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9.ナディア・クロフォード
ナディアは自室の扉を静かに閉め、背中で鍵をかけた。
冷たい空気が肺を満たす。
部屋の中はいつも通り、完璧に整えられている。
ランプの灯りは弱く、絨毯の上に長い影を落としている。
豪奢な調度品の数々がただ整然と佇むだけだ。
鏡台の前に立ち、ナディアは自分の姿をじっと見つめた。
紺色の制服に映える銀色の長い髪。
母譲りの月光のような金色の瞳ではなく、クロフォード公爵家の象徴であるアメジスト色の瞳に、母譲りの銀髪。
母に瓜二つな人形のように整った無機質な少女。
「公爵が私と会いたがらないのも、仕方のないことかもしれないわね……」
独り言のように呟く。
声は小さく部屋の空気に溶ける。
隣国の王女だった母は、留学先の学園で父に見初められた。
周囲の反対を押し切り、結婚した二人は貴族の結婚では珍しく心から愛し合っていた。
柔らかい銀髪に、月のように輝く金色の瞳。
妖精姫と謳われていた母は、笑顔をがよく似合う美しい人だった。
そんな母は、ナディアを産んでから体調を崩し、ナディアが9歳の誕生日を迎える前に帰らぬ人となった。
それ以来、父であるクロフォード公爵は変わった。
公爵家に残ったのは、公爵夫人とそっくりな幼い子供。
母を心から愛していた公爵は、ナディアを首都の屋敷に残したまま、領地に引きこもるようになった。
まるで、娘の顔を見るたびに亡き妻を思い出すのが、耐えられなかったかのように……。
首都の屋敷で寂しい日々を送っていたある日。
公爵はルペルトを連れて帰ってきた――。
ナディアが公爵令嬢にも関わらず気弱な性格なのは、そんな環境のせいかもしれない。
けれど、今のナディアは違う。
転生した記憶が、元のナディアの弱さを少しずつ塗り替えていた。
机の上に置かれた日記のノートを、ナディアはそっと開いた。
この二日間で、あまりにも多くのことが起こりすぎた。
皇后からの贈り物の箱が、机の隅で不気味に光っている。
金と青の装飾が、まるで嘲るようにきらめく。
開けるべきか、開けないべきか。その選択すら、今は重い。
イサークの強引な腕。
アルフレッドの藍色の瞳。
そして、ルペルトの震える指先。
すべてが、ゲームのシナリオから逸脱し始めている。
ナディアはゆっくりと椅子に腰を下ろし、額に手を当てた。
「……疲れた」
小さな呟きが、静かな部屋に消えていく。
アメジストの瞳が鏡に映る自分の姿を、もう一度見つめた。
母に似ている顔。
けれど、母のような温かな笑みはない。
ただ、冷たく澄んだアメジストの瞳だけが、静かにこちらを見返している。
日記のページをめくる手が、わずかに止まる。
私はただ、破滅エンドを回避して生きたいだけなのに……。
冷たい空気が肺を満たす。
部屋の中はいつも通り、完璧に整えられている。
ランプの灯りは弱く、絨毯の上に長い影を落としている。
豪奢な調度品の数々がただ整然と佇むだけだ。
鏡台の前に立ち、ナディアは自分の姿をじっと見つめた。
紺色の制服に映える銀色の長い髪。
母譲りの月光のような金色の瞳ではなく、クロフォード公爵家の象徴であるアメジスト色の瞳に、母譲りの銀髪。
母に瓜二つな人形のように整った無機質な少女。
「公爵が私と会いたがらないのも、仕方のないことかもしれないわね……」
独り言のように呟く。
声は小さく部屋の空気に溶ける。
隣国の王女だった母は、留学先の学園で父に見初められた。
周囲の反対を押し切り、結婚した二人は貴族の結婚では珍しく心から愛し合っていた。
柔らかい銀髪に、月のように輝く金色の瞳。
妖精姫と謳われていた母は、笑顔をがよく似合う美しい人だった。
そんな母は、ナディアを産んでから体調を崩し、ナディアが9歳の誕生日を迎える前に帰らぬ人となった。
それ以来、父であるクロフォード公爵は変わった。
公爵家に残ったのは、公爵夫人とそっくりな幼い子供。
母を心から愛していた公爵は、ナディアを首都の屋敷に残したまま、領地に引きこもるようになった。
まるで、娘の顔を見るたびに亡き妻を思い出すのが、耐えられなかったかのように……。
首都の屋敷で寂しい日々を送っていたある日。
公爵はルペルトを連れて帰ってきた――。
ナディアが公爵令嬢にも関わらず気弱な性格なのは、そんな環境のせいかもしれない。
けれど、今のナディアは違う。
転生した記憶が、元のナディアの弱さを少しずつ塗り替えていた。
机の上に置かれた日記のノートを、ナディアはそっと開いた。
この二日間で、あまりにも多くのことが起こりすぎた。
皇后からの贈り物の箱が、机の隅で不気味に光っている。
金と青の装飾が、まるで嘲るようにきらめく。
開けるべきか、開けないべきか。その選択すら、今は重い。
イサークの強引な腕。
アルフレッドの藍色の瞳。
そして、ルペルトの震える指先。
すべてが、ゲームのシナリオから逸脱し始めている。
ナディアはゆっくりと椅子に腰を下ろし、額に手を当てた。
「……疲れた」
小さな呟きが、静かな部屋に消えていく。
アメジストの瞳が鏡に映る自分の姿を、もう一度見つめた。
母に似ている顔。
けれど、母のような温かな笑みはない。
ただ、冷たく澄んだアメジストの瞳だけが、静かにこちらを見返している。
日記のページをめくる手が、わずかに止まる。
私はただ、破滅エンドを回避して生きたいだけなのに……。
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