20 / 26
閑話 口から先に生まれてきた男、筒井の受難
しおりを挟む ――仕事ばっかりの生活やったけども、ついに、ついに春が来た!
や、もうとっくに季節は梅雨入りしとるけどもな。そういう現実の四季の話やなくて。こう、人生における春がきたっちゅう話や。人生、どこに出会いが転がっとるか分からんもんやなあ。まさか出向した先の女社長から好意を向けられる日が来るなんて露ほども思っとらんかった。
今日もなんやええ店に連れてってくれるらしい。張り切って待ち合わせ場所に約束の二時間前からおるけども、これはしゃあないことやと思う。ウェルネスリビングなんちゅう社名やから健康食品でも扱っとるかと思たらゲームデベロッパやったんも意外やったなあ。儲かるんやろか、小規模な会社やと思うんやけどな。
どうも自分はつい思ったことを口にしてしまう性分で、割と損してきた気もする。正直は美徳やっちゅうけど、言わんでええこともあるのも、分かってはいる。
「分かっては、おるんやけどなあ」
何年前やったか忘れたけども、白井さんの歓迎会でうっかり口がすべって「リアクション薄いなあ。まるで鉄女みたいやね」と失言したことは悪かったと思てるし、今でもたまに白井さんから擦られるのもまあ致し方なしやとは思う。いやでもアレはな? いつでも冷静沈着な仕事っぷりがすごいって伝えようとしただけなんやけどなあ。
まあともかく口下手なんは自分の欠点や。せっかく我が世の春が来たんやから、失態を晒さんようにせなあかんと肝に銘じとこうと思うわけよ。
「ごきげんよう、筒井さま。お待たせしてしまいましたか?」
「静美さん! いやいや全然! たかだか二時間ほど」
「まあ、もしや私、待ち合わせの時間を間違えてしまいましたか? 申し訳ありません」
「あ、いや、ちゃうちゃう! 楽しみすぎて早よ着きすぎただけで、静美さんは間違うてない!」
きょとんとした顔が、すぐに笑みに変わる。上品にころころ笑う静美さんは、ほんまに魅力的な人で、自分が好意を向けられとるんか今でも信じられへん時もある。
「面白い方ですのね。私も、本日はとても楽しみにしておりました」
目を細めて静美さんは笑う。
たまーに、怖く思うこともあるんやけど、それを差し引いても彼女はやっぱり魅力的や。
静美さんに連れられて、えらい高級そうなレストランに来たけども、マナーとか大丈夫やろか。あんまり自信ないんやけどなあ。これは、試されてるとかそういうアレやろか。緊張してきた。何や個室っぽい所に通されたし。
次々に出てくる料理はどれもおいしかったんやけど、途中途中で静美さんの視線が気になった。じっとこっちを見て、何を考えとるか分からんような、蛇みたいな冷たい目。
「静美さん、相変わらずめっちゃキレイやけど、たまに蛇みたいに冷たい目をする時があるなあ」
「私が、ですか?」
「あっ」
やってもた。最悪や。またうっかり思ったことを口走ってしもた。これは流石に愛想つかされるかも知れん。
「あ、いや、その、気ぃ悪くしました、よね。ほんま申し訳ない。昔からどうも、思たことは勝手に口から出てくる性分で……」
「まぁ、嬉しい!」
「へ?」
嬉しい? 冷たい目とか言われたら、普通は馬鹿にされてるとかなると思うんやけど、静美さんはすっと笑みを浮かべたまんま、手を頬に当てて怒るでもなくこっちを見つめてくる。
「気持ちを真っ直ぐに伝えていただけることは、とっても嬉しいものですのよ。それにつまり、私のことを綺麗だと仰っていただいたのも、本心からのお言葉なのでしょう? とても光栄です」
「静美さん……!」
素晴らしすぎるお人柄や! ええんか、こんなにええ出会いをして、ほんまにええんか!?
