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第四章
4 裏切りの味は苦く
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デュヘルは、憔悴した顔ながらも険しい視線をこちらに注ぐ。今まで彼から向けられたどんな眼差しよりも冷徹な色に、私は咄嗟に反応できずにいた。
この段階になれば、先ほどまで抱いていたデュヘルとウィオラの不義に関する疑念は、とっくに霧散していて、残ったのは言葉にし難い空虚な感情だった。
「ウィオラ、いったい何があったのだ」
デュヘルが一歩距離を詰め、再度問う。ウィオラは犬耳を後ろに倒すこともなく、堂々とした声で答えた。
「私がリザエラ様をこちらへお連れしました」
「なぜ」
ウィオラは表情を変えず、けれど口をぴたりと閉ざす。デュヘルの背後から聞えて来る怒号と悲鳴に耳を傾けているらしく、茶色い犬耳がぴくんと動いた。
「ここで売買される物への理解を得るためです。聖女様の庇護があれば、我々も活動がしやすくなります。この場所がどんな場所だか、デュヘル様はご存知でいらっしゃいますね」
「神樹の力の密売所。保護院で話を聞いてから今日まで、探し出すまでに苦労したが、まさかこれほど近くに手がかりを持つ者がいたとはな」
では、デュヘルが夜な夜な姿を消していたのは、捜査を指揮していたからなのか。不倫を疑っていた数時間前の自分を殴りたい。
場違いにも羞恥に顔を赤くする私の横で、そんな聖女の心の内を知るはずもないウィオラは少し頬を緩める。どこか不敵な笑みだった。
「そうですね。申し訳ございません」
余裕に満ちた声色で謝罪したウィオラは私の腕から手を放し、一歩前へと出る。
「リザエラ様を唆した罪は受けます。陛下も、この場所を告発できてご満足でしょう。ですからこのように薄暗い場所からは早々に撤収を」
「いいや、聖女様はやってるよ。ご自分の意思でね」
不意に、酒焼け気味のガラガラ声が割り込んだ。見れば、デュヘルの背後からバーテンダー土竜さんが、衛兵さんを引っ張るようにしてやって来た。両手を魔力の手錠で拘束されつつも、少しも怯えた様子はない。地下組織の人々というのはどうやら、心臓に毛がボーボー生えているらしい。けれど「やっている」とはいったい何のことだろう。
私の身体から発せられた疑問を感じ取ったのか。土竜さんはニヤリと笑い、隣に立つ衛兵さんに言った。
「おいそこの。俺のポケットの中身を取り出してくだせえよ」
衛兵さんはデュヘルに視線で問いかける。魔王が頷いたのを確認してから衛兵さんは、示されたポケットに手を突っ込んで、何かを掴み引っ張り出す。現れた物を見て、私はひゅっと息を吞む。
握り締められて少し皺が寄った二枚の紙、そして空の小瓶。私は慌てて自分の上着のポケットを探った。お城を出る時に持ち出した例の便箋と小瓶がない。
ああ、やってしまった。
先ほど、青色カクテルを一気飲みした私はお代を探し、ポケットや懐をごそごそと弄った。おそらくその拍子に落としてしまったのだろう。
全然気づかなかった。お酒でやらかしたことはあまりなかったのだけれど、こんなに大事な場面でミスを犯してしまうとは。
土竜さんは、帽子から垂れるレース越しに私の顔をじっとりと舐めるように見つめる。それから言った。
「この小瓶にはきっと、神樹の力を溶かしこんだ液体が入っていたのでしょうね。その証拠にそれ、良い匂いがするんですよ」
両手が動かない土竜さんに促され、衛兵さんがコルクを抜く。きゅぽん、と音を立てて栓が外れた。衛兵さんは小瓶に鼻を近づけて、少し目を見開き驚きを表した。
「魔力や聖力は、人体に溶け込むものでしょう。だから液体と親和性が高いんですよ。特に、体液と似た成分を持つ草花をブレンドして煎じたものは、最高級。それと、その紙」
全員の注目が、二通の便箋へと向かう。
「『混沌に下れ』、そして『ごめんなさい、あなたのことを愛せない』。事情は知りませんが、聖女様は誰かを愛せず混沌に下る……つまり、別の世界へ逃げ込んだんです。その結果、どうして再びここに帰って来たのかは、ご本人にお聞きするしかありませんけどね。とにかく」
土竜さんは、デュヘルに向けて媚びるような目配せをした。
「我々混沌術士を断罪するということは、陛下の大切な聖女様の罪をも暴くことになりますよ。ここは手打ちにしま」
その瞬間、デュヘルの全身から黒い靄が噴き出して、土竜さんを襲う。言葉の途中で黒い波に吞まれた小柄な身体が、石像のように硬直して動かなくなった。
「連れて行け。他の密売人らと共に牢へ放り込め」
決して大きい訳ではないのに、デュヘルの声は鼓膜をびりびりと震わせる。電流のような魔力が滲み出ているように感じられ、私は鳥肌が立つ腕を撫でた。そして彼の赤紫色の瞳が怒りと悲しみを帯びてこちらへ向いた時、私は悟った。
デュヘルは妻に絶望を覚えている。愛していたからこそ、裏切りの味はとてつもなく苦いのだ。
「デュヘル様、その」
「リザエラとウィオラを、城へ。塔へと幽閉するのだ」
