盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編25 凍った心、彷徨う想い

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王都編25  凍った心、彷徨う想い
 
 …まあ、分かってはいた。
 出し抜いて黙って帰った事も、個人的な予定とはいえ何も言わずにいる事も、全部が全部悪手でしかなかったのだから。怒って当然だ。
 でも、まさか自分の屋敷に帰ったら俺の寝室で待ち構えているなんて思いもしなかった。
 ロアール商会から帰ってきてさあ寝ようと思って寝室のドアを開けて入ったら横から腕が伸びて来て声を挙げる事も出来ず捕らわれた。ついでにあっという間に抱えられてベッドに押し倒されて、というよりも押さえ付けられているのが今の状況だ。
 アルバートも家の連中もオルテガが来ている事を黙っていたな。
「……リア」
 御機嫌斜めのオルテガが唸るように低い声で俺を呼ぶ。普段は優しい黄昏色の瞳にも険がある。全面的に俺が悪いんだが、致し方なかった俺の事情も汲んで欲しい。今の彼には言うだけ無駄だろうけど。
「黙って帰ったのは悪かった。だが、ああでもしないとお前はついてくるつもりだっただろう?」
 必死で言い訳するが、無言で睨まれた。うーん、怒ってるな。
「……そうまでして俺には言えない用事なのか?」
 俺をベッドに押さえ付けたまま、オルテガが唸る。どうやら相当気に入らなかった様子らしい。何と説明しても理解してもらえる気がしないので困ってしまう。俺はオルテガを必要以上巻き込みたくないが、オルテガはそれを良しとしないのだから。
 手も放して貰えないので俺からオルテガに触れる事が出来ない。どうしたもんかと悩んでいれば、匂いを確かめるようにオルテガが俺の首筋に鼻先を埋めてくる。
「フィン」
 咎めるように名を呼んでも無視された。軽く首筋に噛み付かれてついびくりと体が反応してしまう。
「っ……こら、やめろ。誰にも触れさせてないから。それに、その場にはダーランもいた」
 自分から肩とかに軽く触れるくらいならノーカンだよなと内心で言い訳しながら告げれば、むっつりした表情のオルテガが顔を上げた。あー、これは別の地雷を踏んだかもしれない。許せ、ダーラン。こうなればお前も一蓮托生だ。
「アイツは許すのに俺はダメなのか」
 完全に臍を曲げてしまったオルテガは器用に俺の両手を片手で押さえながらもう一方の腕で俺の腰の下に腕を通して体を抱き締める。力が強いから内臓が出そうだ。
「リア、俺はお前の為なら地獄の果てまで供をして良いと言った筈だ。何故俺を遠ざける」
「それは……お前を巻き込みたくないからだ。お前には家も立場もあるだろう?」
 セイアッドは自身が家長であり、宰相である。それ故に何かあった時に犠牲になるのは自分だけで済む。しかし、オルテガにはガーランド家と騎士団長という立場があるのだ。
 幼い頃から第二の父母のような存在として慕って来たセレドニオとエルカンナシオン。兄弟のいないセイアッドにとって実の兄のようなアルトゥロ。彼等を巻き込む訳にはいかない。
「……これ程自分に不甲斐無さを感じた事はない」
 深い溜め息と共に俺の上に覆い被さってくるオルテガ。上手く体重をかけ過ぎない体勢を取ってくれているが、それでも少々重い。しかし、ここで文句を言ったらまた怒られる気がしたので甘んじて受け入れておく。
「お前が心配しなくても多少の事ではガーランド家も俺も揺るがない。むしろ、お前を独りで戦わせる方が心配なんだ。お前はもう少し周りに甘える事を覚えてくれ」
「十分頼っているつもりなんだが……」
 俺が頼り慣れていなくて甘え方が分からないのもあるかもしれないが、現状十分甘えていると思う。これ以上誰かに頼るのは良くないだろう。しかし、俺の返事が不満だったのか、オルテガは不服そうにその端正な顔立ちを顰めた。
