上 下
216 / 260

クロコダイルの正体

しおりを挟む

第六章 二人だけの約束

[花が咲く小さな丘の上]
花の絨毯の上にクロコダイルが座っている。俺は彼女の隣にゆっくりと腰掛けた。静寂が花の美しさを引き立たせる。爽やかな風が、クロコダイルの黒髪を拐おうとする。だけど、彼女の髪は少しだけ揺れただけだった。
吹き抜ける風が気持ちいい。ポカポカする日光はシャワーみたいだ。
「なんで助けてくれたんだ?」
「私の勝手だろ?」
クロコダイルはぶっきらぼうに言った。
俺はクロコダイルがココをボコボコに殴ったことを思い出して、
「助けに来てくれたことには感謝する。ありがとう。でも、お前がココにした仕打ちは消えない。俺はお前みたいな最低なやつ嫌いだ」
俺ははっきりと言った。すると、クロコダイルは――
「私……昔はいじめられていたんだ。それを大切な友達が助けてくれた。その人が弱い私を強くしてくれた。今度は私が恩返しをしないといけない」
俺はクロコダイルが何を言っているのかまるでわからない。
「なんの話だ? 友人って誰のことだ?」
俺は訳がわからず、不思議そうな顔をした。クロコダイルは俺の方を見ずに、
「弱かった私を助けてくれてありがとう」
「俺に言っているのか?」
俺は絶対に、クロコダイルのことを助けたことなんてない。一度もない。
「うん。あなたに言っている」
「どういう意味だ? 何が言いたい?」
「まだ気づかない?」
「気づく? 気づくって何にだ?」
ドクンドクンドクンドクン――
心臓が早鐘のように鳴る。俺をこの先の展開に早く進ませたいかのようだ。
「私とあなただけの約束を思い出して」
「俺とお前が約束? そんなもんした覚えはない」
「そっか。私は一瞬たりとも忘れなかったんだけどな」
クロコダイルは、爽やかな風に体を委ねる。俺たちを洗う透明な風は心地の良いものだった。
「あなたと私の約束は、お互いを助け合うというもの。私が助けを求めるとき、あなたが私を助ける」
ドクンドクンドクンドクン――心臓ははち切れてちぎれそうだ。
「そして、あなたが助けを求めるとき、私があなたを助ける」
心臓が爆発しそうだ。


(俺はこの約束を知っている)


俺は頭の中に数々の思考の糸を巡らせる。クロコダイルの“正体”を知る手がかりだ。

お互いのことを助け合う約束。あれは俺とココがしたものだ。あれをココが誰かに言うはずがない。ココはずっと覚えていてくれたんだ。いつまでも忘れずにずっとずっと覚えていてくれたんだ。あれは、俺とココの二人だけの約束だ。

この世界では体の性別が男なら中身は女。逆も然りだと勝手に思い込んでいた。だけど違った。クロコダイルは体が女。心も女なんだ。

ココは差別されて気持ち悪がられていた。だから未来では、言葉遣いも変えて、見た目も変えたんだ。誰からもいじめられないように強くなったんだ。

ココは何度も性転換をしたいと言っていた。ココは性転換をしたんだ。いや、これから未来でするんだ。

ココは何度も“過去にタイムトラベルしたい”と言っていた。過去に戻ってやり直したいといつも願っていた。ココは過去に戻ってきたんだ。

「そんな……ばかな……あり得ない……」
俺は隣に座るクロコダイルの右耳にかかった黒髪をそっと手で梳く。かつて俺がココにそうしたように。
彼女の右耳には“俺たちがプレゼントした赤いイヤリング”が輝いていた。
「こんなこと……あり得ない」
「いいえ。これが真実よ」


俺は意を決して、クロコダイルに、
「お前………………ココなのか?」

クロコダイルはこちらを向いた。赤い瞳で俺を見つめて、
「…………うん」
笑顔で静かにうなずいた。


『パワーワードを感知しました。ココの能力が上がります』
アナウンスは残酷にただ事実を告げる。クロコダイルの正体は“未来からきたココ”だった。
しおりを挟む

処理中です...