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1. 記憶のない少年
しおりを挟む──王国アルファポリス 大聖堂前 メルエル通り
異世界の騎士団が転生召喚された大聖堂前にて、街ゆく通行人に肩をぶつけられている少年の姿があった。
その少年の姿は薄汚れた布で作られた質素な服を着ていて、見るからに身分の低い出であると分かる。
その少年は何をするわけでもなく一点を見つめたまま固まっていた。
一人、二人、三人と少年に平然とぶつかっていき、その衝撃で少年が道端に倒れようと気にする人は誰も居ない。少年は倒れても痛がる様子を見せずに再び定位置である道の中央に立つ。それを何度か繰り返した後、大聖堂の鐘の音が街中に響き渡った。
「ゴーン、カーン、カーン、カーン」
低い鐘の音が一回、これは午後を知らせる鐘の音。
高い鐘の音が三回、これは鳴った回数によって時刻が分かるようになっている。
つまり今は「午後三時」であることが分かる。
街ゆく人は鐘の音に対して「なんだもう三時か」「おやつの時間」などと小さな声で独り言を言いながら変わらず少年の横を通り過ぎていく。
そんな中、道の中央に立っていた少年に突如変化が見られた。
道端に倒れて痛がる素振りすら見せていなかった少年は、その場に蹲り、転倒して出来た擦り傷を撫でながら涙を流していた。
「痛い・・・なんで痛いの・・・。僕は・・・誰? あれ、ここは・・・」
少年は通行人の声と歩行音で掻き消されそうな程の小さな声で一人呟く。
その少年に対してようやく一人の通行人が止まり、手を差し伸べながら優しい口調で話し掛けた。
「君は記憶を奪われし者だね、大丈夫かい?」
少年は驚き声が出なかったが、手を差し伸べてくれた通行人のおじさんの手を取り立ち上がった。その手は優しくて暖かく、この人物が信頼出来る人間だと本能で悟った。おじさんは少年の服についた砂埃を手で優しく叩き落とすと膝を落とし、少年の目線に合わせて再び優しい口調で話す。
「見た所、三時の鐘で正気を取り戻すように記憶操作魔法をかけられていたんだね、うちにおいで。私の妻は治癒魔法を使えるから、その傷を治してあげるよ」
「うん、ありがとう」と少年の口から自然と声が溢れ出る。
少年はそのまま、おじさんの手を握って離す事なく、家まで何も話さずに歩いて帰った。
───王国アルファポリス 商業街地区
「ダニー商店」と書かれている大きな看板が、おじさんの家の屋根に乗っていた。少年は歩いている間に少しずつ思考回路が戻ってきていたため、ここが物を売る商店だという事を理解した。
「ただいまー今帰ったよ」
おじさんが家の扉を開き、玄関口で帰宅を知らせると奥の部屋から中年の優しそうなおばさんが顔を覗かせ、こちらに向かって優しく微笑んだ。
「おかえりなさい、そちらはお客様?」
「あぁ、この子は記憶を奪われし者だよ。すまないんだが、この子怪我をしてるんだ。治療をしてくれるかい?」
「あらぁ~可哀想にッ!! 記憶を奪われし者だからって・・・これだから街の人は冷たいって言われるのよね。こっちへおいで」
おばさんは僕の体を胸元に引き寄せると傷部に優しく手を当て、小さな声で何かを唱え始めた。その瞬間から緑色のオーラが僕の体を包み込み、体に出来た傷をみるみるうちに完治させた。
「ありがとうございます」
治療をしてくれたおばさんに対して少年は深々と頭を下げた。その行為におばさんは涙目になり、「こんなにいい子なのに・・・」と小さな声で呟いた。その光景を見ていたおじさんは、おばさんに対して優しい口調で話す。
「ミエル、ご飯の準備を頼むよ。この子の分も・・・栄養があるのを頼む。」
「わかりました、その間にちゃんと説明してあげてくださいね」
