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第四話 屍時計。(3)

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3.
 空を薄く覆った雲の向こうで淡い光を放つ月が見下ろしていた。
 あの後、大雑把にではあるが自分の屍時計の能力を教わった長針は葉書坂家からの帰路についていた。
 深夜と言うほど遅くはないが辺りに人気は少ない。時折すれ違うのは塾帰りの学生や足元のおぼつかない酔っ払いぐらいだ。
 皆が己の時間の中を生きていた。

「……」

 行きがけも通った道を歩いているだけなのに何故か遠い昔に来た場所にいる、そんな郷愁に似た寂寥感が漂っていた。
 それが変わってしまった自分への戸惑いなのか定かではない。
 葉書坂の家を去ってから魔法が解けたみたいにいろいろなことが頭をよぎった。

(俺はこれからどうなるんだ?)

 死んで屍時計の力で活動している自分がいつも通りの生活に戻れるのか不安だった。
 客観的にではなく主観的に。
 たちまちの課題は母である時子にこのことを悟られないように生活ができるかだ。まさか時子に自分が亡者になったと、屍時計の力で現実に磔にされているだけの残留物だなんて言えるはずなかった。
 自宅の目の前まで来て長針は呼び鈴を押す手が震えていることに気づく。押す勇気がなかった。
 すると玄関の扉が勝手に開いた。
 長針が顔を上げると血相をかいた時子が駆け出してきた。よほど慌てているのかスリッパを片方穿き忘れていた。

「――おかえりっ!」
「た、ただいま……なんだよ?」

 長針は時子の余りの剣幕にたじろぐ。

「なんだよじゃない! 心配したんだから! あんな風に飛び出していって、もう帰ってこないかと思ったじゃない!」

 長針を抱きしめると時子は泣き崩れた。

「母さん、ごめんなさい……ごめんなさい」

 そんな母に自分がすでに死んでいることなどいえるはずがなかった。
 ただ、謝ることしかできなかった。

 遅い夕食を終え部屋に戻った長針はベッドに仰向けになって考えていた。
 亡者としての体は食事する上では特に問題はなかった。物を噛む歯ごたえ、味覚、のどを通る感触は生前と変わることはなかった。しかし、問題点として、いくら食べても腹が膨れる気配がしなかった。満腹感がなくなってしまったらしく、この様子では恐らく排泄も行われないだろう。もとより空腹感もなくなっているので困りはしないが、胃袋がブラックホールになった気がして気味が悪かった。
 食事前と変わらない腹部の具合を手で確かめながら、この先のことをできる限り真剣に、より深刻な観点から考える。

(戦うって、いったい何とだよ?)

 アテナは言ったのだ。
 屍時計を集めることは厳しい戦いになると。
 指針川長針は至って普通の高校生だ。厳密に言えばもう過去形だが、生前当たり障りがなく平和に生きてきたため、喧嘩と言う喧嘩もしたことがない。
 武道の心得もないし、武器の使い方などもっての外。
 とにかく争いとは疎遠な人生だった。
 そんな自分が戦いを強要される世界へ巻き込まれた。(最終的には自ら望んだ)
 命と引き換えに手にした屍時計。
 それに備えられた戦う力。
 長針は手を軽くかざすと意識を集中させる。
 すると死後に見た空間で手にした時計がどこからともなく姿を現す。
 重厚な鎖を幾重にも纏い、四時丁度を指したまま止まった懐中時計。
 四時の屍時計――『生贄』サクリファイス
 それは手の平から一定の距離を保ち、風船のようにぷかぷか浮いている。
 あのあとアテナに受けた説明によると屍時計は零時から二十三時までの計二十四個存在するらしく、指し示す時間が若いほど高い性能を秘めているらしい。
 そして、上位の屍時計には『概念干渉』と呼ばれる神罰的とも言える桁違いの能力があるとかないとか。
 長針は時計を手に取ると、現在とは違う別の形状をイメージする。
 思い描く形はリボルバー式の銃。現すは手の中。溶けるように形を失い始めた時計を素早く握りこむ。すると一丁の銃が長針の手の中に生まれる。
時の魔弾』クロックバレット
『生贄』の能力である〝生け贄にする〟と言う概念が結晶化した、形を持った概念。このリボルバー式の銃こそが四時の屍時計の本来の形でアテナの言う戦う力。
 曰く、この銃から放たれる魔弾は対象物の時間を〝生け贄〟にできる。
 強制的な時間の生け贄、つまり未来の略奪。
 生物に向けて撃てば未来を奪い尽くし殺し、非生物に向けて撃てば朽ち果てる。そして、『生贄』の最たる能力は限定的な未来さえ概念の一部とみなし奪える点。
 長針は銃を構えると机の上からとったボールペンを徐に放り投げ、

