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御伽の国編
第2話「アリスの自覚」
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アリスとは、記号である。
物語の主人公、もしくは最重要人物をアリスと称す。
お菓子の家の魔女の孫である不思議の国と現実とを往来する少女の名がアリスなのではなく、この可笑しな世界の最重要人物であるが故に少女の名はアリスなのである。
自分自身の存在の自覚を終えた。
二度目の覚醒。
私はアリスと言う名の記号を添えられた主人公。
主人公と言う名の何者でもない物語上の最重要人物。
私は——アリス。
帽子屋さんのお手紙が私にアリスの自覚を与えてくれた。でも、何故だろうか。
何故、帽子屋さんは私が私であることを知っていたのだろうか。物語の登場人物たちは、自分が物語の登場人物であることを認識することはない。そういう仕組みになっているのに、何故。
考えあぐねていると、声が聞こえてきた。チェシャだ。
「アリス、大変だよ」
他人の家にノックもせず入り込むような無礼な性格でもないチェシャ。そんな彼女が血相を変えて飛び込んで来たからには、その言葉の信憑性は疑うまでもないだろう。
「なにが大変なの?」
「女王の兵士たちが森の方に向かって来てるの」
うんざりとした気分がため息となって口から漏れ出した。
しかし、辟易としている暇はない。武装した兵士たちに対抗する手段を持たない私たちが彼らに遭遇してしまえば最期、為す術もなくハートの女王の元へ連れていかれてしまうのは明白。それだけは何としてでも避けなくてはならない。
チェシャに向き直り、彼女の手を取る。
「呆けてる暇が惜しいわ」
踵を返し、当て所もなく走り出した。
お菓子の家から香る甘い匂いが遠ざかっていく。名残惜しさなど覚えなくていい。とにかく遠くへ。それだけを念頭に置いて走り続ける。
チェシャの足取りは私よりも軽やかで、私が引っ張っていることによって返って進みを滞らせているのかもしれない。けれど、私が先導しなければならない。彼女はチェシャで、私がアリスなのだから。
不思議の森の奥には、普通でないモノたちが集う泉がある。
悪い魔女に呪いをかけられてしまったモノ、不思議な力で命が芽吹いてしまったモノなど、様々な種類のモノたちが身を寄せ合って生きている。中にはどこかの国の王子様だったモノまでいるらしい。
乱れた呼吸を整えながらチェシャを見る。さすがに呼気が乱れているものの、私ほど疲れた様子は見えない。あながち、本当に猫なのかもしれない。
「ここまでくれば大丈夫、だよね」
「そうだね。いくらハートの女王の兵士だからって、ここには近づこうとしないだろうね」
そう言ってチェシャはニッと笑ってみせた。
落ち着いたからか、耳が少し離れたところから響いてくる怒声を捉えた。
「僕は王子だぞ、その無礼な態度を改めろ」
「なにが王子だよ、どう見たって醜いカエルじゃないか」
重い腰を持ち上げ、声の方へ近づく。どうやらこの背の高い茂みの向こうから聞こえてきているようだ。厄介事に首を突っ込むのは気乗りしないが、万が一にも兵士たちにこの怒声が届いてしまっても困る。
「あの、どうかしたの?」
気付けば、茂みを抜けた先に見えた王冠を被ったカエルと宙に浮くティーカップに声を掛けてしまっていた。これもアリスが故の性だろうか。
「どうもこうもない。この安っぽいティーカップが礼儀を知らなさ過ぎるんだ」
「誰に払う礼儀なんだろうね。まさか、このカエルに? 冗談だろう、少しも笑えないね」
ダメだ。お互いにそっぽを向いてしまった。
どうしたものかとチェシャの方を振り返ってみても、彼女は楽し気に笑ってみせてくるだけ。この様ないざこざを楽しむ気概が彼女にはたびたび見られる。無論、自身に害が及ばないと知ってればこそ、だが。
「よくは分からないけれど、このカエルさんの頭に乗っている立派な王冠、私には偽物に見えない。だから、本当に王子様なのかもしれないわ」
「良いかいお嬢さん。もしこの王冠が本物だったとしてだ、それでこのカエルが王子だと証明なんてできるかい? たまたま拾っただけの可能性だってあるだろう」
「まだ言うか、この無礼者が!」
完全に参ってしまった。どうにかしてこの二人の問答を止めさせなければ、兵士たちに居場所がバレてしまうリスクが高まってしまう。
