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第十三話 とても疲れましたわ

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 リアノラと身体が入れ替わってから、苦労しながらも数ヶ月が経とうとしていた。この数ヶ月の間にわたくしカナルディアの成績が著しく下がり続け、淑女らしさも垣間見えなくなって公爵令嬢であるわたくしの評判は下降する一方にあった。

 ……学園内では、婚約者のイーロイズ殿下をリアノラに奪われた事によるショックで乱心されたのでは? という噂が広がり、最近では腫れ物にでも触るかの様にカナルディアから皆距離を取る様になってしまっていた。そんな中マーク・ハイランツだけは変わらず彼女の傍に居る様だった。

「……疲れたわ」

 誰も居ない中庭の隅でわたくしは、深い溜息を洩らした。

 わたくしなりには努力した。元の身体に戻った時にリアノラが困らない様に、逆ハーレム状態を維持しようと頑張った。頑張ったんだけど……上手く行かなかった。そもそも、幾人もの殿方と“あははうふふ”な関係を出来る筈もなかった。ただでさえ、イーロイズ殿下からのアプローチであたふたしてしまうのだ。

「もう、許して……」

 リアノラからは散々、逆ハーレム維持について文句を言われた。そして元に戻ってから自分で何とかするから、もう下手な事をしないでとまで言われた。最近では、イーロイズ殿下とマーク・ハイランツ以外の攻略対象者たちは元々の婚約者とよりを戻している。どうやらわたくしが彼らへの対応を上手く出来なかった事で、上がっていた好感度がどんどん下がってしまったみたいだった。

「ねぇ、神様。わたくし、頑張りましたのよ。これ以上もう無理ですわ……」

 リアノラの振りをするのも疲れた。自分の邸でもない男爵家で暮らす事も苦痛だった。男爵家の家族も使用人たちも、一言でいうとろくでもない者たちばかりの集まりだった。わたくしと違ってリアノラはケシュクリー公爵家での生活を満喫している様だ。男爵家では出来ない贅沢三昧をして遊び歩いてるらしい。

「条件を満たすことは出来ませんでしたけど……わたくし、リアノラと仲良く出来なかった事については反省しておりますのよ。ですが……それでも、これ以上リアノラと距離を縮める事は無理ですわ」

 わたくし一人が頑張っても、リアノラは変わってはくれない。もう色々、限界だ。

「ねぇ、神様。聞いてらっしゃらないの? お願い、話をさせて」
「……ディア」

 声に振り返ると、イーロイズ殿下が青ざめた顔をして立っていた。

「ディアがこうなったのは、神の仕業なのか? ディアが入れ替わりの魔法か何かを間違って発動させたせいでは無かったのか……」
「殿下……」

 まさか独り言を聞かれているとは思わず、神様の名前を出してしまった。ど、どうしよう……。あの自称神様からは想像しにくいけど、怒りを買ってそれこそアリへと姿を変えられてしまったら……。

「ディア……一体何をしたんだ。何をしたらそんな……神からこんな仕打ちを受けるんだ」
「ちが……違います、わたくしは何もしておりませんっ」
「では何故……」

 まるで卒業パーティで断罪を受けているかのように、わたくしは目の前が真っ暗になっていく気分になった。わたくしはただ、殿下を好きになって傷付きたくなかっただけ。罪というのなら、殿下へ冷たい態度を取り続けてしまった事か――。或いは、リアノラの思うようにちゃんと悪役令嬢としての役目を果たさなかった事だろうか。

 それが、こんなにも辛い罰を受けなければならない事なのだろうか。悪役令嬢になんて好きで生まれ変わった訳じゃない。普通に、お慕いする殿下の傍に居たいと思うだけなのに……それも許されないのだろうか。

 急にもう、何もかもどうでも良くなってきて……何故かポロポロと涙が零れていく。なんでわたくしは泣いているのだろう。

「…………ディア」

 殿下がわたくしの顔を覗きこんでくる。泣き顔を見られたくなくて横を向こうとするが、殿下がわたくしの顔を両手で包み自分の方へと向かせる。

「見ないで下さいませ、それにリアノラに触れないで下さいませ」

 どうしてこんなに苦しいのか。触れられて嬉しい筈なのに、それは自分の身体じゃなくリアノラの身体だからだ。自分の中に閉じ込めていた嫉妬心や恋心が涙と一緒に溢れ出てきてしまった。

「……そうだね、私だって本当はディアにだけ触れたいよ。でも今泣いているディアをほってはおけない」
「だ、れの……せいで泣いているとお思いですかっ。殿下なんて、殿下なんて嫌いです」
「私はディアが好きだよ、初めて逢ったあの日からずっとディアだけを愛しているよ」
「殿下はリアノラに真実の愛を見つけられたのでは……」

 だって前は、あんなにラブラブな姿を見せて来たじゃないか。いつもリアノラが殿下の腕に絡みついていて、楽しそうにお話をされていたのは一体……。

「リアノラ嬢との事はディアの気を引きたくて、利用してしまっただけだよ。悪かった」
「……リアノラを……好きじゃ、ない?」
「そうだよ、全く好きじゃない」

 殿下の言葉に力が抜けて、ペタリとその場に座り込んでしまった。じゃあ、わたくしは学園に入ってからの数年間、一体何と闘ってきたというのだろうか。

「ディア……そろそろ本音を聞かせてよ。私の事を嫌っている振りをするのは何故だい」

 あぁ……やっぱり、この人はわたくしの気持ちなんかお見通しだったのだわ。あんなに一生懸命、冷たい態度を取り続けてきたのに、この人の前では意味をなさなかった。

「わたくしを好きになる筈が無いからです」
「……よく言うよ、この私を一目惚れさせておいて」

 一目惚れ!? そんな話、ゲームの中には出て来なかったわ。政略的に結ばれた婚約で、殿下は悪役令嬢のわたくしには興味を持っていなかった。小言をいうわたくしを疎ましく思っておられて、それでヒロインに惹かれていく……そんなストーリーだった筈。

 座り込んだわたくしと視線が合う様に、殿下はわたくしの傍にしゃがみこまれた。そして、わたくしの顔を覗き込まれる。

「ディアは私の事が好きだよね」
「……何ですか、その自信は」
「そりゃこんないい男を好きにならない筈がないからだろう」
「はぁっ、もうっ……おっしゃる通り、好きですよ。悔しいですけど」
「そうか」

 もう何だか意地を張るのが疲れてきた。頑張って嫌われようとしても全然効果ないし。ガックリと項垂れていると、殿下は片膝をついてわたくしの身体を抱き寄せた。

「あっ、イヤです! リアノラのままじゃ」
「うん、もうリアノラ嬢じゃないからこうしている」
「は?」
「戻ってるよ、元の姿に」

 殿下はわたくしの髪を一房、手に取ると見える様に目の前で薄紫色の巻き髪へキスを落した。
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