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ep.9 5年前のこと Side伊吹
3.
◇
ところで、日本橋の若宮家の隣には『宝生寺家』という、やはり由緒ある名家が住んでいる。
そこの1人娘が宝生寺鞠花といい、年齢は伊吹の2歳上だった。
彼女が女子大学を卒業し、屋敷で暇を持て余している時だった。
彼女は見てしまったのだ。隣家の庭に王子様が『落ちて』いるのを。
実際には、伊吹が屋敷の庭園で思索にふけっているだけだったのだが……
(あれほどの美しいお方、見たことがありませんわ)
ジジババしか住んでいないと思っていた隣家に、王子様が落ちている。
鞠花はこれこそが運命の出会いだと確信し、隣家の庭へと急いだ。
お嬢様である鞠花は、先に家の者から若宮家に訪問することを申し伝えた上で、隣家の庭に降り立った。
「あの、あなた様はどなた様ですの?」
「えっ? あぁ、もしかしてお隣のお屋敷の方ですか? 初めまして、興……若宮伊吹です」
この時の伊吹は、まだ祖父母と養子縁組をしていなかったので興津姓のままだったが、面倒だったので若宮姓を名乗った。
「まあ、若宮様のお孫様ですのね。わたくしは宝生寺鞠花ですわ」
「宝生寺さん、どうぞよろしくお願いします」
――それが鞠花と伊吹の(一方的な)運命の出会いだった。
その後、鞠花は母から、
「お屋敷をお出になられていた若宮様のご子息の、そのお子様が戻ってこられたようですよ」
と聞かされた。
だが実際のところ、静岡市にある国立大学3年生である王子様は、現在は東京と静岡を頻繁に往復しているのだという。
「若宮様の大奥様からは、そのお孫様への礼儀作法を鞠花さんにご指導いただけないかとお願いがございましたの。頼まれて下さらないかしら?」
鞠花の両親は、若宮家との繋がりを重んじ、その孫との交流も積極的に勧めてきたのだ。
(これこそが、わたくしに与えられた天命ですわ!)
おそらくこれまでは庶民の生活をしていたであろう御曹司に、礼儀やマナーの稽古をつける。
これこそが使命(チャンス)だと感じた鞠花は、「わたくしにお任せくださいませ!」と胸を張った。
下心満載ではあったものの、良家の子女がはしたなくあってはならぬと、決して表に出すことをしなかった。
その上、根がとことん真面目であった鞠花は、時に厳しく、時に優しく、伊吹に礼儀作法を叩き込んだ。
また、浮世離れした性格ではあるが、各業界や政財界のパーティー、催しなどに幼少の頃から出慣れていたので、その辺りの勉強も伊吹に事細かにレクチャーをした。
優秀な生徒である伊吹に、つい熱の入った稽古をつけた結果、伊吹からは『鞠花師範』と敬意を持って慕われるようになってしまったのだった。
ついにやってきた伊吹の社交界デビューの日。
鞠花は師として伊吹の付き添いをした。古くから若宮家と付き合いのある宝生寺家が付き添うのは、なんら不自然なことではない。
たとえ鞠花が本心では、
(将来のパートナーとしての予行演習ですわ!)
