小さな恋のトライアングル

葉月 まい

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幸せの大きさ

「おはようございます!」

翌朝。
潤が目を覚ました時には、既に真美と岳の姿はなかった。

ダイニングに行くと、二人は楽しそうに朝食をテーブルに並べているところだった。

「おはよう。ごめん、寝坊した」
「いいえ。よく眠れて良かったです。すぐにご飯にしますね。すみません、がっくんから朝食はいつもパンを食べてるって聞いたんですけど、和食にしてしまって。地震の影響で、パンの仕入れが出来ないみたいなんです」
「そうか。いや、和食の方がありがたいよ。仕方なくパンにしてたけど、本当は岳には出来るだけ和食を食べさせたかったんだ」
「そうでしたか。それなら毎日和食にしますね」

真美は岳に手伝ってもらいながら、テーブルに卵焼きと焼き魚、みそ汁やほうれん草のお浸しを並べた。

早速いただきますと食べ始める。

「うわー、旅館の朝食みたいだな。岳の為というより、俺が嬉しいよ」 
「それなら良かったです。がっくんも、美味しい?」
「あたりまえだ。まみのりょうりだからな」

あはは!と真美が笑い、潤は「なんで岳がドヤ顔するんだよ?」と呆れる。

いつものように、3人で楽しく食べ終えた。



「課長、がっくんと公園に行ってきますね」

朝食のあとソファでパソコンを広げた潤に、真美が声をかける。

岳には外で遊ぶ時間が必要だし、潤にも落ち着いて仕事をして欲しかった。

「ああ、ありがとう。公園の行き方は岳が知ってるから」
「はい。じゃあ、案内してくれる?がっくん」

うん!と元気良く返事をして、岳は真美の手を引いて玄関に向かう。

「気をつけて」
「はい、行ってきます」

潤に見送られ、真美は岳と手を繋いで玄関を出た。

ウイーンとエレベーターで1階まで下りる。

「なんだか改めて見ると、このマンションってホテルみたいに素敵だね」
「まあな。じゅん、かねもちだよな」
「ふふ、課長さんだからね。そう言えば、がっくんとママのおうちは?保育園から近いの?」
「うん。じてんしゃでビューンっていったらつくよ」
「そうなんだ!じゃあ、私のマンションからも案外近いのかもね」

エントランスを出ると、冬の風が吹き抜けて思わず首をすくめた。

「がっくん、風邪引かないでね。マフラーしっかり巻こうか」

真美はしゃがんで、岳のマフラーを隙間なく整える。

「これで寒くない?」
「うん!まみがだいすき」
「え?なあに?急に」
「だって、いままみのことすきだなっておもったから」
「そっか。私もがっくんのこと、だーいすきだよ」

二人で微笑み合い、手を繋いで歩き出した。



二人が出かけたあと静まり返った部屋で、潤はパソコンに向かっていた。

(こうまで静かだと、逆にやりづらいな)

いつの間にか賑やかな雰囲気に慣れていたらしい。

岳と真美がいなくなったあとの生活を想像すると、それだけで寂しくなった。

(いかん。大の男が何を気弱になっている)

ずっと気ままにひとり暮らしを楽しんできたのだから、きっとすぐにまた慣れるだろう。

そう思い直して仕事に集中した。

まずは課のメンバーに改めて安否の確認と現在の状況などを報告するよう、一斉にメールを送る。

困っていることがあれば相談するように、会社にはしばらく出社しなくて良い、と付け加えた。

しばらくすると、ポツポツと返信が届く。

皆、自宅で安全に過ごせているようでホッとした。

紗絵とも個別でやり取りし、部長との連絡などを一緒にやる。

そのうちに、『そう言えば……』と紗絵が切り出した。

『あの日、真美だけは先に帰ったから、あの子パソコン会社に置きっぱなしなのよね。メールはスマホからチェックしてるだろうけど、仕事出来なくて困ってるだろうな』

読み終わると、ああ……と潤は頭を抱える。

俺が渡したから大丈夫、と言いたいが、紗絵のことだ。
なんで?いつ?どうやって?と、突っ込みまくられるだろう。

(うーん……。望月が会社に取りに行ったことにするか?それとも、俺が持ち帰って、駅とかで待ち合わせて渡したことにするか)

