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16.街の喧騒
「ナディア。そこにいるのか?」
部屋のドアがノックされる。
ルペルトはナディアが厩舎から去ってから、何度も彼女を訪ねてきた。
そのたび、彼女は体調が悪いや疲れたと理由をつけてはルペルトを避けていた。
返答がないことに、諦めたのかルペルトの足音が遠ざかっていく。
ルペルトがナディアの部屋を訪ねてくる少し前。
公爵家の隠し通路の小さな扉が、かすかな音を立てて開いた。
中から鍵を外し、細い隙間から身を滑らせ、外へ出た瞬間――ナディアは初めて大きく息を吐いた。
目立つ銀髪を帽子に押し込んで、地味なクリーム色のワンピースに身を包む。
公爵令嬢の面影など、どこにもない。
太陽が真上を通り過ぎた頃。街の喧騒へナディアは足を進めた。
人々の声。馬車の車輪と石畳がぶつかる音。活気のある市場の呼び声が耳を満たす。
西洋絵画のような美しい街並みが視界を覆い、平穏な日常に思わず笑みが浮かぶ。
それを隠すようにナディアは肩を縮め、人の流れに紛れた。
「お嬢さん、一つどうかな?気分がスッキリするよ」
気の良さそうな露店の店主が、笑顔で声をかけてくる。
串に刺さった、甘い香りのするベビーカステラを長くしたような焼き菓子。
空腹と、ほんの少しの好奇心に負けて、ナディアは一つ手に取った。
甘い香りに誘われて、一口かじる。
「美味しい……」
「そうかい。それは良かった」
店主の笑みが深くなる。
そして、唐突に。
「3000ペニー」
「え……?」
ナディアの動きが止まる。
「食べたらならお金を払わないと」
ペニーはゲーム内の通貨で、1ペニー=約1円。
この小さなお菓子が3000ペニー?
露店は平民たちの買い物の場だ。そんなお店で一つ3000ペニーなんてあり得ない。
地味な服を着ていても、ナディアの仕草や肌の白さ、手入れされた服はどうしても貴族のそれだ。
見るからにカモな少女――店主の目はそう判断していた。
明らかなぼったくりに、ナディアは持ってきた小銭入れを握りしめる。
お金は持ってきたが、こんな風にお金を取られるのは気分が良くない。
けれど、声を出して抗議すれば、目立ってしまう。
隠れて屋敷を出てきたから、街中で騒ぎは起こしたくない。
沈黙するナディアに、店主の笑みがさらに意地悪くなる。
その時、後ろから静かな声がかかる。
「助けが必要ですか?」
ナディアの肩がびくりと震える。
振り返ると、そこに立っていたのは――
「あなたは……」
そこにいたのはアルフレッド・ヴァルモンド。
黒い騎士服に銀の装飾、肩にかかる騎士団長のマント。
深海のように深い藍色の瞳がナディアを捉える。
驚くナディアに、彼はわずかに口角を上げた。
微笑み、というには控えめで、彫刻のように整った顔に確かに柔らかな光が差す。
そして、店主に向き直る。
「店主。私にも一つください。おいくらですか?」
慣れた手つきで財布を取り出し、静かに尋ねる。
店主の顔が一瞬で青ざめる。
騎士団長の登場に、周囲の空気が一変した。
「あ、あの……これは、ええと……」
「さっきの値段でいいのですか?3000ペニー、でしたね」
先ほどの小さな笑みが嘘かのように、無機質な表情で淡々とたずねる。
しかし、その淡々さが逆に恐ろしい。
彼のまとう重厚な雰囲気もあって、店主は尋問されている囚人ようにうろたえた。
店主は慌てて手を振り、声を上ずらせる。
「い、いえ!これは冗談で……お嬢さんにサービスで、サービスで!」
「そうですか。ですが、それでは商売にならないでしょう」
この露店は広場の入り口。人通りが多く、場所代も高いはずだ。
アルフレッドは静かに頷き、代わりに小さな銀貨を一つ投げ入れる。
「では、これで二つ分としましょう。お釣りは結構です」
店主は慌てて菓子をもう一つ包み、アルフレッドではなく、なぜかナディアに差し出す。
顔は汗だくで、目が泳いでいる。
ナディアは無言で受け取り、アルフレッドに視線を移す。
「……どうして、ここに?」
「街の巡回中です。――また、困っていたようですね」
藍色の瞳が、静かにナディアを見つめる。
そこに責める色はない。手元にあるお菓子のように甘く、優しい。
