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PROLOGUE

はじまりの刻-01

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遠い昔、遥か彼方の、次元の先で…。

◇     ◇     ◇     ◇

先程までの月明かりはどこへやら、いつの間にか周囲は土砂降りの荒天となっていた。

ここは州都、スタディウム・ノーディスタン。その中心に位置する石造りのハープシュタット城外壁の側で、ずぶ濡れになった二体の人型の機械がそこにあった。その人型の機械を、人は神鋼機兵ドラグナーと呼ぶ。地に伏した漆黒のドラグナーは、その胴体を真横に真っ二つにされている。胸部に見えるキャノピーからは何も見えない。ただ、搭乗者から吹き出た血液で真っ赤に染まっているだけだ。そう、ただそれだけ。

もう一方… 右足の腿を深く焼き抉られた白いドラグナーは、雨粒に叩かれるまま天を仰いでいた。その機体に弾かれた水滴の奥に、赤と青のストライプが辛うじて見ることができる。その胸部のキャノピーには、まだ幼さを残した顔の少年の姿があった。少年もまた、瞳を瞑り天を仰いだまま暫く動こうとはしない。やがて少年は静かに瞳を開くと、ゆっくりと、一語一語を確かめるように、言葉を紡いだ。

「俺の名前はライヴ… ライヴ=オフウェイだ。…聞こえるか… …聞こえるか…?」

ライヴ少年の乗ったドラグナーはゆっくりとその視線を漆黒のドラグナーに向けると、再び通信を続けた。

「…ここ、グリーティスタンでの戦闘は終わった。領主であるメッド=クラウン… アムンジェスト=マーダーは今、この俺が倒した。これ以上の戦闘は誰にとっても無意味でしかない。名誉ある帝国兵の皆に告ぐ。…どうか投降してくれ。繰り返す…」

その場にいた誰もが自身の耳を疑った。ただでさえ不死身と謳われ”恐怖公”の二つ名と共にその強さを誇っていたマーダーという男を、僅か齢16の少年が倒したというのだから。少年の味方となるドラグナーも、敵となるドラグナーも、その動きを止めた。ドラグナーに騎乗していない兵士たちも、雨に打たれるままその動きを止めた。ひとり、またひとりと振り上げていた剣を下ろしていった。

突然、異なる声で宣言がなされた。その場にいた兵士たちはスピーカーで、無線で、雑音の混じったその宣言に耳を傾けた。
「ここに、この場に集いし戦士たちよ。私は蒼き旅団ブラウ・レジスタルスのリーダー、ローン=リアリズレンである。先だって宣言にあった通り、あなた方を統率するアムンジェスト=マーダーは同志:ライヴ=オフウェイによって倒された。我々は、あなた方を栄誉ある捕虜として迎え入れる準備がある。我々は勝利した。これ以上の戦いは無駄である。…投降せよ!」

◇     ◇     ◇     ◇

『…クーリッヒ・ウー・ヴァンの物語を覚えているものは幸いである。心豊かであろうから。それ故に、皆に伝えよう。連綿と語り継がれてきた、勇者たちの物語を…』

モノローグが流れ、壮大な民族音楽を思わせるテーマ曲が流される。テレビの画面いっぱいに古代をイメージさせる文字やレリーフの映像が映し出されては消え、やがてタイトルロールが現れた。そのタイトルがフェードアウトすると、浅黒い肌をした白髪の初老の男が登場。どうやらこの番組のパーソナリティらしい。BGMの音量が小さくなると、その音楽をバックにその男は軽やかな口調でゆっくりと口を開いた。

「…皆さん、こんばんは。ようこそこの未知なる神話の世界へ。クーリッヒ・ウー・ヴァンの世界へ。私が当番組のナビゲーターを務めることになりました、ブレンドフィア=メンションです。映画の一場面やドラマの脇役などで、私をご存じの方もいらっしゃるかもしれませんね。改めて、ご挨拶します。ご機嫌いかがですか?

