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第六章 Side B
8 エリーと次の一手
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「愛する、女性、ですか…。」
フェイビアンは困惑顔でエリーを見た。それはそれは困惑だろう。フェイビアンとしてはエリーにブラッドリーとよりを戻してほしいと思って今日の場を用意したのだろうから。
「そうなんだ。エリーが私の愛する女性だ。」
「お言葉ですが、殿下。案山子であった殿下がなぜ私の妻であったエリザベスを愛することになるのです?」
セオドアに対してつっかかっていったのはなぜかブラッドリーだった。
「なぜ愛してしまったのだろうな…。それはわからない。」
セオドアは真剣な顔でエリーに向き直った。
「エリーが私を菜園に立てた時、すぐにロンズデール領にいた令嬢だと気づいたよ。記憶していた姿はまだ13歳だったから、かわいらしい女性に成長したものだと驚いた。
その後、君と侍女や友人のヘンリー殿との会話で、ロンズデール領が私のせいで負わなくてもいい責によって衰退していたことを知ったんだ。」
セオドアは気まずそうにちらりとブラッドリーを見る。
「君たちは明白に寝室を分けていたし、夫婦生活がないのは一目瞭然だった。君は社交をしている様子もなかったし、ブラッドがエリーを金で買ったんだろうと推測するのはたやすかった。」
さすがは天才と呼ばれていたセオドア殿下だ。見聞きした情報だけでオルグレン家の実情を探り当てたのだ。
「エリーは私のことが嫌いだと、よく家庭菜園やガゼボでぼやいていたね。私は他人から嫌われたことがなかったから、君のことが気になったのかもしれない。最初のきっかけなんてそんなものだろう?
でも好きになってもらいたくても、案山子では何もできない。それに君の話を聞くうちに、私がなんて愚かな王太子だったかを思い知ったんだ。
極めつけは海馬部隊の大敗だよ。私が予期していたことが起きていたのは想像できた。もし、私が一人で何とかしようとせずに、例えばフレデリックに相談でもしていれば、私がいなくなった後も彼は対策を講じられたかもしれないんだ。大敗は私のせいだ。」
「兄上…。」
「なんとかして案山子から戻らなければと思っていたが、その年の帝国軍の侵攻を海軍は海馬部隊なしで乗り切ったね。信じられなかったよ。以前視察したときにそのような戦力は見当たらなかったからね。
その翌年も、ブルテンは負けなかった。それで気づいたんだ。
私は愚かなだけじゃなく、うぬぼれてもいたんだ、と。」
セオドア殿下はすでに吹っ切れたかのような顔をしながら重たい話を続ける。
「ブルテンには私がいなくても、問題を探り当て、その対策を取るべく動いている人々がいたんだ。そして、私が一人でやろうとしたことをみんなで協力してやっていた。
私がいなくてもこの国は大丈夫だ。私にしかできないことなどなかったんだ。むしろ一人でなんとかしようとした私は案山子に追いやられ、多くの人を不幸にしたんだ。」
エリーはなんとも言えない気持ちでセオドアの独白を聞いていた。セオドア殿下を恨む気持ちはないでもないが、彼も案山子になって苦労していたのだな、と。むしろ案山子の姿で7年近く地面に刺さっていたのだ。
もう十分に罰を受けた。エリーの恨みは晴らされた。
「その裏でずっとエリーの離縁の話が出ていた。なんとか彼女だけでも私の力で幸せにできないかと思っていたけれど、エリーにも私の助けはいらなかった。
一人でどんどんと進んでいくエリーが私を連れて屋敷を出てくれたときには本当にうれしかったよ。いつからかなんてわからない。気づいたら君のことがとんでもなく好きだった。毎日見てても飽きないほどに。」
エリーは淑女の仮面をつけてセオドアに笑って見せた。
「殿下が私のことを好きだと言うのはよくわかりました。案山子の姿で十分に反省されたことも。これからはお幸せになってください。」
セオドアがぱっと笑顔になる。
「それじゃあ…。」
「しかし、私にとって殿下はほぼ初対面の男。知らぬ間にストーカーしていた男、です。」
「ス、ストーカー!?そ、そんなつもりは…!」