必死に思考を巡らせようとした時、不意に目の前が真っ暗になった。
物語の主人公、もしくは最重要人物をアリスと称す。
お菓子の家の魔女の孫である不思議の国と現実とを往来する少女の名がアリスなのではなく、この可笑しな世界の最重要人物であるが故に少女の名はアリスなのである。
自分自身の存在の自覚を終えた。
二度目の覚醒。
私はアリスと言う名の記号を添えられた主人公。
主人公と言う名の何者でもない物語上の最重要人物。
私は——アリス。
帽子屋さんのお手紙が私にアリスの自覚を与えてくれた。でも、何故だろうか。
何故、帽子屋さんは私が私であることを知っていたのだろうか。物語の登場人物たちは、自分が物語の登場人物であることを認識することはない。そういう仕組みになっているのに、何故。
考えあぐねていると、声が聞こえてきた。チェシャだ。
「アリス、大変だよ」
他人の家にノックもせず入り込むような無礼な性格でもないチェシャ。そんな彼女が血相を変えて飛び込んで来たからには、その言葉の信憑性は疑うまでもないだろう。
「なにが大変なの?」
「女王の兵士たちが森の方に向かって来てるの」
うんざりとした気分がため息となって口から漏れ出した。
しかし、辟易としている暇はない。武装した兵士たちに対抗する手段を持たない私たちが彼らに遭遇してしまえば最期、為す術もなくハートの女王の元へ連れていかれてしまうのは明白。それだけは何としてでも避けなくてはならない。
チェシャに向き直り、彼女の手を取る。
「呆けてる暇が惜しいわ」
踵を返し、当て所もなく走り出した。
お菓子の家から香る甘い匂いが遠ざかっていく。名残惜しさなど覚えなくていい。とにかく遠くへ。それだけを念頭に置いて走り続ける。
チェシャの足取りは私よりも軽やかで、私が引っ張っていることによって返って進みを滞らせているのかもしれない。けれど、私が先導しなければならない。彼女はチェシャで、私がアリスなのだから。
不思議の森の奥には、普通でないモノたちが集う泉がある。
悪い魔女に呪いをかけられてしまったモノ、不思議な力で命が芽吹いてしまったモノなど、様々な種類のモノたちが身を寄せ合って生きている。中にはどこかの国の王子様だったモノまでいるらしい。
乱れた呼吸を整えながらチェシャを見る。さすがに呼気が乱れているものの、私ほど疲れた様子は見えない。あながち、本当に猫なのかもしれない。
「ここまでくれば大丈夫、だよね」
「そうだね。いくらハートの女王の兵士だからって、ここには近づこうとしないだろうね」
そう言ってチェシャはニッと笑ってみせた。
落ち着いたからか、耳が少し離れたところから響いてくる怒声を捉えた。
「僕は王子だぞ、その無礼な態度を改めろ」
「なにが王子だよ、どう見たって醜いカエルじゃないか」
重い腰を持ち上げ、声の方へ近づく。どうやらこの背の高い茂みの向こうから聞こえてきているようだ。厄介事に首を突っ込むのは気乗りしないが、万が一にも兵士たちにこの怒声が届いてしまっても困る。
「あの、どうかしたの?」
気付けば、茂みを抜けた先に見えた王冠を被ったカエルと宙に浮くティーカップに声を掛けてしまっていた。これもアリスが故の性だろうか。
「どうもこうもない。この安っぽいティーカップが礼儀を知らなさ過ぎるんだ」
「誰に払う礼儀なんだろうね。まさか、このカエルに? 冗談だろう、少しも笑えないね」
ダメだ。お互いにそっぽを向いてしまった。
どうしたものかとチェシャの方を振り返ってみても、彼女は楽し気に笑ってみせてくるだけ。この様ないざこざを楽しむ気概が彼女にはたびたび見られる。無論、自身に害が及ばないと知ってればこそ、だが。
「よくは分からないけれど、このカエルさんの頭に乗っている立派な王冠、私には偽物に見えない。だから、本当に王子様なのかもしれないわ」
「良いかいお嬢さん。もしこの王冠が本物だったとしてだ、それでこのカエルが王子だと証明なんてできるかい? たまたま拾っただけの可能性だってあるだろう」
「まだ言うか、この無礼者が!」
完全に参ってしまった。どうにかしてこの二人の問答を止めさせなければ、兵士たちに居場所がバレてしまうリスクが高まってしまう。
必死に思考を巡らせようとした時、不意に目の前が真っ暗になった。
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