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第1章
少しの不安と小さな約束
しおりを挟む父上と母上と話をして、ロルフはオーウェン公爵家の新しい家族として接するよう、屋敷の人間全員に命令が下った。流石父上とセバスの面接を突破した人達と言ったところか、誰一人反発する者はいなかったし、ロルフに対して嫌な視線を向ける者もいなかった。
俺は父上からしっかりロルフの面倒を見ることを言い渡された。勿論、俺は快く頷いた。ロルフの存在は、取り敢えず屋敷の中だけに留まらせておくことにした。やはり獣人の世間的な印象が悪く、ロルフ自身が嫌な思いをしないためと、ロルフが獣化出来ないことが大きな理由だった。
獣人であることを隠して街に出るくらいは大丈夫だと許可を貰ったので、近々ロルフの耳を隠せる様な服を仕立てる予定だ。獣化出来ない理由は、父上が信頼している医者でも分からなかったので、獣人の専門家を探すことにしたらしい。しかし中々信頼のおける専門家は見つからないようで、時間がかかるだろうとの事だった。まぁそれはのんびり待っていようと思う。
獣化が出来ればオーウェン公爵家の猟犬として他人の目に触れることも許された。ロルフには一応確認したけど、動物として人間に認識されることはよくあることで、むしろその方が獣人的には好都合らしい。尊厳を害することはないようなので、獣化が可能になったら猟犬として隠れずに堂々と出来るらしい。
ロルフは、あれから数日で自由に歩けるようになった。かなりの栄養失調だったけれど、流石獣人と言うべきか回復力は凄まじいものだった。これが種族の違いか……。
「セト、一緒に食べよ」
「あはは、ロルフ、それ好きだね」
ポテポテと俺に向かって歩いてきたロルフの手には、ジュエリードロップが詰められた瓶が収まっている。目が覚めたあの日から、ロルフが願うのは俺と遊ぶこととジュエリードロップを食べることばっかりだった。
「…あの日…セトが、ボクのために沢山くれたの覚えてる」
ロルフは嬉しそうに、瓶をぎゅっと両手で握り締めた。目が覚めてすぐの時に比べれば、ロルフは格段に喋るのが上手になった。あの時はまだ口を動かしにくかったのかもしれない。
ゆっくり喋ること自体は元々なようで、今も言葉をじっくり考えながら丁寧に紡いでいる。
「死んじゃうかと思って、必死だったんだよ。水分取るのが優先かなって思って。食べてくれてよかった」
「…真っ暗で、痛くて、悲しくて、お腹すいて、…もう死んじゃうかもって思った。そしたら何か声が聞こえて、頑張って目を開けたらそこにセトがいたの」
セバスは聞こえないフリをしたまま紅茶を用意している。そろそろテラスでおやつは身体に悪いとの事で、最近は自分の部屋の中でロルフとおやつの時間を楽しんでいる。
今まで食べたり飲んだりするのは俺だけだったし、話し相手もセバスだけだったので、ロルフのお陰で俺のティータイムはちょっぴり楽しくなった。
「本当はね、おむかえが来たと思ったの。でもね、違った。…セトはすごい悲しそうな顔して、ボクに向かって手を伸ばしたの。人間には叩かれたことしかなかったのに、セトはそうしなかった」
「ロルフ…」
「…それが、すごく嬉しかったの。ぎゅってして、美味しいキラキラいっぱいくれたのも、嬉しかった。ボク、汚いのに、セトはずっとぎゅってしてくれたから…だから、ボクはセトのことが大好き」
「ろっ、ロルフ~~!!お前はなんていい子なんだれ!あんなっ、あんなことされても人間を恨まないなんて…!!出来た子!!偉い!!」
「んん…セト、苦しい…」
思わず隣にいたロルフをむぎゅ~!と抱き締めた。ロルフは獣人だからなのか、とても体温が高いので、くっつくとぽかぽかする。これからの季節、暖を取るのに良さそうだな…と人知れず思っていることは内緒にしておこう。子供のうちなら、例え貴族でも多少のスキンシップは許されるよね…?