考えた結果、後者の方がいいだろうと、潤はその旨メールで紗絵に伝えた。



「がっくん、速ーい!かけっこ、クラスで1番でしょう?」

公園で岳と駆け回ってから、真美は息を切らしてベンチに座り込む。

「まみ、もうつかれたのかよ?」
「うん。だって、普段走ることなんてないんだもん。信号が点滅した時くらいだよ」
「なんだそれ?まあ、いいや。じゃあジャングルジムしてくる!」
「はーい、がんばってね」

ふう、とベンチにもたれながら、岳がぐんぐんジャングルジムに登って行くのを見守っていると、ポケットの中でスマートフォンが鳴り出した。

取り出してみると、紗絵からの電話だった。

「もしもし、紗絵さん?」
『あ、真美!どう?無事に帰れた?ご家族も大丈夫だった?』
「はい、大丈夫でした。あの日は先に帰らせてくださって、ありがとうございました」
『ううん、無事なら良かった。それでね、他のメンバーはパソコンを持ち帰ったんだけど、真美だけ会社に置いたままだから気になってたんだ。ほら、しばらくは自宅でテレワークになったでしょ?』

あー……と、真美は顔をしかめる。
潤に持って帰って来てもらっていたが、それを紗絵に話す訳にはいかない。

「すみません、近々取りに行きますね」
と言う真美の言葉と
『でも良かったわ、五十嵐くんが……』
と言う紗絵の言葉が重なる。

二人して、ん?と沈黙した。

『真美、五十嵐くんと会ったんじゃないの?』
「え?会ってませんけど……」

そう言ってから、真美はハッとした。
おそらく自分のいない間に、潤と紗絵の間でなんらかのやり取りがあったのだろう。
そこで自分と潤が会ったことになっているのかもしれない。

「あー!そう言えば、会いました。えっと、ちょこっとだけ。あはは」
『あはは?……なんか怪しい』
「あ、怪しいって、どういうことですか?私、何もやましいことなんて……」
『じゃあ、五十嵐くんとはどこで会ったの?』
「えっと、ちょっとそこらでバッタリと……」
『駅で待ち合わせてパソコンを渡したって、お相手の方は言ってましたけど?』

えっ……と怯んだが、なんとか取り繕う。

「そ、そうでした!ほら、課長と私の駅って3つしか離れてないじゃないですか。だから駅でささっと受け取って……」
『へえー、そんなご近所だとは初耳ですけど?』

うぐっと真美は言葉に詰まる。
もう何を言ってもボロが出る気しかしなかった。

『ま、いいわ。今日のところは逃がしてあげる。今度会った時には覚悟しなさいね?洗いざらい白状してもらうから』
「いえ、これと言って申し上げることは何も……」

小さく呟くが、紗絵はフンッと鼻で笑った。

『時々会議室で二人切りになってたり?望月、最近どう、なんて五十嵐くんが聞いてきたり?そのあと、俺が気にかけておくって妙に男前に宣言したり?挙句の果てには、待ち合わせした駅でバッタリ会ったなんて辻褄の合わないこと言ったり?もうこれは完全にクロ。真っ黒けよ』
「あの、紗絵さん。本当に私と課長は何もありません。それだけは信じてください」
『ふーん。ま、真美ならそんなに簡単に流されたりしないものね。きっとそれは本当なんでしょう。だけどそれにしても、何かしらのやり取りはあったんでしょう?なんだか面白そう。私もせっせと想像して楽しませてもらうわ。じゃあね!真美』

プツリと通話が切れ、真美はしばし呆然と画面を眺めていた。



「たっだーいまー!」

岳の元気な声が聞こえてきて、潤は玄関に出迎えに行く。

「おかえり。たくさん遊んでもらったな、岳」
「うん!たのしかった。うがいてあらいしてくる!」

岳が洗面所に向かうと、潤は真美が肩に掛けていたエコバッグをスッと手にした。

「あ、ありがとうございます。ついでにスーパーで買い物してきました。やっぱり地震の影響で仕入れが不安定ですね。色々、品薄でした」
「そうか、ありがとう。無理して毎食作ってくれなくても構わないから」
「はい、大丈夫です。すぐにお昼ご飯の準備しますね」
「いいよ。コーヒー淹れるから、まずは休憩して」

潤はエコバッグの中の食材を冷蔵庫にしまうと、コーヒーを淹れてローテーブルに運ぶ。

「ありがとうございます。がっくんも、麦茶飲む?」
「うん!」

ソファに並んでコーヒーと麦茶を飲みながら、真美と岳はまた楽しそうに話し出す。

「がっくん、今日のお昼ご飯はあったかい天ぷらそばだよ。晩ご飯はね、手巻き寿司」
「おすし?やったー!てまきってなに?」
「自分で手で巻いて食べるお寿司だよ」
「すごーい!おすしパーティーだ!」

