とある『家族』の物語

小山田 華

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2.姉のわたし

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 わたしには三つ下の妹がいる。
 両親から可愛がられるのはいつも妹。誉められるのも妹。名前を呼ばれるのも、欲しいものを買って貰えるのも妹。そんな妹がいる。
 妹、真由まゆが産まれたとき、わたしは3歳だった。朧気ながら、妹が生まれるのを楽しみにしていた記憶がある。
 けれど、わたしは妹に触れることが出来なかった。未熟児で産まれた妹は病院での治療が必要だったし、その後も体の弱い妹は両親と共に病院と家との往復ばかりだったからだ。

美晴みはるはお姉ちゃんだから一人で我慢できるよね」

 父親も母親も常にそう言って妹に付き添っていた。
 一人でいる寂しさ、親に甘えること、いろいろなことをわたしは我慢して過ごした。
 小学1年の私の誕生日。学校が終わり、そのまま家に帰ったら母親に

「何で帰ってきたの? 真由にはあなたは友達の家でパーティしている、って言っちゃったのよ。だからあなたの夕食はないの」

 そう言われて妹に気付かれないように追い出された。
 翌年から自分の誕生日は図書館と公園で時間を潰して家に帰るようになった。恥ずかしくて友達に自分の誕生日を言うことができなかった。自分の誕生日なのに、毎年惨めで泣きながら過ごしていた。
 同じように真由の誕生日もそうやって過ごしていた。真由へのプレゼントをあげようと、母親にお金が欲しいと言ったら

「お小遣い以外のお金なんかあげれないわ」

 って怒られた。お小遣いって言われても、そんなもの貰っていないに等しい金額なのに。
 だから折り紙の花を作った。「真由お誕生日おめでとう」って書いて。
だけど。

「そんなのがプレゼントなの?ああ、もう。まともなプレゼントがないなんて、真由を祝う気がないんでしょ。パーティに参加しなくていいわ。出ていきなさい」

 こうして真由の誕生日も追い出されるようになったのだ。





 そして。
 わたしがインフルエンザで倒れた9歳の冬。

「真由にうつるから」

 と3人で家を出ていってしまったことは、わたしはこの家に必要ない人間なんだと知るに充分な出来事だった。一人で高熱と激しい咳と戦いながら考えた。
 家族には頼らず一人で生きていこう。
 そう決めた。
 未成年のうちは親の保護下にいなければならないけれど、大人になったらすぐにこの家を出ていこう、と。




「もう17なんだなぁ」

 父親が感慨深く真由に言っている。

「本当、17年って早いわ」

 家族の笑い声が溢れていた。わたし以外の笑い声が。
 今日は妹の誕生日。既に家族による誕生パーティーが開かれているのだろう。
 メンバーは主役の妹、父親と母親、それから……

「あっという間にお嫁入りしそうですね」

 ああ。やはり来ているよね。
 妹の家庭教師であり、従兄弟の野路のじ 誠吾せいご
 昔はわたしと仲が良かった『お兄ちゃん』。親戚の集まりの時に、両親と妹がいつも一緒に行動していたから、一人になったわたしを構ってくれた『お兄ちゃん』。家庭教師となって我が家にやって来ることを知ったとき、すごく嬉しかった。この家にいても一人じゃなくなると思ってた。
 普段は妹がべったりで話をすることはできなかったけど、彼だけがわたしの誕生日を覚えていてくれて、家庭教師を始めた年の誕生日にプレゼントをくれた。
 けれど。

「可愛いね。いいなあ。真由も欲しいな」

 お兄ちゃんから貰ったネックレスを見て妹が欲しがった。
 母親は妹がお風呂に入っている間に

「お姉ちゃんなんだから、譲ってあげなさい」

 そう催促した。大好きなお兄ちゃんから貰ったプレゼントだから、もちろんわたしは嫌がった。でも。

「そのくらいあげてもいいだろう。何をそんなに拘っているんだ」

 わたしに許容がないと父親に叱られた。結局二人に怒鳴られながら責められて、お兄ちゃんからのプレゼントを妹に渡すことになった。
 翌日、妹が自慢そうにそれを身に着けているのを見て