テーブルの上には、セバスが並べたマカロンや小さめのケーキと一緒に、ジュエリードロップがキラキラと佇んでいる。
あの日以降あまりにもロルフがジュエリードロップを強請るものだから、父上はとうとう大量買いをしたらしい。今では家のあちこちにジュエリードロップが常備されているし、なんなら俺用の瓶も用意されている。
ロルフはすっかりオーウェン公爵家に馴染みつつある。父上も母上も自分の子供のように扱っているし、ちゃんと俺と同等に接してくれている。非常に有難いことだと俺は思う。俺自身も、なんだか弟が出来たみたいで楽しいというのが本音だ。
「セト、美味し~ね」
「うん。マカロンも美味しいよ」
「まかろん…!」
知らない物を見るとロルフの耳はピクッと震えて、しっぽはピンと立つ。その様子がおかしくて、俺はセバスと共謀して毎回おやつには新しいものを用意している。セバスもそんなロルフを見て、ニコニコと笑っている。
「…セト!ピンクの、美味しい…!」
「どれどれ……ん、苺味だね」
「黄色は?」
「レモンかな…?ちょっと酸っぱいから、気をつけてね」
わちゃわちゃと楽しみながらティータイムは進んでいく。漸く見つかったロルフ専門の医師は、ロルフが獣化出来ないのは無意識にセーブしてるからだって言ってた。つまりロルフ自身が獣化を必要としていないという事だ。彼自身が本当に獣化を必要とすれば獣化が出来るようになるらしい。
ロルフはあまり家族に良い思い出がないようだから、もしかしたら獣化をしないことで無意識に自分を守っていたのかもしれない。人間に捕まってからも多分同じ。獣化が出来たら商品として売られることを理解していたからこそ、心が拒絶して解放しなかったのかも。場合によってはあの牢屋で受けていた仕打ちよりも酷いことをされる可能性もあるからね。
きっとロルフは賢いんだと思う。生きていく上での野生の感というか、選択がとても賢い。流石狼。
「ロルフ、口の周りにマカロンの欠片が…」
「んむむ…」
スチャッ!とセバスが差し出してきた濡れたタオルでロルフの口の周りをふきふき。う~ん、さすセバ。対応が驚くほど早い。
「あーあ、ついに明日かぁ…」
黄色い屑が付いたタオルをセバスに渡して、俺は紅茶を一口飲んだ。まだ子供だからとあまり苦くない紅茶しか入れて貰えない本当の理由は、あの日から蜂蜜を入れなくなったからかもしれない。
じんわりと喉元を通っていく熱を見送りながら、俺はでかい溜息を吐いた。
「セト…?」
「あぁごめん、溜息なんか吐いて」
「明日…何かあるの…?」
俺を心配しているのか、ロルフのしっぽが不安げにダラリと下がる。
明日はとうとう、魔法の検査日なのだ。多忙だった神殿の人達が死にものぐるいで予定をあけ、遥々オーウェン公爵家に来てくれるらしい。なんかほんと、うちの父が無茶言ってすみませんとしか言いようがない。
まぁそんなこんなで、明日の夕方には俺の魔法属性も魔力量も全部分かってしまうわけなのだ。
別に例え魔法が使えないポンコツだったとしても、オーウェン公爵家の人間が差別なんて低俗なことをするとは思っていないし、そういう面での心配はしていない。ただ、やはり自分の中の常識に存在していない『魔法』というもの自体が少しの怖いのだ。
魔法が使えるようになったら、俺はどうなるんだろう。もしその力が壮大なものだったら、俺の周りは、環境は、…そして何より俺自身は、どう変わってしまうのだろう。…それが、ちょっとだけ怖かった。
「へっぽこ魔力で、公爵家を継ぐのは弟に…とかならないかなぁ…」
「坊っちゃま」
「…ごめん、失言だったね」
俺のボヤキに、セバスが窘めるようにこちらを見た。本当は、公爵家を継ぐことになる未来にも不安があるんだ。だってそもそも、俺はこの世界の人間じゃないし、貴族の常識やルールやマナーは今必死になって勉強している所だ。既に毒殺未遂事件でハンデを背負っている俺は、これ以上の失敗は許されない位置にいる。
父上はきっと気にしない。俺が社交界で失敗したって、余程のことではない限り咎めることはしないだろう。それでも、俺の行動はオーウェン公爵家そのものの行動となるのだ。迂闊に動けない。
若気の至りで許されるのも、多分高等学校までだ。高等学校を卒業したら、この世界では立派な貴族として見なされる。18で立派な大人扱いになる訳だ。
