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3章 サマク商国
72.首輪の意味
しおりを挟む「あ!たてのん!もーどこ行ってたん!?めちゃくちゃ探したで!」
店仕舞いを始めた露店の通りに戻ると、両手に肉の刺さった串のようなものを持ったアルアスルが必死になって探し物をしていた。
探している対象が自分だと気がついたたてのりは声をかける。
人通りがまばらになった道をアルアスルは口をへの字にして怒りながら向かってきた。
「心配するやんか!どこ行ってたん?」
「あっちの店に…」
「何買ったん?武器か?」
すっかり元通りになったアルアスルに手元を覗き込まれたたてのりは隠すことなく箱を差し出した。
自分の腹に押し付けられた箱とたてのりを交互に見てアルアスルは訝しげな表情で首を傾げる。
「え?なに?…俺?」
「お前のだ」
「え…」
両手が塞がっているアルアスルに受け取ることはできない。
それに気がついたたてのりは無言で箱を引き下げると広場の方へと向かって歩いた。
頭上にはすっかり星が踊り、先程まで聞こえていた祭囃子ももう響いてはいない。
昼間には陽気に歌い踊る人々でごった返していた広場には片付けた露店の部品を運ぶ人以外誰もいなかった。
たてのりは広場の真ん中にある大きな猫の銅像の前のベンチに腰掛けて、アルアスルの買ってきた串の肉を受け取ると貪った。
「…うまい」
「な?ここのは行列のできる店やねん!サンシャの肉をミミロの実で焼いたスパイシーさが売りでな」
肉を頬張りながら嬉々として語るアルアスルはすっかりいつも通りだ。
それを見たたてのりはふたり分の肉の串をベンチの横のゴミ箱に捨てると改めて箱をアルアスルに押し付けた。
アルアスルは困惑しながら苦笑いを浮かべる。
「…え?ほんまに俺の?え~なんやろ。なんかこんなええ箱に入ってるもんもらうと悪いなぁ」
「いいから開けろ。お前に必要なものだ」
たてのりに急かされてアルアスルはしっかりと閉じられた箱を丁寧に開封する。
誰かから特別な何かをプレゼントとして貰ったことなどないアルアスルはどことなく緊張をしながらじっとりと滲む手汗を拭いて蓋を開けた。
「…は?」
中には先程たてのりが選んだ高級な首輪が綺麗に仕舞われている。
星明かりの下で控えめに光る金具に重厚感のある見た目からは想像もできない軽さの首輪を持ち上げてアルアスルは固まった。
「……気に入らないか?」
「えっ、い、いやっ、そ、そんなことはないけど、えっ、これ…え?」
小ぶりなタグにはしっかりとたてのりの名前とイヤリングと同じ紋様が刻印されている。
首輪の側面にはひとつだけ見たこともない宝石のような金属のようなものが嵌め込まれているが、それがたてのりのイヤリングの一部だと気がつくのには相当の時間がかかった。
「…今回のようにふらふらとどこかへ行かれては迷惑だ。それでもつけてちゃんと俺たちのパーティの一員だと所属を弁えろ」
「は?あ……あぁ…」
傲慢な口ぶりのたてのりにアルアスルは全てが合点いったというように脱力し、そして火山が噴火するよりも激しく噴き出して爆笑した。
「あっはっは、あーっ、はっは!!ひーっ、あっはっはっは!!!」
「…!?」
急に狂ったように笑い出したアルアスルにたてのりは驚いて眉を顰める。
そんなたてのりを置いてけぼりにしてアルアスルは小一時間笑い転げた。
「…何がおかしい?」
理由もわからず過呼吸になるほど笑われたたてのりは流石に不快になりアルアスルの腕を掴む。
笑いすぎて滲んだ涙を拭って何度も何度も息を整え、アルアスルはたてのりに向かい合うと両肩をしっかりと掴み返した。
「この名入りのタグがついた綺麗な首輪は、婚約の証や」
「…は?」
