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今とこれからと

第七十五話 覚悟と本気と

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 昨夜は幸せで溢れていると思っていた。

 イレーナの尻尾をお手入れさせていただいて、続けてシアンの尻尾も触らせてもらうこともできた。

 だけど…、そんな楽しい気持ちで居られたのは一瞬のように過ぎ去り、シアンは『両親に捨てられてしまった』と言っていた。そんなことを言いながら泣いてしまっている彼女を見て、とてもじゃないが楽しいなんて言うことは出来ない。

 ほんの少しでも、彼女の不安や悲しみを振り払えたらいいと思い、その夜は彼女の事を抱きしめて、彼女が眠るとオレも連れられるように眠りについた。



 ──。



 シアンのあの苦しそうな鳴き声が、今でも聞こえてくるような気がしてハッとして目が覚めた。

 腕に痺れのような痛みを感じることで、シアンがまだオレの腕の中に居るんだとすぐに分かった。

 オレの腕の中で、すやすやとかわいい寝顔を見せている彼女の目元は、泣いていたのが分かるんじゃないかと思わせるようだった。



 この自分の腕に感じる痛みが、シアンのことを安心させられているのかと思うと、むしろ幸せにすら感じて愛おしくなった。



「起きましたか?」

「ああ。シアンが起きるまでこのままでいるから、イレーナは起きててもいいよ」

「分かりました」



 小声で話しかけてきたイレーナに、シアンを起こさないようになるべく小さく返事をする。

 既に起きていたのであろうイレーナはシアンの頭を撫でていて、オレが目覚めたことにいち早く気付いたみたいだった。



 イレーナは何をするとも言わずに、静かにベッドから出ていく。

 彼女が部屋から出て扉を閉めると、この部屋はこんなに静かだったかと思わせる程に静まり返る。

 寝息だけが聞こえてくるこの時間が、シアンからの信頼を得たのだろうかと思わせるようだった。



 それから少しだけ時間が経った頃だろうか、シアンのかわいい寝顔とケモミミを見ていると時間を忘れてしまっていたのでよく覚えていない。

 少しだけいい匂いがするか…?と何かの匂いを感じた時に、シアンが目覚めた。



「おいしそうな匂いがした?」

「…うぅん……」



「おはよう」

「おはよぉ…」



「イレーナは、もう起きてごはんの用意をしているみたい」

「ごはん食べる…」



「先に洗面済ませちゃおうか」

「はぁい…」



 まだ寝ぼけまなこで何も見えていないのではないかと思ったが、シアンはちゃんとオレの事を把握しているみたいだった。

 女性用の洗面所に連れて行ってもよかったが、この部屋から近い方のオレ用の洗面所へ一緒に行く。



 シアンは顔を洗って歯磨きもしていた。

 徐々に意識がはっきりしてきて昨日のことを思い出したのか、オレの近くへ来てふんわりと抱きしめてきた。



「ちゃんと居るからね」

「うん……まさき…ありがと…」



 少し無理をして作ったのではないかと思わせる笑顔が、オレを苦しくさせてくる…。



「ゆっくりでいいから、シアンの事をもっと知りたい。ここにいるみんなも、これまでに生きているからね。少なからず悩みとか嫌なことは経験しているはずだ。オレもそう…、シアンがよかったらオレに支えさせてくれないか?」

「うん……」



 そう返事をするシアンの瞳は、昨日の泣いていた時とは違い何かを振り払えたかのようにすら感じさせるものがあった。



「じゃあ、ごはんにしようか?」

「うんっ」



 ツラいことがあっても、ごはんを食べるのを拒まないあたりは流石シアンだ。少しずつでも良い、シアンや他のみんなの事も知ってちゃんと支えになれるようにオレも頑張ろう。

 経済面だけでは、支えていると言えないことは既に理解出来た。



「もっとオレも頑張らないとな」

「何を…?」



「ん…こっちの話だよ。オレも弱いところがあるなって思ったんだ」

「そうなの…?」



「ああ。でも大丈夫だよ」

「ん…」



 少しだけ不安そうな表情を浮かべたシアンの頭をよしよしと撫でると、彼女はにっこりと笑い返してくれた。



「おはようございます」

「おはよぉ」



 イレーナに会うのは少しだけ恥ずかしかったのか、昨日の自分を知られているからかシアンは照れてしまっているみたいだった。

 イレーナがオレを見つめて不安そうな表情をするので、オレは再び『大丈夫だ』と安心させるように大きくうなずいてみせる。



「ごはんにしましょうか。少し早いですから、皆さんより先に食べてしまいましょう」

「そうだね。シアン?何か欲しいものはある?」



「ごはんと、温かい飲み物がいい…」

「おっけー。座ってて、すぐに準備するからね」



 ぎこちない動きのまま、シアンはテーブルに座り居心地悪そうにしていた。

 イレーナと二人で、すぐに食事の準備を済ませてテーブルを囲む。



「「いただきます」」



 会話こそ無いもののシアンの表情はいつも通りに近く感じて、オレの思考は少し別の方向へ向かっていく。

 この世界には、シアンと同じような境遇の獣人が沢山いるんだろうか…。たまたま出会った獣人の彼女ですらそうなのだ。世界の広さや人口を知らないが、彼女だけがそういった過去を持っているのではないと考えるのは容易だった。



 あの神たちは、オレのケモミミ様に対する態度を見て何を思ったのだろうか。この世界が滅ぶことも視野に入っていたのではないだろうか…。

 あいつらは『こういったこと』をオレに教えたかったのかもしれないな。もしも、この事実を知ったオレは必ずケモミミ様のために行動を起こしてくれると。



「やれやれ、どうやら手のひらの上で踊らされてるみたいだ」

「信希?どうしたんですか?」



「ああ…、神たちとの話を思い出していた」

「そうですか…」

「御使い様だったってことぉ?」



「あ…」

「まさきぃ?」



 オレはシアンの言葉でハッとさせられる。

 そんなに分かりやすいのだろうか、異変に気付いた彼女たちは不思議そうな表情でこちらを見つめていた。



「いや、良いことを思いついただけ」

「すごく不安になるんですけど…?」

「なになに?」



「大丈夫。オレがいま考えてるのは、御使い様とかの立場も上手く使ってやろうって思っているだけ」

「上手く使う…ですか」



「そのうち分かるかもね」

「なんか、難しそう」



 そうだ。オレは御使い様とかいう特権を持っているじゃないか。

 そして、自分の力でケモミミ様の助けになると考えている。必要な手札は既に揃っているし、あとはどれだけオレ自身が上手く行動できるかだな。



「しゃー!頑張ろっと!」

「おー!」

「不安が大きくなりました…」



 シアンはオレの考えなんて知らないはずなのに、すぐに賛成してくれているみたいだった。



 ──。

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