極上の彼女と最愛の彼 Vol.3

葉月 まい

文字の大きさ
1 / 29

Bar. Aqua Blue

しおりを挟む
「ここか…」

Bar. Aqua Blueと書かれたダークなガラス扉の前で、吾郎はゴクリと喉を鳴らす。

(ここが俺達の恋の聖地。俺も今夜、ここで誰かと出逢えるのかも?)

真顔でじっと考えてから、思い切って扉を開けた。

(おおっ!なんてスタイリッシュでオシャレな空間なんだ。まさに運命の出逢いの場にふさわしい)

照明を絞った店内の中央には、大きな水槽。

そして正面の窓ガラスの向こうには、綺麗な東京の夜景が広がっている。

ピアノの音が控えめに聞こえてきて、吾郎は思わず壁際のピアノに目を向けた。

ブラックのロングドレスをまとい、緩やかなウェーブの長い髪のピアニストが、伏し目がちにグランドピアノを弾いている。

透き通るような肌の色と明るい栗色の髪、そしてくっきりとした目鼻立ちで、見るからに外国人の血を引いているであろう美女だった。

見惚れていると、マスターに声をかけられる。

「いらっしゃいませ。どうぞお好きな席へ」

「あ、はい」

吾郎は店内をざっと見渡した。

大きな水槽を囲むカウンター席や、その周りのテーブル席は埋まっている。

窓際の二人がけのソファはいくつか空席があったが、どう見てもカップルの為の席だろうと思い、吾郎はマスターの前のカウンターチェアに腰を落ち着けた。

ウイスキーを水割りでオーダーし、吾郎は背を向けたままピアノの音色に耳を傾ける。

雰囲気たっぷりに弾きこなされるジャズナンバー。

(はあ、大人の世界だなあ。こんな雰囲気のいいバーなら、そりゃ恋の1つや2つ、いや3つか、芽生えたっておかしくない)

泉と出逢った洋平。

恋が動くきっかけとなった瞳子と大河。

思いがけない再会を果たした透と亜由美。

全ての舞台がこのバーだったとあらば、否が応でも吾郎の期待は高まる。

(今夜このバーで巡り逢えた人が、きっと俺の運命の人…)

数日前、透と亜由美の結婚式で幸せそうな二人を見たばかり。

心底羨ましくなり、吾郎は本気で恋を探そうとしていた。

その時ピアノの音色が止み、人々はピアニストを振り返って拍手する。

吾郎も振り返って、惜しみない拍手を送った。

立ち上がったピアニストはにっこりと微笑んで会釈してから、馴染み客らしい数人と軽く言葉を交わしつつこちらに歩いて来る。

やがて吾郎のいるカウンターまでやって来た。

えっ!と吾郎は目を見開く。

(も、もしや!彼女が俺の…?)

頭の中がフリーズし、身を固くしたまま横目で姿を追っていると、マスターがカウンターから出て来て彼女に声をかけた。

背の高いイケメンのマスターを見上げ、彼女は嬉しそうに微笑む。

(…あ、なるほど)

見つめ合う二人に吾郎は全てを察した。

やがてマスターが優しく彼女をハグし、耳元で何かを囁く。

彼女は幸せそうに微笑んでから、もう一度マスターを見つめ、STAFF ONLYと書かれたドアの向こうに消えた。

(はあ、がっくり…………)

わずか数秒のときめきは呆気なく終わった。

(そうだよな、そりゃそうだ。いくら何でも夢見過ぎだ)

吾郎はグラスをグイッと煽る。

(オシャレなバーだからって、そう簡単に声をかけられたりは…)

そう思った時、隣から「あれ?もしかして…」と声がした。

セリフだけ聞くと期待してしまうが、その声は明らかに男性の声だった。

真顔のまま、吾郎は声の主を見上げる。

「やっぱり!あの、アートプラネッツの方ですよね?」

「はい、そうですが?」

「実は私、半年ほど前にテレビで取材されているのを拝見しまして。とても興味を惹かれたので、近々ご連絡して仕事を依頼したいと思っていたんです」

そう言って、30代半ばに見える男性は、スーツの内ポケットから名刺を取り出した。

「私、内海不動産の原口と申します。ちょうど弊社が新しく売り出す新築マンションについて、ホームページやモデルルームでもデジタルコンテンツを駆使したいと思っていたんですよ」

一気にまくし立ててから、「あ!すみません。お隣よろしいですか?」と断って吾郎の隣に座る。

「いやー、こんなところでお会い出来るなんて。夏の御社のミュージアムにも伺いました。素晴らしい技術ですね!うちのマンションも、お客様がそこでの暮らしを想像しやすいように、ARやMRを使った楽しめるコンテンツを用意したいと思っていたんです。ファミリー向けの1000戸ほどの大規模低層レジデンスで、俺の営業マンとしての全てをかけて取り組もうと…」

男性はカバンから資料を取り出すと、次々とテーブルに広げて吾郎に熱弁をふるう。

結局この夜、吾郎が出逢ったのは運命の彼女ではなく、熱血な営業マンだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】恋人代行サービス

山田森湖
恋愛
就職に失敗した彼女が選んだのは、“恋人を演じる”仕事。 元恋人への当てつけで雇われた彼との二ヶ月の契約が、やがて本物の恋に変わっていく――。

嘘をつく唇に優しいキスを

松本ユミ
恋愛
いつだって私は本音を隠して嘘をつくーーー。 桜井麻里奈は優しい同期の新庄湊に恋をした。 だけど、湊には学生時代から付き合っている彼女がいることを知りショックを受ける。 麻里奈はこの恋心が叶わないなら自分の気持ちに嘘をつくからせめて同期として隣で笑い合うことだけは許してほしいと密かに思っていた。 そんなある日、湊が『結婚する』という話を聞いてしまい……。

彼は政略結婚を受け入れた

黒猫子猫
恋愛
群島国家ザッフィーロは臣下の反逆により王を失い、建国以来の危機に陥った。そんな中、将軍ジャックスが逆臣を討ち、王都の奪還がなる。彼の傍にはアネットという少女がいた。孤立無援の彼らを救うべく、単身参戦したのだ。彼女は雑用を覚え、武器をとり、その身が傷つくのも厭わず、献身的に彼らを支えた。全てを見届けた彼女は、去る時がやってきたと覚悟した。救国の将となった彼には、生き残った王族との政略結婚の話が進められようとしていたからだ。 彼もまた結婚に前向きだった。邪魔だけはするまい。彼とは生きる世界が違うのだ。 そう思ったアネットは「私、故郷に帰るね!」と空元気で告げた。 よき戦友だと言ってくれた彼との関係が、大きく変わるとも知らずに。 ※関連作がありますが、これのみで読めます。 ※全13話です。

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

恋色メール 元婚約者がなぜか追いかけてきました

國樹田 樹
恋愛
婚約者と別れ、支店へと異動願いを出した千尋。 しかし三か月が経った今、本社から応援として出向してきたのは―――別れたはずの、婚約者だった。

愛するということ

緒方宗谷
恋愛
幼馴染みを想う有紀子と陸の物語

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

雪の日に

藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。 親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。 大学卒業を控えた冬。 私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ―― ※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。

処理中です...