「重力で落ちる未来を生け贄にする」

 小声で呟きながら、強く念じてボールペンに狙いを定め引き金を引いた。すると耳元で囁く程度の大きさの発破音を響かせ、光弾が打ち出された。光弾は深紅の軌跡をきらめかせながら空中を舞うボールペンに着弾すると微細に砕け、花火のように消えてなくなった。

「ほんと、わけわかんねぇ能力だな」

 長針は銃を下すと半ば呆れたようにつぶやいた。
 光弾の直撃を受けたボールペンは無傷だった。それどころか落ちてこない。空気に磔にされたみたいに空中で何の支えもなく完全に静止していた。
 これは本来ボールペンに用意されていた『重力で床に落ちる』と言う未来が奪われたがためである。
 その結果、ボールペンは『重力で床に落ちる』未来に到達できなくなり、空中での静止を余儀なくされたのである。
『概念干渉』を用いれば死ぬという未来さえも奪い、この世に留まらせることもできるらしい。

「それ」

 長針はベッドから起き上がり『重力で落ちられなくなった』ボールペンを軽く小突く。するとボールペンはあっさり呪縛から抜け、床に落ちた。
 これは奪われた未来が『他力によって床に落ちる』未来に上書きされたために起きた現象である。
 重力による自然落下の未来が奪われても、人の手によって力が加われば生け贄になっていない未来、つまり他因子の干渉による落下と言う未来に至るのである。
 逆を言うと『床に落ちる』などと因子を限定しない未来を奪った場合、いかなる手段を用いても床に落とすことができないのである。
 しかし、因子を指定しない魔弾は時計の保持者への負担が大きいらしく、アテナにはその使用を固く禁止された。
強行した際の結果への好奇は少なからずあったがこちらの世界の事情について日の浅い長針は素直にアテナの言うことに従うことにした。
 長針は特に何を狙うでもなく銃口を向ける。その動作を二度三度繰り返す。傍目から見れば手に入れたおもちゃではしゃいでいるように映る動作だが、その一つ一つが秀逸でとても今日手に入れた武器とは思えないほど手馴れている。
 それは明らかな異常だった。
 重厚なフォルムとは裏腹に驚くほど軽い。形を持った概念に具体的な重量など存在しないのは当然だがこの扱い易さは異常だった。それこそ、手足の一部と言って遜色ない。
 試射を終えた銃を軽く投げる。すると紙風船のようにふわりと手を離れ、そのまま虚空に消えた。
――これからどうなるのだろう。
 ベッドの上で寝返りを打ちながら思った。不安を現すには緊張が足らない、かと言って投げやりではない。長針は懊悩しながらベッドを離れベランダに出た。
 秋の夜風は寒くない程度にひんやりと冷たく肌を撫でる。空気の籠った室内よりは思考を研ぎ澄ませそうだった。
 携帯で時間を見ると丁度日付が変わったところだった。本来ならもう寝ることを考える時間だが、幸い寝ることを必要としない体だ。夜通し考えを巡らせるには都合がいい。
 場所と気分を変えた長針は改めて考える。
 自分の得た力の矛先は、銃口を向ける先はいったい何になるのだろうか。
 そうして日曜日の夜は、自分の命日の夜は更けていく。
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