「あれ、俺が美晴ちゃんにあげた…」

 傷ついた顔をしたお兄ちゃん。わたしはただ俯いてごめんなさい、としか言えなかった。
 わたしが気に入らなかったから妹に譲ったのだと、お兄ちゃんはそう思ったのだろう。翌年の誕生日からはお兄ちゃんは顔を合わせた時に「おめでとう」と言ってくれたけど、プレゼントはなくなった。
 それでいいと思った。
 また妹にねだられて、譲った時のお兄ちゃんの傷ついた顔を見たくはなかった。
 そうしてお兄ちゃんとわたしとの距離ができ 妹との距離が縮まり、今ではお兄ちゃんは妹の恋人だ。
 体が弱くて満足に学校に通えなかった妹の勉強を見ていたお兄ちゃん。
 24歳の彼にとって、7歳年下の妹はさぞかし庇護欲をかき立てられる可愛い恋人なのだと思う。

「ただいま」

 玄関でそう言ったところで、どうせ誰も聞いていないだろう。
 楽しそうな笑い声が途切れることなくリビングから聞こえる。
 やはりわたしの声など届いていなかったね。

「ただいま」

 リビングのドアを開けて改めて言い直す。
 妹の誕生日だから、テーブルには豪華な食事とおめでとうと書かれていたであろうケーキの欠片。
 リビングには父親と母親と妹と、彼がいた。

「今日も遊び歩いていたの? 真由の誕生日なのに」

 苦々しく母親が私を責めるように言う。
 そういえば、お帰りなんて言葉を、この人から聞いたことなんか有ったっけ? それなのに、なんでわたしは律義に今まで『ただいま』なんて言っていたのだろう。
 そもそもわたしは遊び歩いてなんかいないのだけど。まあ、わたしに興味のないこの人たちに言ったところで、関係のない話よね。

「そうね。遅くなったけど、誕生日おめでとう、真由。良いプレゼント用意したのよ」

 わたしがそういえば疑わしそうな目をして母親がわたしを見る。
 一体何を買ったんだといいたげだ。わたしのお小遣いは交通費食費衣服費込みで2万円。携帯代は別だけど上限1万円。『遊び歩く』ことさえできない金額なのだから。

「真由の治療費と家庭教師代でやりくりが大変なのよ。だからこれで我慢してちょうだい」

 そう言って渡されてきたお金だ。でも、親子三人で『妹の療養』と称しての旅行に行っていること、妹の服は流行りものでどんどん新調されているのをわたしは知っている。

「今日をもってわたしはこの家を出ることにしました。これが真由へのわたしからのプレゼント。これからは家族三人で……」

 お兄ちゃんを横目で見て、わたしは言い直しをする。

「ああ、ごめんなさい。四人ですね。仲よくやっていってください」

 今日家に帰ってきたのは、それを告げるためと最後の荷物を取りに来ただけ。
 二十歳の誕生日を過ぎてすぐアパートを借りて少しづつ荷物を持ち出していたのに、この中の誰一人気付いていないのだ。
 それのどこが『家族』といえる?
 だから、わたしはすぐに自分の部屋へと足を向けた。既に荷物はスーツケースに入れてあるので持ち出すだけ。

「待ちなさい、美晴! 出ていくとはどういうことだ?」
「言った通りです。ここにわたしの居場所はないので、これからは自活します」

 父親が私を呼び止めたので、わたしは背を向けたまま仕方なく答えた。

「自活? あなたにそんなことできるわけないでしょう! 毎日遊び歩いているくせに」
「ええ、お金を稼ぐために毎日バイトをしていましたから、確かに帰る時間は遅かったですね」

 『遊び歩いて』『夜遊びして』と母親が言いまくっていたのは知っている。遅く帰っても誰も心配なんてしてなかったし、どこに行っているのかなんて聞きもしなかったし、否定してもどうせ信じないし。意味がないから放っておいたけど。

「バイト? お姉ちゃん、そんなことしてたの? どうしてこの家を出ることが真由へのプレゼントになるの?」

 少なからずショックを受けたような表情の真由。愛されて尽くされている妹に、わたしの心情などわかるはずがない。

「さっきも言ったでしょう? ここにわたしの居場所はないの。この家は全てがあなた中心。 第一、あなたみたいにわたしの誕生日パーティーをこの家でしたこと今までに有った?」

 妹の誕生日はこの家で盛大に祝われていた。でも、わたしは一度もこの家で祝われたことなどない。
 わたしの誕生日は3ヶ月前だったけれど、『家族』の誰からも祝おう、なんて言ってくれなかった。