「まず、エリーと呼ぶのはやめてください。」
「…エリザベス嬢。」
萎れているセオドア殿下は少しかわいらしい。エリーは思わず仮面をとってにっこりした。
「まずはご自分に残された問題を解決してきてください。それから、お友達から始めましょう。私は逃げも隠れもいたしません。今日から城で侍女として働きますから。」
ーーーー
エスメラルダの手紙には約束通り侍女として雇いたいから城に来てほしい、とあった。離縁が公表されていないのに城でエリーが働いていてはまずいのではないかと思ったが、エリーはほとんど社交をしておらず、社交の場ではこれでもかと着飾っていた。
侍女の格好をしていれば案外ばれないもので、”新しく雇われた侍女のエリー”として普通に働いている。
城がそれどころではない、というのもあるが。
まず、帰ってきて元王太子のセオドア殿下のこと。あの後、フェイビアン殿下とセオドア殿下は国王に面会し、国王陛下は涙を流して喜ばれたのだという。
案の定、セオドア殿下を王太子に戻そうと画策したのだが、そこで判明したのがエスメラルダ妃の妊娠だ。
そう、あの情緒不安定は妊娠によるものだったのだ。
妊娠はまだ公表されていないが、同盟国の王女の子供なのだから、立派な跡継ぎ候補である。その父親であるフェイビアン殿下を王太子から降ろすのは国王であっても難しい。
そして、セオドア殿下本人がそれを望まないと主張した。彼はフェイビアン殿下に息子ができた後に臣籍に降下する予定だ。
その前に、セオドア殿下はロンズデール家の名誉を回復することを強く望み、セオドア殿下の帰還はロンズデール伯爵の根強い捜索のおかげということになり、再び式典が行われ、エリーの父は大々的に褒章を賜った。
式典は無事に行われ、弟妹たちとともにロンズデール伯爵家の一員として参加してきた。高位貴族の多くは、エリーがブラッドリーと別々で参加していることに眉をひそめていたが、エリー自身はもう離縁した身だ。
ブラッドリーと参加する方がおかしい。
あの後、ブラッドリーとの話し合いはよくわからない形で終わってしまったが、セオドアに求婚されたことによってブラッドリーと寄りを戻す話は立ち消えたと考えている。
彼が侍女の仕事の合間に『俺とも友達になってくれ』とちょこまかと会いに来るのはなぜかわからないが。
にぎわう式典の会場を出ると、そこには一人の女性が軍服を着て立っていた。
スレンダーな体つきに軍服がよく映え、胸元にはある程度の階級を示すと思われる階級章が縫い付けられている。美しい茶髪をポニーテールにまとめ、整った顔には薄く化粧が施されていた。
深い青色の瞳がエリーをとらえ、小首をかしげる。
「もしかして、あなたは…。」
フェイビアンは困惑顔でエリーを見た。それはそれは困惑だろう。フェイビアンとしてはエリーにブラッドリーとよりを戻してほしいと思って今日の場を用意したのだろうから。
「そうなんだ。エリーが私の愛する女性だ。」
「お言葉ですが、殿下。案山子であった殿下がなぜ私の妻であったエリザベスを愛することになるのです?」
セオドアに対してつっかかっていったのはなぜかブラッドリーだった。
「なぜ愛してしまったのだろうな…。それはわからない。」
セオドアは真剣な顔でエリーに向き直った。
「エリーが私を菜園に立てた時、すぐにロンズデール領にいた令嬢だと気づいたよ。記憶していた姿はまだ13歳だったから、かわいらしい女性に成長したものだと驚いた。
その後、君と侍女や友人のヘンリー殿との会話で、ロンズデール領が私のせいで負わなくてもいい責によって衰退していたことを知ったんだ。」
セオドアは気まずそうにちらりとブラッドリーを見る。
「君たちは明白に寝室を分けていたし、夫婦生活がないのは一目瞭然だった。君は社交をしている様子もなかったし、ブラッドがエリーを金で買ったんだろうと推測するのはたやすかった。」
さすがは天才と呼ばれていたセオドア殿下だ。見聞きした情報だけでオルグレン家の実情を探り当てたのだ。
「エリーは私のことが嫌いだと、よく家庭菜園やガゼボでぼやいていたね。私は他人から嫌われたことがなかったから、君のことが気になったのかもしれない。最初のきっかけなんてそんなものだろう?