「あぁ、そのつもりだよ。」
おじさんはそう言うと居間にあったソファへ座り、手招きをして少年を対面のソファへと座らせた。
「まずは自己紹介、私はダニー・ハイド。昔は王国騎士団に所属していたんだが、数年前に怪我をしてしまってね。いまは甲斐性のない商店を営んでいるんだ。よろしくね」
少年に優しく語りかけるその顔は何処か悲しげに見えた。
「んじゃ、次にこの世界の話からするとね。
この世界は剣と魔法の世界なんだ。現実離れした様々な魔法が溢れるこの世界では、火・風・水・土の四大元素の魔法を基礎として、氷・雷などの性質変化魔法へと派生する。その中でも極めて稀な魔法「時空」「記憶」「空間」「重力」「召喚」などを司る魔法は、四元素、性質変化の魔法を遥かに凌駕するとされているんだけれど、ここまでは分かったかな?」
「なんとなくは分かりました」
「それなら話を進めるね。王国アルファポリスでは、犯罪を犯した者に対して更生目的のために記憶操作魔法をかけるんだ。例えば、人格を形成する記憶や犯罪を犯す原因となった記憶を消し去り、犯罪を犯さないように人格を新たに形成するんだ。まぁ、人格から再形成する事は珍しいけどね。
まぁ、先程説明した稀な「記憶」を司る王国所属の魔法使いによって、君は記憶を消された犯罪者って事になる。その、右手にある十字架の刻印が、その証なんだ。
記憶を消された者は、国内の者からは「記憶を奪われし者」として疎まれる事があるが、気にしなくていい。皆何かしらの罪を背負い、生きてるんだから。
「はい・・・」
少年は話を聞いた瞬間に落胆していた。犯罪者という、もう一人の人格が内面に存在している事に、記憶を消されているという事実に対して、どう向き合えばいいのか分からなかった。それは、暗い闇の中を光を求めて歩き回るような途方も無い感覚で、ただ、自分がどういった人格者なのかを考えた。
「私は色々な人を見て生きてきたが、君は善人だろう。何かを守るために仕方なく罪を犯したのだと思う。それは、世間的に見たら罪なのかもしれないが、君にとっては正義の行動だ、そういう心持ちでいなさい」
「ダニーさん、ありがとうございます」
少年はお礼を言った後、沈黙した。その様子を見て察したダニー夫妻は、「いつまでもここに居ていいよ」と優しく微笑み、暖かい夕食を提供してくれた。
──その夜
お風呂を済ませた少年は、三階にある客間のベットの上に横たわり、今日一日の出来事や思い出せない記憶について考えていた。
そんな中、一階から二階へ、二階から三階へと慌ただしい足音が近づいてきた。
「ちょっとぉッ! あんた誰よ! 私がいない間に勝手に住み着くんじゃないわよッ!」
と怒声をあげながら、勢いよく客間のドアから飛び出してきたのは、金髪ポニーテールの美少女であった。
「えっ?」
「えっ? っじゃないわよッ! ったく、本当にパパはお人好しなんだから・・・、いつまでもここに居られても困るから、明日の職種適性試験所に一緒に行くわよ」
「職種適性試験? っというか貴方はどちら様で?」
「簡単に言えば、あんたに合った職種を紹介してくれる案内所みたいなところよッ! 私はダニーの娘のニーナよ! 名乗らせる前に自分が名乗りなさいよね」
「あー・・・、えーと、僕の名前は・・・、、覚えてません」
「覚えてません君ッ! 明日は朝が早いからすぐに寝て、朝日が昇ると共に起床する、分かった?」
「はい、分かりました」
台風のように現れたニーナは、言いたい事を言い終えるとすぐに部屋を退出した。その台風に圧倒された少年は、言われた通りにすぐに深い眠りへとついた。
ニーナと出会ってものの数分、ここに新たな主従関係が生まれた。
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