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ドラゴンクエスト編

36話 国王、魔界へ

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 状況を把握する事が出来ていないにも関わらず、足音を聞き咄嗟に姿勢を正した国王は、銀騎士達が寝室に足を踏み入れた頃には威厳いげんに満ちた態度をとっていた。

「うほっ!」
 室内で佇む国王を視界に入れて視線が交わると、ひげ面のおっさん騎士が素っ頓狂とんきょうな声をあげる。
 国王の意識が戻ったことは喜ばしい、けれど国王の意識が戻っている事を前提にして考えてはいなかったため寝室の扉をノックする事なく唐突に開いてしまった。

「国王の意識が戻ってる!」
 後の事を考えるよりも先に思った事が口に出てしまう。
ひげ面のおっさん騎士は、ただ考えを口にしただけではなく国王に人差し指の先端を向けてしまった。

「意識を失っていると思っていたのに、空中にプカプカと浮かんでいると思ったのに国王の意識が戻ってる。佇んでるぞ!」
 国王の意識が戻った事を喜んでいいのか、寝室の扉をノックもなしに開いてしまったことを反省するべきか、どちらとも言えない中途半端な表情を浮かべる髭面のおっさん騎士がいまだに人差し指を国王に向けている。
 ひげ面のおっさん騎士を囲むようにして佇んでいる銀騎士達が顔を真っ青にしている事にも気づかずに、思ったことを全て口に出してしまった。
 混乱する髭面のおっさん騎士の態度に特攻隊隊長を務める金髪の女性騎士が、大きなため息を吐き出した。
 フォローを入れるために口を開く。

「ヒビキ様が魔界から戻ってきた時も、そうだったけどテンパりすぎよ。少し落ち着きなさい」
 落ち着きが無いと言葉を続けた金髪の女性騎士が、国王に向けられている髭面のおっさん騎士の指先をはたき落とす。

「ヒビキ様が戻ってこられた時はゲート酔いをして、吐き気を催していたから受け皿を渡しただけじゃん。それが、たまたま高級な壺だっただけで別にテンパってた訳じゃないし」
 唇を尖らせて言葉を続けた髭面のおっさん騎士は強がりを見せる。
 全く反省する様子のない髭面のおっさん騎士に対して金髪の女性騎士は大きなため息を吐き出した。
 どの壺の事を言っているのだろうかと疑問を抱き周囲を見渡した国王が、お気に入りの壺に視線を向けると手に取り片手で持ち上げる。

「高級な壺とは、この壺か?」
 壺を掲げると真顔で問いかけた。
 国王の手にする壺を視界に入れて、明らかな動揺と共に大きく体を揺らした髭面のおっさん騎士が顔面蒼白のまま、チラッと横目に金髪の女性騎士を見て助けを求める。

「や、あのですねぇ」
 国王の目の前で言葉を選ばなかったため髭面のおっさん騎士が自滅じめつする。
 言葉を詰まらせながら金髪の女性に何度も視線を向ける。
 助けを求めて肘で、つんつんと横腹を突っついた。
 しかし、どうする事も出来ないと女性騎士は苦笑する。
 どうやら女性騎士は髭面のおっさん騎士に助け船を出すつもは全く無いらしい。
 疑問に思った事を問いかけただけなのに、周囲を取り囲んでいる銀騎士達が黙りこんでしまったため気まずい雰囲気が流れてしまう。
 国王は居心地の悪さを感じていた。

「ヒビキ様がしゃがみこんで辛そうにしていたから咄嗟にですね。はい、差し出しました」
 怒っていた訳ではないのだけど、真顔で問いかけたため勘違いをさせてしまったのだろうか。
 内心ではヒビキが生きている事実を知り、気を抜けば涙が出てきそうになるほど感情が高ぶっている。
 ひげ面のおっさん騎士が一歩、二歩と足を引きながら力の無い声で呟いた。

「まぁ、別に壺の事は気にしていない。そんなことよりも、人に弱味を見せないヒビキが膝をついていたのか?」
 気まずい雰囲気から脱出をするために、国王が話題を逸らす。
 ヒビキが膝をついている姿など想像もつかなかったため、ひげ面のおっさん騎士に問いかけると肯定するように何度も頷いた。

