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第三章
1 何これ、痴話喧嘩?
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「ですから、私とは関係ないと何度も申し上げているでしょう!」
後ろに大きく反った山羊角が、怒りの呼吸に合わせて揺れている。上質な礼服に袖を通したリーチ侯爵。いかにも上級貴族然とした容貌ながら、もう半日以上室内に閉じ込められて、少し憔悴した様子だ。
魔王城の一室。客室として利用することが多い小綺麗な部屋の真ん中で、リーチ侯爵と魔王デュヘルが睨み合っている。
デュヘルは長い脚を組み、表面的には人の良さそうな笑みを浮かべて毒を吐く。
「ナーリスを害そうとしたのが君の仕業だというのはわかっているのだ、プエリス・ル・リーチ。自白をするのならば早いに越したことはない。さあ、吐け。吐くのだ」
「だから! 私ではない。いったい何を根拠に言っているのですか」
「根拠ならば枚挙に暇がない」
デュヘルの赤紫色の瞳がぎらりと光る。
「君は常々、リザエラやナーリスを侮辱してきた。他の貴族を唆して、同志も募っていたようだな。極めつけはあのメイド。エナ、と言ったか。彼女が魔王城で働けるように斡旋したのは、君だとか」
リーチ侯爵がぐっと言葉に詰まる。抜け目なさそうな糸目に力が入り、いっそう細くなる。返す言葉がないらしい。
無理もない。私だって、朝食時にデュヘルが歯の浮くような言葉の合間にこの真実を混ぜ込んできた時には、冗談かと思い危うく聞き逃しかけるほど想定外だった。
そそっかしい調子の鼠耳メイドエナ。彼女は危うく二度もナーリスに危害を加えるところだったのだ。
もしかするとエナはただ、懸命に仕事をしていただけなのかもしれない。けれど結果的に、皇の側に鈍器を落とし、さらには当たれば即死モノのシャンデリア落下事件の原因を作った可能性がある。
現在エナは、お城の地下牢に閉じ込められている。懲罰牢とも呼ばれるその部屋は、薄暗くじめじめとして、ケモ耳の幽霊が出るとか出ないとか。
濡れ衣だったら哀れだが、リーチ侯爵が送り込んだ刺客でないとも言い切れない。疑わしきは、慎重に扱うべき。もちろん、罪がはっきりするまで、裁かれることはあってはならないけれど。
リーチ侯爵はギリギリと音が聞こえそうなほど奥歯を擦りつけた。
「確かに、エナを紹介したのはこの私。だがそれは、彼女の両親が我が一族と交友の深い家系であったから。災害で寄る辺を失くした知人を気にかけるのは、当然のことでしょう」
「ほう、ではエナは君がいなければ露頭に迷っていた可能性があるのだね」
「そうだ。だから、魔王城に紹介した。何かおかしいところはあるかデュヘル!」
とうとう口調が乱れてきた。デュヘルとリーチ侯爵は幼少期より交友関係にあったというのは本当らしい。まあ、指しゃぶり云々の恥ずかしエピソードを知っているということは、かなり親しい仲だったのだろう。
ともあれ、リーチ侯爵の言い分はもっともだ。さすがの毒吐き魔王も、反撃ができないのではないかと思い、隣に座るデュヘルへと目を向けた。そして、私の頬は引き攣った。
デュヘルは形の良い唇を歪め、瞳には犯行直後の凶悪犯のような満足感を浮かべている。口角をぐいっと上げたその顔は、口裂け女を彷彿とさせた。
ぞくり、と薄ら寒いものに背筋を撫でられたのは、私だけではないのだろう。リーチ侯爵の頬がぴくりと動く。
デュヘルは、どちらが容疑者かわからなくなるような悪い顔で言った。
「ということは、エナは君に弱みを握られているのだね」
「は?」
