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目的の旅

第四十九話 イレーナ

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「それで…、話って?」

「え、えっと…」



 イレーナの視線は泳ぎまくっていた。緊張しているのか、動揺しているのか、恥ずかしがっているのか…、今のオレには彼女の考えていることが何なのか説明することが出来なかった。



「わ、ワタシは…」

「…?」



 イレーナが言いたいことを言うまでオレは彼女の瞳をまっすぐと見つめていた。



「ワタシは…、信希と一緒に居たいです!」

「…?オレも一緒に居たい」



「そ、その…信希の言っている一緒とは少し違うと言いますか…」

「なになに?どういうこと?」



 彼女が何を言いたいのか、一緒に居たいというのは一緒に居たいということじゃあないのか?あれ?オレ変になっちゃった?



「…け…」

「け?」



「ワタシと結婚してください!」

「…」



 ん…?なんだこれ…?



「ま、信希…?」



 衝撃の言葉を聞いたオレの脳は壊れてしまったのかもしれない。



「まさき…ワタシ頑張ったのに…」

「え…あ、ああ…」



 イレーナの今にも泣いてしまいそうな弱弱しい声を聞き、オレは正気に戻る。



「イレーナ?ちょっと落ち着かせて…?」

「はい…」



 まず落ち着こう。

 どうしてこうなった…?イレーナはオレの事が好きなのか?結婚ってことはそういうことだよね?

 いや、待て。この世界では結婚は別の意味なのかもしれない…。



「イレーナ、結婚の意味を教えてほしい」

「男女が生涯に亘り愛し合う間柄のことを言います」



 認識のずれは無いみたい…。



「それってつまり…、イレーナはオレの事が好きってことであってる?」

「…」



 オレの言葉にイレーナは俯いてしまう。少しだけ顔が見えるが、焚火のせいなのか、照れているのか彼女の顔が赤く染まっているのが分かる。



「そ、その…。オレはイレーナの事好きだよ。でも、いきなり結婚は早すぎない…?」

「い、いや…ですか…?」



「嫌じゃないよ。むしろ、そんなことを言われるなんて思っても居なかったから驚いてるけど、とっても嬉しいんだ。今まで生きてきた中で最高の瞬間だと言ってもいいレベルだね」

「そう…ですか…」



 オレの表情を見たり、目が合うと逸らしてしまったり、これは流石に照れているんだと分かる。

 その度に彼女の持つ、とても美しく可愛らしいケモミミがぱたぱたと揺れている。



 最高すぎないか…?可愛すぎないか…?ケモミミ最高じゃあないか…?こんなに幸せなことが本当にあるのか…?これは夢か…?この世界に来たのも元々夢が原因だし…。



「そ、その早いというのが…よくわからないので教えてください…」

「そうだな…、オレが元居た世界だったら相手の事とかよく知って、相性とか…相手との仲を深くしてから結婚っていうのが一般的なんだ」



「なるほど…」



 イレーナはオレの言ったことについて考えているのか、少しだけ険しい表情になり思案している。



「逆に、イレーナの知っている結婚はどんな理由で相手に伝えるのかな?」

「相手とずっと一緒に居たいと思う、好きが大きくなる…、この人以上に好きになる人が居ないと思ったとき…でしょうか…」



 少しだけ上目遣いを使いながらオレのことを見つめて彼女は告げてくる。



 は、恥ずかしいが…、彼女の好意には真摯に向き合うべきだ。

 イレーナがケモミミ様だからじゃない。ケモミミをお持ちのとても可愛らしい女性だからだ。



「なるほど…。イレーナ?オレはとても嬉しいよ。ローフリングを出てから、これからもみんなとずっと一緒に居たいと思っていたんだ。でも、オレがみんなに一緒に居たいと告げて断られてしまったら怖いから…いつ言い出そうか考えていたんだ」

「そうなんですね…」



「だから…、気持ちは一緒なんだけど、今すぐにと言われると…答えを出すのが…」

「信希?ワタシも今すぐに結婚するつもりはありません。信希の都合もありますから、二人のことは二人で決めていきませんか…?」



 か、可愛すぎる…。

 彼女はオレの性格を熟知しているのか、オレに出来ないこと、出せない答えを持っている。

 どんどんと彼女の魅力が伝わってきて、彼女への気持ちもどんどんと大きくなっていくのが分かる。



「ありがとう。嬉しいよ」

「はい」



 オレたちは不意に見つめ合うと、これまでの照れが少しだけ恥ずかしくなって誤魔化すように笑い合った。



「その…、お願いがあるんですけど…」

「何?出来ることならいいけど」



「立ってください」



 オレはイレーナの言われるままに立ち上がる。

 彼女はゆっくりオレの前まで歩いてくる。



 改めて前に立たれると彼女は本当に小さく感じる。これを言うとイレーナは怒ってしまうから言わないけど…、それも彼女の魅力の一つだ。

 子供…とまではいかないが、彼女の身長はオレの顎辺りまでもない。これじゃあ本当にろりこ…いや止めておこう。オレは彼女の内面や性格に魅力を感じているんだ。断じて大きさではないのだ!



「…!」



 オレが余計なことを考えているうちに、彼女は覚悟を決めるような動作をしてオレの体を抱きしめてくる。

 イレーナの体は温かく緊張しているが落ち着いていく…、彼女の抱擁は安心させる何かがあるのではないだろうか…。



 イレーナは何も言わずに、ただオレのことを抱きしめ続けてくれる。

 彼女はこれまでこんなに積極的だっただろうか。どうしてオレの事が好きだと言ってくれるんだろうか。こんなダメなオレを…。

 そんなことは分かっていても、オレのことを好いてくれるのだろうか…。オレはだんだんと落ち着いてきたことで、彼女の気持ちを考える余裕が出てきた。



 きっと、彼女の中で大きな決断だっただろう。

 『断られたら』と考えなかっただろうか。

 これまでにもずっと悩んでいたんだろうか。

 きっととても怖かったんじゃないだろうか。

 気持ちを伝える怖さを知っているはずなのに、どうして気付いてあげられなかったんだ。



 今オレの感じている小さな体に、オレが見習わないといけない感情で溢れていることに彼女への愛おしさが押し寄せてくる。



 何も言わず、彼女のことをしっかり離さないようにと抱きしめる。

 きっと彼女は怒ってしまうかもしれないが、オレは無意識に彼女の頭を撫でていた。

 少しだけイレーナの体が震えるのが分かる。

 それはそうだ、オレは以前人生最大の失態を犯している。今度は自分を失わない。今は彼女へ全力を持って感謝を示すべきだ。



「耳は触らないんですね」

「ああ、いつまでも欲望に捉われてるわけにもいかないなって…」



「はい…」



 イレーナはオレの胸に顔を押し付けていて表情こそ見えないが、嬉しそうに笑っているのではないかと思った。



「そ、その…お願いですけど…」

「ああ…そうだったね。何をしてほしいの?」



 そう言いつつ彼女はオレから離れるかと思いきや、体は少し離れ両手を首に回し、オレのことをじっと見つめて近づいてくる。



「い、イレーナ…」



 こんなに近づいたら─



 自分の唇に初めての感触を覚える。

 温かく、柔らかく、触れているところから彼女の気持ちが伝わってくる。



 ──。
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