「はい、だから驚いてしまって壺をですね」

「そうか。ヒビキの事を思って壺を動かしたのなら良い。今、ヒビキは何処にいる?」
 再び髭面のおっさん騎士が壺の話題を出そうとしたため、壺の話を強引に終わらせる。
 実は金髪の女性騎士の言葉を気にしていた。
 ヒビキが帰還した事を伝えてくれた女性に問いかける。

「国王の封印を聞きつけて、すぐにゲートを通って帰還しましたが、その日のうちに魔界に戻ってしまいました」

「魔界に戻ったのか」

「はい。魔界で世話になった方々に礼を言わずに人間界に戻ってきてしまったからと言っていました。それに仲間の敵である木属性のドラゴンが、魔界の迷いの森で発見されたようです。ヒビキ様はドラゴンの討伐に向かったようです」

「ドラゴンの討伐、何故そのような危険な真似を」
 金髪の女性騎士の言葉を復唱する。
 明らかに国王の表情が強ばった。
 ヒビキを強引に縛り付けてでも人間界に引き留めて欲しかったと思う気持ちもある。
 しかし、ヒビキは自由自在に剣を出現させる事の出来る能力を持つため、身体を拘束したとしても簡単に抜け出すことが出来るだろう。

「ヒビキの体調は治ったのか? 怪我は?」

「体調は、すぐに治りましたし怪我も無く元気そうでした」
 息子のヒビキが怪我をしているわけでは無い事を知り安堵する。
 部下に弱っている姿を見せたくはないと考えて、ずっと気を張っていた。
 精神的に随分と参っていたにも関わらず部下に本音を漏らすことも相談する事もしなかった国王が、大きく息を吸い込むと深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
 緊張の糸が途切れたようで国王の身体が、ふらつくと銀騎士達が慌てて国王を取り囲む。
 騎士達に体を支えられるようにして近くのベッドに腰を下ろすと頭を抱え込む。

「箱の中の服を取ってもらえないか?」
 ヒビキの無事を確認することの出来た安心感と、すぐに魔界へ戻ってしまったヒビキの行動力に驚いてしまう。
 同時に押し寄せた不安は魔界の全ての住人が人間に対して友好的かと言われれば、そうではないため魔族が人間の肝を好物としていることは有名な話である。
 ヒビキは無事なのか頭から食われてはいないかと恐ろしい考えが浮かび恐怖心に苛まれる。
 憔悴しきった国王が顔を俯かせたまま金髪の女性騎士に声をかける。

「かしこまりました」
 国王の指差した先に視線を向けてベッドの下を覗き込む。
 両手を、いっぱいに広げると何とか抱え込む事の出来る大きな箱があった。
 箱を開き中身を確認するとボロボロの布と所々、穴の空いている甲冑、壊れた靴が入っている。
 服を取って欲しいと言った国王にボロボロの布を手渡した。

「靴も取ってほしい」
 そして、国王の指示通り壊れた靴を手渡すと。
 国王は一体なにを考えるのか事情を説明する事も無く突然、真っ赤なマントを取り外して着替えを始める。

「まさか、そのボロきれに着替えるつもりで?」
 ひげ面のおっさん騎士が問いかけた。

「ヒビキには直接、会って文句を言ってやらないと気がすまないからな。この姿なら身元がばれる心配もないだろうし。全く人の気も知らないで無事なら無事と連絡の一つもよこせばいいのにさぁ」
 文句を言いながらボロボロの服に着替えた国王が、その場に立ち上がると
「目線が同じ高さだ」
 7センチの靴を脱いだ国王と目線の高さが同じになり、ひげ面のおっさん騎士が本音を漏らす。

「それに、なんだか急に幼くなったと言うか」
 金髪の女性騎士が見た目の変わった国王を、じっくりと眺めながら呟いた。
 国王は所々、破けている布切れを身に纏まとい今にも折れそうな刀を背負っていた。
 ぼさぼさの髪の毛、素足が見えている破けた靴。
 髪の毛が目元を隠してしまっているため国王の表情を見ることは出来ない。 
 しかし、腰に両手を当てて何やら準備運動をしている国王が前のめりになると、続けて大きく体を仰け反らせる。

