例えば、こんな学校生活。

ARuTo/あると

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 手早く携帯をかざして自動ドアが開くと、フワッと心地の良い香りが空気圧の変化で流れ出てきた。

 アロマディフューザーでも設置されているのだろう。消臭や殺菌効果のある傍ら、新規漂うカップルに最適な落ち着き効果もあるという。

 気がつけば香りマニアとしての威厳が、口から声として漏れ出ていた。

「落ち着きのあるホワイトティーの香りにツタの茶葉を基調として、フリージアを使用したウッディで爽やかな香り…」

 俺は目を閉じてまでこの優雅な香りに浸っていた。一方の錦織は聞く耳を持っていないようで単なる独り言として片づけられた。

 にしてもいい香りだ…。後で製品の名称教えてもらって、購入しちゃおうかな…。

 ほんの短い廊下を通り過ぎると、開けた空間へと出る。

 どうやら、ここがラウンジのようだ。建物二階分の吹き抜け構造。壁面は全面ガラス張りで暖かな射光がインテリアを照らしている。

 天井からは筒型のライトが五つ、回転しながら下降する形で吊り下げられていた。

 真横には図書館へと繋がるらせん階段まで備え付けられていて、高校らしからぬ施設の数々だった。

 流石、成金高校。パンフレットに特別候補生は特待生のように学費が免除されると記載されていたので恐れる事はないが、一般生徒の費用面はどうなのだろう。きっと、高額な学費が必要なのだろうと思った。

 豪勢な施設を見て、錦織が口を開く。

「ここがラウンジですか…大層なものですね。一体施設費だけでいくら飛んだんでしょう…。それはそうと、少し休憩しませんか?歩き疲れたですし」

 ええ…この距離で歩き疲れるとか、俺の父親が乗り回してる燃費悪いミニバンかよ…。

「エレベーターから、ここまでざっと十メーターそこらですよ…。このペースだと貴方が危惧している、日が暮れるのも時間の問題なのでは?」

 俺は錦織のあまりの体力の無さに不満諸々、ため息まじりにそう返した。

「うるさいですね…。いいから腰を下ろして話を聞いてください」

 清楚さが取り巻きながらも、温度が低い攻撃的な口調であった。それに、話しかけるなと拒否したばかりの俺に一体何を話すというのだろう。

 これ以上、罵倒されるのも気分が悪いので俺は仕方なく指示に従う事にした。

 赤茶色の絨毯に参列するモダンなカウチソファ。錦織はギシッというスプリングの音一つたてずに静寂の中、腰を下ろした。俺もそれに倣って、ふらつきながらぎこちなくソファに座る。

 徐々に心臓の鼓動が高くなるのを感じた。座る状況というのは時に立っている時よりも緊張感を募らせる。女性との対話が苦手な俺にとっては尚更だ。

 状態が整ったという雰囲気を感じ取ったのか、錦織はタイミングを見て口を開く。

「では、早速ですが貴方に一つ質問をします」

「あ、ああ…どうぞ」

 早々に神妙な面持ちをするもんだから、つい動揺してしまう。

 ラウンジに流れるジャズのBGMも次第に意識から遠のいていく。それは彼女が作り出す冗談も拒否も受け付けないような張り詰めた空気感のせいであった。

「今の貴方は本当の自分ですか?」

 錦織は抽象的にも聞こえる問いを投げかけてきた。

「え…はい…?」

 虚を突かれたように、俺は困惑の声を漏らした。

 想定外の問い。錦織はどういう意図をもってこんな質問をしているのだろうか。本心に迫る言葉にも聞こえて、俺は心当たりが有りそうでない複雑な心境になる。

「何故、私が初対面の人に対して。貴方に対して。心ない対応をしていたのか分かりますか?」

「それはどういう…」

 俺には疑問符ばかり残り、言葉を上手くを紡ぐ事が出来なかった。

 同じ特別候補生である事以外、彼女については何も知らない。

 錦織は瞼を一度伏せ、見開いたとか思うと、更に問いを続ける。

「もう少し伺います。今、ここに存在しているのは夜崎くん本人ですか?」

 隠語にも似たその問いはようやく俺のもとに届いた。

 そうか、そういう事だったのか。

「貴方は未だマスクでその顔を隠しています」

 錦織は見透かすような目で俺を咎める。
 彼女が言っているのは仮面。本性を隠して性格を装っている俺を不服に感じたのだろう。

 言われて、気付かされる。何処か、距離を置きながら会話している様はさぞ気持ち悪かったであろうと。

「同等の立場を作らない人間に対して、私も同じような振る舞いをしたという事です」

 無駄な高貴さを装った俺を彼女は的確に見抜き、同じ対応をとって断罪した。

 普通の一般人であればこんな事を態々、する人はいない。他人を気遣って。装って。そんな事は社会において、当たり前に行われているのだから。

 しかし、彼女はそれを許さなかった。社会にとっての当たり前を受け入れず、強い信念で意思を貫く姿勢。俺も同等の意見を持ってはいるが、自らがそのムジナだという事を彼女は教えてくれた。

 結局、高貴じみた振る舞いというのは幻想に過ぎなかった。思春期でわだかまる欺瞞がさらけ出されただけ。生身の自分こそが真実を証明するのに相応しかったのだ。

 俺が決心するような表情をした時、不意に錦織が顔を近づけてきた。


 なんだ…!?凄い近い…。


 心臓が途端に暴れだす。

「私は貴方にとても興味があるんです。何故、正反対の立場からこの高校に入学する事が出来たのか。評価の対象はどこにあったのか」

 息遣いが届かんばかり、僅か二十センチ程の顔先に近づく美しい小顔。髪がさらりと揺らぎサボンが香る。吸い込まれそうな美しい瞳に心奪われ、幻惑されるほどに。

 俺は異性になど興味はないと感情制御しつつも、動物的反応という不可抗力で反応してしまう。少々、朱に染まってしまった顔を切り替えると、本性で俺は彼女と接する事を誓う。

「変な取り繕いをして悪かった…俺も正直こういう接し方には違和感を覚えていたよ…。あの…なんだ…変な振る舞いして悪かったな…」

「こちらこそ酷い接し方をしてしまい、申し訳ありませんでした。無事、本当の夜崎くんが現れたようで何よりです。改めて…かもしれませんが、どうぞ同じ特別候補生として宜しくお願い致します」

 錦織はどうやら笑顔慣れしていないようだが、細い手で握手を求めてきた。きっとこれが彼女なりの近づき方なのだろう。

「ああ…こちらこそ」

 俺は敬意を持って彼女の手に触れようとした。

 けれど、叶わなかった。
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