いのちだいじに~美食貴族かくあれかし~

手鳥 鮮

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第二章 寸胴一つあれば大抵どうにかなります

作戦、そして次の料理

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 窓を開けると雨晴らしの湿気た空気が執務室に立ち込め、夏季まで遠いというのにシャツが煩わしい。ハティは帰りがけに買ったオークの塩焼きを頬張って喜色満面だ。

 冒険者ギルドから領主邸に戻った俺は、ボールスを執務室に呼び出すことにした。そこらの使用人に頼むよりもよっぽど速いだろうと思い、食べ終えたハティを二階の窓から解き放つと、五分と言わず、ドアのノックが響いた。入室を許可すると、巌のような男が体を滑り込ませた。今日は大男に縁のある日らしい。

「ライゼ村のことは?」

「ある程度はトーマスさんから聞いております。かの村がオーク共に襲撃され、今も尚占拠されているとか」

 書き物机の前に屹立するボールスは、その茶けた顔を顰めている。

「悪い知らせを一つ付け足してやろう。オーク達はライゼ村を要塞化――と言うと流石に過言かもしれないが、外壁で囲んでいるらしい。なにやら……不穏だとは思わないか?」

「知性ある個体が生まれた、ということですね」

 ボールスの瞳が驚愕に見開かれ、次いで厳しく吊り上がった。

「こうなった以上、大勢で押しかけて真正面から潰す、なんて手は打てない。作戦を練らないとな。というわけで、あれは準備できたか?」

 巻かれたガサついた紙が差し出され、閉じ紐を解き広げると、それは地図だった。端がざんばら髪のように擦り減り、いくつか折り目のある、年季の入った地図だった。線や記号が細かく描かれたそれは、太陽の光が差し込む中、その細部までを明らかにしていた。

「これは……よくできているな」

「はい、マック様から頂いたライゼ村近辺の地図に、地形の高低や植生等を書き足したものです」

 地図の中央には、この世界の文字でライゼ村と書かれた楕円が置かれている。それを貫通するようにミミズか蛇かという線が引かれている。

「森の中の平地に、生活用水を確保するための川を囲むようにして出来た村、か」

「人にとって住みよい環境は、オーク共にとっても魅力的だったのでしょう……」

「皮肉なものだな……」

「えぇ、本当に」

 ふと地図の端に視線を移すと、赤いバツ印がちらほら見える。オークの巣穴だ。いや、正確には巣穴だった場所だ。山の斜面に沿うようにして幾つか見えるそれは、洞窟を利用していたらしい。

「ライゼ村の現状が定かでない以上は、近づいて状況を逐次確認しながら作戦を立てるのが好ましいと思うが、どうだ」

「理想を言えば、事前に情報収集をして綿密に作戦立案を済ませておくべきなのでしょうが、この場合は仕方ないでしょう」

 次善の策という奴だ。対象に気取られないよう慎重を期して臨めば、机上で妄想と仮定を練り続ける現実味の無い作業を重ねるよりも、よっぽど現実に即したものになるはずだ。

「先程、冒険者ギルドから帰ってきた所でな。ヘンリー支部長と生存者から話を聞き、冒険者を幾らか出してくれると確約を得た。お前達騎士団は俺の直轄部隊として動いてもらう。冒険者達にはこちらで作戦を提案し、了承すれば協力してくれるそうだ」

 演技のように肩を竦めてみた。命あっての物種。命がけの仕事をしている風来坊の彼等は、領主の権威というものに縛られない。

 実際、冒険者は貴族の民を守るという義務を疑似的に肩代わりしているという側面があるのだから、上手く付き合えなければ自分の負担として帰ってくるというのが現実だ。金と名誉のために戦う冒険者と、立場と名声のために戦う貴族。似たようなものだ。

「我々騎士だけでは心もとなく思っておりました故、助かります。では、あとは装備や食料品を整えて出発ですか」

「あぁ、装備品はお前達に任せる。俺は食料の準備に入るから、何かあれば報告をするように」

「かしこまりました」

 ボールスは右腕を胸に添え、部屋を後にした。





 執務室の上等な椅子の座り心地を名残惜しく思いながら、掛けていた外套に袖を通す。

「外行くの?」

「あぁ、ライゼ村の近辺で作戦を立てるなら、派手な煮炊きは勘付かれる恐れがある。監視の騎士が殺されたということは、向こうも偵察を出していることだからな」

 つまるところ、今回の作戦に持っていくのは調理に時間のかからない物。そして保存食ということになる。

 俺と同じ結論に至ったのか、ハティが口を尖らせた。手のかかる料理の美味しさに味を占めた彼女には、手抜きに感じたのかもしれない。

 手間のかからない料理というのは決して手抜きではないのだが……。食べる側は、得てしてそのことを知らないのだ。食べるのに手間のかからない料理を作るのに手間がかかる、というジレンマを知らないのだ。ポテトサラダは無から生み出されるのではない。全国の男性諸君は覚えておこう。

「買い物と調理を手伝わないなら味見もさせんぞ」

「干し肉の味見なんていらないし」

「干し肉も勿論持っていくが、そんな前時代的なもので俺が満足するわけが無いだろう」

 俺の挑戦的な声色に気付いたのだろう、ハティがソファから身を乗り出した。

「なに!? なに作るの!?」

 俺と年齢は変わらない彼女のいとけない仕草に、思わず緩む口元を隠すようにしてドアに手をかけた。

「”ギモーブ”と”シリアルバー”、それと”オークのコンフィ”」

 ある種呪文のような俺の呟きに、食欲の権化が呼び出されたらしい。籠を抱えたハティが音もなく俺の後ろに立っていた。

 遠くの練兵場から、甲高い音と揃った野太い声が聞こえる。空はすっかりと雲を晴らし、二つの軽い足音が廊下に響いた。
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