「お前が不器用で周りに頼る事が苦手なのは知っていたが、これ程までとは思っていなかった」
 深い溜め息と共に呆れたように言われて少々ムッとする。俺的には甘えているんだから良いだろうに。されど、言い返す前にオルテガに顎を掬われて強制的に視線を合わせられた。
「お前は何でも自分独りで解決しようとするのをやめろ。出来る事なら一番に俺を……この際メイやルアク、ダーランでも良い。もっと周りを頼ってくれ」
「しかし、お前達にも立場や責任が」
「お前が思っている程俺達は弱くも脆くもない。敵対する者を捻り潰すくらい幾らでもやってきた。これからもそうだ。相手が何であれ、自らの邪魔をする者を赦しはしない」
 急に強い口調で言われて思わずびくりと肩が跳ねる。オルテガに顎を取られ、真っ直ぐに見つめられているから視線を逸らす事すら出来ない。
「そんなに俺は頼りないか?」
 じっとこちらを見つめてくる黄昏色の瞳に首を緩く横に振る。
「……お前が何を恐れているのか、俺にはまだ分からない」
 オルテガの言葉にギクリとする。心の底を見透かされたような気がしたからだ。そんな俺の動揺が伝わったのだろう。オルテガが俺の体と顎を離し、代わりに両手で俺の頬を包んだ。
「お前が本当に恐れているものはミナルチークの狸なんかではなくて目には見えない、何かもっと強大なものなんだろう。そんなものを相手に独りで戦おうとしないでくれ」
「……っ」
 切々とした訴えに、言葉が紡げずにはくはくと陸に上がった金魚のように口を動かすしか出来なかった。既にオルテガは察しているんだろう。俺が常に不安と戦っている事を。
 シナリオを捻じ曲げた先に待つものが何なのか分からない以上、巻き込みたくなかった。悟らせたくなかった。しかし、それに気が付かれてしまった。
「……フィンは運命を信じるか?」
 観念して短く吐き出せば、オルテガが一瞬だけ困惑したような顔をする。しかし、それも直ぐに失せて小さく頷いた。
「信じよう。お前と出逢った事も、こうして言葉を交わす事も俺の身の内に燃えるこの使命感すら全て運命の導きだろう」
 優しく抱き締めてくれる腕に小さく息を吐く。なんて説明すれば良いのだろう。今はまだ「俺」の事を打ち明ける勇気はない。出来る事なら「俺」の意識が失せるまで彼には隠しておきたかったが…。
「あの日、あの夜。私は天啓を得たんだ。これから起こる事について。……本来なら私はあの場で狂乱し、殿下やステラ嬢を攻撃する筈だった」
「お前が?」
 嘘を折り混ぜながら真実を告げれば、驚いたようにオルテガが俺を見た。攻撃系の魔法が得意ではないセイアッドが取るとは思えない行動に驚いているであろうオルテガに頷いてやる。
「そして、罪人として裁かれ、領地へ追放されて死ぬ迄幽閉される筈だった。だが、天啓を得た私はあの場で狂乱する事なく味方を得てこうして王都へ戻って来る事も宰相として返り咲く事も出来た。……今の私は本来在るべき運命を捻じ曲げた存在なんだ。いつかその反動が来ないとは限らないだろう。だから、出来るだけお前を巻き込みたくなかった。運命が報復してくるならば、私の身に待つのは破滅だ。その破滅に、お前を巻き込みたくない」
 いくつもの嘘を混ぜながら静かに話し終えた俺をみて、オルテガが痛切そうに顔を歪める。同時に強く抱き締められて、俺は思わず息を呑んだ。
「……何故言ってくれなかった。そんな重いものを独りで抱えないでくれ」
 強く抱き締めてくれる腕の強さに、思わず視界が滲む。
「言える訳がないだろう、こんな非現実的な話。それに……何があってもフィン、お前だけは守りたかったんだ」
 これだけはずっと変わらない本心。世界で誰よりも愛しい大事な人。彼が笑っていてくれるなら、それだけで良い。
