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自分本位な自己犠牲
しおりを挟むメルセデスが、すうすうと寝息を立て始めたのを確認してから、エドワルドは下穿きだけを着て外へと出た。
外はまだ真っ暗で、一寸先も見えない状態だったが、迷いなく歩みを進める。
家の裏手側にある畑の更に奥にある森の入り口に着くと『ギィ……ッ! ギィ……ッ!』という耳障りな鳴き声が近くなった。
青白く魔法印が光るトラバサミのような罠に、黒い兎がかかっている。一見すればトラップにまんまとかかってしまった哀れな獲物なのだが、エドワルドはその生き物を冷たく見下ろすのみで、警戒を怠る事はない。
《グッ、ゲゲ……ケ、ケケ。……ヨウ、俺ノチカラデ 不能ガ、治ッタンダ 感謝シロヨ ゲッ、ゲッゲケ》
「……小娘を酔わせて無理やり契約させるなんざ、悪魔の風上にもおけねぇな。これ以上、堕ちる所もねーだろうに。惨めだなぁ、アスモデウス」
アスモデウスと呼ばれる悪魔の挑発にのる事なく、エドワルドは淡々と言葉を紡いだ。
《ケッ! 魅了防御スラ出来ナイ魔女ナンテ、マトモナ餌ニモナリャシナイ……──ギャッッ!!》
エドワルドはトラバサミの歯を靴で踏みつけ、口汚い言葉を吐く兎を黙らせた。
「──おい……てめぇにゃ、まだ聞きたい事があんだ。俺をあんまり怒らせんじゃねーよ」
地を這うような低い声をだし、トラバサミを何度も踏みつけると、苦痛によりアスモデウスの絶叫が森に響く。
兎の口にはびっしりと鋭い牙が生えており、金の目は瞳孔が開ききってお世辞にも可愛いとは言えない。
このトラバサミは神聖力が込められた特別なもので、特定の魔物を捕らえるために作られたものだった。
アスモデウスから流れ出る体液から魔力痕を手繰り古代魔法の解呪方法を探る。
「──チッ。厄介な魔法、使いやがって……」
アスモデウスは《色欲と淫蕩》を司る悪魔である。三ヶ月前に、国とギルドの総力を挙げて討伐隊を編成し、多くの命を犠牲にしてようやく聖女像に封印した高位悪魔だった。
悪魔の入った聖女像は本教会で清めの儀式をして、聖火にくべてきちんと全て燃やさなければ浄化ができない。手順に漏れがあったのか、清めの儀式を掻い潜りアスモデウスの一部が分離して逃げ出していたようだ。
アスモデウスは性欲の抑制を効かなくさせる。普通の人間であれば、その封印された像を長時間持つだけで精神を壊され、欲の赴くままに腰を振り続ける獣へと変貌していただろう。
しかし、エドワルドはその心配をする必要がなかった。彼が不能だったからだ。
エドワルドの不能の原因は明らかで、幼少期に預けられていた孤児院の劣悪な環境のせいだった。
《……グゲッ。俺ダケハ グククッ、オ前ノ事ヲ、ヨーク理解シテイルンダゼ。 本当ハ、危険ナ冒険者ニナッタノモ、死ニタカッタカラダロ……?》
「……」
アスモデウスがエドワルドへと甘く囁いてくる。そう、死にたいほどの地獄だった。孤児院では貴族の私生児という事が知られており、施設内での陰惨ないじめの標的になるわ、誘拐されかけ殺されかけるわで散々な毎日だった。
なまじ顔が良かったのもあり、性的な嫌がらせも日常茶飯事で、その地獄から助けてくれたのが、当時"剣聖"と呼ばれていたメルセデスの父親ロルフと、今は気のいい酒場の親父をやっているディルだった。
優しく強いロルフと快活で漢気のあるディルから剣と人間性を学び、エドワルドは才能を見事に開花させていった。神聖力と剣技の融合技で実力を底上げし、一流の冒険者として他国にも遠征するようになると、その巧みな技が評価されてどんどん名声を上げていった。
数多くの大型モンスターを仕留め、師と同じ"剣聖"の称号を得て故郷へ帰れば、気が付けば十年以上の時が流れていた。