潤は思わずふっと笑みをもらした。

「岳、毎日がパーティーだな」
「そうだよ。エブリデイがパーティー!」
「おっ?よくそんな英語知ってたな」
「あたりまえよ。アイラブユーだってしってるんだからな」
「いつ使うんだよ、それ」
「いざってときに」

あはは!と潤はお腹を抱えて笑い出す。

「いざって時?どんな時だよ。想像したら面白いな」
「じゅんも、いざってときにはつかえよ?」
「分かった。いつか使ってみるよ」

二人の会話を聞きながら、真美も思わず頬を緩めつつ、キッチンで料理を始めた。

昼食の後、岳がお昼寝を始めると、真美は潤と並んでパソコンを広げた。

「あ、課長。メール送ってくださったんですね」
「ああ。課のメンバー全員にね」

そう言えば……と、真美は苦い表情で切り出した。

「さっき公園にいた時、紗絵さんから電話がかかってきたんです。それで、色々怪しまれてしまって……」

なにを?と首をひねった潤は、もしかして!と閃いた。

「俺が望月と駅で待ち合わせしてパソコンを渡したってことにしたんだけど、それを突っ込まれた?」

コクリと小さく真美が頷く。

「ごめん!帰って来たら伝えようと思ってたんだ。まさかすぐに電話をかけるとは……」
「いえ、大丈夫です。それでなくても紗絵さん、以前から私と課長の間に何かあるって思っていたようでしたから」
「そうなの?」
「はい。会議室に二人でいたこともご存知でした」
「あー、そうかも。平木と二人でドアの前で様子をうかがってたな。そうか、平木もか。きっと妄想膨らませてるんだろうな」
「私と課長の間には何もない、というのは信じてもらえましたけど、それにしても何かのやり取りはあるでしょ?って」

うーん……と潤は腕を組んで思案する。

「あと2週間ほどで岳の母親が帰国する。そうすれば岳はここから出て行くし、望月にお願いすることもなくなるよ。俺も定時で上がらずこれまでみたいに残業するし、そのうちに自然とあいつらが忘れてくれるといいんだけど」
「そうですね。ひとまずがっくんのママが帰国されるまでは、私もテレワークで出社は控えます。次に会社に行く時には、もう課長との接点は何もないので、それ以上は怪しまれることはないと思います」
「そうだな。色々迷惑かけてごめんな、望月」
「とんでもない。がっくんと一緒にいられて、私こそ毎日楽しいですから」
「そうか、本当にありがとう」

そして二人は肩を寄せ合ったままパソコン作業を始めた。

いつの間にか二人の間に流れる空気も穏やかで、近くにいるだけで安心して心が落ち着く。

互いに居心地の良さを感じながら、仲良くカタカタと仕事を進めていた。



「まきまき、てまきー!」

夕食の支度を手伝いながら、岳は早くもテンションが高い。

「楽しみだね、手巻き寿司。がっくん。うちわでパタパタをお願いしてもいい?」
「うん!なんでもこいよ」
「あはは!頼もしいね。じゃあ、私がご飯に寿司酢を混ぜていくから、がっくんはひたすらご飯をパタパタ冷ましてね。いくよー?パタパター!」
「パタパター!」

楽しそうにはしゃぐ二人の声を聞きながら、潤も思わず笑みを浮かべる。

先程真美に、あと2週間で岳がここを出て行くと話し、真美にも、もう課長との接点は何もないと言われた時、一気に寂しさが込み上げてきた。

(この楽しい日々は幻だったのかな。夢の世界だったのかも。いつかは現実に戻される)

以前と同じ生活に戻るだけなのに、どうしてこうも悲しくなるのか。

それならいっそ、この日々などなかった方が良かったのか?

二人と過ごす幸せを知らなければ、こんなにも寂しい思いをせずに済んだ。

のちに寂しさを感じてしまうほど大きな幸せと、何気ない日々の中に感じるふとした幸せ。
どちらの方が喜びは大きい?

それでも……と潤は思う。

(たとえこのあと悲しみに襲われるとしても、俺はこの幸せな日々を送れたことに感謝する)

潤はもう一度楽しそうな真美と岳に目をやり、幸せを感じて微笑んだ。
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