思わず有頂天になって、そっから先の料理の味はあんまり記憶になかった。
○ ○ ○
「――っちゅうことがついこないだあってな!? こらもう運命やと思う訳よ! どうよ、どう思うよ二人とも!」
「マジか。あの女社長がなぁ。筒井のデリカシーの無さを受け入れてくれるとか相当だぞ」
「後藤さんと二人で出向してたんでしたっけ。えーと、ウェルネスリビングってとこに」
「おう、そうだぜ。美人って言葉がホントぴったりくる人だったな」
居酒屋の喧噪、テーブル正面には後藤君と大和田君。
仕事終わりに会社近くの居酒屋で、気の合う面子で飲みながら盛り上がる。この時間も貴重なもんやと思う。後藤君と大和田君とはよくこうやって飲みに出るもんやから、知らず知らず関西弁に戻っとったりするくらいには気の置けん仲やと思てるしな。
「真面目な仕事ぶりを見初められたんやろなあ、うん」
「待て待て、俺だって真面目にやってたろうがよ」
「後藤さんは既婚者じゃないすか」
「真剣みが違たんやで、真剣みが! 白井さんが無茶言うから久しぶりに本気出したし」
新入社員の竹内さんの歓迎会に間に合わせるように厳命され、普段よりもペースアップして働いた。後藤君もヘルプで来てくれたからなんとか終わったものの、なかなかハードなことを言うてくれたと思う。んでもまあ、わが社の縁の下の力任せ様の言うこととなれば、聞くよりほかにあらへんからなあ。
「確かに筒井よぉ、終業後ちょっとボーっとしてることあったよな」
「せやったっけ? 確かに三日出向したうちの最後の方はあんまり記憶にあらへんけど、まあ無茶ぶりしてきた白井さんのせいやっちゅうことにしとこ」
「んはは、言いつけてやろうか」
「冗談は腹の肉だけにせえ、後藤君よ」
あれ? いつもやったら、この辺で大和田君が白井さんの擁護っちゅうか援護射撃に入るんやけどな。大和田君が白井さんのこと気にかけとるんはみんな知っとるし。
「大和田君、きみ白井さんと何かあったん?」
「うぇっ!? な、なんすか急に」
「やー、ほれ、いつもやったら白井さんの話題が出たらもっと食いついてくるから」
「あれっ。筒井お前知らなかったか。こいつ今日な、白井様に告白したんだぞ」
「ちょいちょいマジか!! ほんで!? ほんでどうなったん!?」
「別に、どうも……交際を申し込んだとかそういう感じでもなかったっすから……」
酒の肴に聞き出したところによると、今日の昼に偶然白井さんに会って、琴科さんと竹内さんのデートを尾行したらしい。なんやその面白そうな状況。呼んで欲しかったわ。ほんで一緒にえらい若い子向けのパンケーキハウスに行って、ついうっかり本音を漏らしたものの、次に何言うたらええか分からんようになってその場を去った、と。
「ヘタレか!! そこでもう一押しやろ!」
「だよなあ。せっかく言えたんだろ? 言い逃げみたいになって気まずいだろうよ」
「もー! 自分でもやらかしたと思ってるんっすよ! 今更なかったことにして下さいとか言えないし……もう飲むしかない……」
「せやなあ。飲め飲め。後藤君のおごりや」
「なんでだよ、筒井も半分出せよ」
可愛い後輩が凹んどるんやから、何とかしてやりたいと思う気持ちがある反面、静美さんと交際が続くんやったら自分もこう、もっとハイソサエティな人間にならなあかんような気もしてくる。どう考えても釣り合ってへんからなあ。なんやろ、駅前語学留学とか、博物館めぐりを趣味にするとかそういう教養を身に着けた方がええんちゃうやろか。
いやでもなあ。こういうガヤガヤとした場所でわいのわいのやるのも好きなんよな。静美さんには似合わん場所やと心底思うけども。
「それで? お前その女社長とは何か進展あったのか。ゴールデンウィークの連休もあったろ。どっか出かけたりしてねえの?」
「お誘いしよか思たんやけど、地方で講演会がある言うて断られた。静美さんとこの実家、何かの家元で彼女自身も師範か何かなんやて」
「なんすかそのふわっとした情報。筒井さん、騙されてません?」
「いつか壺とか鍋とか売りつけられたりしてな。そしたら笑ってやるよ」
「アホ抜かせ。静美さんはそんな人ちゃう。確かに、ちょっと秘密主義なとこあるけども」
「普段どんな会話してんだよ。こんな居酒屋なんか絶対行かなさそうだろ」
「……それがなあ。あんまり覚えてへんのよ」
