永遠のゼロ

黒いテレキャス

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永遠のゼロ

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比島


フィリピン



そんな所に自分が来る事になるとは思わなかった。



自分が飛行機を操縦するなんて事も2年前には想像もしなかった。




全部、夢じゃないのか?



しかし、操縦桿を握る右手、スロットルに添えた左手、フットバーの上に載せた両足から伝わってくる振動


ロケット排気管からの爆音


これらは現実


それにしてもうるさい。



練戦や21型とは桁違い。



数時間飛行したら一時的に難聴になる程だが…




もうどうでもよい



あと少しの命だ。



まだ22歳なのに。



振り返ると列機はそれぞれの位置にドンピシャついている。




二人とも甲飛10期と言っていたか…




二十歳そこそこで見た目はまだ子供っぽいが俺よりずっと飛行時間は長いし実戦経験もある。



俺は大学に行ってそれなりに楽しい思いもしたが、あの二人はどうなんだろうか?









ジャガイモを剥く手を止めると額の汗を拭う。


一体俺は何をやっているんだろう?


故郷のアリゾナの事を思い出す。



15歳でガソリンスタンドで働き始めて、3年後レストランに転職した。



あの糞暑い厨房でやってたのと同じ事をやっている。




違うのは、ここが駆逐艦の中だと言う事。




今が戦争中だと言う事。




このまま実戦経験無しで故郷に帰りたい。



ジェニーと38年型ダッジが待ってるアリゾナに。



昨日、来た手紙を思い出す。



愛してるテリーの文字が入った写真


輝くような笑顔



白黒写真でも俺にはまざまざとゴージャスな金髪が見えた。



あのオッパイの感触も浮かぶ。



糞、フィリピンかどこか知らないが俺がこんな所にいるのはJAPのせいだ。



カミカゼ?



自殺攻撃なんかするクレイジーな野蛮人どもめ














何故俺は今ここにいるのだろう?




何故死を目前にして、こんな事を考えているのだろう?



13期予備学生



このまま陸軍に二等兵として叩きこまれるよりずっとマシだと思って志願した。




飛行予備学生に採用され飛行要務士ではなく搭乗員、操偵判定で操縦、しかも戦闘機操縦専修



いくつもの難関を突破した結果が



特攻隊員。



国の為というより父や母、姉、そして




いづみさんを守る為




戦う覚悟はある。




しかし、必ず死んでこいというのは…



形式的には志願だが、実際は拒否なんかできない。



同期には良い死に場所を与えられたと喜んでいたのもいる。本心は分からないが…














マクベインがこちらを見ている。



どっか東部の出身で大学を途中でやめて工場で働いていたとか言ってたか



なんかいけすかない野郎だ。



ひょっとして俺がほとんど文字を読めないのを知っててバカにしてるのか?そう思う時がある。



「サボんなよ」




マクベインの声にはトゲがあった




「今何て言った?」


こっちの声も尖っていた。



俺がサボってるだと…


そりゃ少し手は止まってたかもしれないが


前から口のききかたもムカつく。一つくらい年上だからって偉そうにするな。



肩の筋肉が盛り上がるのが分かる。子供の頃から散々肉体労働させられてんだ。



こんな青っ白い東部野郎なんて1発で…




「ケンカはダメだよ。見つかったら営倉だよ」



ルイスの青い目には怯えの色が浮かんでいる。





ハイスクールを出たばかりとか言ってたが、それにしてもまるで子供だ。



リンゴのようなほっぺ、コイツ髭もまだ生えてないんじゃないか?




「ま、確かに営倉はイヤだな」



肩の力を抜きジャガイモ剥きに集中しようとする。



マクベインが鼻をならしたが無視してやる。




ルイスを見てると故郷の幼なじみを思い出す。




そいつは女の子だったけど。
















上空の直掩機を見上げる。



あの3人は俺達よりは助かる確率が高いが生還率はそう高くはない。



しかし、絶対死んでこいと言われるのと1パーセントでも助かる可能性があるのでは、精神的に全然違う。



自分が、その立場になってはっきり分かった。



中島飛行長は俺達が何を考えてるとか気にもしてないんだろう。



海兵出身の士官の中でもアイツは最悪だ。




台南空時代は自分で零戦を操縦して出撃してたそうだが…


アイツは自分が最後に一人残った操縦員になっても特攻出撃しないだろう。



俺はもうすぐ死にアイツは生き延びる。



いても立ってもいられないような怒りが込みあげてくる。










ジャガイモの次は玉ねぎだ。やれやれ…




「クソムカつく」



マクベインが吐き捨てるように言い、また蒸し返してくるのかとウンザリしたが



「なんで俺はこんな所にいるんだ?」



皮を剥いたばかりのジャガイモの山を見ながら舌打ちする。



まあ、それは俺も思ってる。



「怖いよ」



ルイスがボソッと呟く。



目が赤く潤んでるのは玉ねぎのせいか?



「俺も怖いよ」



思わず正直な気持ちが出てしまいマクベインの方を見たが別にバカにする様子はなかった。



コイツだって怖いんだろう。当たり前だ。



俺達の戦闘配置はダメージ・コントロール要員。



訓練はしたが実際に炎が燃え盛り爆発が起きてる中でやれるかどうか?



コックだけじゃなくて消防士もやらなきゃいけない。



自殺攻撃なんかしてくるクレイジーな野蛮人どものせいで。










思わず怒りに身をよじらせバンドが肩に食い込む。そして…



左の肋骨に固い感触




救命胴衣の裏に差し込んでおいた1冊の本。


思えば、これから死ぬのに救命胴衣等いらないが誰も脱げとは言わないし脱がないのでいつも通り着用してる。


本を取り出すとかすかにカビの臭いが漂う。



夢中になって読み耽った本の第一巻だけを最期の飛行に持ちこんだのは感傷のせいだろうか?



