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第二話 夢
しおりを挟む――パチリと一度、大きく、静かに目を瞬いた。
どこからか吹くあたたかな風が、呆然と立ちすくむ俺の頬を撫で付ける。
手のひらサイズの小さな小瓶を手にしたまま、いつの間にか、俺はあの店の中から緑豊かな大草原の中に佇んでいた。
あたたかな陽射しが眩しく、草を揺らす風が心地よい。空には真っ白な鳥が飛び交い、元気な歌声を響かせている。
ああ、ここは、一体……。
「――じっちゃん!ばっちゃん!」
明るい声がした。
いつの間に現れたのか、俺の左手側に人がいた。麦わら帽子を被る、小麦色の肌の少年だ。
少年は虫取り編みを手に、大草原の中を駆け抜けていく。それはもう風を切るように、素早く、自由に。
白い半袖のシャツに動きやすそうな短パン。泥だらけのサンダル。肩から提げられた緑色の虫かご。
きっと今までカブトムシかなにかを捕まえに行っていたのだろう。虫取り編みを持つ少年の手は土にまみれていた。
――あの少年を、俺は知っている……。
「……楽しかった」
ぽつりとこぼれた言葉は、俺の口から発されたもの。
「なんの責任もなく、なんの心配もなく、泥だらけになりながら生きていたあの時代」
楽しかった。自由だった。
逃げる虫を追い回し、ただ網を振るうだけのそんな毎日が、最高だった。
あの日々がもう一度戻ってくればいいと、大人になってから何度願ったことだろう。叶わないと理解し、何度肩を落としたことだろう。
大人になるにつれて忘れていく、子供の頃の純粋な気持ち。かわりに得るのは薄汚れた社会での、挫けそうなほど辛い生き方。
「戻りたい。あの頃に」
ゆっくりと消えていく大草原。
遠い遠い向こう側で、笑みを浮かべて大きく手を振る少年を、心の底から羨ましく感じた。
今まで深いところに沈んでいた意識が、急に浮上したような感覚に体が襲われ、ハッとする。
気づけば俺は、あの不思議な雰囲気の店内に戻っていた。
辺りを見回しても大草原は見当たらない。あの青空も、じっちゃんやばっちゃん、少年の姿もどこにもない。
「今のが夢です」
呆ける俺に、少女は言う。
「お客様が望まれるのでしたら、夢はどんな世界にも連れて行ってくれます。幻想的な世界。絶望にまみれた世界。楽しい世界。悲しい世界。未来の世界。過去の世界」
少女の視線は俺の手元へ。
俺もならうように手元を見た。
「お客様の手にするその瓶の中には……いえ。店内にある瓶の中には様々な『夢』が詰まっております。お客様のお気に召す『夢』も、探せばきっと、見つかるはず」
少女が微笑む。あどけないその微笑みに、あぁ、と心の中で声を出した。
少女の売っているらしい『夢』。 非現実的なその商品は、例えるならば麻薬だ。
この甘美な味わいを知ってしまえば、俺はきっと、この『夢』なるものから逃れることは不可能になる。辛い現実から目を逸らし、作られた幸せに縋る毎日を送ることだろう。
けれど……。
そうだとは知っていながらも、手を出したくなるのはなぜだろうか。ダメだと思っていながらも、甘い誘惑に勝てないのはなぜだろうか。
日々の仕事と人間関係で蓄積された疲労が、今、こんなところで俺の背を押してくる。悪いことはないと。瓶の中の小さな幸せを手に入れろと。
まるで悪事を働くことを強要されているかのようだ。
「さあ、お客様」
少女がまた、首を傾げた。
「お客様の欲する『夢』は、なんですか?」
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