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なつみかん

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本編

フローリング日記

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   私の息子は、小さい頃からおかしな習慣を持っていた。

   毎日寝る前になると、床に向かって何かを話し始めるのだ。

   家の床は木で出来ていて、細長い板を何枚も繋げて模様を作っているだけで、何か面白い柄な訳でも、興味深いデザインな訳でも無い。

   それでも毎日、話しかける場所を少しずつずらしながら、息子は床に向かって話しかけ続ける。

   その習慣が始まったのは5歳か6歳ぐらいの時で、始まってすぐの頃に「なんで床に話しかけるの?」と聞いてみると、「黒い人がね、寂しくなるから書けって言ったの」と返ってきた。

   正直意味はよく分からなかったが、きっとアニメのキャラクターに影響されたんだろう、と深く考えることはしなかった。
   まだ大人の当たり前に縛られる前の、子供の自由な思考回路は、考えてわかるものでは無い。

   そして時は過ぎ、8歳になった今でも、そのおかしな習慣を息子は止めずに続けている。

   最近はほぼ部屋の端っこにまで到達し、時々笑いながら床に話しかけていた。

   やり始めた当初と違って、たまに床に話しかけない日があるので、その違いは何なんだろうと息子に尋ねてみると、「もうちょっとしか無いから、とっておきが出来るまで待ってるんだ」と、少し悲しそうな笑みで言われた。

   床の端っこまで到達したらこの習慣を終わりにするつもりなのだろうか。

   この習慣が終わってしまうのがそんなに寂しいのだろうか。

   色々疑問が浮き出ては来たが、それはこの習慣が終わった日にまとめて聞こう。
   そう思って、その時はただ息子のおかしな行動を、黙って見守っているだけだった。


   そして遂に、息子のおかしな習慣に終止符が打たれる時が来た。

   しかし、私はそれを喜んだり、疑問に思っていた事を聞こうと思ったりはしなかった。

   ……いや、出来なかった。

   昨日の晩、最後のフローリング板に何やら話しかけていた息子が、急にその場で倒れたからだ。
   
   すぐに救急車を呼び、病院で診てもらったが、その時には既に息子は無くなった後。
   お医者様からは原因不明の突然死、とだけ告げられた。

   あまりに唐突な、そして言葉には表せないほどの悲しみに、私はただ泣くことしか出来なかった。

  本当ならパート先に休みの連絡を入れないといけないのに、耐え難い虚無感と悲しみ、喪失感のせいで、床に力なく横たわるしか出来ない。

   私も後追いしてしまおうか…、そんな考えが頭を過ぎる程、私の心は疲弊していた。

   横たえた視界に映るのは、息子が存在していた跡がそのまま残る静かな部屋と、そのフローリングだけ。

   「悠……」
   
   答える者はもういないのに、息子の名前を読んでしまう。
   息子の生きていた影を追ってしまう。

   あぁ、そう言えばあの子はこのフローリングに、熱心に話しかけてたな。
   そんな事を考えながら、息子のあるはずもない体温の残りを感じたくて、そっとフローリングを撫でた。
   
   すると…

   「…え?」
   そこに、白くて読み辛いが、確かな文字が浮かび上がってきた。

   そこには、紛うことなき息子の字で
   〖今日はお母さんと買い物に行って、アイスを買ってもらいました。本当はダブルが良かったけれど、ダメと言われたので諦めました。楽しかったね、お母さん〗
   そう、書かれていた。

   「悠…」

   涙が止まらなかった。
   何故文字が浮き出てくるのかなんてどうでもいい。
   今はただ、息子の言葉が聞きたくて、一心不乱にフローリングを撫でた。
 
 〖今日はお母さんと博物館に行きました。お父さんが居なくなってから行くことが無かったので、とても嬉しかったです。恐竜の骨、大きかったね〗

  〖今日はお母さんとレストランに行きました。ピーマンを残したら凄く怒られたけど、ハンバーグが美味しかったです。また行きたいね〗
 
   〖今日は一緒にお味噌汁を作りました。失敗してしまってとても薄くなったけど、お母さんがとても美味しいと言ってくれたのが、凄く嬉しかったです。お母さんいつもありがとう〗

   1枚1枚、丁寧に、何度も、その時の情景を思い返しながら読み返す。

   涙と嗚咽を堪えるのに精一杯で、びしょびしょになっていくフローリングの事は、気にもならなかった。

   そして…

   「これが…1番初めの…」
   
   西側の一番隅っこのフローリングにまで辿り着き、震える手で優しく撫でる。
   
   〖今日、夢で黒い人に言われました。僕はもう何年かで死ぬそうです。だからお母さんが寂しくないように、日記をつけたらいいと言われました。木には人の思いを残す不思議な力があるらしいです。だから今日から、お母さんが見つけやすい、木の床に思い出を込める事にします。お母さん、喜ぶかな?〗

   「悠…悠!悠ぅ…」
   床に浮かんだ文字が消えてしまう前に、何度も名前を呼んで、その文字を撫でる。
 
   伝わるかは分からないけれど、伝えたかった。
   この思いを、お礼を。

   「ありがとう…お母さん嬉しいよ…」
   
   その言葉を皮切りに、私は歳も気にせず、日が沈むまで泣き続けた。


   息子が亡くなって8年。
   まだ心の傷は癒えきらないものの、私は周りの人と関わりを持ちながら、悲しみに囚われることなく、なんとか普通の生活を営んでいる。

   これも全て、息子のおかしな習慣…フローリング日記のお陰だ。

   悠は、生きる気力を無くした私にもう一度生きる力をくれた、本当に自慢の息子である。

   これからもずっと。
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