最期を一緒にするのが、この本とは皮肉。



考えてみれば欧米文化には悪印象なんか全然ない


敬意を払っているくらいだ


一校時代を思い出す。


幸せな日々。



我が人生最良の時。



欧米文化を理解するために英語、ドイツ語、フランス語を学びアダム・スミスの「国富論」、トーマス・マンの「魔の山」チボーの「チボー家の人々」なども原書で読んだ。


英語教師イギリス人のベル先生はどうされたのだろうか?無事に帰国できていれば良いのだが…




欧米文化と言えば映画!


新宿光音座で見た「巴里祭」「巴里の屋根の下」「望郷」「舞踏会の手帳」「我等の仲間」「地の果てを行く」といった数々のフランス映画に描かれた世界には酔いしれた。


道玄坂シネマで見た「駅馬車」のスケールの大きさには圧倒された。


そして「スミス都へ行く」を見た翌日が真珠湾攻撃で、ドイツ以外の欧米映画は上映禁止になってしまった。



アメリカやフランスでこれからも素晴らしい映画が作られていくが、それらを俺が見る事はない。


この本も映画化されたらしいが見る事はできない。厚木の302空のガンルームにはシンガポール辺りで鹵獲したフィルムがあるそうだが…



俺の人生はまもなく無に帰する。







ゼロ



皮肉なモノだ。



今、俺が操縦しているのは零戦


正式にはれいしき艦上戦闘機だが…



ゼロセンと呼ぶ事もある。



ゼロに乗ってゼロに成る。



そんな事全く望んじゃいないが。



あの精神訓話好きの飛行長はこの戦争を生き延びるだろう。



またハラワタが煮えくり返るような怒りが込み上げてきたが


まもなく索敵機が敵艦隊発見を報じた海域だ。



母親、父親、姉、そして…



いづみさんの顔を思い浮かべる。



俺は君の為に死ににいく



そう思わないと死ねない。








初めての戦闘は突然始まり突然終わった。


いや終わったのか?


今のところ上空には敵機は見当たらず対空砲も沈黙しているが…


ダメコン要員の装備は重くて暑い。その上…



一機のカミカゼが体当たりし艦内は地獄になった。


呼吸用の装備を顔から引き剥がし生の空気を吸い込む。硝煙やその他異臭にむせる。


周りの連中も命令はないが息苦しいマスクを外している。


ルイスは無事か。マクベインもか。



改めて辺りを見回す。



退艦命令が出なかったのが不思議なくらいの損傷。



まだ完全には鎮火していない。消火活動は無我夢中で何をやったか全く覚えてないが訓練でやった通りにできたらしい。




それにしても初めて見た焼死体は衝撃的だった。



それも大量に。



誰が誰か判別できなかったが知ってる奴も混じってたかも知れない。



艦腹に大きな破孔が開いていて海が見える。




ルイスが穴の近くに立ってるのがシルエットとして浮かんでいる。



改めて小柄だと思う。ホント子供だな…



「そんな所に立ってると危ない…」





言葉の途中で爆発。



気づいたらうつぶせに床に這いつくばっていた。



後ろからの爆風でたおされたが幸い耳がキーンとしてるだけでケガはないようだ。



また爆発があるのでは?と怯えながら辺りを見回す。とりあえず火災が広まっている様子はないが…



頭を振りながらヨロヨロ立ち上がる人影。あのひょろ長いのはマクベインだ。



「おい大変だ!」



いつになく動転しているマクベインの声。外を指差している。




慌てて駆け寄り横に立ち外に視線を送る。




一面鉛色の海と曇天。




「ルイスが…」




マクベインの顔は蒼白だった。




「海に落ちた。爆風で飛ばされて…すぐに沈んじまった」




頭の中が真っ白になる。




「本当か?」




バカな質問だ。ウソなんかつく必要ない。マクベインが激しいショックを受けているように見えるのが意外だった。



意味がないと分かりつつルイスの姿を探す。見えるのはただ灰色の景色。



ダメコン要員の装備は一瞬にしてルイスを海底に引きずり込んだのだろう。




不思議と悲しいという気持ちが浮かんでこない。




現実味がない。




そこの物陰からでもルイスがひょっこり現れそうな気がする。



「おい」



振り返るとマクベインが床の上の何かを見つめている。



最初は何か分からなかった。




JAPの死体だ。




上半身だけなので何か分かりにくかったが確かに茶色の飛行服を着たクレイジーカミカゼ野郎だ。




死ぬ癖にライフジャケットなんか着てやがる。




マクベインがかがみ、ライフ・ジャケットから何か取り出す。



1冊の本。




表紙の文字をマクベインが読み上げる。



ああ映画は見た。


ヴィヴィアン・リーは美人でセクシーだった。ジェニーにはこんな事言えないけど。



なんでJAPがそんな本持ってやがるんだ?



「JAPに英語なんか読めるのかよ?」



マクベインの言葉にイラッとした。れっきとしたアメリカ人でも英語読めない奴は沢山いる。



「おい、コイツまだ生きてる」



マクベインの驚いた声で我に帰る。




確かに上半身だけなのにそいつはまだ生きていた。



飛行帽の下の黒い目がこちらを見ている。そこに浮かんでいるのは苦痛とそして…


JAPは猿みたいなモンだと思ってたが、そいつの顔は俺らとそう変わらないような気がした。



それが何故か無性に腹立たしい。英語の本なんか持ってた事も…




ルイスの青い目と無邪気な笑顔が頭に浮かぶ



「どうする?コイツまだ息をしてるぜ」



途方にくれたようなマクベインの声




「もう長くないさ」



思いっきりJAPの顔の上に飛び乗った。



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