車で神社へ向かった。
 神社に着くなり、拝殿前の段に座って、キコは弁当を食べ始めた。食べ終わると立ち上がり、神社の参道の真ん中に立ってけん玉を始めた。

「もし、もし、かめ…」

 10回ほど続いてつっかえ、またやり直そうとしたとき、何かを感じて顔を上げると、鳥居の下に同じくらいの年の男の子が立っていた。
 いつ来ても、誰もいない、誰も来ない場所。
 そういう認識だったので、キコは来訪者に驚いた。誰か来ることもあるんだ、と。それも同じくらいの年の子、もしかしたら遊べるかもしれないと思ったキコは、男の子に声をかけようとした。それより早く、男の子が口を開いた。

「大っ嫌い」
 
 笑顔でそう言った。それがシオンだった。
 この時のキコも、シオンが何を言いたいのかさっぱり分からなかった。でも、本当に笑っているわけではないことは分かった。

「へ…?」

 シオンは笑顔でしゃべりながらキコに近づいてきた。

「だれ?なんでいるの?ここは僕のかくれがなのに。しんにゅうしゃは大っ嫌いだ」
「え…ごめん…じゃない!じ、神社はだれかの物じゃない!わたしがここであそんだっていいじゃないよ」
「よくないね。いままで、だれもこなかったのに」
「わたしがこの間きたとき、きみいなかったよ」
「…これないときもある」

 さみしそうな笑顔だった。キコはこの男の子も、辛いことがあるんじゃないかと思った。

「そうなんだ、ごめん…ねえ、ふたりのかくれがにしない?」
「は?」
「一人より、たのしいとおもう。わたしね、つらいことがあって、もやもやしてたから、ここにきたの。もしかして君もじゃない?つらくて、もやもやしてるんじゃない?もやもやどうし、遊ぼうよ」
「…」
「わたし、なかむらきこ」
「……わたなべしおん」



「わー、小さいときにここで出会った男の子と再会ってさ、ドラマとか漫画みたいじゃない!?やば!!」
「夏休みの間、ほとんど毎日遊んだよね」
「うん。宿題もして、けん玉も…あ、けん玉!『中村さんはけん玉できるの?』って質問も」
「ヒントヒント」
「朝の会話にこんな伏線が…」
「伏線ってもんでもないけど、覚えは良いほうだから、猫のこととか弟のこととか、それとなく会話に挟んでたんだけどね」
「うわーまじか…そういえば、シオン君はあの時、なんで神社に来てたの?私はさっきのような訳だけども」
 シオンの笑顔が消えた。キコはこれこそ、シオンを傷つける発言だったのかと焦り、
「ごめん」
「なんで謝るの。何も悪いことしてないよ中村さんは、昔から」

 そう言うと、シオンはニコニコ顔に戻り、

「僕も似たような理由なんだよ。親が離婚寸前で、暴れる場所が必要だったんだ。1学期の初めごろから、習いごとがない日はあの場所でぼーっとしてた」
「やだ、私と一緒だったのか」
「だからすんなり仲良くなれたのかもね」
「かもね。本当にあの夏休みは最高に楽しかった。あれを超える夏休みはまだ過ごしてないよ」
「あはは、そこまで?」
「そこまで。本当にまじで、超いい思い出なんだ。シオン君との夏休み」



 
 シオンと過ごす時間は、家のことなど無かったかのように楽しかった。
 一緒に図画工作の宿題の絵を描いたり、キコがけん玉を教えてあげたり。キコより物知りなシオンは、神社にいる虫の名前や草花の名前を教えてくれたし、歴史の話もしてくれた。シオンは、あれは何、これは何、それ知りたい、とキコが聞いてくれることがうれしかった。
 遊びにも飽きて、話すこともなくなると、ただ黙って、並んで座っていた。それだけでも楽しかった。
 家に戻ればまた険悪な雰囲気に身を浸すことになるのだが、朝になればまたシオンに会えると思うと、我慢できた。耐えられたのだった。
 一日は光の速さで過ぎ去り、夏休み最後の日になってしまった。明日から学校がはじまり、シオンにあまり会えなくなると思うと、キコはとてもつまらなくて、そしてさみしかった。

「しおん君、学校はじまったら、あんまり神社こられないよね」
「うん。きこも、だろ」
「土日かな」
「うーんどうだろう」
「ふゆやすみ」
「さむそうだ」
「やっぱり土日だ。次の土日にあおうね。けん玉、やり方わすれないように。また貸してあげるから」
「…わすれないよ」

 その日シオンは、習い事があるからと早く帰ってしまった。帰った後にふと、この曜日はしおん君、習い事あったっけ…と一瞬疑問が浮かんだが、それ以上は考えなかった。
 二学期最初の土日、シオンは神社にやってこなかった。
 それからも土日のたびに神社に通ったが、結局冬休みもシオンが現れることはなかった。
 夏に現れる子なのかもしれない、と思ったキコは、2年生の夏休みに改めてやってきた。3年の夏休みも、4年も、5年も。
 しかしシオンは現れなかった。小学校6年生の夏、キコは神社に行かなかった。



「親が離婚して引っ越したからなんだ。夏休み最後の日に引っ越しって、なんか忙しいよね。何も言わずに行かなくなってごめん。ずっと謝りたかった」
「そんな。気にしないでよ。会えたんだもん」
「引っ越すことは分かってたんだけど…さよならって言ったら、一生会えない気がした」
「じゃあ正解だったね!こうしてまた会えたもんね」
「でも、何度も神社に」
「いやいや、あの時サヨナラしてたらさ、今こうして会えてないって!だから謝る必要なし。あ、けん玉はどう?やり方忘れてない?」
「忘れてないよ。今持ってないから披露できないのが残念だ」
「私も持ってない。ってか、けん玉持ち歩いてる高校生あんまいないよね。じゃあ今度、お互い発表しあいましょう。って、私小学生以来やってないから練習しとくわ」
「見せられそうになったら教えて」
「…じゃあ夏休みに」
「え?」
「今年の夏休みも、ここで会おうよ。あの頃みたいに毎日とはいかないけど、今はスマホも持ってるし、お互い都合がいい日連絡しあって」

 シオンは訳の分からない笑顔から、感情がはっきり表れた笑顔に変わっていた。

「うん、うん、会おう。いつ空いてる?」
「ちょっと待ってえ…」
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