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はじまり
038 或る朝
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(そういえば、明日はどうするんだろうな)
特訓を始めてからというもの、妙に寝覚めの良い朝を迎えている圭はベッドから身を起こしながらに思った。
今日は金曜日。普通に体育の授業があるのでこれまで通りだが、日曜はもちろん叉葉山高は土曜日も休みだ。
部活動などで登校する生徒もそれなりにいる筈だが、特訓相手の予定を圭は知らなかった。
圭自身は特訓に明け暮れるくらいでも構わないと思っていたが、他の三人はそういう訳にもいかないだろう。
こちらは少しの時間も惜しいが、その事情を聞かされていない者にしてみれば休日まで特訓に駆り出される謂れはない。
週末はどうするつもりだったのかと特訓の発案者である千沙都に聞いてみたかったが、その彼女も圭の特訓初日を見届けた後に非常勤講師の仮面を一旦置き、緋美佳の後方支援を務めるべくこの土地を離れてしまっていた。
(後で顔を合せた時にでも、予定を聞けばいいか)
全員が特訓に付き合ってくれるという事であれば願ったりだ。
同じ学生の身である八津坂や新任教師の沢木は難色を示すかもしれないが、場合によっては継島が師範を務める道場へと足を運ぶのも悪くないだろう。
もしかしたら圭自身が決める前に、千沙都と緋美佳が戻ってくるかもしれない。
あくまでも願望を反映した可能性に過ぎなかったが、そう考える事で圭の心は妙に浮き立った。
その時、木製のドアが軽いノック音を響かせ、圭を現実へと引き戻す。
「お早う、お兄ちゃん。…うん、ちゃんと起きてるね」
圭の返事を待たず、静かに開けられた隙間から顔を覗かせたのは月菜だった。
ここ数日の寝起きが良くなってきているとはいえ、食卓を管理する事を数年来の日課としている月菜に先んじる程ではない。
ザナルスィバの中に料理人の知識があったならば、休日の夕食くらいは用意してみようかと感謝の念を抱きつつ、すぐに行くからと身振りで示した。
「――!?」
兄が寝惚けていない事を確認した月菜が踵を返した瞬間、圭は信じられない物を視界に捉えた。
「…お兄ちゃん?」
兄が息を呑む気配を感じたのだろう。
反射的に足を止めた月菜が不思議そうに振り返った。
「あー、いやいや。なんでもないから」
「? …変なの」
慌てて手を振る圭の様子はどう見ても怪しかったが、最近は何かとお年頃な様子の兄なのだ。
当面は大目に見ておこうと判断した月菜は、そのままキッチンへと戻っていった。
後には目の前の現実をどう整理するべきかと、ベッドに正座姿で悩む圭だけが残った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「なぁ、月菜。それ…ルビィだったか。月菜が名前をつけたのか?」
今日も今日とて煮干しを与えている様子を見ながら、圭は綺麗に平らげた食器を流しに運んでいた。
「ん~、名前がないと不便かなって思ってたら、急に閃いたの。
多分、この子がテレパシーで教えてくれたんじゃないかな~って」
冗談混じりに笑う月菜だったが、それは実際に感じた事なのだろうと圭は察した。本当に超能力の類が介在したのかどうかの真偽はさておくとしてもだ。
そしてそんな二人の会話など興味がないのか、一心不乱に煮干しを貪るルビィ。余程お気に入りなのだろう。
鼬と栗鼠を掛け合わせたような容姿は、ゲームやアニメに登場するようなペットモンスターを連想させた。
細長い尻尾を大きく揺らしながら小さな手と口で煮干しに噛り付く様子は、たしかに可愛らしいと認識されるものだろう。
そう、圭にも見えるようになったのだ。なってしまったのだ。
半透明の状態ながらも、幻などではなく確かな質感を伴った姿が圭にも認識できていた。
圭を起こしに顔を出した月菜の肩口に浮かぶ姿を見た時は、自分はまだ寝惚けているのだという可能性を信じようとしていたが、今は現実を認めなくてはいけなかった。
(これもやっぱり、ザナルスィバになったせいなんだろうなぁ)
しかし、見えるようになった以上は気になってしまうのがルビィの正体である。
少なくとも圭の記憶にはない生物であり、現存するメディアから合致する情報を探そうとしても、徒労に終わる事は想像に難くない。
そもそも、人の目に映らぬ生物など調べようがないではないか。
そうなれば自動的に人外の世界の生物という事になり、聞くべき相手も限られてくる。
(緋美姉か、千沙都さんか…)
話題にするからには、今の状況をすべて打ち明ける流れになるだろう。
専門知識が豊富で、顔見知りで信頼に足る人物……千沙都などはどこまで信頼して良いのかは正直怪しいところもあるが、きちんと話せば悪いようにはしないだろう。
問題は、二人がいつ戻ってくるかだ。
月菜がルビィの存在を語るようになったのは昨日今日という事でもない。
ただでさえ急変してしまっている日常生活にこれ以上の波風を立てないためには、放置しておいた方が良いくらいだろう。
(…急ぐ事でもないか)
どちらにせよ、ルビィの件に関しては先送りする以外にどうこうできる事はない。
