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第13話 命を扱う
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「おひさー」
「おお、大山さん。こんにちは」
中川にとっては初めて見るおばあちゃんだった。
「お久しぶりですねー。体調はどうですか?」
「もう元気元気よ」
「相変わらずで安心しました」
「まだしばらくは死なないよ」
「そうですね」
施術室に戻ると、赤木先生が小声で話しかけてきた。
「中川くん。今の人、見てどう思った?」
「んー? 元気そうでしたよ。本人も“元気”って言ってましたし」
「よく見ておきなさい。特に“目の光”」
「……何かあるんですか?」
「持って半年、ね」
すぐ横でカルテを確認していた黒崎先生が、ため息まじりに言った。
「でしょうね」
「……えっ?」
僕は思わず聞き返していた。
「本人も、自覚してるでしょうね」
赤木先生のその言葉が、じんわりと胸に残った。
明るく、冗談まじりに「まだ死なないよ」と笑っていたあの人が――
自分の命の終わりを、もう分かっているというのだろうか。
「支度済んだわよー。早くー」
呼ばれて戻ると、大山さんはすでにベッドにうつ伏せになっていた。
いつものように問診をして、その後、肩と背中を中心に施術を進めていく。
「いや~、気持ちよかったわ」
治療が終わると、彼女はいつもそう言って、気持ちよさそうに息をつく。
「また寿命、伸ばしちゃいましたね」
「本当よもう。どうしてくれるのよ」
「このまま100歳まで行っちゃいましょうか」
「あはは。また来るわね」
「お大事にねー」
その日も、そうやって笑い合って送り出した。
その後も、大山さんは週に2回、欠かさず通ってきた。
予約時間の10分前には来て、待合室でスタッフと世間話をし、治療中もしゃべりっぱなしで、帰り際には必ず冗談を飛ばす。
治療後は顔色もよく、声に張りがあり、むしろ少しずつ調子が上がっているようにも見えた。
正直、僕には――
「持って半年」という見立てが、あまりピンと来ていなかった。
しかし、ある日を境に、大山さんの姿を見かけなくなった。
一週間。二週間。電話にも出ないらしい。
「引っ越したとかじゃないですよね……?」
中川の問いに、赤木先生は首を横に振った。
「その可能性は低いわね」
それ以上は何も言わず、黙々とカルテを綴っていた。
それからしばらく経ったある日。
「……はい。……はい。私たちも、そう言っていただけて……はい。わざわざお電話ありがとうございました。では、失礼いたします」
電話を切った黒崎先生が、珍しく真面目な顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「大山さんの娘さんからの電話でね。……先日、亡くなったって」
「あ……」
言葉が出なかった。
たしかに、ここ最近は来ていなかった。
「安らかに、眠るように逝ったそうよ。苦しまなかったって。ありがとうって」
「それは何よりね」
沈黙が続く。
治療院のいつもの喧騒のなかで、そこだけ音が消えたような感覚。
その空気を破るように、赤木先生が静かに言った。
「今回に限らず、患者さんの“貴重な時間”を使っているという意識は、常に持たないとダメよ」
「……はい」
小さく返事をしたが、その言葉の意味は、すぐには呑み込めなかった。
けれどそれは、時間が経つほどに、じわじわと重く響いてくる言葉だった。
僕たちは“命”を操作できるわけじゃない。
でも、残された命の時間に寄り添うことはできる。
治療の数十分。
その人が少しでも楽に、笑って帰れる時間をつくること。
その積み重ねが、その人の最期の数ヶ月、あるいは数日を少しでも穏やかにすることができる。
残された家族や周囲にとっても、「故人に何かしてあげられた」という記憶は、その後の心を支えるものになるのかもしれない。
わざわざ電話をかけてまで「ありがとう」と言ってくれるのは、きっと、そういう意味なのだと思う。
これから治療家としての人生を歩んでいくなかで、僕は大山さんのことをきっと忘れられないだろう。
彼女がここで過ごしたあの時間。
ベッドに横たわりながら、「気持ちよかったわ」と笑ったあの顔。
亡くなられた事実は変わらない。
けれど、確かに、あの人はここで生きていた。
その日、僕は一枚のカルテを見ながら、ふと思った。
