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第四章 悪意は忍び寄る
53.我慢の涙
しおりを挟む閉塞感というものは、存外恐怖を覚えるものだ。
それを理解したのは、今、その閉塞感に襲われているからだろう。
「っ、くそっ……!」
何度殴っても開かぬ、狭い空間。身動ぎすることすら窮屈なそこで、少年はギリリと奥歯を噛み締める。
こんなことになるのなら、もっと努力を積むべきだった。
そうしていたら、こんな状況すぐに打破できるのに……!
「くそっ、くそっ、くそっ……!」
何度も何度も、殴り、赤くなる拳を気にすることなく殴り、やがて真っ黒なそこに手を付き、瞳を揺らす。このままここで死ぬのかと思うと、自然と恐怖が湧いてくる。
「……たすけてっ」
心の底から願い、震え、拳を握る。
何も聞こえない、暗い空間に、既に気が狂いそうだった……。
◇
「あ、雨」
ポツポツと降り出した雨に、リックを探しているリレイヌは空を見上げて呟いた。
龍の墓場を出てかなりの距離を走ったリレイヌ。だというのに息ひとつ乱れていない彼女は、目の前を旋回する青色の蝶を見て、止めていた足をまた動かしはじめる。
実はこの青い蝶、リレイヌが魔法で作り出した案内役だった。キラキラと鱗粉を舞わせるそれを追いかけ、ひたすら走ること数時間。日も落ち、雨足も強まった頃、蝶はようやっとその動きを停止させ、くるりとその場で回転。くるくると同じ場所を回り続ける。
「……なによう、何も無いじゃない」
走るリレイヌを追いかけていたウンディーネが、不満げにそう言った。リレイヌも不思議そうに「魔法不発?」と疑問を零している。
「いや、あのリレイヌ様に限って不発はないと思うんですけど……」
「でも誰もいない。ここ、無人……ん?」
ふと、足下をみたリレイヌが、その場に素早くしゃがみ込んだ。かと思えば地面に手を当て目を瞬く彼女は、すぐにウンディーネを見上げてその名を呼ぶ。
「ウンディーネ。ココ、土が変」
「え? 土が変って……まあ、言われてみれば確かに周囲と色が違いますけど……」
「だよね。掘ってみよう」
「ええ!? 掘るんですか!? それよりもリックを探した方が良いのでは……」
「……」
リレイヌは無言で土を掘り始めた。小さな手でせかせかと土を掘る彼女に、ウンディーネは無言に。なったかと思うと、深く嘆息してリレイヌの様子を見守ることにする。
「…………おあ?」
しばらく無言で土を掘っていたリレイヌが、奇妙な声を上げた。ウンディーネが「どうかしましたか?」と訊ねれば、それに小さな彼女は答えを返す。
「なにかある」
「はい?」
「黒い何かがある。……ウンディーネ、これ、他の土、水でどうにか出来ない?」
「まあ、できますけど……」
渋々と、ウンディーネは土を水で吹き飛ばした。「さすが!」と喜ぶリレイヌは、鼻高になるウンディーネを背後、土の中から現れたひとつの箱を見て目を瞬く。
黒い箱だった。子供一人入れそうな、小さな箱。厳重に封をされたそれは鍵が着いているのか、このままでは開けることすらできなさそうだ。
「……なんですかね、コレ」
ウンディーネが言う。
「さあ……」
首を傾げたところで、箱が音をたて始めた。ガンッガンッと一定の感覚で鳴る音に驚くふたりは、互いに顔を見合せた後、「まさか」と一言。青ざめる。
「りりり、リレイヌ様! お早く鍵を開けてください!」
「わ、わかった! 任せて!」
動揺しながらも、リレイヌは魔法で鍵を破壊。急ぎ封を取り去ると、ウンディーネと協力して重い箱の蓋を持ち上げ、開ける。
「……ぁ」
ガコン、と音をたて外れた箱の蓋。その下から現れた人物は、突然開けた視界に目を瞬き沈黙している。
「「リック!」」
揃うふたつの声。