感情の薄い声が、全てを拒絶するように無情に響く。世界が音を立てて崩れて落ちるような錯覚を覚えながら、私は衛兵さんにされるがまま、魔力の手錠で拘束された。
この段階になれば、先ほどまで抱いていたデュヘルとウィオラの不義に関する疑念は、とっくに霧散していて、残ったのは言葉にし難い空虚な感情だった。
「ウィオラ、いったい何があったのだ」
デュヘルが一歩距離を詰め、再度問う。ウィオラは犬耳を後ろに倒すこともなく、堂々とした声で答えた。
「私がリザエラ様をこちらへお連れしました」
「なぜ」
ウィオラは表情を変えず、けれど口をぴたりと閉ざす。デュヘルの背後から聞えて来る怒号と悲鳴に耳を傾けているらしく、茶色い犬耳がぴくんと動いた。
「ここで売買される物への理解を得るためです。聖女様の庇護があれば、我々も活動がしやすくなります。この場所がどんな場所だか、デュヘル様はご存知でいらっしゃいますね」
「神樹の力の密売所。保護院で話を聞いてから今日まで、探し出すまでに苦労したが、まさかこれほど近くに手がかりを持つ者がいたとはな」
では、デュヘルが夜な夜な姿を消していたのは、捜査を指揮していたからなのか。不倫を疑っていた数時間前の自分を殴りたい。
場違いにも羞恥に顔を赤くする私の横で、そんな聖女の心の内を知るはずもないウィオラは少し頬を緩める。どこか不敵な笑みだった。
「そうですね。申し訳ございません」
余裕に満ちた声色で謝罪したウィオラは私の腕から手を放し、一歩前へと出る。
「リザエラ様を唆した罪は受けます。陛下も、この場所を告発できてご満足でしょう。ですからこのように薄暗い場所からは早々に撤収を」
「いいや、聖女様はやってるよ。ご自分の意思でね」
不意に、酒焼け気味のガラガラ声が割り込んだ。見れば、デュヘルの背後からバーテンダー土竜さんが、衛兵さんを引っ張るようにしてやって来た。両手を魔力の手錠で拘束されつつも、少しも怯えた様子はない。地下組織の人々というのはどうやら、心臓に毛がボーボー生えているらしい。けれど「やっている」とはいったい何のことだろう。
私の身体から発せられた疑問を感じ取ったのか。土竜さんはニヤリと笑い、隣に立つ衛兵さんに言った。
「おいそこの。俺のポケットの中身を取り出してくだせえよ」
衛兵さんはデュヘルに視線で問いかける。魔王が頷いたのを確認してから衛兵さんは、示されたポケットに手を突っ込んで、何かを掴み引っ張り出す。現れた物を見て、私はひゅっと息を吞む。
握り締められて少し皺が寄った二枚の紙、そして空の小瓶。私は慌てて自分の上着のポケットを探った。お城を出る時に持ち出した例の便箋と小瓶がない。
ああ、やってしまった。
先ほど、青色カクテルを一気飲みした私はお代を探し、ポケットや懐をごそごそと弄った。おそらくその拍子に落としてしまったのだろう。
全然気づかなかった。お酒でやらかしたことはあまりなかったのだけれど、こんなに大事な場面でミスを犯してしまうとは。
土竜さんは、帽子から垂れるレース越しに私の顔をじっとりと舐めるように見つめる。それから言った。
「この小瓶にはきっと、神樹の力を溶かしこんだ液体が入っていたのでしょうね。その証拠にそれ、良い匂いがするんですよ」
両手が動かない土竜さんに促され、衛兵さんがコルクを抜く。きゅぽん、と音を立てて栓が外れた。衛兵さんは小瓶に鼻を近づけて、少し目を見開き驚きを表した。
「魔力や聖力は、人体に溶け込むものでしょう。だから液体と親和性が高いんですよ。特に、体液と似た成分を持つ草花をブレンドして煎じたものは、最高級。それと、その紙」
全員の注目が、二通の便箋へと向かう。
「『混沌に下れ』、そして『ごめんなさい、あなたのことを愛せない』。事情は知りませんが、聖女様は誰かを愛せず混沌に下る……つまり、別の世界へ逃げ込んだんです。その結果、どうして再びここに帰って来たのかは、ご本人にお聞きするしかありませんけどね。とにかく」
土竜さんは、デュヘルに向けて媚びるような目配せをした。
「我々混沌術士を断罪するということは、陛下の大切な聖女様の罪をも暴くことになりますよ。ここは手打ちにしま」
その瞬間、デュヘルの全身から黒い靄が噴き出して、土竜さんを襲う。言葉の途中で黒い波に吞まれた小柄な身体が、石像のように硬直して動かなくなった。
「連れて行け。他の密売人らと共に牢へ放り込め」
決して大きい訳ではないのに、デュヘルの声は鼓膜をびりびりと震わせる。電流のような魔力が滲み出ているように感じられ、私は鳥肌が立つ腕を撫でた。そして彼の赤紫色の瞳が怒りと悲しみを帯びてこちらへ向いた時、私は悟った。
デュヘルは妻に絶望を覚えている。愛していたからこそ、裏切りの味はとてつもなく苦いのだ。
「デュヘル様、その」
「リザエラとウィオラを、城へ。塔へと幽閉するのだ」
感情の薄い声が、全てを拒絶するように無情に響く。世界が音を立てて崩れて落ちるような錯覚を覚えながら、私は衛兵さんにされるがまま、魔力の手錠で拘束された。
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