さて。この私自身も20代の頃に映画で演じたことのある、クーリッヒ・ウー・ヴァンの物語。それだけに、今回今回の企画には非常に大きな意義を持って参加させていただくことになりました。それにしても、この世界において誰もが一度に耳にしたことのある、この壮大なクーリッヒ・ウー・ヴァンの世界において、一度は疑問に思ったことがあるはずです。

…はたして、この物語は実際にあった物語なのか。それとも人の作り出した物語なのか? と。

現在までに出土した遺物やオベリスクに刻まれたレリーフ・数々の状況的証拠から、私は実際にあった出来事であったと確信しております。そのような4,500年以上前から伝わる古代の伝説を専門にしてきた二人の専門家… 古代歴史学者であるアンスタフト=ヒストリカ教授とミンダーハイト=ギリアートン教授の意見を元に、番組を進行していこうと思います。お二人は共に、このクーリッヒ・ウー・ヴァンの物語を肯定しつつ、様々な観点や切り口で分析・研究してきた第一人者です。その二人が全く同じ人物にスポットライトをあててきました。それが歴史に登場した時点で16歳になる、たったひとりの少年… ライヴ=オフウェイなのです」

◇     ◇     ◇     ◇

日本で一番小さいと言われているK県。その中に俺の住むT市がある。今朝も俺はいつもどおり、高校へと向かうスクールバスに揺られていた。少子化が叫ばれている昨今、ウチの高校にも例外なく大きな問題がのしかかっていた。生徒の減少である。この事について深く検証をするつもりはないが、今俺はとにかく眠いのだ。ちゃっかりと窓際の席を確保し、俺はのんびりとうたた寝を決め込んでいた。

春うららかな季節柄もあって、バスの揺れが実に気持ちがいい。
「…ん?」
信号で停まった窓の外から、アゲハ蝶が飛んでいるのが見えた。珍しいな、俺は再び瞳を閉じた。バスはゆっくりと発車しスピードを上げていく。

『…! ……! …イヴ、しっかりして!』

空耳… か? 俺はふと、目を覚ました。
刹那、耳を引き裂くようなブレーキ音。金属同士が接触し軋み合う甲高い音。そして…。

最後に見た、信号無視のダンプトラック。

…意識が飛んで行く、引っ張られる。光りに包まれた虹のトンネルを超えて、俺の意識は知らない世界へと誘われた。


三方を大きな山々に囲まれた小さな村から煙が立ち上っている。針葉樹林の中の、小さな村。その煙は決して小さなものではなく、村全体から立ち上っていた。

壊れ果てたレンガ造り建物の影に、ひとりの少女がいた。着衣のあちこちが煤で汚れ、所々には返り血の染みが見て取れる。その少女は血まみれの少年を抱き抱えていた。少年の顔を見る。なんだか馴染みのある顔だな…。年齢の割にあどけない顔立ち、髪質の硬い、ツンツンとした髪型…。てか、俺じゃん!? 血の気の失せた真っ青な顔で、意識を失っているように見えた。いや、意識を失っているのではない。明らかに命を失っている。その事が、腹部に負った大きな傷と出血量から容易に想像できた。少女は必死に俺ににた少年に叫び続けていた。明らかに日本語ではない。しかし、何を言っているかは何故か理解できた。

彼女は少年の名前を連呼していたのだ。そして一生懸命に蘇生措置を行っている。俺の意識は無意識に、この少女の傍らに降り立った。その時になってようやく、彼女の言葉を聞き取ることができたのだ。

『ねぇ… ダメなの? …どうしても…』
少女はしゃくりあげながら、強く瞳を閉じた。大粒の涙が頬を伝い、落ちる。

俺には、彼女の声に聞き覚えがあった。つい先程聞いた、空耳…。
少女は暫く俯いたままで、やがて頭を振ると首にかかったネックレスを外した。そのネックレスには、紫に輝く水晶のような結晶体が取り付けられている。彼女は手のひらの中に水晶体を強く握ると、何やら詠唱らしき文言を唱え始めた。

『アブソルート・ゴット… マイアー、エレクター、タユユガーイ、アルクオニー、ケライノー、アステロープ、ミルーパ…。運命を司る七柱の大天使たちよ。願わくば、彼の者を蘇らせ給え。我が生命の欠片をもって願い給う。どうか、…どうかあたしの身代わりになった、あたしの、…あたしの、大切な人の、人を、蘇らせて…!!』

瞬間、俺の中で何かが弾けた。

そして、俺の意識は倒れた少年の身体へと贖うこともできず吸い込まれていく。抵抗のひとつも、全く、できなかった。

「…ライヴ、ライヴ! …しっかりして… あなたまで死なないで…!」
その声は、先程までのそれとは違う、ハッキリとした音声として聞き取ることができた。
「…ねぇ、ライヴ。お願いよ、目を開けて!」
俺の頬に熱いものが落ち、流れていくのが実感としてわかった。