中等部にすら入学していないというのに気が早いかもしれないが、多分こういうのは考え過ぎ位が丁度いいのだ。特に俺は、公爵家の長男だから尚更。
「はーあ、気が重いね全く…」
そう呟きながら、俺はセバスが新しく淹れてくれた紅茶を啜った。
「……セト、どこか痛いの?」
「うん?」
「セト今日ずっと、不安そうな顔してる」
夕飯の後、2人で俺の部屋で遊んでいると、ロルフがへにょ、と眉毛を下げて心配そうな顔で聞いてきた。その顔があまりにも情けなくて、笑ってしまいそうになる。
「ロルフは、魔法って分かる?」
「うん、分かるよ。…獣人にも魔法が使える人はいるから」
「へぇ…!そうなんだ?俺が勉強した本の中には書いてなかったなぁ…今度、ロルフの専門医に聞いてみよう。……えぇと、そうそう。俺にも魔法が使える筈なんだけど、何の魔法が使えるのかまだ分かってなくて、その検査が明日なんだ」
「検査…」
ロルフが、なぞるように呟く。俺は遊んでいたクマのぬいぐるみの鼻を突きながら、続けた。
「それが終わったら、きっと魔法の勉強や練習が始まって、魔法を知らなかった頃には戻れなくなる。だから、ちょっと怖い」
「セト、怖いの…?」
「うん、怖い。だって魔法だよ?願ったら叶ってしまう力だよ?……もし俺の力が強大で、誰かを傷付けてしまったら?取り返しのつかないことをしてしまったら?…俺が自分の力のせいで、自信過剰になって、嫌な奴になったら?……考えても仕方ないことだけど、考えちゃうんだ」
力や権力に乗じて、他人を見下すような人間になるつもりはない。でも、どれだけ気をつけていても、無意識のうちにそうなってしまうこともある。
「…ま、ごちゃごちゃ考えてたって明日は来るし、属性もら分かっちゃうから、しょうがないんだけどね」
俺は、大事な(?)使命を受けてここに来たわけだけど、当分の目標は無事に生き抜くことなのだ。俺が死んだら、救うもんも救えないしね。
「俺がいつかヤベー奴になりそうだったら、逃避行でもしようかな」
「とーひこー?」
「ここから逃げちゃうってこと。俺がセト・オーウェンだって知ってる人が誰もいない所でひっそりと生きてくのも、いいと思わない?」
面白おかしくそう言うと、ロルフは元々下がっていた眉毛をこれでもかってほど下げて、綺麗な金色を潤ませた。
「セト、どっか行っちゃうの…?」
「もしもの話だよ」
そう、もしもの話だ。だってきっと、逃げられない。俺はセト・オーウェンで、公爵家の跡取りで、この世界でやらなきゃならないことが沢山ある。
逃げるなんて選択肢、本当はないのだ。
「……ボクも行く!!」
「ロルフ?」
ちょっぴりセンチメンタルな気分に浸っていると、突然ロルフが叫びながら立ち上がった。膝に乗っていたはずのうさぎのぬいぐるみがころりと落ちる。
目に涙を溜めたロルフの耳としっぽは力強くピンと立っていて、握り締めた小さな拳は震えていた。
「セトが逃げるなら、ボクも一緒に行く…!」
その表情は真剣だった。小さな子供が、一生懸命な顔で、俺を見ている。俺の戯言に本気で向き合ってくれている。
それだけでもう大分、救われるものがある。
「…ふっ、はは!それじゃあ、駆け落ちになっちゃうよロルフ」
「セトがいないと、ボクはやだよ…」
「……そっか。じゃあもし、そうなったとして。その時まだロルフが同じ気持ちだったら、一緒に逃げちゃおっか」
俺は今にも泣きそうなロルフを抱き締めた。
子供の頃の約束なんて、世迷言で、戯言だ。きっとこの気持ちも約束も、そのうちいつか忘れてしまう。でも、それでも嬉しかった。
ロルフは、この世界に来て初めての友達。それだけはこれからも変わらない事実として残り続けるから。
この日、俺は思ったんだ。ひと握りの同情とエゴで汚くて狭い牢屋でズタボロになっていたロルフを救ったのは、紛れもない俺だけど。同時に俺は自分を救ってくれる存在と出会ったのかもしれないって。
ひたすらに俺の後を付いてくる可愛いロルフを置いて行くことは出来ないから。何もかも手探りで、選んだ道が正解なのかも分からないけど。少なくとも今は、この小さな獣人のために生きていこうと思うんだ。
応援ありがとうございます!
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