「どいうことすか、それ」
「いよいよもって怪しくなってきやがったな」
静美さんとは何度か会うたけど、断片的な出来事だけがちらほら出てくるだけで、会った日のことを詳細に思い出そうとしてもコマ落ちした映画みたいな感覚になる。最初は、緊張のせいやとか、夢見心地で忘れただけやとか思ったりもしたけど、どうもしっくりこん。楽しかったことは間違いあらへんけど――
「毎回、どうやって帰ったか記憶にないんよ。気が付いたら翌日の朝や」
「穏やかじゃねえな。飲み潰れるほど飲んだのか?」
「そら多少は飲んだけども、酒には強い方やと思っとるよ」
「ですよねえ。筒井さんが酔って正体失くしたところ、見たことないっす」
「その辺がどうもすっきりせんのが悩みではあるなあ。ま、そのうち慣れると思うけど」
「困ったら言えよ」
「そないするわ」
住んどる世界が違うような気は、確かにする。せやからまあ、気苦労はこれからもあるんやろうけど気遅れだけはせんようにしようと思う。育ってきた環境が違いすぎるけども、大なり小なり誰でもそんなもんや。お付き合いをするんやから、相手の知らん面があることは承知の上やし、折り合いをつけていかなあかんこともあるに決まっとる。
それでも、合わん時は合わんから、そん時はしゃあないけども、少なくとも出会って数回しか会うてへんのに決めることでもない。
後藤君が家に帰るっちゅうからお開きにして、ぐいと伸びをして家路につく。腹の肉こそ目立っとるけど後藤君は家族思いのええやつやと思うし、大和田君も素直でよお仕事ができる。うちは小さい会社やけど、その分つながりは強いような気がするのがなんとも嬉しいもんや。
自分も、できる限りのことはやっていこか。とりあえず、慣れやな。こういうのは慣れが一番や。何はともあれ次のデートのお誘いだけでもしとこか。
パパっと静美さんにメッセージだけ送って、コンビニで酔い覚ましに缶コーヒーを買う。明日か明後日か、そのうち返信もくるやろ。
予想に反してすぐに静美さんから返信があって、思わずコーヒーを落としそうになる。
「静美さん、まだ起きとったんか。えーと、うわぁ……」
返信の内容は、忙しくなるのでしばらく会えないとの内容だった。気を入れてメッセージ送っただけに落胆してしまう。
「社長やもんなあ。仕事は山ほどあるんやろな。ま、今のうちに男ぶりでも磨いとくとしよか。とりあえずジムでも探してみよかな」
自分を慰めるように呟いて、缶コーヒーの残りを飲み干す。えらく苦い。大きく息を吸って、アルコール混じりの息をぷひゅうと吐いてみる。
「すっかり春やなあ。ぜんぜん白い息にならん」
前途は多難。そんな気がする。せやけどせっかくのご縁。どうにかうまく続けたいもんや。そうなるとお金もいるやろし、明日の仕事も頑張ろか。
や、もうとっくに季節は梅雨入りしとるけどもな。そういう現実の四季の話やなくて。こう、人生における春がきたっちゅう話や。人生、どこに出会いが転がっとるか分からんもんやなあ。まさか出向した先の女社長から好意を向けられる日が来るなんて露ほども思っとらんかった。
今日もなんやええ店に連れてってくれるらしい。張り切って待ち合わせ場所に約束の二時間前からおるけども、これはしゃあないことやと思う。ウェルネスリビングなんちゅう社名やから健康食品でも扱っとるかと思たらゲームデベロッパやったんも意外やったなあ。儲かるんやろか、小規模な会社やと思うんやけどな。
どうも自分はつい思ったことを口にしてしまう性分で、割と損してきた気もする。正直は美徳やっちゅうけど、言わんでええこともあるのも、分かってはいる。
「分かっては、おるんやけどなあ」
何年前やったか忘れたけども、白井さんの歓迎会でうっかり口がすべって「リアクション薄いなあ。まるで鉄女みたいやね」と失言したことは悪かったと思てるし、今でもたまに白井さんから擦られるのもまあ致し方なしやとは思う。いやでもアレはな? いつでも冷静沈着な仕事っぷりがすごいって伝えようとしただけなんやけどなあ。
まあともかく口下手なんは自分の欠点や。せっかく我が世の春が来たんやから、失態を晒さんようにせなあかんと肝に銘じとこうと思うわけよ。
「ごきげんよう、筒井さま。お待たせしてしまいましたか?」
「静美さん! いやいや全然! たかだか二時間ほど」
