太陽の向こう側

しのはらかぐや

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1章 結成

9.天使様

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「おい、たてのり起きろ。帰るで」

閉店し始めた店内を見てタスクがたてのりを揺さぶるが一向に起きる気配がない。
仕方なくタスクはたてのりを軽々担いで外へ出た。
夜はすっかり更けてネオンの光もところどころ消えている。騎乗ペットを括ってある広場へ行くとガウが丸まってスヤスヤと寝ていた。

「ガウくん。行くらしいさかい乗せてくれる?」

ガウを解くと横でうたた寝していた真っ白な毛並みの馬も目を覚ました。
莉音りおんの目にもしっかり見えるほど白い馬にどこの王子様の乗り物かと思いながらガウに跨がると、たてのりを担いだタスクが入ってきて白馬の方へ荷物ごとぶん投げた。

「おい、頼むでエレジー」

まさかのたてのりの馬である。

「エレジー、ついて来いよ。莉音も俺について来ぃな」

「アルくんは?」

装飾のついた板のようなものに足を乗せたタスクについて広場から道へ、裏道から大通りへ出る。
ネオンが消えていき薄暗くなった道で莉音の目はもはや仕事を完全に放棄し、手先にあるガウのふわふわした毛を握る以外にできることはなかった。

「もうちょい先に行っとるわ。あいつは自分の足のが早いからペットとかいらんねん」

「へぇ…便利やな」

タスクは莉音とガウに合わせてゆっくり進んでくれているようだ。
へべれけなたてのりを乗せた白馬は闇の中で妙に浮いて莉音の目にもはっきり映る。

「…?何か…?」

そのエレジーよりも遥か遠く、白馬以外に見えるはずのない何かが見える。
ネオンの残った光ではない、ひらりひらりとそれはステップを踏むように動いていた。

「なぁ…タスクくん…なんか見えへんか?」

「莉音が見えてる範囲のものは全部見えてると思うけど。どれや?」

ひらり、ひらり。

「ほら、あっちの…蝶々みたいな…」

言いかけてふと口をつぐむ。その蝶ははっきりとは見えない。
影と形だけが白く美しく輝いて、脳に、網膜に直接焼き付いてくるかのようだった。

「…天使様?」

これは見たことがある。顔は見えないのにその姿だけがやけにはっきりと目に浮かぶ。そんな経験をしたことがついさっき。

「天使様が踊ってやぁる…」

「は?何もないけど…?」

タスクは周りを見回すが、その姿が見えていないようだった。
本当に天使そのものかもしれないとしばらく眺めていると、生臭い鉄の臭いが鼻孔を掠めた。
莉音が何事かと眉間に皺を寄せていると大きくて温かい手にガウごと引き寄せられた。

「莉音、どこかに上級のモンスターがおる…静かに。たてのりがこの様子じゃ勝てるかわからんからな…ゆっくり行こう」

「どっちにいるか臭いでわかるで。逆から行こう、えっと…」

目が悪いと他の嗅覚が優れてくるものだ。鼻をひくつかせてモンスター特有の血生臭さを辿った莉音はひらひらと舞う天使の前に巨大な気配を感じた。

「…天使様っ!?」

考えるより先にガウをそちらへ走らせる。タスクが何かを叫んだような気がしたが耳に入ってくることはなかった。

「天使様が危ない…!」

軽やかに舞う輝き以外は何も見えない。
それでもガウが目となり足となり走ってくれたおかげで何かに当たることもなく、白い光に包まれた天使に近付くことができた。
鉄と何かが腐った臭いは段々と強くなり、反対に涼やかな鈴の音が小さく響いてくる。

「オォォォオオオ—————————」

地響きのような低い唸りが耳朶じだを叩く。
蠢く気配のある闇は死の気配を纏って今にも白い光を呑み込もうとしていた。

「天使様…っ!主よ、お許しください!涜神とくしん!」

ガウから飛び降りて光を頼りに天使に駆け寄りながら莉音は普段滅多に使うことのない攻撃魔法を撃った。
聖女の杖の先から白い棘のような穢れのない光が溢れ出し闇の中の死の気配へ突き刺さる。
唸りではない叫びが夜の空いっぱいに響き渡った。

「…あなたは…?」

蝶のように舞っていた白い光は足を止め、突然現れたひとりと一匹に目を向ける。
包んでいた光が消えてもその肢体は真珠よりも白くまばゆく、透けるように輝くペリドットの髪と瞳は暗闇の中でも芸術品よりも高貴だった。

「天使様、お怪我は?主よ、ご加護を…殉教者じゅんきょうしゃ…」

「天使…?」

ペリドットの天使は訝しげに莉音を覗き込む。彼女の首から下げた十字架から光の粒が放出し、それが体を包んだ瞬間傷が癒えていった。

「わたくしでは力不足です。応援が…」

莉音は天使の前に立って暗闇の中のモンスターに対峙する。
力の足りない莉音の攻撃では少しの足止めが限界だ。彼女は先ほど知り合ったばかりの仲間を信じていた。

「オォ…オォォォオオ……!」

逆上したモンスターが襲いかかってくる。
莉音は再び涜神を撃ったがもう効き目はなかった。モンスターのあぎとがすぐそばに迫る。

「誰か…!」
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