と密かに思っていたのだとしても。
結果は、鞠花の想像以上に伊吹の振る舞いは完璧だった。
だが同時に、微笑を浮かべてはいても、伊吹からは周囲に対する警戒心が、ピリピリするほどの緊迫感が、全身から伝わってきた。
「いけませんわ、伊吹さん。初めてのパーティー、周囲は気の抜けない大人たち。お気持ちはわかりますが、さきほどから警戒心が痛いほどに伝わってきますわよ」
周囲に聞こえぬよう、鞠花は声を落として諭した。
伊吹はハッとし、「すみません。ご忠告痛み入ります、師範」そう告げると、練習の成果通り、甘いマスクに優雅な笑みを浮かべた、余裕のある雰囲気にあっという間に変貌する。
――やはり、わたくしの目に狂いはない。愛弟子は天才ですわ。
師として弟子を誇る瞬間だった。
しかし、屋敷に戻ってからの伊吹は、元々の真面目で謙虚な性格もあるのか、「自分は無力すぎる」と、社交界の空気という洗礼を受け、落ち込んでいるようだった。
ところで、日本橋の若宮家の隣には『宝生寺家』という、やはり由緒ある名家が住んでいる。
そこの1人娘が宝生寺鞠花といい、年齢は伊吹の2歳上だった。
彼女が女子大学を卒業し、屋敷で暇を持て余している時だった。
彼女は見てしまったのだ。隣家の庭に王子様が『落ちて』いるのを。
実際には、伊吹が屋敷の庭園で思索にふけっているだけだったのだが……
(あれほどの美しいお方、見たことがありませんわ)
ジジババしか住んでいないと思っていた隣家に、王子様が落ちている。
鞠花はこれこそが運命の出会いだと確信し、隣家の庭へと急いだ。
お嬢様である鞠花は、先に家の者から若宮家に訪問することを申し伝えた上で、隣家の庭に降り立った。
「あの、あなた様はどなた様ですの?」
「えっ? あぁ、もしかしてお隣のお屋敷の方ですか? 初めまして、興……若宮伊吹です」
この時の伊吹は、まだ祖父母と養子縁組をしていなかったので興津姓のままだったが、面倒だったので若宮姓を名乗った。
「まあ、若宮様のお孫様ですのね。わたくしは宝生寺鞠花ですわ」
「宝生寺さん、どうぞよろしくお願いします」
――それが鞠花と伊吹の(一方的な)運命の出会いだった。
その後、鞠花は母から、
「お屋敷をお出になられていた若宮様のご子息の、そのお子様が戻ってこられたようですよ」
と聞かされた。
だが実際のところ、静岡市にある国立大学3年生である王子様は、現在は東京と静岡を頻繁に往復しているのだという。
「若宮様の大奥様からは、そのお孫様への礼儀作法を鞠花さんにご指導いただけないかとお願いがございましたの。頼まれて下さらないかしら?」
鞠花の両親は、若宮家との繋がりを重んじ、その孫との交流も積極的に勧めてきたのだ。
(これこそが、わたくしに与えられた天命ですわ!)
おそらくこれまでは庶民の生活をしていたであろう御曹司に、礼儀やマナーの稽古をつける。
これこそが使命(チャンス)だと感じた鞠花は、「わたくしにお任せくださいませ!」と胸を張った。
下心満載ではあったものの、良家の子女がはしたなくあってはならぬと、決して表に出すことをしなかった。
その上、根がとことん真面目であった鞠花は、時に厳しく、時に優しく、伊吹に礼儀作法を叩き込んだ。
また、浮世離れした性格ではあるが、各業界や政財界のパーティー、催しなどに幼少の頃から出慣れていたので、その辺りの勉強も伊吹に事細かにレクチャーをした。
優秀な生徒である伊吹に、つい熱の入った稽古をつけた結果、伊吹からは『鞠花師範』と敬意を持って慕われるようになってしまったのだった。
ついにやってきた伊吹の社交界デビューの日。
鞠花は師として伊吹の付き添いをした。古くから若宮家と付き合いのある宝生寺家が付き添うのは、なんら不自然なことではない。
たとえ鞠花が本心では、
(将来のパートナーとしての予行演習ですわ!)
と密かに思っていたのだとしても。
結果は、鞠花の想像以上に伊吹の振る舞いは完璧だった。
だが同時に、微笑を浮かべてはいても、伊吹からは周囲に対する警戒心が、ピリピリするほどの緊迫感が、全身から伝わってきた。
「いけませんわ、伊吹さん。初めてのパーティー、周囲は気の抜けない大人たち。お気持ちはわかりますが、さきほどから警戒心が痛いほどに伝わってきますわよ」
周囲に聞こえぬよう、鞠花は声を落として諭した。
伊吹はハッとし、「すみません。ご忠告痛み入ります、師範」そう告げると、練習の成果通り、甘いマスクに優雅な笑みを浮かべた、余裕のある雰囲気にあっという間に変貌する。
――やはり、わたくしの目に狂いはない。愛弟子は天才ですわ。
師として弟子を誇る瞬間だった。
しかし、屋敷に戻ってからの伊吹は、元々の真面目で謙虚な性格もあるのか、「自分は無力すぎる」と、社交界の空気という洗礼を受け、落ち込んでいるようだった。
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