食器を洗い終えた圭は登校の準備をするべく自室に戻った。
特訓を始めてからというもの、妙に寝覚めの良い朝を迎えている圭はベッドから身を起こしながらに思った。
今日は金曜日。普通に体育の授業があるのでこれまで通りだが、日曜はもちろん叉葉山高は土曜日も休みだ。
部活動などで登校する生徒もそれなりにいる筈だが、特訓相手の予定を圭は知らなかった。
圭自身は特訓に明け暮れるくらいでも構わないと思っていたが、他の三人はそういう訳にもいかないだろう。
こちらは少しの時間も惜しいが、その事情を聞かされていない者にしてみれば休日まで特訓に駆り出される謂れはない。
週末はどうするつもりだったのかと特訓の発案者である千沙都に聞いてみたかったが、その彼女も圭の特訓初日を見届けた後に非常勤講師の仮面を一旦置き、緋美佳の後方支援を務めるべくこの土地を離れてしまっていた。
(後で顔を合せた時にでも、予定を聞けばいいか)
全員が特訓に付き合ってくれるという事であれば願ったりだ。
同じ学生の身である八津坂や新任教師の沢木は難色を示すかもしれないが、場合によっては継島が師範を務める道場へと足を運ぶのも悪くないだろう。
もしかしたら圭自身が決める前に、千沙都と緋美佳が戻ってくるかもしれない。
あくまでも願望を反映した可能性に過ぎなかったが、そう考える事で圭の心は妙に浮き立った。
その時、木製のドアが軽いノック音を響かせ、圭を現実へと引き戻す。
「お早う、お兄ちゃん。…うん、ちゃんと起きてるね」
圭の返事を待たず、静かに開けられた隙間から顔を覗かせたのは月菜だった。
ここ数日の寝起きが良くなってきているとはいえ、食卓を管理する事を数年来の日課としている月菜に先んじる程ではない。
ザナルスィバの中に料理人の知識があったならば、休日の夕食くらいは用意してみようかと感謝の念を抱きつつ、すぐに行くからと身振りで示した。
「――!?」
兄が寝惚けていない事を確認した月菜が踵を返した瞬間、圭は信じられない物を視界に捉えた。
「…お兄ちゃん?」
兄が息を呑む気配を感じたのだろう。
反射的に足を止めた月菜が不思議そうに振り返った。
「あー、いやいや。なんでもないから」
「? …変なの」
慌てて手を振る圭の様子はどう見ても怪しかったが、最近は何かとお年頃な様子の兄なのだ。
当面は大目に見ておこうと判断した月菜は、そのままキッチンへと戻っていった。
後には目の前の現実をどう整理するべきかと、ベッドに正座姿で悩む圭だけが残った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「なぁ、月菜。それ…ルビィだったか。月菜が名前をつけたのか?」
今日も今日とて煮干しを与えている様子を見ながら、圭は綺麗に平らげた食器を流しに運んでいた。
「ん~、名前がないと不便かなって思ってたら、急に閃いたの。
多分、この子がテレパシーで教えてくれたんじゃないかな~って」
冗談混じりに笑う月菜だったが、それは実際に感じた事なのだろうと圭は察した。本当に超能力の類が介在したのかどうかの真偽はさておくとしてもだ。
そしてそんな二人の会話など興味がないのか、一心不乱に煮干しを貪るルビィ。余程お気に入りなのだろう。
鼬と栗鼠を掛け合わせたような容姿は、ゲームやアニメに登場するようなペットモンスターを連想させた。
細長い尻尾を大きく揺らしながら小さな手と口で煮干しに噛り付く様子は、たしかに可愛らしいと認識されるものだろう。
そう、圭にも見えるようになったのだ。なってしまったのだ。
半透明の状態ながらも、幻などではなく確かな質感を伴った姿が圭にも認識できていた。
圭を起こしに顔を出した月菜の肩口に浮かぶ姿を見た時は、自分はまだ寝惚けているのだという可能性を信じようとしていたが、今は現実を認めなくてはいけなかった。
(これもやっぱり、ザナルスィバになったせいなんだろうなぁ)
しかし、見えるようになった以上は気になってしまうのがルビィの正体である。
少なくとも圭の記憶にはない生物であり、現存するメディアから合致する情報を探そうとしても、徒労に終わる事は想像に難くない。
そもそも、人の目に映らぬ生物など調べようがないではないか。
そうなれば自動的に人外の世界の生物という事になり、聞くべき相手も限られてくる。
(緋美姉か、千沙都さんか…)
話題にするからには、今の状況をすべて打ち明ける流れになるだろう。
専門知識が豊富で、顔見知りで信頼に足る人物……千沙都などはどこまで信頼して良いのかは正直怪しいところもあるが、きちんと話せば悪いようにはしないだろう。
問題は、二人がいつ戻ってくるかだ。
月菜がルビィの存在を語るようになったのは昨日今日という事でもない。
ただでさえ急変してしまっている日常生活にこれ以上の波風を立てないためには、放置しておいた方が良いくらいだろう。
(…急ぐ事でもないか)
どちらにせよ、ルビィの件に関しては先送りする以外にどうこうできる事はない。
食器を洗い終えた圭は登校の準備をするべく自室に戻った。
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