でも好きになってもらいたくても、案山子では何もできない。それに君の話を聞くうちに、私がなんて愚かな王太子だったかを思い知ったんだ。
極めつけは海馬部隊の大敗だよ。私が予期していたことが起きていたのは想像できた。もし、私が一人で何とかしようとせずに、例えばフレデリックに相談でもしていれば、私がいなくなった後も彼は対策を講じられたかもしれないんだ。大敗は私のせいだ。」
「兄上…。」
「なんとかして案山子から戻らなければと思っていたが、その年の帝国軍の侵攻を海軍は海馬部隊なしで乗り切ったね。信じられなかったよ。以前視察したときにそのような戦力は見当たらなかったからね。
その翌年も、ブルテンは負けなかった。それで気づいたんだ。
私は愚かなだけじゃなく、うぬぼれてもいたんだ、と。」
セオドア殿下はすでに吹っ切れたかのような顔をしながら重たい話を続ける。
「ブルテンには私がいなくても、問題を探り当て、その対策を取るべく動いている人々がいたんだ。そして、私が一人でやろうとしたことをみんなで協力してやっていた。
私がいなくてもこの国は大丈夫だ。私にしかできないことなどなかったんだ。むしろ一人でなんとかしようとした私は案山子に追いやられ、多くの人を不幸にしたんだ。」
エリーはなんとも言えない気持ちでセオドアの独白を聞いていた。セオドア殿下を恨む気持ちはないでもないが、彼も案山子になって苦労していたのだな、と。むしろ案山子の姿で7年近く地面に刺さっていたのだ。
もう十分に罰を受けた。エリーの恨みは晴らされた。
「その裏でずっとエリーの離縁の話が出ていた。なんとか彼女だけでも私の力で幸せにできないかと思っていたけれど、エリーにも私の助けはいらなかった。
一人でどんどんと進んでいくエリーが私を連れて屋敷を出てくれたときには本当にうれしかったよ。いつからかなんてわからない。気づいたら君のことがとんでもなく好きだった。毎日見てても飽きないほどに。」
エリーは淑女の仮面をつけてセオドアに笑って見せた。
「殿下が私のことを好きだと言うのはよくわかりました。案山子の姿で十分に反省されたことも。これからはお幸せになってください。」
セオドアがぱっと笑顔になる。
「それじゃあ…。」
「しかし、私にとって殿下はほぼ初対面の男。知らぬ間にストーカーしていた男、です。」
「ス、ストーカー!?そ、そんなつもりは…!」
「まず、エリーと呼ぶのはやめてください。」
「…エリザベス嬢。」
萎れているセオドア殿下は少しかわいらしい。エリーは思わず仮面をとってにっこりした。
「まずはご自分に残された問題を解決してきてください。それから、お友達から始めましょう。私は逃げも隠れもいたしません。今日から城で侍女として働きますから。」
ーーーー
エスメラルダの手紙には約束通り侍女として雇いたいから城に来てほしい、とあった。離縁が公表されていないのに城でエリーが働いていてはまずいのではないかと思ったが、エリーはほとんど社交をしておらず、社交の場ではこれでもかと着飾っていた。
侍女の格好をしていれば案外ばれないもので、”新しく雇われた侍女のエリー”として普通に働いている。
城がそれどころではない、というのもあるが。
まず、帰ってきて元王太子のセオドア殿下のこと。あの後、フェイビアン殿下とセオドア殿下は国王に面会し、国王陛下は涙を流して喜ばれたのだという。
案の定、セオドア殿下を王太子に戻そうと画策したのだが、そこで判明したのがエスメラルダ妃の妊娠だ。
そう、あの情緒不安定は妊娠によるものだったのだ。
妊娠はまだ公表されていないが、同盟国の王女の子供なのだから、立派な跡継ぎ候補である。その父親であるフェイビアン殿下を王太子から降ろすのは国王であっても難しい。
そして、セオドア殿下本人がそれを望まないと主張した。彼はフェイビアン殿下に息子ができた後に臣籍に降下する予定だ。
その前に、セオドア殿下はロンズデール家の名誉を回復することを強く望み、セオドア殿下の帰還はロンズデール伯爵の根強い捜索のおかげということになり、再び式典が行われ、エリーの父は大々的に褒章を賜った。
式典は無事に行われ、弟妹たちとともにロンズデール伯爵家の一員として参加してきた。高位貴族の多くは、エリーがブラッドリーと別々で参加していることに眉をひそめていたが、エリー自身はもう離縁した身だ。
ブラッドリーと参加する方がおかしい。
あの後、ブラッドリーとの話し合いはよくわからない形で終わってしまったが、セオドアに求婚されたことによってブラッドリーと寄りを戻す話は立ち消えたと考えている。
彼が侍女の仕事の合間に『俺とも友達になってくれ』とちょこまかと会いに来るのはなぜかわからないが。
にぎわう式典の会場を出ると、そこには一人の女性が軍服を着て立っていた。
スレンダーな体つきに軍服がよく映え、胸元にはある程度の階級を示すと思われる階級章が縫い付けられている。美しい茶髪をポニーテールにまとめ、整った顔には薄く化粧が施されていた。
深い青色の瞳がエリーをとらえ、小首をかしげる。
「もしかして、あなたは…。」
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