太陽の向こう側

しのはらかぐや

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3章 サマク商国

79.平和な舟旅を襲う異変

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安かろう悪かろうというのは世の真理である。
小舟は少しの波でも大きく軋み、少しの風でも頼りなく揺れた。
夜の間、前を進む最も手狭なはずの3人船から快適そうな寝息が聞こえたときは流石のたてのりも耳を疑った。
端っこでとんでもなく小さく丸まって寝るアルアスルに足を乗せ、仰向けでほとんどはみだしながらも気にせずにいびきをかくタスクの腹の上で莉音が眠っている。
さらに前を進むセバスチャンのようにスリープモードにしているならともかく、こんな状況でも眠れるというのはどれだけ豪胆なのかと呆れを通り越して感心するほどである。
目の前で寝るつもりのなさそうな等加は水面に浮かぶ月を目で追いかけているらしい。
時折、水面に手をつけては水を掻いて飛沫をどこかに飛ばして手慰みのように遊んでいる。
相変わらずたてのりと等加の間に会話などなく、肌寒い気まずさがふたりの間に満ち満ちていた。
流石に初対面のときほどの重たい沈黙ではないが、一緒にいて心地よい静寂でもない。
たてのりは気分の悪さを押し殺してうたた寝をするために瞼を下ろした。
次にたてのりの瞼が開いたのは前を行く舟から騒がしい歌が聞こえたときである。

「あぁ~海というのはぁ~夢と希望と金の詰まった宝石箱~」

「えーなにその歌!?」

「サマクでよく歌われる舟唄やぞ!ドワーフは海を歌った歌なんかないかもしれんけど…」

アルアスルの歌にタスクと莉音は茶々を入れたり手拍子をしたりと随分楽しげな様子だ。
気がつけば水平線には太陽が昇り、暖かな光が波間を撫でてはしゃいでいた。

「一応あるで!海の讃歌…あぁー」

莉音のソプラノに水面を泳いでいた魚が一斉に逃げ出した。
いつの間にかうとうとと仮眠をとっていた等加も驚いて目を覚ましている。
セバスチャンは一番前で優雅に朝食の油を吸っていた。

「……なんで、お前らはそんなに元気なんだ…」

ほぼ一文なしで寝具も便所も、それどころか屋根すらもないボロボロの小舟で限界旅をしているとは思えないほど陽気な3人組にたてのりはため息をつく。
タスクが収納空間から果物や干物をいくつか取り出して後ろを走るたてのりと等加に放り投げた。

「食べ物は潤沢にあってよかったなぁほんま…なかったら舟で魚捕まえるミッションまで追加やで」

「タスクが釣竿とか作ってくれたらいけるんちゃう?あとでやってみようや」

「素材がないやろ…あ、そこに浮いてる屑とか使うか」

この生活すら楽しんでいるようだ。
果物を齧りながらたてのりはうんざりと腰を伸ばした。
サマク商国からエルフ島までは普通の船でおおよそ3日ほどであるが、このおんぼろ小舟ではおそらくもう数日はかかるだろう。
海の上でおおよそ1週間も屋根すらない小舟で減りゆく食料を抱えて暮らすのはかなりの恐怖だ。
口に出すとパニックになりそうな面々の顔だけを見て、たてのりは再び大きなため息をついた。
干物を口に含んで柔らかくしつつ等加は時たまに舟を引く生物にバフをかける。
乗り物酔いしやすいたてのりへの気遣いは皆無だが、少しだけ速くは進んでいるようだった。

「魚捕まえたところで火も出せへんし捌く場所もないやんか!あっはっは!」

「丸齧り無理かな?鱗だけ引き剥がして…」

舟すれすれを飛びゆく魚を素手で捕まえようと試しながら逞しく生きる3人組を前後が温かく見守る。
このままサバイバルで優雅な舟旅が続くと誰もが信じて疑っていなかった。
実際、数日は何の変化もなくただ水面を走っているだけだったのである。

「ん…?なんだか水の流れがおかしいね。何か来るかもしれないよ」

4日目の朝に等加が遠くを見つめながら言った後、すぐに一行の貧乏で平和な舟旅は終わりを告げた。
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