ちょっと混て、ちがう。俺はさっきまで高校指定のスクールバスに乗って、窓辺でうつらうつらと…。

そんな時に、…ダンプに突っ込まれて…。

それからどうなったんだ? それ以前に、俺は誰なんだ・・・・・・

自分の名前が思い出せない。俺は日本人、追手門高校の高校生、一年・男。名前は、…名前は…。

ゆっくりと瞳を開けてみる。目の前には、俺と同じ年格好の少女が泣きはらした瞳で俺を見つめていた。青く澄んだ、大きく見開かれ涙で潤んだ瞳。亜麻色の髪は後ろふたつ束ねられ、三つ編みにしている。どこかの民族衣装だろうか、とても似合っていて可愛い。いや、とても可愛い。メッチャかわいい。俺は思わず、飛び起きてしまった。

「…ライヴ…?」
少女は戸惑っているような仕草を見せていた。それもそのはずだろう、俺は改めて自分の着衣の様子を観察すると、大きく斬られ裂けた跡。そして、服に滲んだ大量の血液と黄色い体液。しかし、今の俺の身体には傷ひとつ付いてないのだ。明らかに即死レベルの出血量にも関わらず、である。ちゃんと全身触って確認したから間違いない。俺は、不思議そうな顔をして俺の顔を見つめる少女を手のひらで制し、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「…俺は、一体…? いや、さっきから君の言葉が理解できているのだから、ここは日本? …いや、しかし、このような場所は …俺は、知らない。ここは一体どこなんだ? それに、君は一体…? もしよかったら、今の状況を手短に教えてもらえないかな…?」
「あは、…ライヴったら記憶の混乱… なのかな? いいわ、教えてあげる。でも良かった、あなたが生きていてくれて…」
少女は指で涙を拭いながら、微笑んだ。思わず俺は彼女の肩をそっと抱き寄せる。そして、落ち着くようにゆっくりと頭をなでた。
「…ありがとう…」
「…どういたしまして」
少女はニコリと、小さく笑った。

「あなたの名前はライヴ=オフウェイ。あたしと同じ、16歳。この村… ダーフに住んでいたのよ」

言われてはじめて、俺は改めて周囲を見渡した。崩れ落ちた家屋、炭化した柱。それらのあちこちからヒトや家畜の焦げたような匂いが漂ってくる。俺は思わず鼻を覆った。が、着衣に付いた血が、ベタリと顔に塗りたくられる。言葉に出来ない不快感。俺は服を脱いて、まだ乾いている所で顔に付いた血を拭い取った。

「それにしても、随分と寒いんだな?」
「そりゃそうよ。もう13月なんだもの」
「13月?」
「そう。今日はクーニフ歴36年の13月18日。これから本格的な寒い冬を迎えようとしているんだもの、寒いに決まってるわ」
「で、この惨状は一体?」
「…領主のマーダー様の軍隊によって、滅ぼされたの。今年は特にひどい冷夏でね、租税を収められませんって使者を立てたんだけど… その人は遺体になって帰ってきたわ。それが一週間前の話。で、昨晩襲われたんだけど、あたしたちはこの一週間の間で、この森にキャンプを作ってたの。そこに逃げ込んで助かったんだ。でも…」
「でも…?」
「逃げ遅れた人も数多くいたの。ライヴのご両親もそう。最後の最後まで避難する人を誘導していて…」
「…そうか」
「本当に残念だった…」

「…ところで」
俺は、話を切り替えた。湿っぽいのは精神安定上、よろしいことではない。
「君の名前を教えてもらえないかな?」
「リーヴァ」
少女は輝くような笑顔で答えてみせた。
「リーヴァ=リバーヴァ。いつもリーヴァって呼ばれてたわ。思い出してくれた?」
俺は困ったような笑顔で返すと、リーヴァの笑顔に少し陰りが見えた。

「…いいわ。今はきっと、記憶の混乱を起こしてるだけだと思うから。だから、そのうちきっと分かるはず。ゆっくりでいいの。あたしのこと、思い出してね」
寂しそうな笑顔を浮かべて、リーヴァは俺の手を引いて森へと歩いていった。
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