「まあ、もしや私、待ち合わせの時間を間違えてしまいましたか? 申し訳ありません」
「あ、いや、ちゃうちゃう! 楽しみすぎて早よ着きすぎただけで、静美さんは間違うてない!」
きょとんとした顔が、すぐに笑みに変わる。上品にころころ笑う静美さんは、ほんまに魅力的な人で、自分が好意を向けられとるんか今でも信じられへん時もある。
「面白い方ですのね。私も、本日はとても楽しみにしておりました」
目を細めて静美さんは笑う。
たまーに、怖く思うこともあるんやけど、それを差し引いても彼女はやっぱり魅力的や。
静美さんに連れられて、えらい高級そうなレストランに来たけども、マナーとか大丈夫やろか。あんまり自信ないんやけどなあ。これは、試されてるとかそういうアレやろか。緊張してきた。何や個室っぽい所に通されたし。
次々に出てくる料理はどれもおいしかったんやけど、途中途中で静美さんの視線が気になった。じっとこっちを見て、何を考えとるか分からんような、蛇みたいな冷たい目。
「静美さん、相変わらずめっちゃキレイやけど、たまに蛇みたいに冷たい目をする時があるなあ」
「私が、ですか?」
「あっ」
やってもた。最悪や。またうっかり思ったことを口走ってしもた。これは流石に愛想つかされるかも知れん。
「あ、いや、その、気ぃ悪くしました、よね。ほんま申し訳ない。昔からどうも、思たことは勝手に口から出てくる性分で……」
「まぁ、嬉しい!」
「へ?」
嬉しい? 冷たい目とか言われたら、普通は馬鹿にされてるとかなると思うんやけど、静美さんはすっと笑みを浮かべたまんま、手を頬に当てて怒るでもなくこっちを見つめてくる。
「気持ちを真っ直ぐに伝えていただけることは、とっても嬉しいものですのよ。それにつまり、私のことを綺麗だと仰っていただいたのも、本心からのお言葉なのでしょう? とても光栄です」
「静美さん……!」
素晴らしすぎるお人柄や! ええんか、こんなにええ出会いをして、ほんまにええんか!?
思わず有頂天になって、そっから先の料理の味はあんまり記憶になかった。
○ ○ ○
「――っちゅうことがついこないだあってな!? こらもう運命やと思う訳よ! どうよ、どう思うよ二人とも!」
「マジか。あの女社長がなぁ。筒井のデリカシーの無さを受け入れてくれるとか相当だぞ」
「後藤さんと二人で出向してたんでしたっけ。えーと、ウェルネスリビングってとこに」
「おう、そうだぜ。美人って言葉がホントぴったりくる人だったな」
居酒屋の喧噪、テーブル正面には後藤君と大和田君。
仕事終わりに会社近くの居酒屋で、気の合う面子で飲みながら盛り上がる。この時間も貴重なもんやと思う。後藤君と大和田君とはよくこうやって飲みに出るもんやから、知らず知らず関西弁に戻っとったりするくらいには気の置けん仲やと思てるしな。
「真面目な仕事ぶりを見初められたんやろなあ、うん」
「待て待て、俺だって真面目にやってたろうがよ」
「後藤さんは既婚者じゃないすか」
「真剣みが違たんやで、真剣みが! 白井さんが無茶言うから久しぶりに本気出したし」
新入社員の竹内さんの歓迎会に間に合わせるように厳命され、普段よりもペースアップして働いた。後藤君もヘルプで来てくれたからなんとか終わったものの、なかなかハードなことを言うてくれたと思う。んでもまあ、わが社の縁の下の力任せ様の言うこととなれば、聞くよりほかにあらへんからなあ。
「確かに筒井よぉ、終業後ちょっとボーっとしてることあったよな」
「せやったっけ? 確かに三日出向したうちの最後の方はあんまり記憶にあらへんけど、まあ無茶ぶりしてきた白井さんのせいやっちゅうことにしとこ」
「んはは、言いつけてやろうか」
「冗談は腹の肉だけにせえ、後藤君よ」
あれ? いつもやったら、この辺で大和田君が白井さんの擁護っちゅうか援護射撃に入るんやけどな。大和田君が白井さんのこと気にかけとるんはみんな知っとるし。
「大和田君、きみ白井さんと何かあったん?」
「うぇっ!? な、なんすか急に」
「やー、ほれ、いつもやったら白井さんの話題が出たらもっと食いついてくるから」
「あれっ。筒井お前知らなかったか。こいつ今日な、白井様に告白したんだぞ」
「ちょいちょいマジか!! ほんで!? ほんでどうなったん!?」
「別に、どうも……交際を申し込んだとかそういう感じでもなかったっすから……」