部屋のドアがノックされる。
ルペルトはナディアが厩舎から去ってから、何度も彼女を訪ねてきた。
そのたび、彼女は体調が悪いや疲れたと理由をつけてはルペルトを避けていた。
返答がないことに、諦めたのかルペルトの足音が遠ざかっていく。
ルペルトがナディアの部屋を訪ねてくる少し前。
公爵家の隠し通路の小さな扉が、かすかな音を立てて開いた。
中から鍵を外し、細い隙間から身を滑らせ、外へ出た瞬間――ナディアは初めて大きく息を吐いた。
目立つ銀髪を帽子に押し込んで、地味なクリーム色のワンピースに身を包む。
公爵令嬢の面影など、どこにもない。
太陽が真上を通り過ぎた頃。街の喧騒へナディアは足を進めた。
人々の声。馬車の車輪と石畳がぶつかる音。活気のある市場の呼び声が耳を満たす。
西洋絵画のような美しい街並みが視界を覆い、平穏な日常に思わず笑みが浮かぶ。
それを隠すようにナディアは肩を縮め、人の流れに紛れた。
「お嬢さん、一つどうかな?気分がスッキリするよ」
気の良さそうな露店の店主が、笑顔で声をかけてくる。
串に刺さった、甘い香りのするベビーカステラを長くしたような焼き菓子。
空腹と、ほんの少しの好奇心に負けて、ナディアは一つ手に取った。
甘い香りに誘われて、一口かじる。
「美味しい……」
「そうかい。それは良かった」
店主の笑みが深くなる。
そして、唐突に。
「3000ペニー」
「え……?」
ナディアの動きが止まる。
「食べたらならお金を払わないと」
ペニーはゲーム内の通貨で、1ペニー=約1円。
この小さなお菓子が3000ペニー?
露店は平民たちの買い物の場だ。そんなお店で一つ3000ペニーなんてあり得ない。
地味な服を着ていても、ナディアの仕草や肌の白さ、手入れされた服はどうしても貴族のそれだ。
見るからにカモな少女――店主の目はそう判断していた。
明らかなぼったくりに、ナディアは持ってきた小銭入れを握りしめる。
お金は持ってきたが、こんな風にお金を取られるのは気分が良くない。
けれど、声を出して抗議すれば、目立ってしまう。
隠れて屋敷を出てきたから、街中で騒ぎは起こしたくない。
沈黙するナディアに、店主の笑みがさらに意地悪くなる。
その時、後ろから静かな声がかかる。
「助けが必要ですか?」
ナディアの肩がびくりと震える。
振り返ると、そこに立っていたのは――
「あなたは……」
そこにいたのはアルフレッド・ヴァルモンド。
黒い騎士服に銀の装飾、肩にかかる騎士団長のマント。
深海のように深い藍色の瞳がナディアを捉える。
驚くナディアに、彼はわずかに口角を上げた。
微笑み、というには控えめで、彫刻のように整った顔に確かに柔らかな光が差す。
そして、店主に向き直る。
「店主。私にも一つください。おいくらですか?」
慣れた手つきで財布を取り出し、静かに尋ねる。
店主の顔が一瞬で青ざめる。
騎士団長の登場に、周囲の空気が一変した。
「あ、あの……これは、ええと……」
「さっきの値段でいいのですか?3000ペニー、でしたね」
先ほどの小さな笑みが嘘かのように、無機質な表情で淡々とたずねる。
しかし、その淡々さが逆に恐ろしい。
彼のまとう重厚な雰囲気もあって、店主は尋問されている囚人ようにうろたえた。
店主は慌てて手を振り、声を上ずらせる。
「い、いえ!これは冗談で……お嬢さんにサービスで、サービスで!」
「そうですか。ですが、それでは商売にならないでしょう」
この露店は広場の入り口。人通りが多く、場所代も高いはずだ。
アルフレッドは静かに頷き、代わりに小さな銀貨を一つ投げ入れる。
「では、これで二つ分としましょう。お釣りは結構です」
店主は慌てて菓子をもう一つ包み、アルフレッドではなく、なぜかナディアに差し出す。
顔は汗だくで、目が泳いでいる。
ナディアは無言で受け取り、アルフレッドに視線を移す。
「……どうして、ここに?」
「街の巡回中です。――また、困っていたようですね」
藍色の瞳が、静かにナディアを見つめる。
そこに責める色はない。手元にあるお菓子のように甘く、優しい。
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