「え? あ……リレイヌ……と、ウンディーネ……?」
リックはキョトンとしながら起き上がると、ウンディーネから差し出された手を掴み立ち上がった。そうして箱から、土の中から地上へと出た彼は、きょろりと周囲を見回し、沈黙。「古代の森……?」と呟くと、己を見つめる青色の瞳に目を向けた。
「……どうしてキミがココに?」
「連絡あった。リックが行方不明だって。だから探しに来たの。ウンディーネと一緒に」
「……そう」
ぽつりと零し、リックは視線をウンディーネへ。「ご苦労だったな」と告げると、次にリレイヌを見て「キミも、ありがとう」と口にする。
「リピト家の名において感謝するよ。でも、よくココがわかったな」
「ああ、うん……案内役いたから……」
「もしかして、さっきから僕の周りを回ってるこの青い蝶のことか?」
「そう」
「……」
複雑そうな顔をするリック。無言で飛び交う蝶を眺める彼に、リレイヌはそっと近づいた。
「……リック」
「……屋敷に帰るよ。迷惑かけて悪かったな。謝礼についてはまた後ほど連絡するから、それで──」
「リック!」
強く名を呼ばれ、リックは目を見開いた。リレイヌはそんな彼の手を掴むと、ふわり、と優しい光を手のひらより発現させる。美しいエメラルドグリーンのそれに、リックは目を見張ってその輝きを見つめた。
「……泣きたい時は、泣いてもいいんだよ」
「……リレイヌ」
「リック、震えてる。怖かったって、心が叫んでる。ほんとは泣きたいのに、我慢してる……どうして?」
「……」
無言のリックに、リレイヌはその手を強く握った。共に、ふわふわと浮く光も、明るさを増したように思える。
「……ぼくは……」
リックは下を向き、そうしてぽつりと言葉を零す。
「……ぼくは、リピト家の人間だ。リピト家の人間は、強く在らねばならない。例えどんなことが起ころうとも、強く、つよく在らねばならない」
「リック……」
「……強くないと、いけないんだ」
告げたリックの手を握ったまま、リレイヌは一度瞼を伏せるとその手を離した。同時に収まった光に顔を上げたリックが、「帰るよ」と言い、歩き出そうとしたところでガクリと地面に座り込む。
余程怖かったのだろう。ガクガクと震える足に目を剥くリックを視界、リレイヌは小さく息を吐いてから座り込むリックを背に抱えた。突然のことに驚き赤くなる彼をよそ、リレイヌはゆっくりと歩き出す。
ザクザク ザクザク
地面を踏みしめる音が、周囲に響いた。
「……ねえ、リック」
「な、なに」
「あめ、すごいね」
「え?」、と間の抜けた声を発したリックは、空を見上げる。確かに、雨は降っているがそこまですごいだろうかと悩んだところで、リレイヌが言った。「私、何も見てないから」、と。
何が何だかわからぬリックが彼女を見れば、彼女はまっすぐに前を見ながら、言う。
「何も見てないし、聞いてない。だから、泣きたかったら泣くといい。全部雨のせいにすれば、心、少しは軽いでしょう?」
優しい音だった。泣きたくなるくらいに、優しい……。
リックは見開いた瞳を揺らし、それからそっと下を向いた。途端、ぶり返すように湧き上がる恐怖に、思わず彼女の肩にしがみつく。
「大丈夫だよ」
掛けられる穏やかな声に、涙が溢れた。
震える手で彼女の肩を掴んだまま、リックは軽く背を丸め、彼女の背に額を預けた。そのままグッと奥歯を噛み締め涙を流す彼を、リレイヌは何も言わずに抱え直す。
雨足が強まる。共に涙の数が増えていく。
無言で歩き続けるリレイヌの背で、リックはただひたすらに震え、泣いた。その涙は、彼が生まれて初めて流したもので、長らく我慢し続けた、そんな涙だだった……。
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