「仮に君が理不尽な命令……つまりナーリスを傷つけることを指示をしたとして、エナはそれに従うしかない。リーチ侯爵家の後ろ盾がなければ、生きていくことができないのだから」
リーチ侯爵は絶句して、それから怒りに顔を真っ赤にした。
「そんな非道なことはしない!」
「ああ、君はそんな男ではない。あくまで可能性の話だよプエリス。だが、はっきりするまでは疑いを解く訳にはいかないのだ」
だから、と魔王は続ける。
「真相が判明するまでは、この城で過ごすように。この部屋から私の許可なく一歩も出てはならぬ」
「そんな!」
「大変遺憾ながら、致し方ない」
ほんの少しも遺憾などとは思っていない様子だ。だって目が笑っている。
デュヘルはもしかすると、あの晩餐会での屈辱を晴らすため、仕返しをしているのではないか。もしそうだとしたら、なんて執念深い男だろう。黙っていればイケメンなのに、残念の極み。
私はいつも通り大いに引きながら、その後も続く二人の痴話喧嘩を傍観した。
そろそろ本気でうんざりしてきた頃合いで、アリスが小さな紙を手渡してくれる。紙面に目を走らせ、私は頷く。やっとこの場から退散する口実ができた。
「あの、お二人とも」
私が口を挟むと二人は仲良く同じ顔をしてこちらを見た。もしかして、私の存在を忘れていたのだろうか。
「お話の途中で申し訳ございませんが急用ができまして」
「どうしたんだいリザエラ。問題でも起こったのか」
瞬時に甘ったるい表情になり、こちらを見つめるデュヘル。さすがだ。私はとうとう感心の域に至りながら、首を横に振る。
「いいえ、ウィオラが帰って来たようで」
デュヘルは「ああ」と呟き、少しだけ寂しそうな顔をした。
「君と離れなくてはならないなんて、ウィオラに嫉妬してしまう。だが、彼女はナーリスの大切な乳母だ。様子を見に行ってあげなさい」
「ええ、では」
これ以上お砂糖を浴びせられないうちに、そそくさと一礼して、私はアリスを連れて部屋を出た。背後では再び低俗な口論が繰り広げられる気配がした。
後ろに大きく反った山羊角が、怒りの呼吸に合わせて揺れている。上質な礼服に袖を通したリーチ侯爵。いかにも上級貴族然とした容貌ながら、もう半日以上室内に閉じ込められて、少し憔悴した様子だ。
魔王城の一室。客室として利用することが多い小綺麗な部屋の真ん中で、リーチ侯爵と魔王デュヘルが睨み合っている。
デュヘルは長い脚を組み、表面的には人の良さそうな笑みを浮かべて毒を吐く。
「ナーリスを害そうとしたのが君の仕業だというのはわかっているのだ、プエリス・ル・リーチ。自白をするのならば早いに越したことはない。さあ、吐け。吐くのだ」
「だから! 私ではない。いったい何を根拠に言っているのですか」
「根拠ならば枚挙に暇がない」
デュヘルの赤紫色の瞳がぎらりと光る。
「君は常々、リザエラやナーリスを侮辱してきた。他の貴族を唆して、同志も募っていたようだな。極めつけはあのメイド。エナ、と言ったか。彼女が魔王城で働けるように斡旋したのは、君だとか」
リーチ侯爵がぐっと言葉に詰まる。抜け目なさそうな糸目に力が入り、いっそう細くなる。返す言葉がないらしい。
無理もない。私だって、朝食時にデュヘルが歯の浮くような言葉の合間にこの真実を混ぜ込んできた時には、冗談かと思い危うく聞き逃しかけるほど想定外だった。
そそっかしい調子の鼠耳メイドエナ。彼女は危うく二度もナーリスに危害を加えるところだったのだ。
もしかするとエナはただ、懸命に仕事をしていただけなのかもしれない。けれど結果的に、皇の側に鈍器を落とし、さらには当たれば即死モノのシャンデリア落下事件の原因を作った可能性がある。
現在エナは、お城の地下牢に閉じ込められている。懲罰牢とも呼ばれるその部屋は、薄暗くじめじめとして、ケモ耳の幽霊が出るとか出ないとか。