「それは、だって、お姉ちゃんの誕生日パーティーはお友だちが毎年祝ってくれてるから、家でやる必要ないってママが…」
「あなたはそれをそのまま信じてたのね」

 なんて純粋で、なんて世間知らずな妹なのだろう。
 よその子の誕生日パーティーを毎年開催してくれる家などあるはずがないのに。
 それでも、中学からの親友には密かにバイトを紹介してもらえ、彼女の家族には優しくしてもらい、彼女のご両親には次の住まいとなるアパートの契約書の保証人にもなってもらえた。わたしが『家族』と信頼するのは、目の前にいるこの三人ではなく親友の家族の方だ。

「わたしはもう3ケ月前に成人していますから、これからは何とかやっていきます。大学のお金もこの先は自分で払います。成人前までの金銭面の負担は未成年の権利とさせていただきます。今までご協力ありがとうございました」
「美晴!」

 父親の責めるような呼び止めの声が煩わしい。
 責められる謂れはないのに。

「なんでしょうか?」
「ここを出てどこへいくつもりだ?」
「教える義務はありません。今までわたしに興味の一つも持たなかったじゃないですか。あなたはわたしの小中高のクラス担任の名前、わたしのバイト先、友達の名前、ああついでに言うならわたしの部屋の色。どれか一つでも御存知ですか?」

 問えば父親は口を閉ざした。妹のことは何でも知っているのに、わたしのことは何も知らないのだ。

「わたしに今まで興味がなかったんですから、これからわたしがどこで何をしていても構わないでしょう。少なくとも、犯罪者になって迷惑をかけることはありませんので、安心してください」
「確かに君は法学部だから、犯罪者とは対極になるだろうけど」

 静かに響いた声は、久しぶりに『わたしと会話』するお兄ちゃん。
 驚いた。
 ずっと素っ気なかったお兄ちゃんがわたしのことを知っていたなんて。

「とにかくご迷惑はかけませんので。わたしのことは今まで通り放っていていただければ良いだけのことです」
「そんなことできるわけないでしょう。あなたみたいな常識知らずの子供が…」

 ―――常識知らず、ね。
 それはどちらかというと真由の方だと思うけど。いえ、育てた親も常識知らずなのかもね。

「なぜ反対されているのかわかりません。わたしはあなたの子供ではないでしょう。わたしがこの家からいなくなれば清々して喜ぶかと思ったんですが」
「なんで、それを…」

 わたしの言葉に驚いている父親。同じく初めて聞いたと言わんばかりに驚いて馬鹿みたいに口を広げたままの妹。
 なんだ。真由は気付いてなかったんだ。
 そんなの、親戚の集まりの時に皆が話していたわよ。

『なんか、憲二郎さんのところ、よそよそしいわね』
『やだ、知らないの? 上の子の母親が死んですぐに再婚したのよ。できちゃったから責任取ったんですって。だからあの人、後妻なのよ』
『憲二郎さんは幼い子を育てるのに不安もあったんでしょうけど、ねぇ。美晴ちゃんはどうなのかしら』

 女の噂話は容赦ない。子供はどうせ聞いていないだろうと本人の前でも口を閉ざすことはなかった。
 『再婚』『できちゃった』『責任』『後妻』という言葉の意味を知るのはもう少し後だったけれど、わたしに母親との繋がりがないのはこの時に理解した。
 真由のように愛されるはずがないことも。

「わたしがこの家族の一員ではない、ということは10年前から知っています。成人したから世間への建前で私を育てる必要はない、と言っているんです。では、お元気で」

 そう言い捨てて、リビングを出たわたしは部屋のスーツケースを手に取り、家を出た。
 もう誰もわたしを引き留めることはなかった。

「ちゃんとお別れしてきた?」

 玄関の門に凭れて心配そうにわたしを待ち構えていたのは親友、由希ゆうきの兄の和昌かずまささんだ。
 わたしの荷物を運ぶために、車でここまで来てくれていた。

「お別れは必要ないです。あの人たちは元々3人家族でわたしとは関係ない人たちでしたから」

 わたしがそう言えば、彼は残念そうな顔を見せながらわたしの手のスーツケースを車の中に運んでくれた。

「さ、いこうか。由希が君のアパートで待ってる」
「はい」

 わたしは頷いて和昌さんの車に乗り込んだ。





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