ルーシアンミス

月白 翠

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二章 ウュトヒアの顕現

一話 魔物の復活

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 ウュトヒアⅥ。 (ゆとひあ ろく)
 その場は薄暗く空気が張りつめていた。広くない部屋の壁には人の背丈を越える鏡があり、その前には全身黒ずくめで手には短いしゃくを持った人物が何かを唱えている。錫を振るたびに甲高く冷たい音が響いている。音と共に黒色の鏡面は泡立っていた。さながら水のように。
 その部屋には他にも人がおり、彼らは皆黒ずくめで顔には模様が描かれた仮面を付けている。膝をついて俯き、薫る香の中で錫を持つ者の声を聞いていた。
 錫を持つカザムセザールはさらに声を大きくし、錫を長く鳴らすと仮面を付けた者二人が布を被せた何かを引っ張って現れた。彼らはそれを泡立つ鏡の前へ。頭から被された布を外すと「贄」と書かれた仮面を付けた人が現れた。彼らはそのまま贄を鏡の中へ押し込む。すぐ後ろには同じように「贄」と書かれた仮面を付けた人がもう一人、泡立つ鏡の中へ押し込まれた。黒い水のような鏡面は贄を飲み込むと大きく波打ち始めた。その時、何かが砕ける音がして、鏡面は一瞬だけ赤く染まりすぐ元に戻った。
 カザムセザールは鏡を横に見て再び唱えた。すると鏡面は黒い波に覆われ荒れた海のようになった。その荒れ模様が次第に早くなり、やがて渦を巻いていくと中から外へ黒い渦が飛び出してきた。渦はぐるぐると回転しながら二つの人影を形成していった。
 黒い渦がゆっくりと収まっていくとそこから角を持つ人が現れた。どちらも長身で一人は体格が良く筋肉質、もう一人は細身で腰が極端にくびれている。体格の良い方には頭部に二本のねじれた角、細身の方は額に尖った一本の角がある魔物バルバニオン。彼らはダルーナによって封じられていたのだが、カザムセザールによって封印を解かれ久し振りに外の空気を感じている。
 一本角の魔物バルバニオンが細い舌で赤黒い唇を舐めながら俯いている者の間を歩き出した。上から値踏みしているのか、じっくりと眺め回して一人に目をつける。目をつけた者をいきなり掴んで立たせると仮面を外し、何が起きているのか驚く顔の口に自分の唇を合わせて精気を吸い始めた。突然の事に吸われている者は体を小刻みに揺らしながら抗おうとしている。周りの者達はただ恐れて恐怖心をひた隠しにしていた。
 魔物バルバニオンの吸う力は衰えず力強く吸い続けていた。間もなく吸われている者の肌がひび割れ、顔色も悪くなっていく。抗う気力も無くしていって命の危機が訪れたところでカザムセザールが錫を振った。錫を振られて魔物バルバニオンに嵌められている輪が首を締めつけた。吸い続ける唇を離すと睨みながらカザムセザールを見た。
 「妾の邪魔をするな」
 角の先がにわかに光るとそこからカザムセザール目掛けて光る針が飛んでいく。再び錫を振るとそれは溶けるように消えていった。苦々しい表情の魔物バルバニオンは再び角から光る針を飛ばそうとするとまた首輪が躾のように絞められた。魔物バルバニオンは喘ぎながらカザムセザールを睨む。
 それを認めると二本角の魔物バルバニオンが仲間へ歩み寄った。
 「やめろ。我らを開放してくれたのだぞ」
 「だからって従う謂れはない」
 その通りだと思いながら二本角の魔物バルバニオンは声を潜めて続けた。
 「外へ出て来たばかりだ。まだ、力の全てが戻っているわけではないだろう。時を待て、この忌々しい首輪を外せるまで」
 そう言って自分の首に嵌まる物を見せた。同じ首輪を。何を言いたいのか理解した一本角の魔物バルバニオンは睨むのをやめて、今まで精気を吸っていた者を離した。その男はその場にくずおれ、すぐ近くの者達が抱えて逃げるように退出して行った。
 その成り行きを見ていたカザムセザールは錫を下に向けて二人の魔物バルバニオンへ近寄った。
 「おれはカザムセザール。このウュトヒアⅥの代表でプーボゥの最後の継承者。この場にいる者達はおれの信奉者だ。あまり無体な事をしてくれるな。餌なら外にいくらでもある」
 一本角の魔物バルバニオンが目の周りの赤色を強くして興味があるようなそぶりを見せた。それに対して二本角の魔物バルバニオンは相手と目的を知る為に会話をする事にした。 
 「我らを開放してくれた事に感謝する。我らが誰なのか知っての事か?」
 「もちろん。最も名の知れた魔物バルバニオン、ルゼファスとデルメレ。二人で三本角の力を持つ稀な存在」
 二本角の魔物バルバニオンは喉の奥を鳴らした。これは笑っているようだ。彼らは可笑しいという感情を持っていないが、人の姿に近い角ありの魔物バルバニオンは人を真似る。人より優れていると表現しているつもりでいるから。 
 「最も有名とは。正真正銘、有名なのは実際に三本の角を持つものだ。そんな事は始めから承知か」
 ルゼファスは人でいうところの皮肉な笑みを浮かべた。見た目は笑みに見えないが。
 魔物バルバニオンの角は一本か二本だが、稀有な存在として三本の角を持つものが一人だけいる。ルゼファスはそのものを持ち出し、カザムセザールを揺さぶろうとしている。彼には自分達が何の為に解放されたのか予想がついていたから。首に制御の輪を嵌めたのがいい証拠だ。デルメレは外へ出られて喜んでいるが、人に使われるのは何とも腹立たしいものだ。