「さて、魔界に行ってくる。暫くの間、留守を頼む」
 そして、魔界へと通じるゲートと向き合った国王が、ぽつりと考えを呟いたため騎士達はあわてふためく。

「落ち着いてください。もしも、国王の身に何かあったらどうするのですか」
 金髪の女性騎士が慌てて止めに入る。

「逃げ足は早いから大丈夫」

「そう言う問題ではありません。魔界には人の姿をとることの出来る上級の魔物である魔族が大勢いるのですよ」

「あぁ、だから白い角も二本準備をしてある」
 金髪の女性騎士の言葉に反抗する国王が、ポケットの中から二本の白い角を手に取り騎士達に見せる。

「そう言う問題でもなくて」

「もし、私の身に何か良くないことが起こって命を失う事になってしまったら子供達の事を頼みますよ」
 困りきった様子の金髪の女性騎士が黙りこんでしまうと、国王が真剣な面持ちを浮かべて、騎士達に視線を向ける。
 周囲を囲むようにして佇んでいる騎士を一人一人眺めた後、深く頭を下げる。



「防壁」
 騎士達にとっては全く予想外の展開である。
 国王が防御魔法を唱えると、魔界へと通じるゲートを囲むようにして強力な防壁が姿を現した。
 防壁を囲むようにして二重に結界が張り巡らされると騎士達が我にかえる。

「待ちなさい! 結界を張り巡らせた状態では攻撃魔法を発動する事が……確か国王は化け物じみたお方だから出来たわね」
 金髪の女性騎士が国王に命令をするように大声をあげた。
 強力な結界を張り巡らせた状態で攻撃魔法を発動することが出来なくなる事は有名な話。
 国王に注意を促しかけたところで、金髪の女性騎士は過去に見た光景を思い出す。
 何十年も前になるけれど、一度だけ国を囲むほどの強力な結界魔法を発動したまま膨大な量の魔力を消費して氷属性の攻撃魔法、氷柱を発動する国王の姿を見たことがあった。

「部下もつけずに一人で魔界に乗り込む気かよ!」
 ひげ面のおっさん騎士が国王の張った防壁をドンドンと力任せに両手で叩く。銀騎士達にも家族がいる。
 魔族達が生活の拠点をおく魔界は危険と隣り合わせ。連れていきたくはない。

無謀むぼうじゃ!」
 白髭の老人が珍しく大声を張り上げている。
 防壁をドンドンと叩く騎士達の目の前で国王がゲートの中へ足を踏み入れてしまった。
 金髪の女性騎士が崩れるようにして膝をつく。
 白髭の老人が大きなため息を吐き出し、ひげ面のおっさん騎士が頭を抱えている。
 今まで感情を表に出さずに淡々とした口調で話をしていた国王のイメージが一瞬にして崩れてしまった。
 隙を見せずヒビキの消息が途絶えた時も弱音を決して吐くことの無かった国王には感情が無いのではないのかと、勝手に思い込んでいた者も騎士達の中にはいた。

「もとより国王は魔界と人間界を繋ぐゲートが完成をしたら一人で魔界に乗り込むつもりだったようですね。これから私達は一体、誰の指示に従えば良いのでしょうか」
 金髪の女性騎士が大きなため息をつくと考えを漏らす。

「そのようじゃのぉ。息子であるタツウミ様は病弱のため無理をさせるわけにはいかないし、アヤネ様は学生の身。もう、我々で自己判断をして行動を起こすしかないかのぉ」
 白髭の老人が考えを口にして、他の騎士達が同意するようにして頷いた。



 人間界から魔界へ。

「う?」
 魔王城の玄関ホールで漂う粒子の粒とたわむれていた猫耳が印象的な女性が室内の異変に気づき声をあげる。
 魔王が魔力を注ぎ込み出現させたゲートがグニャリと歪み中からボロボロの服、折れた剣を身につけた青年が姿を現した。
 目蓋を閉じて床に両足をつき佇んでいた青年の体がグラッと大きく傾くと、猫耳が印象的な女性が慌てて駆け寄った。倒れそうになる体を両手で支える。
 猫耳の女性に腰を支えてもらう事により何とか自分の足で立つことの出来ている青年が、ぽつりと小声で呟いた。

「吐きそう」
 青年の顔色は非常に悪く青白い。
 顔面蒼白のまま口元を手で覆い隠して吐き気を堪えてい。
 女性は猫耳をピーンと立てると冷や汗を、だらだらと流す。
 あわあわと視線を右へ左へ高速で動かした。
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