「猫人族は、結婚してくださいってプロポーズするときに首輪を渡すんや!これは婚約首輪やぞ!…ブフォッ、あっは…はーっはっは…」
「…なんだと…!?」
たてのりの耳が夜の闇の中でもはっきりとわかるほど赤く染まっていく。
ヒューマンにもエルフにも婚約時に首輪を渡すという習慣はない。
ヒューマンは宝石の乗った指輪、エルフは珍しい植物を魔力で加工した耳飾りを婚約の証とするのが一般的である。
そのため、たてのりは首輪の意味など知る由もなかった。
「店員は全員が身につけていたぞ!」
「全員既婚者ってことなんやろなぁ…」
ただ飼育している愛玩動物に飼っている証をつけておく程度の認識だったたてのりは真っ赤になって振り払い、立ち上がる。
違和感もなく、気付かず婚約首輪を買ったたてのりの天然さと、その焦りようがより一層の面白さを掻き立ててアルアスルは咽せながら笑った。
「びっくりしてもうたわ!プロポーズされたんかと思ってどう反応したらええんかと…」
「ばか!そんなはずないだろ!」
いつまでも笑い転げるアルアスルにたてのりはむくれる。
本気で怒って拗ねるたてのりにアルアスルは涙を拭きながら立ち上がって肩を組んだ。
「普通、途中で気が付くやろ……ほんま、たてのんは…そもそもなんで首輪なんか買おうと思い立ったねん」
たてのりは深い緑の瞳でアルアスルを睨みつける。
どれだけ睨まれてもただ面白いだけのアルアスルはヘラヘラと笑い、たてのりは眉間に皺を寄せて嫌そうに口篭った。
「…その店の店主が……」
「サマクいちばんの婚約ジュエリー首輪ブランド、サイーダドの店主が?なんて?」
「…ッ」
からかい口調のアルアスルにたてのりは眦を決して足早に歩き出す。
「もお~ごめんって!店主がなんて?」
今度はたてのりの方が怒り狂って泣きそうな顔で立ち止まる。
またしてもからかって笑いそうになる口を必死で抑えながらアルアスルはたてのりの言葉を待った。
「店主が、首輪は幸せな猫の証だって言うから」
呟くような声にアルアスルは急に返事を失って口を噤む。
からかって笑う声が聞こえなくなって違和感を覚えたたてのりは肩越しにアルアスルを一瞥し、深くため息をついて振り返った。
目線は合わせないまま真面目な声でアルアスルに向き合う。
「お前が俺の財布をすったとき、お前は二足歩行にもなれない、言葉も話せない、食うにも困っていつくたばってもおかしくないボロ切れみたいな子猫だっただろ」
「…………」
「魔力のないただの猫だと思ってペットにしようと拾ったらまさかの完全型になれる猫人で、想定外の腐れ縁になってしまったわけだが……」
たてのりは硬直してしまったアルアスルが手に持つ首輪を奪い取り、頭まで覆ってるスカーフもひん剥いた。
アルアスルがあっと声を上げる間もなくスカーフを自分のポケットに捩じ込む。
ベルトの金具を外すことに苦戦しながら、たてのりは言葉をぽつりと漏らした。
「お前が、昔の孤独に泣くから」
低く優しい声でたてのりは自分の目線の高さにあるアルアスルの首に金具を外した首輪をまわす。
「もう孤独じゃないだろ。だから証を贈ろうと思って…なぁ?相棒」
暗闇の中、指先で首輪を止める指に雫が落ちた。
普段では考えられないほど饒舌に話したたてのりは、止め終わった金具を満足そうに見つめて雫を追ってアルアスルの顔を見上げる。
そして、滅多に見せない満面の笑顔を浮かべた。
「なんて顔してんだよ!アル!」
「………ッ、お前の方がな!たてのり!」
「あはは!」
声を上げて笑い、走り去るたてのりをアルアスルは袖で顔を拭いて追いかける。
耳についた銀細工の飾りと首についたタグが揺れて涼しい音を奏でた。
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