 カザムセザールはそれを始めから分かっていたのか、口元を上げて答えた。
 「そのものの封印は解けない。封印場所が特定出来ないからだ。それに、そのものが稀有なのは角の数だけではない。君達とは正反対だろう?」
 上手く返された、とルゼファスは思った。稀有な存在である三本角は魔物バルバニオンでありながら争いを嫌っている。
 「我らに何を望む?」
 「君達のしたい事を。但し、場所と規模はこちらで指定する事になる」
 両手を上げて歓迎の意志を示した。目の前の人間は自分達を上手く使い、何かの役に立たせようとしている。恐らく自分の野望の為に。それはルゼファスにとって旨味のある感情だった。人の野望こそ彼の餌の一つ。手の届かない願望をかざし、それが成就する間際に打ち砕かれた時の人の嘆きが好物。従順にしていて寸前に目の前の人間を高みから突き落とすのも悪くない。
 目を細めてルゼファスはカザムセザールに向き合った。人に従うなど初めてだが、上手くこなして、自分の美味しい餌をあとでたっぷり味わうとしよう。
 「いいだろう。解放の礼だ」
 そう言ってルゼファスは隣のデルメレを見た。デルメレは納得していないようだが、自分のやる事に反対はしないだろう。今までもそうだったから、デルメレは黙って成り行きをみている。
 「では契約の証として首輪に紋章を刻む。首輪を通してこのウュトヒアⅥでしていい事、してはならない事を教える。外へ出ても同じだ」
 カザムセザールが錫を小さく振ると首輪に紋章が刻まれていった。紋章は円の中にプーボゥの証である耳が大きく団子の形をした鼻の横顔。その姿は最初にプーボゥの技を確立した人物の姿といわれる。
 デルメレは紋章が刻まれていった首輪を掴んで力を込めた。外せるか試したのだが全く壊れる気配はない。舌打ちをすると無言でルゼファスを見た。首にかかる圧力がむず痒い、何とかならないかと訴えていた。
 「コレはいつ外れる?」
 と聞いた。カザムセザールは親し気な表情を向けた。
 「いずれ、外れるだろう」
 何やら意味ありげな言い方だったが魔物バルバニオンのルゼファスには予想する事が出来ない。自分達をわざわざ解放したのなら役立たせてから再封印を施すかもしれないが、目の前の男にそれだけの力があるようには見えない。自分達を封印したあの時の、あの若者ほどの力があるとは到底思えなかった。
 ルゼファスは魔物バルバニオンにしては思慮深いほうで、時期を見極めるのが得策と判断。横に伸びた口元を上げ、笑っているような表情を向けて
 「そうか」
 とだけ言った。
 カザムセザールとルゼファス、デルメレの間の妙な緊張感が漂った。
 そこへ、不躾にも扉を大きく開けて入って来た者がいた。扉の開放と共に明かりがついた。
 軽い足取りで入って来たのは黒ずくめのほっそりとした若者で黒い仮面で顔の半分を隠している。その仮面は額で骨に直接食い込ませており、面は鼻をよけて額から頬の半分を覆っている。それはカザムセザールが使うプーボゥの技の一つで付けられていた。仮面の額には先程魔物バルバニオンの首輪に付けたのと同じ紋章が刻まれている。
 短い金の髪を波打たせて躍るような足取りで来たその若者は魔物バルバニオンの周りを回りながら陽気に言った。
 「無事に解放出来たんですねぇ」
 歌っているような滑らかな口調だった。珍しそうに角ありの魔物バルバニオンをじっと眺めているとしなを作ってルゼファスを見上げる。
 「いいねぇいいねぇ、本物だよ。ボク初めて見るよ。ねぇ、どれ位の力持ってるの? ねぇねぇ見せてよ。ねぇってば」
 女のような高い声だが喋り方は少年のよう。黒仮面の若者は媚びるようにルゼファスに擦り寄った。ルゼファスは何の感情も興味も表さず無視している。
 「遊ぶな」
 カザムセザールが窘める。
 「こいつもお前達と同じだ。仲良くしろとは言わないが争いだけはしてくれるな」
 若者は唇を突き出して抗議を示した。それから彼は手招きして魔物バルバニオンを案内する為に歩き出した。カザムセザールは彼らの部屋を用意してあるのでそこへこの者が案内すると伝えた。
 魔物バルバニオンが部屋で寛ぐなどあり得ないのだが、従うと決めたのでルゼファスは後について行った。渋々デルメレも続いた。
 「ボクはベールマーゴ。君達と同じだよ、とね」
 若者が気に入らないデルメレは振り向いて言った彼の額に銀色の爪を伸ばして突き刺した。
 「うるさいね」
 捻って爪を引き抜く。本来ならその場に倒れるのだがこの若者は何事もなかったように陽気に言いきった。
 「こんなの無駄だよ」
 そう言うと姿が揺らめいて煙のように消えた。驚いたデルメレは辺りを見回すがどこにもいない。すると背後に現れ、仮面を付けている額に傷はないと見せながら口元で笑っている。
 「何者だ」
 ルゼファスは冷静に尋ねた。片手でデルメレを制しながら。
 「同じって言ったじゃん。ボクもカザムに助けられたんだよ」
 そう言いながら仮面に刻まれた紋章を示し、
 「カザムのおかげでボクはここにいる」
 ベールマーゴは自分の胸を指差した。
 「だからカザムのしたい事を助けるのさ。ボクはマーゴサナスの使い手、コルセイムを壊すものだよ」
 大きく手を広げて高い声で楽しそうに笑った。



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