鍼灸師は、命に対して無力ではない。
命の最後であっても“となり”にいることができる。
そのことを忘れずに、これからもこの手で触れていきたい。
「おお、大山さん。こんにちは」
中川にとっては初めて見るおばあちゃんだった。
「お久しぶりですねー。体調はどうですか?」
「もう元気元気よ」
「相変わらずで安心しました」
「まだしばらくは死なないよ」
「そうですね」
施術室に戻ると、赤木先生が小声で話しかけてきた。
「中川くん。今の人、見てどう思った?」
「んー? 元気そうでしたよ。本人も“元気”って言ってましたし」
「よく見ておきなさい。特に“目の光”」
「……何かあるんですか?」
「持って半年、ね」
すぐ横でカルテを確認していた黒崎先生が、ため息まじりに言った。
「でしょうね」
「……えっ?」
僕は思わず聞き返していた。
「本人も、自覚してるでしょうね」
赤木先生のその言葉が、じんわりと胸に残った。
明るく、冗談まじりに「まだ死なないよ」と笑っていたあの人が――
自分の命の終わりを、もう分かっているというのだろうか。
「支度済んだわよー。早くー」
呼ばれて戻ると、大山さんはすでにベッドにうつ伏せになっていた。
いつものように問診をして、その後、肩と背中を中心に施術を進めていく。
「いや~、気持ちよかったわ」
治療が終わると、彼女はいつもそう言って、気持ちよさそうに息をつく。
「また寿命、伸ばしちゃいましたね」
「本当よもう。どうしてくれるのよ」
「このまま100歳まで行っちゃいましょうか」
「あはは。また来るわね」
「お大事にねー」
その日も、そうやって笑い合って送り出した。
その後も、大山さんは週に2回、欠かさず通ってきた。
予約時間の10分前には来て、待合室でスタッフと世間話をし、治療中もしゃべりっぱなしで、帰り際には必ず冗談を飛ばす。
治療後は顔色もよく、声に張りがあり、むしろ少しずつ調子が上がっているようにも見えた。
正直、僕には――
「持って半年」という見立てが、あまりピンと来ていなかった。
しかし、ある日を境に、大山さんの姿を見かけなくなった。
一週間。二週間。電話にも出ないらしい。
「引っ越したとかじゃないですよね……?」
中川の問いに、赤木先生は首を横に振った。
「その可能性は低いわね」
それ以上は何も言わず、黙々とカルテを綴っていた。
それからしばらく経ったある日。
「……はい。……はい。私たちも、そう言っていただけて……はい。わざわざお電話ありがとうございました。では、失礼いたします」
電話を切った黒崎先生が、珍しく真面目な顔をしていた。
「どうしたんですか?」
「大山さんの娘さんからの電話でね。……先日、亡くなったって」
「あ……」
言葉が出なかった。
たしかに、ここ最近は来ていなかった。
「安らかに、眠るように逝ったそうよ。苦しまなかったって。ありがとうって」
「それは何よりね」
沈黙が続く。
治療院のいつもの喧騒のなかで、そこだけ音が消えたような感覚。
その空気を破るように、赤木先生が静かに言った。
「今回に限らず、患者さんの“貴重な時間”を使っているという意識は、常に持たないとダメよ」
「……はい」
小さく返事をしたが、その言葉の意味は、すぐには呑み込めなかった。
けれどそれは、時間が経つほどに、じわじわと重く響いてくる言葉だった。
僕たちは“命”を操作できるわけじゃない。
でも、残された命の時間に寄り添うことはできる。
治療の数十分。
その人が少しでも楽に、笑って帰れる時間をつくること。
その積み重ねが、その人の最期の数ヶ月、あるいは数日を少しでも穏やかにすることができる。
残された家族や周囲にとっても、「故人に何かしてあげられた」という記憶は、その後の心を支えるものになるのかもしれない。
わざわざ電話をかけてまで「ありがとう」と言ってくれるのは、きっと、そういう意味なのだと思う。
これから治療家としての人生を歩んでいくなかで、僕は大山さんのことをきっと忘れられないだろう。
彼女がここで過ごしたあの時間。
ベッドに横たわりながら、「気持ちよかったわ」と笑ったあの顔。
亡くなられた事実は変わらない。
けれど、確かに、あの人はここで生きていた。
その日、僕は一枚のカルテを見ながら、ふと思った。
鍼灸師は、命に対して無力ではない。
命の最後であっても“となり”にいることができる。
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