師匠達への挨拶周りをしようと思いたち、片目の怪我が元で冒険者業を引退していたディルの元を先に訪れた。
そこでロルフが数年前に結婚し子供をもうけ、数ヶ月前に事故で亡くなった事を知った。ロルフの妻の故郷である『魔導士の村』はひどく閉鎖的で、ディルは葬儀にも参加させてもらえず墓参りにも行けていないらしい。残された子供の事も心配だと言うので、身軽なエドワルドが『魔導士の村』へと向かう事になったのだった。
魔導士の村は辺鄙というかもはや秘境と呼べる場所にあり、村全体の活気はなく、ロルフの忘れ形見であるメルセデスは、そこで厄介者として扱われていた。
孤児院時代の自分とメルセデスを重ねたエドワルドは、ロルフに恩を返すつもりで彼女を後見人として引き取り、育てる事に決めた。
最初はただ師匠への恩義から接していたが、メルセデスと過ごしたこの十年は、エドワルドの人生にとってかけがえのない宝物のような毎日だった。
メルセデスはきちんと手入れをすれば鮮やかな赤毛に、神秘的に輝く紫の瞳。白磁の肌の美少女で、ギルドに併設されている酒場に一緒に連れ出せば、不埒な視線を寄越してくる連中も多かった。
かつての自分も向けられた事がある粘りつくような欲望が込められた視線は、エドワルドが最も嫌悪し軽蔑しているものだった。
《ドンナニ、ディル達ノ 真似ヲシテ豪快ソウニ振舞オウガ オ前ノ本質ハ変ワラナイ 弱イアノ頃ノママダ》
悪魔の囁きは甘さを増し、エドワルドの心の隙間に侵食してこようとする。
《折角、娘ノ生命ヲ救ッテモ、キットモウ嫌ワレテ、怯エラレテ、蔑マレテ……アーア、可哀想ナ、エドワルド。──辛クテ、悲シクテ、虚シイ事ナンカ 全部忘レチャエヨ》
アスモデウスがメルセデスにかけた呪いは"一定時間内に性交した相手に呪いを伝播し続け、最終的に受け取った者が次の悪魔として生まれ変わる"というものだった。
メルセデスの呪いを肩代わりして、エドワルド自身がアスモデウスの依代として力を継承していた。
《俺ガ完全体ニナッタラ、オ前ノ代ワリニ、アノ弱ッチイ魔女ヲ タップリ可愛ガッテヤッテモイイゼ ケケッ──、っ!!!》
グシャッ!という形容し難い鈍い音が響き、エドワルドはアスモデウスの頭を潰した。
物言わぬ塊になったアスモデウスの分体を持ち上げて、魔力ごと吸収し、悪魔の全ての力をエドワルドの身に宿す事に成功した。もう本教会に祀られている聖女像もただの置物と化しているはずだ。
本来、アスモデウス位の高位悪魔と契約出来るのは、この国では神聖力が高いエドワルドか聖女か王太子位なもので、他の者が安易に手を出せば対価が大き過ぎて死んでしまう。
メルセデスがアスモデウスと契約出来たのは、アスモデウス本体がかなり弱っていたためだろう。
元々、三ヶ月の討伐後に本教会に聖女像を運び込んだ時点で、エドワルドは呪われていた身だった。ならば、自分が全て引き受ければ万事丸く収まる。
あとは手練れの冒険者やらに自分自身を討伐してもらえれば、それでいい。
そこに対する迷いや躊躇いなどは、一切なかった。メルセデスが死ぬくらいなら、恨まれようが何しようがエドワルドが悪魔となり、朽ちる方がよっぽど良かった。
メルセデスの契約紋を読み取って、すぐに自らの内に眠らせていたアスモデウスの呪いを解き放った。
ずっと忌むべき感情として蔑んでいた性欲と、勃起不全を瞬時に回復させて、メルセデスとの性交に及んだのだった。
あんなに忌み嫌い、理解不能だと吐き捨てていた行為だったが、メルセデスとのまぐわいは泣きそうになるほどの歓びがあった。
唾棄すべき事実だが、性交のやり方や事の運び方は淫蕩の悪魔の力を使ったので、犯しているのにも関わらず情けなく手間取るという事はなかった。
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