酒の肴に聞き出したところによると、今日の昼に偶然白井さんに会って、琴科さんと竹内さんのデートを尾行したらしい。なんやその面白そうな状況。呼んで欲しかったわ。ほんで一緒にえらい若い子向けのパンケーキハウスに行って、ついうっかり本音を漏らしたものの、次に何言うたらええか分からんようになってその場を去った、と。
「ヘタレか!! そこでもう一押しやろ!」
「だよなあ。せっかく言えたんだろ? 言い逃げみたいになって気まずいだろうよ」
「もー! 自分でもやらかしたと思ってるんっすよ! 今更なかったことにして下さいとか言えないし……もう飲むしかない……」
「せやなあ。飲め飲め。後藤君のおごりや」
「なんでだよ、筒井も半分出せよ」
可愛い後輩が凹んどるんやから、何とかしてやりたいと思う気持ちがある反面、静美さんと交際が続くんやったら自分もこう、もっとハイソサエティな人間にならなあかんような気もしてくる。どう考えても釣り合ってへんからなあ。なんやろ、駅前語学留学とか、博物館めぐりを趣味にするとかそういう教養を身に着けた方がええんちゃうやろか。
いやでもなあ。こういうガヤガヤとした場所でわいのわいのやるのも好きなんよな。静美さんには似合わん場所やと心底思うけども。
「それで? お前その女社長とは何か進展あったのか。ゴールデンウィークの連休もあったろ。どっか出かけたりしてねえの?」
「お誘いしよか思たんやけど、地方で講演会がある言うて断られた。静美さんとこの実家、何かの家元で彼女自身も師範か何かなんやて」
「なんすかそのふわっとした情報。筒井さん、騙されてません?」
「いつか壺とか鍋とか売りつけられたりしてな。そしたら笑ってやるよ」
「アホ抜かせ。静美さんはそんな人ちゃう。確かに、ちょっと秘密主義なとこあるけども」
「普段どんな会話してんだよ。こんな居酒屋なんか絶対行かなさそうだろ」
「……それがなあ。あんまり覚えてへんのよ」
「どいうことすか、それ」
「いよいよもって怪しくなってきやがったな」
静美さんとは何度か会うたけど、断片的な出来事だけがちらほら出てくるだけで、会った日のことを詳細に思い出そうとしてもコマ落ちした映画みたいな感覚になる。最初は、緊張のせいやとか、夢見心地で忘れただけやとか思ったりもしたけど、どうもしっくりこん。楽しかったことは間違いあらへんけど――
「毎回、どうやって帰ったか記憶にないんよ。気が付いたら翌日の朝や」
「穏やかじゃねえな。飲み潰れるほど飲んだのか?」
「そら多少は飲んだけども、酒には強い方やと思っとるよ」
「ですよねえ。筒井さんが酔って正体失くしたところ、見たことないっす」
「その辺がどうもすっきりせんのが悩みではあるなあ。ま、そのうち慣れると思うけど」
「困ったら言えよ」
「そないするわ」
住んどる世界が違うような気は、確かにする。せやからまあ、気苦労はこれからもあるんやろうけど気遅れだけはせんようにしようと思う。育ってきた環境が違いすぎるけども、大なり小なり誰でもそんなもんや。お付き合いをするんやから、相手の知らん面があることは承知の上やし、折り合いをつけていかなあかんこともあるに決まっとる。
それでも、合わん時は合わんから、そん時はしゃあないけども、少なくとも出会って数回しか会うてへんのに決めることでもない。
後藤君が家に帰るっちゅうからお開きにして、ぐいと伸びをして家路につく。腹の肉こそ目立っとるけど後藤君は家族思いのええやつやと思うし、大和田君も素直でよお仕事ができる。うちは小さい会社やけど、その分つながりは強いような気がするのがなんとも嬉しいもんや。
自分も、できる限りのことはやっていこか。とりあえず、慣れやな。こういうのは慣れが一番や。何はともあれ次のデートのお誘いだけでもしとこか。
パパっと静美さんにメッセージだけ送って、コンビニで酔い覚ましに缶コーヒーを買う。明日か明後日か、そのうち返信もくるやろ。
予想に反してすぐに静美さんから返信があって、思わずコーヒーを落としそうになる。
「静美さん、まだ起きとったんか。えーと、うわぁ……」
返信の内容は、忙しくなるのでしばらく会えないとの内容だった。気を入れてメッセージ送っただけに落胆してしまう。
「社長やもんなあ。仕事は山ほどあるんやろな。ま、今のうちに男ぶりでも磨いとくとしよか。とりあえずジムでも探してみよかな」