濡れ衣だったら哀れだが、リーチ侯爵が送り込んだ刺客でないとも言い切れない。疑わしきは、慎重に扱うべき。もちろん、罪がはっきりするまで、裁かれることはあってはならないけれど。
リーチ侯爵はギリギリと音が聞こえそうなほど奥歯を擦りつけた。
「確かに、エナを紹介したのはこの私。だがそれは、彼女の両親が我が一族と交友の深い家系であったから。災害で寄る辺を失くした知人を気にかけるのは、当然のことでしょう」
「ほう、ではエナは君がいなければ露頭に迷っていた可能性があるのだね」
「そうだ。だから、魔王城に紹介した。何かおかしいところはあるかデュヘル!」
とうとう口調が乱れてきた。デュヘルとリーチ侯爵は幼少期より交友関係にあったというのは本当らしい。まあ、指しゃぶり云々の恥ずかしエピソードを知っているということは、かなり親しい仲だったのだろう。
ともあれ、リーチ侯爵の言い分はもっともだ。さすがの毒吐き魔王も、反撃ができないのではないかと思い、隣に座るデュヘルへと目を向けた。そして、私の頬は引き攣った。
デュヘルは形の良い唇を歪め、瞳には犯行直後の凶悪犯のような満足感を浮かべている。口角をぐいっと上げたその顔は、口裂け女を彷彿とさせた。
ぞくり、と薄ら寒いものに背筋を撫でられたのは、私だけではないのだろう。リーチ侯爵の頬がぴくりと動く。
デュヘルは、どちらが容疑者かわからなくなるような悪い顔で言った。
「ということは、エナは君に弱みを握られているのだね」
「は?」
「仮に君が理不尽な命令……つまりナーリスを傷つけることを指示をしたとして、エナはそれに従うしかない。リーチ侯爵家の後ろ盾がなければ、生きていくことができないのだから」
リーチ侯爵は絶句して、それから怒りに顔を真っ赤にした。
「そんな非道なことはしない!」
「ああ、君はそんな男ではない。あくまで可能性の話だよプエリス。だが、はっきりするまでは疑いを解く訳にはいかないのだ」
だから、と魔王は続ける。
「真相が判明するまでは、この城で過ごすように。この部屋から私の許可なく一歩も出てはならぬ」
「そんな!」
「大変遺憾ながら、致し方ない」
ほんの少しも遺憾などとは思っていない様子だ。だって目が笑っている。
デュヘルはもしかすると、あの晩餐会での屈辱を晴らすため、仕返しをしているのではないか。もしそうだとしたら、なんて執念深い男だろう。黙っていればイケメンなのに、残念の極み。
私はいつも通り大いに引きながら、その後も続く二人の痴話喧嘩を傍観した。
そろそろ本気でうんざりしてきた頃合いで、アリスが小さな紙を手渡してくれる。紙面に目を走らせ、私は頷く。やっとこの場から退散する口実ができた。
「あの、お二人とも」
私が口を挟むと二人は仲良く同じ顔をしてこちらを見た。もしかして、私の存在を忘れていたのだろうか。
「お話の途中で申し訳ございませんが急用ができまして」
「どうしたんだいリザエラ。問題でも起こったのか」
瞬時に甘ったるい表情になり、こちらを見つめるデュヘル。さすがだ。私はとうとう感心の域に至りながら、首を横に振る。
「いいえ、ウィオラが帰って来たようで」
デュヘルは「ああ」と呟き、少しだけ寂しそうな顔をした。
「君と離れなくてはならないなんて、ウィオラに嫉妬してしまう。だが、彼女はナーリスの大切な乳母だ。様子を見に行ってあげなさい」
「ええ、では」
これ以上お砂糖を浴びせられないうちに、そそくさと一礼して、私はアリスを連れて部屋を出た。背後では再び低俗な口論が繰り広げられる気配がした。
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