 出来る事なら彼と添い遂げて、この先の未来を一緒に生きていきたい。けれど、俺が生きている限り不安は常に影のように付き纏う。いつか来るかもしれない破滅に怯えながら、それでもオルテガを手放せない。
 …本当は分かっているんだ。どんなに遠ざけようとしても誰よりも早く俺の元に駆け付けてくれたあの時から、既に彼も俺の運命に巻き込んでしまっているのだと。
 何もかも打ち明けられるなら、きっとその方が良い。オルテガの不安も解消出来て、二人で解決策を考えられるかもしれない。
 しかし、その一歩を踏み出せないのは「俺」がオルテガに拒絶されるのを恐れているからだ。
 こうして俺が恐れるものを暴かれた以上、いつまでも「俺」の存在も隠し通せはしないだろう。いつか必ず露見する日が来る。
 その時にいつも包んでくれるこの熱に、優しい声に、美しい瞳に。「お前は要らない」と拒絶されたらきっと「俺」は耐えられない。
 
 …両親や友人に恵まれた「私」と違って「俺」にとって世界はいつも冷たく厳しいものだった。
 不慮の事故で両親を早くに亡くし、親戚をたらい回しにされて生きてきた「俺」は常に厄介者でしかなくて。
 様々な事があったが、一番大きな心の傷として残っているのは両親の葬儀での出来事だ。
 両親を亡くした喪失も碌に飲み込めないまま、参加していた葬儀では誰もが幼かった「俺」を気の毒そうに、されど内心では疎ましげに見ていたのを覚えている。
 祖父母は既に鬼籍に入っているか、体調的に「俺」を引き取れるような状況じゃなかったから必然的に親戚の家に行く事になった。しかし、そんな葬儀の席で自分の処遇を巡って大人達が口論しているのを見て聞いてしまったのだ。
 先程まで気の毒に、元気を出しなさい、いつでも頼りなさいと言っていた口が、処遇をめぐって話し合いを始めた途端に次々に言葉で、態度で「俺」の事を拒絶する様子に、「俺」は要らないものなのだと強烈に心に植え付けられた。
 その場にいた女性の一人が気がついて直ぐに連れ出してくれたけれど、あの場面を見てしまってから他人の言葉を素直に信じられなくなった。
 どんなに優しい言葉を掛けられても、態度で示されても信じ切れない。笑顔でこれから家族だと言われたって今さっき酷く必死な顔をして拒絶していたのを見てしまってからではその善意を疑って掛かるしか出来なかった。
 子供を引き取るとなればそう簡単に話がいかないのも今ならば理解出来るけれど、あの出来事は大きな傷として今でも「俺」の心に遺っている。
 そうして、長い話し合いの末に最初に預けられた付き合いの薄い親戚の家には既に同じくらいの年齢の子がいた。その子が両親に甘える姿が羨ましくて堪らなかったけれど、子供ながらに言い様のない疎外感を感じて上手くそれを伝える事も出来ず、それでも行くあてがないのを知っていたからとにかく居場所を作ろうと必死だった。
 自分の事は何でも自分でやるようにしたし、手伝いも積極的にして、勉強だって頑張って。そのせいか早くに達観したような子供になった事が余計に大人達の神経を逆撫でしたのかもしれない。
 いっそ何も知らない哀れで可哀想な子供のままだったなら、大人の厚意を真っ直ぐに信じられて子供らしく素直でいられたのかもしれない。
 大人から見れば、「俺」は両親を亡くした可哀想な子というよりも、悲しむでも甘えるでもなく懐きもしない淡々と生きている得体の知れない不気味な子供だったのだろう。
 もう少し子供らしく振る舞えれば、少しは変わったのかもしれない。でも、当時の「俺」にとって自分を守るにはそれしか考えられなかった。
 頼る相手もなく、要らない自分を引き取ってくれた人達にこれ以上嫌われないように。置いてもらっている場所に迷惑を掛けぬように。それだけで必死だった。だから、利用されて都合の良い奴隷のように扱われた事も多かった。
 そんな人生を歩んでいる内に、どんどん他人の厚意を信じられなくなっていった。出会ったうちの幾人かは本当に「俺」を受け入れようとしてくれたんだと思う。でも、「俺」はその手を取る事が出来なかった。自分から歩み寄るのをやめた事もある。手が差し出されていた事にすら気が付かなかった事があるかもしれない。
 拒絶されるのが怖かった。「要らない」と言われるのが怖かった。だったら初めから独りでいた方が楽で、なるべく自分一人で生きていけるようにと努力して。
 今思えば、それが余計に悪手だったんだろう。やっと独り立ちして就職出来た会社でも散々都合良くこき使われた挙句過労死だ。そう思うと「俺」の人生は本当に碌でもないものだったな。
 ふと脳裏に思い浮かぶのは朧げな面影。やっと自分が望んだ道に就けて、それを失くさぬよう居場所を作ろうと必死だった会社で最も親しくしてくれた男だ。
 低くて優しい声音。通勤で居眠りする俺に貸してくれた肩の温もり。
 人との接し方が分からなくて不器用な「俺」をいつも気遣ってくれた、泣きたくなる程優しい奴だった。
 最早顔も名前も思い出せないというのに、無性に彼の声が恋しくなった。
 今にして思えば、セイアッドは「俺」の理想だったのかもしれない。人の為に励み、誰かを愛し愛されて幸せになる。「俺」では有り得ない未来を歩む理想の姿。
 日本での「俺」にはどうしても自分にそんな未来が来るとは思えなかったから。
 この世界にきて、初めて心から他人を愛おしいと思った。
 想い想われる幸福を知った。
 だから、「俺」は「私」が羨ましいのだ。
 こちらを見つめる優しい黄昏色の瞳も、抱き締めてくれる腕も、名を呼んでくれる声も。全部欲しくてほしくて堪らなかったもの。
 でも、この体もこの世界も「私」のものだから。
 異分子である「俺」はただ「私」が幸せになるのを手伝うだけだ。
 「俺」が入ったのがセイアッドで良かったと思う。他の人だったらきっとこんな風には考えられなかっただろう。向けられる想いも熱も、全部「俺」のものにしようとしたかもしれない。
 そんな自分の浅ましさが嫌になる。どんなに想いを寄せても所詮は仮初。何度も何度もそう自分に言い聞かせて。
 正体が露見したらオルテガはきっと「俺」を拒絶するだろう。だから、いつか「俺」の意識が失せる日まで死んでもこの秘密だけは隠し通さなければならないと思っていた。けれど、それももう難しいのかもしれない。
 指先に、頬に触れる熱の感触を確かめながら目を閉じる。
 これは夢。
 死の底にいる「俺」が束の間の泡沫に見ている暖かで幸せな夢だ。
「リア」
 名前を呼ばれてオルテガを見つめる。黄昏色の瞳も同じように見つめてくれる中、そっと逞しい背中に腕を回した。自分を包んでくれる熱が哀しくも愛おしくて堪らない。
「俺も共に戦わせてくれ。お前だけが背負う必要はない」
「フィン……」
 きゅっと抱き付きながら名前を呼ぶ。そろそろ「俺」も覚悟を決めなければならないのだろう。
 綻びはもう生じ始めているのだ。いつまでも「俺」の存在を誤魔化し続けるのは彼等の関係を壊しかねない。
 嗚呼、それでも。もう少しだけこの熱を独り占めにしたくて。
「……いつか破滅が来るとしても、それでもお前は私を選んでくれるのか?」
「俺がいるのにお前をそんな目に合わせる訳ないだろう。お前に破滅が訪れるなら……その時は俺も一緒だ」
 柔らかな笑みと共に額に口付けられて思わず涙が零れ落ちた。
 騙している罪悪感に。自分のものではない借り物の好意に。胸の奥から止めどなく湧き上がる愛おしさに感情がコントロール出来なくなる。
 どれが「俺」の感情なんだろう。「私」の感情と入り混じるこの気持ちは誰のものなんだろう。
 ぼろぼろと泣く俺を抱き締めながらオルテガが背を優しく撫でてくれるのが嬉しくて、哀しくて俺は彼の服を握って縋った。
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