自分を慰めるように呟いて、缶コーヒーの残りを飲み干す。えらく苦い。大きく息を吸って、アルコール混じりの息をぷひゅうと吐いてみる。
「すっかり春やなあ。ぜんぜん白い息にならん」
前途は多難。そんな気がする。せやけどせっかくのご縁。どうにかうまく続けたいもんや。そうなるとお金もいるやろし、明日の仕事も頑張ろか。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。
後宮の星詠み妃 平安の呪われた姫と宿命の東宮
鈴木しぐれ
キャラ文芸
旧題:星詠みの東宮妃 ~呪われた姫君は東宮の隣で未来をみる~
【書籍化します!!4/7出荷予定】平安の世、目の中に未来で起こる凶兆が視えてしまう、『星詠み』の力を持つ、藤原宵子(しょうこ)。その呪いと呼ばれる力のせいで家族や侍女たちからも見放されていた。
ある日、急きょ東宮に入内することが決まる。東宮は入内した姫をことごとく追い返す、冷酷な人だという。厄介払いも兼ねて、宵子は東宮のもとへ送り込まれた。とある、理不尽な命令を抱えて……。
でも、実際に会った東宮は、冷酷な人ではなく、まるで太陽のような人だった。
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
冥府へ続く井戸 -冥府庁異聞-
秋初夏生
ライト文芸
——この世とあの世の境を、踏み越えたのは“まだ死んでいない”青年だった。
京都・六道の辻。
地獄の釜の蓋が開くと言われる八月朔日、民俗学に興味のある彼は友人達と現地を訪れていた。その途中、突如として冥府へと迷い込む。
行き場を失った生者は、常世の戸籍に名前のない“異端”として冥府庁に保護され、冷静沈着な調査官・黒野アイリの補佐役として働きはじめる。
冥府庁に残るための試験、黒野の厳しい指導、そして自らの“存在がなかったことにされた”現世での記憶の空白——
忘れられた者として、それでも歩き続けるしかなかった彼が選んだ道は?
今、冥府の扉が再び開く。
そこに記されるのは——名前すら残らなかった《神崎イサナ》の、もう一つの記録。
⸻
《更新について》
毎週水・土曜に更新予定です
本編や他の冥府庁異聞シリーズもぜひお楽しみください♪
群青のアトリエ
如月芳美
ライト文芸
注意欠陥・多動性障害(ADHD)に悩む瑠璃(るり)は、中学二年で不登校になってから約二年の間、近くの図書館で絵を描いて過ごしていた。
そこで出会った一人の男性。
今まで会った事の無いタイプの彼に彼女は強く惹かれ、彼のアトリエに出入りするようになるが、そこにはもう一人出入りする同い年の男の子がいた。
素敵な大人の男性と、憎たらしいけど少し気になる男の子。
ADHDの彼女をきちんと受け止めてくれた二人との関係は――。
※作品内に出てくるコンテスト、美術館等は全て架空のものです。
※ADHDのキャラが出てきますが、ADHDの方が全てこういう特性というわけではありません。『ADHDの中の一つの型』をピックアップしています。
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。
そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は?
*カクヨム様で先行掲載しております
後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる
gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く
☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。
そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。
心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。
峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。
仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる