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第一章
5 モフモフが好きな訳
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自室に戻ったアリスと私は、夕食前の身支度のため、鏡越しに向き合っている。辺りは、気まずげな空気でどんよりとしていた。
どうやらこの城では、城主との夕食はおめかしをして臨むものらしい。
元から文句なしの西洋美女であるリザエラは、お化粧なんてしなくても綺麗だ。もちろん、彩を乗せた顔はさらに美しい。
艶やかなストロベリーブロンドを獣毛のブラシでこれでもかと梳いてもらい、アリスの職人級の手技により、複雑な編み込みがなされる。結い上げた髪には、私……というかリザエラの瞳と同じ色をしたエメラルドのピンを差し込んでもらう。
つい先ほど、噂に聞くコルセット締め付けの洗礼を受けたが、思ったよりも辛くない。リザエラの身体は、この殺人的な圧迫に慣れているのだろう。
薔薇色のドレスは上質で、袖を通すだけで気分が上がるはずなのだけれど。
「その、リザエラ様。失礼ながらお聞きしても?」
子供部屋から戻り、最低限の会話しか生まれない二人の間に漂う薄暗い空気を打ち破ったのは、エメラルドの首飾りを握りしめたアリスだった。
私は緊張を覚え、お腹に力を入れて頷く。
「もちろん。何でも言って」
「では、その……」
アリスは俯き胸元で手を揉んでから、腹を決めたのか勢い良く顔を上げ、真っ直ぐこちらを見つめた。
「リザエラ様がお薬をたくさんお飲みになったのは、私どものせいでしょうか!?」
なんてド直球な子!
けれどアリスの問いかけは、先ほどナーリスが私に向けた疑念と同一なのだろう。私は鏡の中に映る自分を見つめ、動揺が顔に出ていないことを確認してから言った。
「アリス達の?」
アリスは微かに青ざめた顔で頷いた。
「リザエラ様はいつもお優しくてお綺麗でお優しくてお優しくて美しいので、直接私どもを非難することはありませんでした。ですがやはり、慣れない魔族の城での暮らしに戸惑っておられたのではないでしょうか」
私はうーんと唸り、記憶を呼び覚まそうと視線を彷徨わせる。
小花模様が散りばめられた壁紙をなぞり、真っ白なレースのカーテンを眺め、この城で暮らしたリザエラの五年間を思い出そうとしたが、やっぱりだめだ。
もしもこれが夢ならば、元からリザエラの記憶なんてものはないのだし、仮に没入型の最新ゲームか何かだった場合には、過去に関するデータは存在しないか、何等かのミッションを達成することで蘇るシステムなのだろう。
私は鏡に映るアリスの茶色い瞳を見つめた。
彼女が発した先ほどの問いは、持ち得る全勇気を詰め込んだものだったようだ。可哀想に、アリスは血の気が引いて青紫色になった唇を噛み、鏡の中で私の視線を受け止めた。
兎の垂れ耳がしゅんと萎れている。楽しそうにしている時にはあんなにモフモフしているのに、今や見る影もない。こんなにも健気な子に不安を抱かせるなんて罪だ。
励ましてあげたい、モフモフ。
気づけば私は、アリスを抱き締めていた。腕の中から、戸惑った声が発せられる。
「リザエラ様」
「ごめんね、アリス。私、倒れる前のことを思い出せないみたい。でも、いつかはちゃんと思い出したいと思っている」
ほんの少し前まで平凡な日本人だった私は、この世界の事情を知ることばかりに意識が向いていたけれど、リザエラと親しい人々は、当然疑問を抱いているだろう。つまり、なぜリザエラは自死を選んだのか。
先ほど私を気遣い図書室で勉強会を開いてくれたアリスだって、本当は主人を問い詰めたかったはずだ。それなのに私は、呑気にファンタジー体験を満喫することしか考えていなかった。
自分の身勝手さに、今さらながら自己嫌悪が込み上げてくる。
「思い出した時には真っ先にアリスに言うわね。それに今は、ほんの少しも死にたいなんて考えていない。だから悲しまないで」
「うっ。リザエラ様、リザエラ様ぁ」
アリスが、一切の遠慮なく私に抱きついてくる。彼女の口からは、堰を切ったかのように言葉が氾濫した。
「私っ、家族の縁が薄い家庭で育ったんです。両親は宮廷魔術士でいつも不在にしていました。引っ込み思案で友達もいませんでしたから、毎日一人で寂しく過ごしていました。だけど五年前、十三歳の時、リザエラ様のメイドになり仕事を褒めていただいて初めて、私なんかでも誰かに必要としてもらうことが出来るんだ、それなら誰かの役に立ちたい、と思うことができました。こうしてリザエラ様にお仕えすることがことができていなかったら、私は今でも一人陰気な毎日を過ごしていたはずなんです。だからもう、いなくなろうとしないでくださいね。リザエラ様がいらっしゃらないと、私は」
肩を震わせてしくしくと涙を流すアリス。兎耳に頬を寄せ、私は驚きを覚えていた。
アリスの境遇と蒲原リサの過去に、重なる部分があるように思えたからだ。
※
『ハッピーバースデー、リサ。十歳おめでとう。元気で過ごしているかな。学校は楽しい?
去年のお誕生日に贈ったぬいぐるみ、気に入ってくれたってお祖母ちゃんから聞きました。今年の誕生日プレゼントに買ったワンちゃんのぬいぐるみは届いたかな? パパとママで、去年のやつよりもとても大きいワンちゃんを選びました。気に入ってくれると良いのだけれど。
今年のお誕生日も一緒にいられなくてごめんなさい。パパとママは今、アメリカにいます。この映画を撮り終えたら日本に帰る予定だから、お仕事が終わるまでもうしばらく待っていてね。
リサのことが大好きなパパとママより』
「……」
十歳の私は薄暗い部屋の角で膝を抱え、手紙をぐしゃぐしゃに丸めて投げ捨てた。
傍らには、大人の男性くらい大きな犬のぬいぐるみが、くてっと横たわっている。
小さい女の子の多くがそうであるように、私は昔から、ぬいぐるみが大好きだった。特に、俳優業で多忙な両親と初めて三人でおもちゃ売り場に行き、一緒に選んでもらった黒い犬のぬいぐるみは格別だ。
もちろん、可愛らしい造形に惹かれたのは間違いないけれど、私がそのぬいぐるみに特別の愛着を抱いたのは、両親との数少ない幸せな思い出の品だからなのだ。
そんな子供心を理解できない両親は、毎年毎年、一回り大きな犬のぬいぐるみを郵送してくれる。手渡ししてくれないのは、何も愛がないからではない。両親は超が付く売れっ子俳優であり、テレビ画面に現れない日がないほどのCM王でもある。つまり多忙過ぎて、娘の誕生日に在宅していることが難しいのだ。
私が、親の不在を恨み、不器用ながらに注がれる愛情を理解しようとせず、闇雲に蹴とばすような強情な子供だったならば、毎年届くぬいぐるみなど、ズタズタに切り裂きゴミ袋に入れて捨てたかもしれない。
けれど私は、愛に飢えた子供であると同時に、極度のモフモフオタクだったのだ。そう、物心つく前から、フワフワしたものやフカフカしたものが大好きで、祖母に連れて行ってもらった動物園のふれあいコーナーで兎に抱きついて離れず、営業時間終了時、困った顔をした飼育員さんに兎から引き剥がされたこともある。
ちなみに哀れな兎さんは、悪鬼のごとく恐ろしい子供から解放されると一目散に逃げ去った。多分、私のことを捕食者だと認識したのだろう。
私のモフモフ好きは生まれつきのものだと言っても過言ではないけれど、それに拍車をかけたのは、両親への思慕だと思う。
思い出の犬のぬいぐるみと、両親が毎年ネットか何かで見繕ってくれる大きなぬいぐるみだけが、他人ほど心が遠い父母とリサを繋ぐ唯一の絆だったのだ。
私はふと、不安になる。もし、このファンタジー体験が夢でもゲームでもなく、事故で命を落としたことが現実だとしたら、両親はちゃんと悲しんでくれるだろうか。縁の薄い娘の死など、知り合いの子が亡くなった程度にしか嘆いてくれないかもしれない。
※
すん、と洟を啜る音がして、私の意識はリザエラの世界へと引き戻された。腕の中でもぞもぞと身じろぎしたアリスはやがて、羞恥で真っ赤に染まった顔を上げてから、一歩身を引いた。
「申し訳ございません。ご無礼を」
「無礼なんかじゃないわ」
「でも驚かせてしまいましたよね。だってリザエラ様は、ここで過ごされた五年間のことを、その」
アリスは言葉を濁したが、私はその意図を汲んで、頷いた。
「そう、思い出せないの。でも」
私はアリスの髪を撫で、どさくさに紛れて兎耳を触る。
「私にとってあなたがとても大切な存在だったということは、この身体が覚えているみたい。自然と抱き締めてしまうくらいにね」
アリスの真ん丸の目がさらに大きく見開かれる。目の縁に再び塩水が溜まるのに気づいた私は少し慌てたが、アリスは優秀なメイドだ。彼女は込み上げる感情をぐっと堪え、何度か瞬きをして涙を体内に引っ込めてから、健気にも微笑んだ。
「ありがとうございます、リザエラ様。私、これからもリザエラ様に誠心誠意お仕えします。まずはデュヘル様との晩餐のためにおめかしを……って、ぎゃああああ!?」
突然発せられた奇声に、耳がきーんとなる。
アリスは私の襟元を掴み、この世の終わりかというほどの驚愕を露わにしている。視線の先を追い納得した。薔薇色ドレスの布地に、涙の染みが付いているのだ。
「も、ももも申し訳ございません! ああ、どうしましょう。もうすぐ晩餐だというのに、私なんかの鼻水が!」
涙ではなく鼻水だったのか。
右往左往するアリスに苦笑しつつ、私は冷静に辺りを見回した。まずは、染みた水分をハンカチで拭う。続いて、吟味するためジュエリーケースの側に並べられていた薔薇のコサージュを手に取った。
鼻水の痕跡を覆ってしまおうと考えたのだが、あいにく大きさが合わない。アリスの兎耳がしゅんと垂れ、モフモフ度が激減する。胸が締め付けられて、見ていられない。
私は顎に手を当てて考えた。欲しいサイズがないのであれば、作ってしまえば良いのだ。実際、リサは丁度良い大きさのぬいぐるみを見つけられないと、自作していたではないか。オタク魂により鍛えられた私の裁縫スキルはなかなかのものなのだ。
「ねえアリス。お願いがあるのだけれど」
私は妙案を口にした。
どうやらこの城では、城主との夕食はおめかしをして臨むものらしい。
元から文句なしの西洋美女であるリザエラは、お化粧なんてしなくても綺麗だ。もちろん、彩を乗せた顔はさらに美しい。
艶やかなストロベリーブロンドを獣毛のブラシでこれでもかと梳いてもらい、アリスの職人級の手技により、複雑な編み込みがなされる。結い上げた髪には、私……というかリザエラの瞳と同じ色をしたエメラルドのピンを差し込んでもらう。
つい先ほど、噂に聞くコルセット締め付けの洗礼を受けたが、思ったよりも辛くない。リザエラの身体は、この殺人的な圧迫に慣れているのだろう。
薔薇色のドレスは上質で、袖を通すだけで気分が上がるはずなのだけれど。
「その、リザエラ様。失礼ながらお聞きしても?」
子供部屋から戻り、最低限の会話しか生まれない二人の間に漂う薄暗い空気を打ち破ったのは、エメラルドの首飾りを握りしめたアリスだった。
私は緊張を覚え、お腹に力を入れて頷く。
「もちろん。何でも言って」
「では、その……」
アリスは俯き胸元で手を揉んでから、腹を決めたのか勢い良く顔を上げ、真っ直ぐこちらを見つめた。
「リザエラ様がお薬をたくさんお飲みになったのは、私どものせいでしょうか!?」
なんてド直球な子!
けれどアリスの問いかけは、先ほどナーリスが私に向けた疑念と同一なのだろう。私は鏡の中に映る自分を見つめ、動揺が顔に出ていないことを確認してから言った。
「アリス達の?」
アリスは微かに青ざめた顔で頷いた。
「リザエラ様はいつもお優しくてお綺麗でお優しくてお優しくて美しいので、直接私どもを非難することはありませんでした。ですがやはり、慣れない魔族の城での暮らしに戸惑っておられたのではないでしょうか」
私はうーんと唸り、記憶を呼び覚まそうと視線を彷徨わせる。
小花模様が散りばめられた壁紙をなぞり、真っ白なレースのカーテンを眺め、この城で暮らしたリザエラの五年間を思い出そうとしたが、やっぱりだめだ。
もしもこれが夢ならば、元からリザエラの記憶なんてものはないのだし、仮に没入型の最新ゲームか何かだった場合には、過去に関するデータは存在しないか、何等かのミッションを達成することで蘇るシステムなのだろう。
私は鏡に映るアリスの茶色い瞳を見つめた。
彼女が発した先ほどの問いは、持ち得る全勇気を詰め込んだものだったようだ。可哀想に、アリスは血の気が引いて青紫色になった唇を噛み、鏡の中で私の視線を受け止めた。
兎の垂れ耳がしゅんと萎れている。楽しそうにしている時にはあんなにモフモフしているのに、今や見る影もない。こんなにも健気な子に不安を抱かせるなんて罪だ。
励ましてあげたい、モフモフ。
気づけば私は、アリスを抱き締めていた。腕の中から、戸惑った声が発せられる。
「リザエラ様」
「ごめんね、アリス。私、倒れる前のことを思い出せないみたい。でも、いつかはちゃんと思い出したいと思っている」
ほんの少し前まで平凡な日本人だった私は、この世界の事情を知ることばかりに意識が向いていたけれど、リザエラと親しい人々は、当然疑問を抱いているだろう。つまり、なぜリザエラは自死を選んだのか。
先ほど私を気遣い図書室で勉強会を開いてくれたアリスだって、本当は主人を問い詰めたかったはずだ。それなのに私は、呑気にファンタジー体験を満喫することしか考えていなかった。
自分の身勝手さに、今さらながら自己嫌悪が込み上げてくる。
「思い出した時には真っ先にアリスに言うわね。それに今は、ほんの少しも死にたいなんて考えていない。だから悲しまないで」
「うっ。リザエラ様、リザエラ様ぁ」
アリスが、一切の遠慮なく私に抱きついてくる。彼女の口からは、堰を切ったかのように言葉が氾濫した。
「私っ、家族の縁が薄い家庭で育ったんです。両親は宮廷魔術士でいつも不在にしていました。引っ込み思案で友達もいませんでしたから、毎日一人で寂しく過ごしていました。だけど五年前、十三歳の時、リザエラ様のメイドになり仕事を褒めていただいて初めて、私なんかでも誰かに必要としてもらうことが出来るんだ、それなら誰かの役に立ちたい、と思うことができました。こうしてリザエラ様にお仕えすることがことができていなかったら、私は今でも一人陰気な毎日を過ごしていたはずなんです。だからもう、いなくなろうとしないでくださいね。リザエラ様がいらっしゃらないと、私は」
肩を震わせてしくしくと涙を流すアリス。兎耳に頬を寄せ、私は驚きを覚えていた。
アリスの境遇と蒲原リサの過去に、重なる部分があるように思えたからだ。
※
『ハッピーバースデー、リサ。十歳おめでとう。元気で過ごしているかな。学校は楽しい?
去年のお誕生日に贈ったぬいぐるみ、気に入ってくれたってお祖母ちゃんから聞きました。今年の誕生日プレゼントに買ったワンちゃんのぬいぐるみは届いたかな? パパとママで、去年のやつよりもとても大きいワンちゃんを選びました。気に入ってくれると良いのだけれど。
今年のお誕生日も一緒にいられなくてごめんなさい。パパとママは今、アメリカにいます。この映画を撮り終えたら日本に帰る予定だから、お仕事が終わるまでもうしばらく待っていてね。
リサのことが大好きなパパとママより』
「……」
十歳の私は薄暗い部屋の角で膝を抱え、手紙をぐしゃぐしゃに丸めて投げ捨てた。
傍らには、大人の男性くらい大きな犬のぬいぐるみが、くてっと横たわっている。
小さい女の子の多くがそうであるように、私は昔から、ぬいぐるみが大好きだった。特に、俳優業で多忙な両親と初めて三人でおもちゃ売り場に行き、一緒に選んでもらった黒い犬のぬいぐるみは格別だ。
もちろん、可愛らしい造形に惹かれたのは間違いないけれど、私がそのぬいぐるみに特別の愛着を抱いたのは、両親との数少ない幸せな思い出の品だからなのだ。
そんな子供心を理解できない両親は、毎年毎年、一回り大きな犬のぬいぐるみを郵送してくれる。手渡ししてくれないのは、何も愛がないからではない。両親は超が付く売れっ子俳優であり、テレビ画面に現れない日がないほどのCM王でもある。つまり多忙過ぎて、娘の誕生日に在宅していることが難しいのだ。
私が、親の不在を恨み、不器用ながらに注がれる愛情を理解しようとせず、闇雲に蹴とばすような強情な子供だったならば、毎年届くぬいぐるみなど、ズタズタに切り裂きゴミ袋に入れて捨てたかもしれない。
けれど私は、愛に飢えた子供であると同時に、極度のモフモフオタクだったのだ。そう、物心つく前から、フワフワしたものやフカフカしたものが大好きで、祖母に連れて行ってもらった動物園のふれあいコーナーで兎に抱きついて離れず、営業時間終了時、困った顔をした飼育員さんに兎から引き剥がされたこともある。
ちなみに哀れな兎さんは、悪鬼のごとく恐ろしい子供から解放されると一目散に逃げ去った。多分、私のことを捕食者だと認識したのだろう。
私のモフモフ好きは生まれつきのものだと言っても過言ではないけれど、それに拍車をかけたのは、両親への思慕だと思う。
思い出の犬のぬいぐるみと、両親が毎年ネットか何かで見繕ってくれる大きなぬいぐるみだけが、他人ほど心が遠い父母とリサを繋ぐ唯一の絆だったのだ。
私はふと、不安になる。もし、このファンタジー体験が夢でもゲームでもなく、事故で命を落としたことが現実だとしたら、両親はちゃんと悲しんでくれるだろうか。縁の薄い娘の死など、知り合いの子が亡くなった程度にしか嘆いてくれないかもしれない。
※
すん、と洟を啜る音がして、私の意識はリザエラの世界へと引き戻された。腕の中でもぞもぞと身じろぎしたアリスはやがて、羞恥で真っ赤に染まった顔を上げてから、一歩身を引いた。
「申し訳ございません。ご無礼を」
「無礼なんかじゃないわ」
「でも驚かせてしまいましたよね。だってリザエラ様は、ここで過ごされた五年間のことを、その」
アリスは言葉を濁したが、私はその意図を汲んで、頷いた。
「そう、思い出せないの。でも」
私はアリスの髪を撫で、どさくさに紛れて兎耳を触る。
「私にとってあなたがとても大切な存在だったということは、この身体が覚えているみたい。自然と抱き締めてしまうくらいにね」
アリスの真ん丸の目がさらに大きく見開かれる。目の縁に再び塩水が溜まるのに気づいた私は少し慌てたが、アリスは優秀なメイドだ。彼女は込み上げる感情をぐっと堪え、何度か瞬きをして涙を体内に引っ込めてから、健気にも微笑んだ。
「ありがとうございます、リザエラ様。私、これからもリザエラ様に誠心誠意お仕えします。まずはデュヘル様との晩餐のためにおめかしを……って、ぎゃああああ!?」
突然発せられた奇声に、耳がきーんとなる。
アリスは私の襟元を掴み、この世の終わりかというほどの驚愕を露わにしている。視線の先を追い納得した。薔薇色ドレスの布地に、涙の染みが付いているのだ。
「も、ももも申し訳ございません! ああ、どうしましょう。もうすぐ晩餐だというのに、私なんかの鼻水が!」
涙ではなく鼻水だったのか。
右往左往するアリスに苦笑しつつ、私は冷静に辺りを見回した。まずは、染みた水分をハンカチで拭う。続いて、吟味するためジュエリーケースの側に並べられていた薔薇のコサージュを手に取った。
鼻水の痕跡を覆ってしまおうと考えたのだが、あいにく大きさが合わない。アリスの兎耳がしゅんと垂れ、モフモフ度が激減する。胸が締め付けられて、見ていられない。
私は顎に手を当てて考えた。欲しいサイズがないのであれば、作ってしまえば良いのだ。実際、リサは丁度良い大きさのぬいぐるみを見つけられないと、自作していたではないか。オタク魂により鍛えられた私の裁縫スキルはなかなかのものなのだ。
「ねえアリス。お願いがあるのだけれど」
私は妙案を口にした。
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